私立聖陵学院・剣道部!

11


その後の2人



 12月26日の昼過ぎ。
 加賀谷と桐哉は漸く寮を出た。

 本当はずっとこのまま2人で居たいところだったが、残念ながら夏期休暇と違って年末年始の寮は『完全閉鎖』になるから仕方がない。

 2人の帰省先は、ここから1時間ほどは同じ路線で、そこから桐哉は違う路線に乗り換え、加賀谷はその二つ先でまた別の路線に乗り換える。

 だから、あと1時間ほどの道行きの後は、暫く『お別れ』になってしまうのだ。

「初詣、一緒に行きたいな」

 ポツッと加賀谷が言った。
 学校からは遠いが、2人の実家同士は1時間もあれば行き来ができる。

「なあ、桐哉。度々…は無理かも知れないけれど、冬休み中も何回かは会おうな」

 自分は家を空けても平気だけれど、桐哉はそうもいかないのでは…と思ったのは、一昨日の夜、桐哉が寮から実家にかけた電話の内容から感じたことだ。

『え〜! クリスマスだってのに、桐哉いないの〜?』

 確か、受話器の向こうからはそんな声が聞こえた。

『26日に帰るから』

 そう言った桐哉に対する返事だったのだが、桐哉の家族が彼の帰省を待ちわびているだろうことは容易に想像できて、ほんのちょっと、加賀谷は罪悪感を持ったのだ。

 それでも手放すことはできなかったけれど。

「はい! あ、初詣、僕も行きたいです。どこにしましょう?」

 でも、桐哉がこうして明るい笑顔で同意してくれるから、もう何でも良いや…と、加賀谷は悩むことを放棄する。

「そうだな、どっちから行ってもちょうど真ん中辺りって言うと……」

 頭の中に地図を呼び出して、加賀谷が神社の検索を始めた。

 だがその隣で、突然桐哉が立ち止まって、『嘘…』と呟いた。

「桐哉?」

 どうしたんだろうと、固まる桐哉の視線の先を見れば、そこには可愛いペールピンクのワゴン車が止まっていた。


 ――また随分乙女チックな車だな。

 なんて、加賀谷がその色と形について頭の中で評論したとき、運転席のドアが開いた。

 中から出てきたのは、年の頃はそう…20代後半か…の、車に見合った可愛い女性だった。

 しかもその女性はこちらを見ると、パッと表情を明るくしてこう言ったのだ。

「桐哉〜!」

 思いっきり手まで振っているではないか。


 ――誰だ?

 この親しげな様子からすると、身内…か。

 しかし、ちょうど姉くらいの感じではあるが、桐哉には妹しかいないと聞いているし、いったい誰なのか。従姉…あたりが妥当な線だと思われるのだが。

 ところが、桐哉は驚愕の事実を呟いた。


「母さん…」

 ――母さんだ〜?

 どうやら、彼女の正体は『桐哉の母』らしい。

 ――おいおい、いくつだよ、いったい。

 高校1年生の息子を持つにはあまりに若い母親の登場に、加賀谷は面食らった。
 しかし、もし20歳で桐哉を生んでいたとしたら35歳。それくらいなら無理矢理見えないこともない。
 しかも桐哉は長男で、妹はまだ小さいと言っていたから。


「なんでこんなところに…?」

 母に問う桐哉の声がちょっと裏返った。あまりに予想外だったらしい。

「なんでって…。用事があって退寮が遅れるっていうから、色々大変なのかしら…なんて思って迎えに来てあげたんじゃないの〜」

 腕組みをして桐哉の前に立ちふさがった若い母親は、女性にしては背が高く、桐哉はほんのちょっとだが見下ろされていた。

「や、でも、先輩と一緒に帰るから…」

 やはり少し気圧されているのか、様子を伺うような上目遣いが妙に可愛くて、加賀谷は隣でクスリと笑ってしまった。

「あら」

 視線が加賀谷を捉えた。

「はじめまして。2年の加賀谷です」

 きちんと伸びた背筋を正しく折る。

『礼』は得意だ。何しろ幼稚園の頃から道場に通って厳しく躾けられてきたのだから。

 そんな、今時の高校生にしては珍しいほどの清潔さを見せてくれた加賀谷に、桐哉の母は何故か一瞬首を傾げたが、すぐに『はじめまして。桐哉がお世話になってるのね、ありがとう』と、にこやかに笑ってくれた。

