私立聖陵学院・剣道部!
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後日談 その2 |
「ほら、絢子。こんにちは…は?」 促されて、母の後ろにしっかり隠れていたおちびちゃんがチラッと顔を覗かせた。 車でほんの5分ほどのところに住む桐哉の祖父母の家から戻ってきた絢子は、どことなく雰囲気が桐哉に似た、とても可愛らしいお姫様だった。 その姫は桐哉を見つけるなり、『にーに!』と、大喜びで駆けだしてきたのだが、見知らぬ顔をその隣に見つけて慌てて隠れてしまったのだ。 「こんにちは、絢子ちゃん」 それでも、姿勢を低くしてしっかりと視線を絢子に合わせ、そしてにっこり微笑んだ加賀谷に、絢子は小さい声で『こにちは』と返事をしてくれた。 だが、『ごめんなさいね。人見知りの激しい子で…』と言った、桐哉ママの言葉が終わるか終わらないかというところで、絢子姫は加賀谷に向かっておずおずと手を伸ばしてきて言ったのだ。 『だっこ』…と。 「あ、絢子っ?」 母も驚いたが桐哉も驚いた。 2歳くらいまでは桐哉にも『だっこだっこ』とせがんでいたのだが、今年の夏休みに帰省したときには一度もそんなことは言わなくて、出かけるときはずっと手を繋いでいるだけで満足してくれていたのだ。 だが、加賀谷は驚くことなく絢子の手を取って抱き上げると、いきなり『高い高い』をして絢子を強烈に喜ばせてしまった。 「…なんでいきなり抱っこなわけ…」 桐哉が呟くと、母が隣でクスッと笑った。 「桐哉じゃ物足りなくなったんじゃないの?」 「…どーせ僕はチビだよっ」 ふてくされる桐哉の隣では、絢子姫がこれでもかというくらい喜びの声をあげていて、『にーに』は複雑だ。 だがそれは『可愛い妹を取られた』…という感情とはまったく違い、どちらかというと『絢子ばっかりずるい』などという、男子高校生が3歳の妹に感じるにはあまりにも情けないもので、桐哉はこっそりとため息をついた。 それに、加賀谷が小さい子の扱いに慣れているというのも意外だった。 だが、加賀谷は子供の頃から通っていた地元の道場で、ずっとチビたちの面倒を見てきたから、それなりに慣れているのだ。 ただ、相手が『やんちゃ坊主』や『おてんば娘』ばかりだったので、3歳の女の子はさすがにどう扱ったらいいものか一瞬戸惑ったのだが、どうやら『掴み』はOKだったようだ。 その証拠に絢子は『高い高い』から下ろされるなり、お気に入りのお人形一式を持ってきて、加賀谷に『遊んで』とせがんだのだ。 もちろん桐哉は『お客さんなんだから』と小さい妹を窘めたのだが、当の加賀谷が全然かまわないと言って、相手をし始めたのだから、もうどうしようもなかった。 見れば結構ノリノリで遊んでいるし。 ――先輩がリカちゃん人形でおままごとって…。こんなところ坂枝先輩が見たら…。 一瞬そう思ったが、やめた。 バカ受けしている坂枝の様子が容易に想像がついたからだ。 もし知れたら、一生それでからかわれること請け合いだろう。 ――教えたいけど、教えちゃ可哀相…だよね。 ほ〜っと、ため息をついた桐哉の横では母がデジカメを持ち出して愛娘とイケメンのツーショットを嬉々として収めているではないか。 「絢子ったら、ほんとメンクイなんだから〜」 「母さんに似たんじゃないの?」 呆れ顔で応酬する息子に母は肩を竦めた。 「あらやだ、桐哉ったら拗ねちゃって」 「拗ねてないよっ」 「大丈夫、桐哉も可愛い可愛い」 まるで無責任にそう言いながら、桐哉の頭をくちゃくちゃとかき混ぜて、それでもまだ、母はシャッターを切っていた。 そして、もちろんそんな2人に、加賀谷の『イケナイ下心』が読めようはずはない。 ――ごめんな。お兄ちゃんは俺がもらって行くから、綾徳院家の跡取りはよろしく頼むな、絢子姫。 ![]() 夜になって帰宅した桐哉の父は、母と違って高校生の子供がいる程度には年相応に見えて、温厚な感じの紳士だった。 桐哉から仕入れていた情報によると、大手信託銀行の本店勤務。 