私立聖陵学院・剣道部!


Before茶道部 その3



 二人してやってきたのは裏山の奥の奥…茶室だ。

 何しろ茶道部員はこの2人だけだから、内緒の話にはもってこいだ。
 もちろん昼寝にもちゃっかり使っているし、坂枝に至っては、ここでテスト勉強をしていることもある。

 何と言っても静かなのだ。風の音と鳥の声しか聞こえない。夏は蝉がちょっとうるさいのが玉に瑕だが。


 少し肌寒いが、気持ちのいい春の夕暮れ。
 障子を開け放して風を通し、2人は慣れた茶室に座り込む。


「…あいつ…、綾徳院桐哉は、俺が中3の時…絶対優勝だと言われていた全国大会でまさかの準決勝敗退をした時、優勝したヤツなんだ」


 自分が負けたショックで早々に控えに引きこもってしまったから、実際に桐哉の決勝戦をこの目で見てはいないのだが、あの様子だと優勝したに違いない…と加賀谷は考えていた。
 実際は桐哉も決勝で負けていたのだが。


「…え? …ええっ? あのカワイコちゃんがっ?」

 目を丸くして驚く坂枝の姿など、そうそうお目にかかれるものではないのだが、それを喜んでいる余裕など、もちろん今の加賀谷にはない。

「…だろう? みんなあいつの外見に騙されるんだ。可愛らしくて優しげで、とても強そうには見えないのに、いざ竹刀を握ったら、あいつは誰よりも強かった…」


 これは、坂枝にとっても意外過ぎる展開だ。
 まさか剣道繋がりだとは思ってもみなかった。
 

「ええとさ、全国優勝っつったら、お前より強かったってことだよな?」

「…まあな。直接当たった訳じゃないからそう言われるとちょっと悔しいけど、あの時、確かに俺は精神面ですでに負けていた。あいつを意識した時点で、負けていたんだ」

 負けていた…と素直に認められる所為なのか、加賀谷の言葉に刺はない。むしろ、あの頃を懐かしむような響きすら感じさせる。

 だが、これで大方の謎は解けた。


 ――そういうことか。加賀谷は小学生の頃から全国レベルの有名選手だったんだから、同じく全国レベルの桐哉とお互いの名を知っているのは当たり前ってわけだ。


「でもさ。そんなに強いのに、なんで一般入試なんだ? 剣道部からスカウトかからなかったのか? 『部活、決めた訳じゃないだろう?』って聞いたときは、『一応帰寮部のつもりでいるんですけど』って言ってたし…」

 つまりは剣道をやる気はないということだ。

 加賀谷は坂枝に問いに、目を伏せた。

「…あいつはもう、竹刀を握れないんだ」


 その言葉に、坂枝は『あっ…』と思い至る。
 桐哉は中学時代の怪我で右手の自由を失ったのだ。


 ――そうか、それで…。やりたくてもできないんだ…。


「それ、右手の怪我…か?」

 加賀谷が弾かれたように顔を上げた。

「…坂枝…知ってるのか?」

「いや、さっき院長先生から聞いたとこだ」

「院長先生?」

 どうしてここに顧問が出てくるんだよ…と言った加賀谷に、坂枝は先ほどの院長室での話を語った。

 そして、納得した加賀谷もまた、桐哉の怪我の経緯を詳しく坂枝に語って聞かせたのだった。


 思っていた以上に重い話になって、2人はしばし、言葉をなくして茶室に座り込んでいた。


 ――なんてこった。だったら…もしかしたら、桐哉は加賀谷が聖陵にいることを知らなかったのかも知れないってことだ。

 加賀谷も高校からの入学だから、接点のあった中学時代は2人とも聖陵とは無関係だったのだから。


 ――もしかして、まずかったんだろうか…。

 桐哉に悪いことをしてしまったのかも知れない。


 そう思いめぐらせたとき、ポツンと加賀谷が言った。

「気になっていたんだ」

「…加賀谷…」

 畳の縁を見つめる目が遠い。

「どうしているんだろうか…って、気になって気になって、仕方なかったんだ。でも、知り合いでも何でもなかったからその後を確かめる手段もなくて、諦めていたんだ。それが…」