 どうやら第一印象はクリアしたようだ。


「じゃあ、加賀谷くんも送ってあげましょうよ。ね、桐哉」

 それならOKでしょ?…と、桐哉の荷物をさっさと取り上げた。

「あら? 荷物はこれだけ?」

 退寮の荷物にしては小さすぎると訝しんだ母は、加賀谷の手に見覚えのあるボストンバッグを見つけた。

「あらやだ、桐哉ってば持ってもらってるの?」

「あ。ええと…」

 持ってもらっているのだ、ばっちりと。

「先輩なんでしょう? ダメじゃないの。先輩に荷物持たせるなんて。ごめんなさいね、加賀谷くん。躾のなってない子で」

「いいえ、桐哉くんは遠慮したんですけれど、俺が強引に持ちました」

 きっぱり言い切った加賀谷に、母は一瞬驚いたような顔をしたが、やがて破顔した。

「ありがとう。桐哉のこと、気遣ってくれてるのね」

 気が付いたのだ。桐哉の利き手を気遣ってくれているのだと。

「さ、乗って乗って」

 何ていい子なのかしら。しかもハンサムだし…なんて、内心でワクワクしながら母は、後部座席のドアを開けて、2人と荷物を押し込んだ。


「…先輩、ごめんなさい…」

「いや、こっちこそ楽させてもらって悪いな。ありがたいよ」

 心底申し訳なさそうに言う桐哉に、加賀谷は笑ってみせるが、これは紛れもなく本音だ。

 もちろん桐哉と二人きりで電車に揺られるのも楽しみだったが、こうして桐哉の家族と知り合いになって色々と話ができるのはもっと収穫だ。

 それに、この先の『色々』を考えたら、母親に好印象を持ってもらわないといけない。とりあえず『頼りになるいい先輩』をアピールするには、絶好の機会だろう。

「あれ? 絢子は?」

 後部座席から助手席を覗き込んで、桐哉が母に尋ねた。

「ぐずるから、おばあちゃまのところへ預けてきたわ」


 ――あやこ…って?

 もしかして妹の事だろうかと、加賀谷が少し頭をずらして桐哉と同じく助手席を覗いてみれば、そこにあったのはチャイルドシートだ。

 どうやら『あやこ=妹』というのは当たりのようだが…。


 ――ぐずるって…。チャイルドシートって…。いくつだ、いったい。

 そんな色々を、言葉にはせずに加賀谷が隣に座る桐哉を見れば、桐哉は察し良く『えへ』と笑って『まだ3歳なんです』と教えてくれた。

 またまた驚きだ。小さいとは聞いていたが、小学生くらいだと勝手に思いこんでいた。

 現に加賀谷のクラスメイトの中にも、小学生の兄弟がいるヤツらは結構いるから。 

 しかし、よもや幼稚園にも行ってない年齢――幼児だとは思わなかった。 

「にーにのおむかえ、いっしょにいくー!…って、朝から大騒ぎだったんだけどね。何時間も待てるはずないし、そもそも車に乗る前から眠くなってぐずり始めるし」

 笑いながらエンジンを掛けて、慣れたステアリングで車を出す。

 どうやら桐哉の母は随分快活な質の人のようだ…と、加賀谷は感じた。親しみやすそうだし。


 ――それにしても『にーに』って可愛いよな。桐哉にぴったりだ。

 そう思ってチラッと桐哉を見ると、恥ずかしそうな顔をちょっとだけ向けて、俯いてしまった。
 
 耳まで赤いのがまた可愛くて、思わずキスしてしまいそうなったのを慌てて押さえ込む。

 それから暫く、桐哉を挟んで会話が弾んだ。

 桐哉の母は、いきなり突っ込んだ話をすることはなく、当たり障りのない話――それこそ天気だとか最近のニュースだとか――から始めて、徐々に会話を深くしていくという、かなり話術の巧みなタイプで、そのあたりは桐哉とあまり似ていない。

 面立ちは母親似のようだから、そのギャップもまた面白いが。


 かなり会話が弾んできたところで、母が切り出した。

「ねえ、加賀谷くんはどうしても今日中に帰らなきゃダメ?」

「え?」

「もしよかったら、今夜はうちへ泊まっていかない? 桐哉が学校でどうしてるのかも聞かせて欲しいし」

「母さんっ、迷惑だよっ」

 いきなり何を言い出すのかと思えば…と、桐哉は慌てに慌てた。だが。

「えっと、お邪魔ではないですか?」

「せ、先輩っ?!」

「ぜひに…ってお願いしたいわ。泊まっていって?」

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えてそうさせてもらいます」

 桐哉が口を挟む間もなく、トントン拍子で話はまとまってしまい、桐哉は唖然とするしかない。

 だが、桐哉の心配を余所に、加賀谷はやたらとワクワクした横顔を見せているではないか。


 ――もしかして、先輩マジで喜んでる…?