そこそこのエライさんらしいのだが、元お公家さんだとか元華族だとか、そんな感じは微塵も見えない、ごく普通の優しそうな父親で、加賀谷の訪問を歓迎してくれて夕食を囲んで盛り上がった。 桐哉の父は、桐哉の応援をしに行った時――準優勝をした、あの中2の夏の大会だ――加賀谷の試合も見ていて印象に残っていたのだと教えてくれた。 そして桐哉から、今夏インハイを制したのだと聞き、それは素晴らしい…と、秘蔵のワインまで開けてくれて、話は弾みまくった。 そんな家族の状況に、桐哉は安堵し、満足していたのだが。 普段より随分夜更かしになってしまい、桐哉パパが『明日はちょっと早出なのでお先に失礼』と自室に引っ込み、いくらなんでも3歳児は寝かさないと…と、まだはしゃいでいる絢子を桐哉ママが抱き上げると、姫は加賀谷に向かって手を伸ばした。 「まーにーにとおふろにはいる〜」 「あ、絢子っ?!」 どうやら『まーにーに』とは加賀谷のこと…つまり『まさるおにいちゃん』のことらしいが、さすがにお客さんにそんなことはさせられない。 「ね、絢子。今日は、にーにと入ろう?」 だが桐哉の誘いにも姫は承諾してくれない。 「やーの、まーにーにがいいのー」 「絢子、我が儘言わないの。そんな子はもう遊んでもらえないわよ?」 母の言葉に姫が俯く。 そして、さすがに加賀谷も『子供をお風呂に入れる』という経験はないので、ここは『また明日遊ぼうね』と納得してもらうしかない。 「あしたもりかちゃんのぱぱ、してくれる?」 「もちろん」 笑顔の加賀谷に漸く姫は頷いて、仕方なさそうに桐哉の手を握った。 「…絢子、ちゃんと浸かってくれないから一緒に入るの苦手なんだけどなあ…」 苦笑しながら絢子を連れて浴室に向かう桐哉を見送って、加賀谷はホッと一息ついた。 「加賀谷くん、いろいろとごめんなさいね」 「いえ、とんでもないです。こちらこそ、こんなに歓迎していただいて申し訳ないです」 「何言ってるの〜。こっちが無理矢理引っ張りこんだんじゃないの。これからも遠慮は一切無しね?」 バンッと一発、景気良く背中を張られて、コレなら本当に遠慮無しで良さそうだと加賀谷は頬を緩めた。 「ありがとうございます」 どうやら桐哉の両親に『頼りになるいい先輩』をアピールするのは大成功だったようだ。 「それに、助かったわ。絢子とあんなに遊んでくれて。絢子も大喜びだったし」 とりあえず、綾徳院家における加賀谷の印象はこれ以上なくいいものになったようで、加賀谷的にはうれしい誤算が満載の一日だ。 「ところで加賀谷くん」 「はい」 「もしよかったら、桐哉が学校でどんな様子なのか、教えてもらえないかしら」 新しいお茶を淹れて、桐哉ママが正面に座った。 「桐哉の怪我のことは知ってるのよね?」 「はい、知っています。けれど、桐哉から直接聞いたわけではないんです。ずっと以前に、剣道関係者から聞いていたので」 「まあ、そうだったの」 「はい。そもそも桐哉は、剣道をやっていたことを誰にも言いませんでした。俺にも、言わなかったんです。でも、俺も桐哉のことは中学時代から知っていましたし、ずっと気になってはいて…」 「あら、じゃあ、どうして桐哉とは親しく?」 桐哉ママの疑問はもっともだ。校内で剣道という接点がなければ、学年の違う二人が親しくなる機会はそうはないだろう。 「桐哉が入学してきたことを知って、茶道部に勧誘したんです」 「ああ、そうそう。茶道部に入ってることは知ってるわ。じゃあ、加賀谷くんは茶道部にも?」 「はい、掛け持ちしています」 本当はいけないことなのだけど…とは、この場では関係ないので言わないでおくが。 「じゃあ、二人は茶道部の先輩後輩なのね」 ニコニコと尋ねる桐哉ママに、加賀谷は、桐哉がまた剣道を始めたことを母に報告していないのだと気付いた。 ここは、桐哉が自ら報告するのを待つべきなのだろうか。いや、しかし桐哉の性格からすると、このまま言わずにいる可能性もある。 桐哉にしてみれば、あの程度のことでは剣道に復帰したとは言えないだろうから。 「…それもありますが、現在は剣道部の先輩後輩でもあるんです」 言ってしまった。