「ここで再会…ってわけか」

 けれど、加賀谷はゆるゆると首を振った。

「再会といっても、向こうは俺を知らないからな。俺が一方的に気にしていただけだ」

「…んなことないだろう? お前、ガキの頃からめちゃめちゃ有名な選手だろうが。桐哉だって知ってるんじゃないのか。少なくともお前の名前くらいはさ」

 現にあの様子だと知っているのだ、桐哉は。

「…だといいんだがな。だが、一度も対戦したことがないし、トーナメントも別グループだったから、たとえその時に俺の名前を耳にしていたとしても、もう忘れてるだろう…」

 それに、忘れたい過去かもしれないしな…と、小さく続けたのを、もちろん坂枝は聞き逃さなかった。



 さてどうしたものか。

 ここは一つ、『いや、向こうもお前のこと覚えてるみたいだったぞ』と教えてやるか、それとも…。

 あんまりにも寂しそうな加賀谷の表情に、親切心がムクムク…っと顔を出した矢先。


「それよりさっきから気になってたんだが」

 今の今までしんみりとしょぼくれていたはずなのに、あっと言う間に浮上したのか加賀谷は妙に不遜な物言いで坂枝に迫ってきた。

「なんだ?」

「お前、いつから『桐哉』なんて呼び捨てにしてるんだ」

 据わった目つきで問いただされ、坂枝は危うく吹き出しそうになったのを必死で堪えた。

 なんのことはない。バレバレじゃないか。

『気になって気になって、仕方なかった』

 それはもしかして、恋しくて恋しくて、仕方がなかった…と変換できるのではないか。本人が自覚しているかどうかは別として。

 しかし、それなら親切に教えてやることはないだろう。こういうものは、苦労して成就してこそ楽しいのだから…なんて、他人事だから言えるのだが。


「いつからって、勧誘しに行ったときにさー、桐哉がそう呼んでくれっていうから〜」

「あいつがかっ?」

「そう、『桐哉』がね、呼び捨てでいいです…って。いやー、可愛いよなあ〜」


 一旦煽り出すとこれがまた楽しくて止まらない。

 だが、これ以上文句の付け所が見あたらないのか、加賀谷は唇を噛んでいる。
 言い返されなきゃ煽っても面白くない。ここら辺りが潮時だろう。
 ちょっとつまらないが。


「ともかく、明日ここに来るから歓迎してやれよ?」

「当たり前だろう。勧誘しようって言い出したのはお前じゃなくて俺だ」

「はいはい」


 オトコって生き物は、恋をするとどうしてこんなにバカになるのか。

 いや、もちろん親友が幸せなバカになるための応援は惜しまないが、それにしてもこれは当分楽しめそうだ…と、坂枝は内心で笑いが止まらない。


「おっと、のんびりしてたら晩飯食いっぱぐれるぞ」

 腕の時計を見れば、寮食が閉まるまであと30分しかない。

「ともかく、明日…だ」

 ポンッと肩を叩いて立ち上がった坂枝の後を、加賀谷がどこか不満げに続く。

 すでに暗くなっている裏山の小道。
 慣れた道を2人で下りながら、坂枝は作戦を練っていた。


 いずれにしても、問題は桐哉だ。
 加賀谷の名前を聞いたときの反応からして、加賀谷を忘れているはずはない。

 それどころか、それこそ『気になっている』のではないかとも思える。

 だがそれが、『加賀谷が桐哉を気にしている』のと同じ意味を持つのかどうかは微妙だ。

 桐哉が握れなくなった竹刀を、加賀谷は今自由に操って、この夏は全国の高校生の頂点に立とうとすらしている。

 桐哉がそれをどうみているのか。

 悔しくないはずはないだろう。普通だったら、顔を見るのも嫌かもしれない。

 だが桐哉は、加賀谷の名を聞いてから茶道部への勧誘に応じたのだ。その様子にも、嫌悪感は感じられなかったし、むしろ興味を引かれていると感じた。

 ということは、持っていき方によっては『加賀谷賢の恋(らしきもの)』は案外上手くいくかも知れない。


 ――柄じゃあないけど、キューピッドを演じてみるってのも面白いかもな。


 ほとんどスキップ状態で裏山の坂道を降りていく坂枝を背後から見つめ、加賀谷は怪訝そうな顔をしたのだが、もちろんその理由にはまだ何も気付いてはいなかった。



                     



 翌日。

 よく晴れた放課後に、桐哉は教室まで迎えに来た坂枝に連れられて、茶室へと登ってきた。


「遠かっただろ? 大丈夫? 疲れてない?」

「はい、平気です。こう見えても体力には自信あるんですよ」

 ニコッと笑う桐哉は、確かに息が上がっている様子もない。
 剣道ができなくなったのは病気でもなんでもなく腕の怪我なのだから、体力に自信はある…というのは本当にところだろう。