 それならもう仕方がないや…と、桐哉は2人が談笑する間に割り込むのを止めて、シートにドサッと身を預けた。

 車の適度な振動が、なんだかぼんやりと心地良い。

 ふ…と、瞼が重くなり、桐哉はそのまま目を閉じてしまった。加賀谷の肩にもたれて。

 加賀谷は桐哉が話に寄ってこなくなったな…と、気が付いてすぐ、肩にその重みを感じた。

 みればすっかり寝入っているではないか。


 ――昨夜、ほとんど寝てないからな…。

 2晩続けて可愛がりまくってしまったのだが、特に昨夜は『次の機会をいつ持てるかわからない』という危機感(?)から、やたらとがっついた気分になってしまい、桐哉が半ば失神してしまうまで好き放題してしまったのだ。


「あらあら、桐哉ってば。ごめんなさいね、加賀谷くん。遠慮無くたたき起こしてちょうだい」

 バックミラー越しに言われ、上げた視線が絡む。
 一瞬、今まで脳裏で反芻していた昨夜までの2日間の記憶が見透かされたような気がして、加賀谷は頭の中に消しゴムをかけたくなった。

 消しゴムを掛けたところで、加賀谷の頭の中は桐哉一色なのだが。


「いえ、全然重くも何ともないので平気です」

 だからつい、殊更生真面目に返事をしてしまったのだが、その応えが笑い声だったのでホッとする。

「あはは、桐哉、チビだものねえ。加賀谷くんは何cmあるの?」

「180です」

「ま、素敵ね。やっぱり息子は母より大きい方がかっこいいわよねえ〜」

 桐哉が起きていたら、『どーせ』と拗ねてしまいそうなことをつらっと言って、母はワクワクとハンドルを握っている。


「桐哉くんも男らしくてかっこいいですよ。人気者ですし」

 フォローでも何でもなく、言った。本当のことだから。

「あらー、嬉しいこといってくれるのね、加賀谷くん。そうそう、『桐哉』でいいわよ。いつもそう呼んでるんでしょう?」

 先回りして気の利く事を言ってくれる『桐哉ママ』――勝手にそう呼ばせてもらうことにした――に感謝して、加賀谷は『はい』と頷いた。



 それから大してかからずに、桐哉の実家に到着した。

 松の大きな枝なんかが覗いている、板塀に囲まれた重厚な佇まい。周囲もかなり大きな敷地の家が並んでいて、さすがに『家の歴史』を感じさせる。

 加賀谷の実家はごく普通の住宅街にあるごく普通の一軒家だから、思わず『こんな時代劇に出てきそうな家に住んでる人間、本当にいるんだ…』なんて感想を頭の中で零してしまった。

 何より『綾徳院』という表札が、嬉しくなるくらいお似合いの門構えで、何も知らなければ、『いったいどんな人が住んでるんだろう…』と思ってしまうような家だ。

 住人は可愛い男子高校生とお茶目で元気な若い母、そして3歳の姫――父親がどんな人なのか、こうなったらそれが若干不安だが――と、かなり想像を裏切っているのだが。


「さあ、どうぞ」

 車を車庫に入れ、招き入れられた玄関は、上がりの間があって、加賀谷を驚かせる。雰囲気としては、お寺か旅館と言った感じだろうか。

 結局着くまでぐっすりと寝入っていた桐哉はさすがに恥ずかしそうにしているが、どちらかというとまだ『寝起き』と言った感じだ。

 そんな2人が靴を脱いでいた時、桐哉ママが『あっ!』…と叫び、2人は何事かと顔を上げた。


「母さん、いきなりどうしたんだよ。びっくりするじゃん」

 もう〜…と、胸を押さえる息子の肩をガシッと掴み、桐哉ママは『ほらほら』とゆすった。

「思い出したわ!」

「何を?」

「どうしてだが記憶の隅っこに引っかかると思ってたら、加賀谷くんって、『あの』加賀谷くんだったのね!」

「え?」 

『どの』加賀谷さんでしょうか…なんて、ぽかんと口を開けてみれば、隣で当の加賀谷も不思議そうな顔をしている。

 確かに、『綾徳院』ほどではなくても、『加賀谷』もそうそう転がっている苗字ではないが。


 ――え…ちょっと待った…。もしかして!

