私立聖陵学院・茶道部!





 夏の長い陽も漸く傾きかけた頃、先生は『これからまた会議なんだ』といって、先に山を下りていき、残った僕らはまだ、心地よい余韻に浸っていたんだけれど…。


「加賀谷先輩って、剣道部なんですよね」

 葵が突然切り出した。

「ああ。実は掛け持ち禁止の身なんだけどね」
「大丈夫ですよ。同じ「推薦」の身の上ですから、チクったりなんかしません」

 笑いながら葵が言う。

「ぜひ頼むよ」 

 加賀谷先輩もうち解けた笑顔だ。

 けれど…。

『同じ推薦の身の上』…その言葉になんだか僕は、僕に入り込めない空間がそこに存在しているような感じを受けた。

 それは、単なる単語の上での印象ではなくて、言葉の調子と言うか、二人が交わす視線と言うか…。


「僕、一度先輩が稽古されてるところ見てみたいなぁ」 

 また葵が言った。けれど、今度はさっきよりもはっきりと甘えた口調で。

「いいよ、見学はいつでも誰でもOKだから」

「ありがとうございます! ね、桐哉も一緒に行かない?」

「え? 僕?」


 いきなり話を振られて、思わず加賀谷先輩を見れば、先輩はなんだか気まずそうに視線を逸らした。

 え…。どうして…。

 僕は今までも、時々、こっそり先輩の稽古姿を覗きに行っていたんだけれど…。

 もしかして、いけないことだったんだろうか…?
 でも…見学はいつでも誰でもOKって今…。


「ね、桐哉も一緒に行こう」
「でも…」

 僕が言いかけた言葉に、加賀谷先輩のちょっと焦ったような言葉が重なった。

「いや、桐哉は…」

 ……僕…は?


「えー、どうしてですかぁ〜? 加賀谷先輩、桐哉と仲いいのに〜」

 葵の口調は、いつもとかなり違う。
 普段の葵はこんな甘ったるい話し方はしない。

 でも、その違和感よりも、僕は今先輩の口から零れ出た言葉がショックで…。


 そして、次に先輩の発した言葉は、更に僕を打ちのめした。
 

「…ああ、もちろん桐哉は可愛い後輩だけれど、でも…あっちの見学は、ちょっと…」

 僕、は…ダメ…なんだ…。

 何処に定めていいかわからない視線を向けた先…いつもは助けてくれる坂枝先輩も、何故か押し黙ったまま…。



 …どうしよう…僕、ここにいたくない…。
 でも、後かたづけあるのに…逃げ出すわけに…。


「桐哉、先に帰っていいぞ」

 俯いてしまった僕に、坂枝先輩の固い声がかかった。

「…せんぱい」

「後は俺がやるから、先に帰れ」

「坂枝っ」

「加賀谷は黙ってろっ」

 先輩…怒ってる…。


「桐哉、いいから帰れ」

 僕は、それが坂枝先輩の思いやりだと知って、頭だけ下げると逃げ出すように茶室を飛び出した。

 言葉が出せなかったのは、口を開くときっと、泣いてしまうと思ったから…。








 坂道を駆け下りながら、僕は必死で涙を堪えた。

 加賀谷先輩の言葉が、態度が、何度も何度も頭の中で繰り返される。

 思わないでおこうとしても、それは僕の脳味噌をかき分けるように侵略してくる。

 もう、ダメだ。
 声を上げて泣かないと、僕の頭はパンクしちゃう!



 寮の灯りが見えてきたけれど、僕はそのまま道を外れてさらに何もないところに向かった。

 途中『これより先、生徒の通行を禁ずる』っていう札があったけれど、そんなこと、お構いなしに…。




 そして、漸く辿り着いた大きな木の根本で、僕は声を上げて泣き出してしまった。

 みっともないけれど、でも、悲しくて、悲しくて、どうしようもなくて……。




 中学の頃から憧れてきた加賀谷先輩…。

 ううん、あの頃の僕は、心の中でそっと『加賀谷さん』って呼んでいた。



 あと一つ加賀谷さんが勝てば、決勝戦は僕たち――そう、優勝候補最有力だった中3の加賀谷さんと、まったく無名の新人だった中2の僕――の対戦になるはずだった、2年前の夏…。 



 次の年、加賀谷さんが聖陵に入ったって聞いて、僕も聖陵を目指した。

 地元の公立に進学されてしまったら、もう追いかけられなかったけれど、私立で、しかもスポーツ推薦がある学校だから、まだ望みがあると思ってがむしゃらにがんばった。

 それは、果たせなかった対戦をするためではなく、同じところで頑張りたいという気持ちで。

 けれど僕は、中学2年の終わり頃、試合中の怪我で神経を傷つけ、右手の握力をほぼ失った。

 ただ、ラッキーなことに、いいお医者さんに巡り会えたおかげで、日常生活は送れるようになった。
 けれどやっぱり、竹刀を持つことは断念せざるを得なくなって。

 できなくなった剣道への未練はもちろんたっぷりあったけれど、もともとお気楽な『お公家さん』の血を引いているせいか、悔やんでみても時間は戻せないんだと、意外にも早く、自分の中でケリを付けた。

 けれど、どうしてもケリが付けられなかったことが…。

 それが、『加賀谷さん』だ。




 僕はどうしても、もう一度加賀谷さんが竹刀を握る姿をこの目で見たかった。

 静かな物腰なのに、堂々として、相手を飲み込んでしまう迫力。

 けれど、面をはずした素顔の加賀谷さんは、遠目にもとても優しい表情の人で…。


 だから僕は、加賀谷さんに会いたい一心で、一時は諦めた聖陵をもう一度を目指した。

 幸い、推薦入試と一般入試に学力の差はないから、推薦への道をなくした僕にとって、問題は「学費」のことだけで、それも父さんがうんと言ってくれたおかげでクリアになり、僕はここへ来た。


 そして、坂枝先輩のおかげで、『遠くから見るだけ』だったはずの加賀谷さんと、先輩後輩という間柄になれてしまったのだった…。




 けれど、それも…。

 一度は枯れかかった涙がまた溢れそうになったとき、かなり間近で声がした。


「桐哉っ!!」

 ここは、生徒立入禁止だよ…。

「桐哉っ!!! どこだ、返事してくれっ! とうやっ!」

 え…加賀谷先輩…?

 あんまり驚きすぎて、また零れそうになった涙もひっこんだ時、すぐ後ろでがさがさと草を踏む音がして、人の気配が立った。

「…桐哉…」


 慌てて振り向くと、そこにはまるでシャワーを浴びてきたみたいに、髪からも汗を滴らせた加賀谷先輩が…。  


「どうしてここに…」

「奈月くんと坂枝に『さっさと追いかけろっ』って怒鳴られた」

 え? なに、それ?



8へ続く

事態緊迫中につき、和菓子のイラストを挟む余地がありませんでした。お詫び申し上げます(笑)


次回、最終回の茶道部は…?
ますます混乱する僕は、そっと右手を取られて、
漸く視線を先輩にあわせる。

「先輩…?」

そしてその右手に、先輩がそっと唇を寄せた。

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