桐哉は怒るだろうか。 案の定、桐哉ママは目を見開いている。 「剣道部? まさか、桐哉が?」 「はい。最初はマネージャーとして、部を挙げて強引に引っ張り込んだんです。でも、それから桐哉はがんばりました。実戦には戻っていませんが、すでに形は完璧にこなします」 「ちょっと待って。桐哉が、刀を?」 「そうです」 「…信じられない…」 加賀谷の言葉に、母は視線を伏せた。 「もう、竹刀が握れないってわかった日、桐哉は一晩中泣いていたの。でも次の朝には泣きはらした目で『ちゃんと諦めた』って強がったのよ。本当に、可哀相で…」 涙こそないが、母は唇を噛みしめていた。 桐哉同様、悔しかったに違いない。 「加賀谷くんが、桐哉を引っ張ってくれたのね」 顔を上げ、にこやかにそう言ってくれた桐哉ママだが、正義派の加賀谷としては、これを自分一人の手柄にするわけにはいかない。 顧問を始め、剣道部員たちの後押しがあったこと、そして、なにより坂枝という存在が大きかったことを、加賀谷は正直に話した。 すると。 「まあ、坂枝くんも?」 桐哉ママの顔が綻んだ。 「あの…、坂枝をご存じですか?」 「ええ、もちろん。茶道部の部長さんなのよね? 夏休みに一度泊まりに来てくれたのよ」 聞いてない。そんなこと、坂枝からも、桐哉からも。 ――さ〜か〜え〜だ〜。どういうつもりだっ。 桐哉ママの前だと言うのに、うっかり『恋するバカオトコ〜オコサマバージョン』が顔を出しそうになった。 その時。 「かあさ〜ん! 絢子、上がったよ!」 桐哉の声が、廊下の奥から聞こえてきた。と同時に、可愛いパジャマを着込んだ姫がパタパタと現れる。続いて桐哉の姿も。 何度見ても可愛らしいパジャマ姿の桐哉に、またうっかり『恋するバカオトコ』が出動しそうになったが、桐哉から『すみません。お客様を差し置いて先に入っちゃって…』と、恐縮されて、どうにかこうにか『頼りになるいい先輩』の顔を取り繕った。 「いや、それよりな、桐哉」 また剣道を始めたことを、勝手に話してしまったことを詫びなければ…と、加賀谷が口を開きかけたとき、背後から桐哉ママが声を掛けてきた。 「桐哉、湿疹出てるの?」 「へ?」 何のことだと桐哉が振り返る。 「絢子が今湿疹の治療中でお薬塗ってるんだけど…」 「ああ、そう言えば首の辺りがちょっと荒れてたから、タオルじゃなくて掌で洗っておいたけど」 「ああ、ありがとね。…って、そうじゃなくて。絢子が『にーにもあかいのぶつぶつ』って言ってたわよ。薬塗ってあげるから見せなさい」 ――『あかいぶつぶつ』…って? 言われても何のことか覚えがなくて首を捻った桐哉だったが、視界に入った加賀谷を見た瞬間真っ白になった。 加賀谷はそれはそれは罰の悪そうな顔で、桐哉ママに見えない角度から桐哉に向かって両手を合わせて拝んでいるのだ。 ――ごめんっ、桐哉っ。 そう、『あかいぶつぶつ』の正体は、加賀谷という名の虫が刺しまくった痕なのだ。 ――せ〜ん〜ぱ〜い〜。 「ほら、早く見せなさいってば」 桐哉ママが桐哉のパジャマの襟首を掴んだ。 「や、あのっ、た、ただの…っ、む、虫さされだからっ」 挙動不審もいいところだ。 「虫さされ?」 「そ、そうっ。寮って森の中にあるみたいなものだからっ、虫だらけなんだっ、ねっ、先輩っ」 突然振られて動揺しまくりの加賀谷も十二分に挙動不審だ。 「あ、えっと、そうだよな。そうそう、虫だらけ」 「…ふーん。で、痒くないの? その虫さされは」 「全然っ」 「…ならいいけど」 「あ、先輩っ、お待たせしましたっ、お風呂どーぞっ」 言うなり加賀谷の腕を引っ張った桐哉に、ママもやっと諦めてくれたのか、『あら、そうだったわね。お待たせしてごめんなさい』…と、にこやかに笑ってくれて、どうにかその場を凌いだことに桐哉は心底ホッとしたのだった。 |
13(最終回)へ続く |
次回の剣道部は…? |
――困ったわね。桐哉はあれでも綾徳院家の二十二代目なんだけどなあ。 2人を『おやすみなさい』と見送って、綾徳院家の二十一代目夫人は、ほう…っとため息をついた。 |