 ふと思い当たることに行きついて、桐哉が、慌てて母を止めようとしたが、遅かった。

「どこかで聞いたことのある名前だなあって思っていたのよ。加賀谷くんって、A中の加賀谷賢くんよねっ?」 

 いきなり出身中学の名を出されて加賀谷は驚いた。
 しかもファーストネームまで当てられてしまったではないか

「え、ええ、そうですが…」

「そっか〜、聖陵へ進学してたのね。桐哉〜、会えて良かったわねえ」

 しみじみと、しかもこれでもかというくらい嬉しそうに言われてしまえば、もう桐哉に後はない。

 ――母さ〜ん…。

「あの、どういうこと、ですか?」

 問うてみたが、『まあまあ中へどうぞ』と言われ、とりあえず客間らしき座敷に落ち着いた。

 典型的な日本のお屋敷は、縁側の向こう側に和風の庭が広がって、敷地が広い所為なのか、外の音もほとんど聞こえない。静かで、落ち着く空間だ。




「A中の加賀谷賢くんは、桐哉の憧れの人だったのよね」

 桐哉ママがお茶とお茶菓子を用意してくれて、そう言った。

 桐哉がかつて自分に憧れてくれていたという話は聞いているが、改めて母親から言われると少し照れる。

「あ、そうか。もしかして、そういうことなのね。もう〜、桐哉ってば意外と情熱家だったのね〜。普段はぼんやりさんのクセに〜」

 だが、続く桐哉ママの言葉はやはり謎で、加賀谷はどう言うことだろうかと桐哉の顔を見た。

 しかし桐哉は加賀谷とは反対方向へ視線を泳がせているではないか。
 
 この様子では桐哉から得られる情報はなさそうだと、再び桐哉ママへ視線を移せば、にっこりと微笑まれた。


「桐哉はね、せっかくここから通える進学校に合格してたのに、どうしても聖陵にいきたいって言い張ったのよ。 そもそも聖陵を滑り止めに受けたいって言い出した時もどうしてかしらと思ってたのよね。親戚や友達がいるわけでもないし。 それに聖陵は遠いし、寮にも入らなきゃいけないし、学費高いし…。でも、それでもどうしても聖陵に行きたいからお願いします…って、桐哉はお父さんに頭を下げて頼んでいたものね」


 初めて聞く話だった。

 両親が他の学校へ行かせようとしていたのにも関わらず、ほぼすべての生徒が第一志望として目標にする聖陵を滑り止めにしてまで受験したという桐哉。彼が、わざわざ聖陵を選んだわけ、とは。


「加賀谷くんに会いに行ったのね、桐哉は」

 ニコッと微笑まれて、桐哉は真っ赤に湯で上がった。そして、加賀谷は驚きに目を丸くする。

 聖陵で会えたのは、偶然だと思っていた…から。


 ――桐哉…俺を追って、来てくれたのか?

 今ここで、口に出して尋ねられないのがもどかしいが、耳まで赤い桐哉を見ていれば、答は自ずと明らかだろう。


 抱きしめたい。

 切実にそう思ったが、いくらなんでもここでそれをやっちゃあまずい…ことぐらい、恋するバカオトコでも判断がつく。

 だから、座卓に隠れた場所で、隣に座る桐哉の手をギュッと握った。

 途端にギクリと体を強張らせた桐哉が、可愛いやら危なっかしいやら…で、目のやり場に困る。


「知りませんでした。嬉しい、です」

 とりあえず、桐哉ママ用に優等生の返事をして、なんとかその場を凌いだ加賀谷だった。


12へ続く

↓おまけつき!


次回の剣道部は…?
「絢子ったら、ほんとメンクイなんだから〜」

「母さんに似たんじゃないの?」

 呆れ顔で応酬する息子に母は肩を竦めた。

「あらやだ、桐哉ったら拗ねちゃって」




【おまけ小咄〜聖陵最強のおばちゃん軍団in仕事納めの寮食厨房】


おばちゃんA:そういえば加賀谷クンととーやちゃん、最後まで残ってたねえ。

おばちゃんB:そうそう。いつみてもべったり二人一緒でね〜。

おばちゃんC:あんまり初々しくて可愛いんで、お皿にピーマンてんこ盛りしてやったら、とーやちゃんってば加賀谷クンに涙目で訴えてるんだよ〜。

おばちゃんD:やだー、可愛いんだから〜。

おばちゃんE:で、加賀谷クンはどうしたの?

おばちゃんF:とーやちゃんの肩をポンと叩いて、『桐哉、ここにいる間に鍛えてもらえ…』って、ため息混じりに呟いてたよ〜v

おばちゃんG:そういえば、加賀谷クンのピーマン嫌いを直したの、あんただったわねえ。

おぼちゃんH:『剣道部のエースがピーマンに負けててどうすんのっ!』とかいって、てんこ盛り作戦だったよねえ。でさ、それを教えてやったらとーやちゃんってば目を丸くしてさ、加賀谷クンに『えっ、先輩もピーマン嫌いなんですか?』って詰め寄ってたよ。

おばちゃんI:言われて加賀谷クン、『や、過去形だ過去形っ!』って焦ってたよねえ〜。

おばちゃんJ:でさ、実際あの二人どうだと思う?

おばちゃんK:どうもへったくれもないだろーに〜。

おばちゃんL:だよねー。じゃなきゃなんのために2日も残ってるのさ〜。

ここでおばちゃん一同、机を叩いて大騒ぎ。
そして、以下、延々とおばちゃん増殖中。
本当に寮は完全閉鎖なのか(笑)



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