「うわー、眺めがいいですね」

「だろう? この辺りは生徒が立ち入って良い範囲じゃ一番高いところなんだ。しかも校内地図にも『茶室』って載ってないしな。秘密基地にはもってこいのところだ」

 片目をつぶって見せた坂枝に、桐哉は明るい笑い声を響かせた。

「いいですね、秘密基地」

「基地の隊員になりたくなっただろ?」

「はい、かなり」


 本当のところ、初めて坂枝に会ったときから、桐哉は決めていたのだ。茶道部に入ろうと。

 もちろん、この大らかな先輩が気に入ったというのも大きいけれど、やはり『加賀谷さんがいる』というのが決め手だった。


『遠くから見るだけでも…』

 そう思って入った聖陵学院。

 なのに、こんな幸運が巡ってくるなんて、桐哉は『入試席次発表』で自分を見つけてくれた坂枝に感謝したい気持ちだった。

 坂枝の口から加賀谷の名前が出たときには、びっくりしすぎて思わず固まってしまった。

 誰にも話していないのだから、『入学の動機』がばれていることなどあるはずがないのだが、よもや入学して数日で、『接近遭遇』のチャンスが巡ってくるなどとは夢にも思わなかった――と言ったら嘘になるかもしれない。夢には見たのだ――から。


 竹刀を持てなくなった自分が、『加賀谷さん』の後輩になれるなんて。
 それならこの際茶道部でもなんでもいい…と言ったら、勧誘してくれた坂枝先輩に悪いけれど。



「さ、どうぞ」

 通された茶室は、本当にこじんまりしているけれど、手入れの行き届いた気持ちのいい空間だった。

 なんだか空気が一段と澄んでいるような気がして、桐哉は深く息を吸い込んだ。

 茶道なんて、今まで縁もゆかりもなかったけれど、もしかしたら性に合ってるかもしれないと、なんとなく感じた。

 気になるのは自由に操れない自分の右手だが、他のことと違ってゆったりとした作業だろうから、何とか誤魔化せるだろう。

 それに、こんな風に心地よい空間で過ごせる時間はとても楽しそうだ。
 もともと帰寮部を決め込んでいたから、こんな展開は想像もしなかったけれど、憧れていた人に近づける上に、素敵な先輩もできて本当にラッキーだ。


「なんか、ホッとします」

 あたりをぐるりと見渡して桐哉が言うと、坂枝はそれは嬉しそうに、桐哉の頭を撫でた。

「そう? じゃあ桐哉は茶室に歓迎されたんだ」

「あ、そうなんですか? 嬉しいな」

 素直に喜ぶ桐哉が可愛くて、また頭を撫でてしまう。

 こんなところを加賀谷が見たら何と思うか、考えただけでもワクワクしてしまうあたり、坂枝もかなり『いい性格』をしていると言えるだろう。


「じゃあ、初めて来てくれた桐哉を歓迎して、一服点てるとするか」

「わあ、ありがとうございます」


 そうして坂枝の点ててくれた抹茶は、以前に京都の観光地で飲んだものとは比べものにならないほど美味しかった。

 嫌な苦みなんて全然なくて、ほろっと甘くて…。


「…美味しい」

 一口飲んだ後、目を見開いて茶碗の中身を凝視する桐哉に坂枝は『だろ? 美味いだろ〜?』とご満悦だ。

 とりあえず、最初は何にも考えずに、とにかく美味しく飲めばいいと、作法も何もわざと教えなかった。

 けれど、桐哉は『ちゃんと飲みたいから』と、作法を教えて欲しいと言ったのだ。

 それがまた坂枝を喜ばせ、気がつけば、相当長いこと正座をしている。
 もちろん坂枝は慣れたものだが、茶室自体が初めてだという桐哉にはきつかっただろうと、声を掛けた。

「足、崩していいよ、痺れるだろう?」

「あ、いえ、全然平気です」

 剣道では正座は基本中の基本だ。慣れているからつい、寮のベッドの上でも正座してしまってルームメイトに笑われるくらいだ。

「へえ、珍しいね、正座が平気だなんて。なんかやってた?」

 もちろん坂枝はわかっていて聞いているのだが。

「…ええと、うちが完全に和式生活なんですよ。だから慣れていて」

 えへ…と笑う桐哉は本当に可愛くて、加賀谷から聞いている『辛かったであろう過去の出来事』を微塵も感じさせない。

 まるで、全てを昇華してしまっているようにすら感じられるが、それはまさかないだろうと、坂枝は内心で息を吐いた。


「そうそう。加賀谷は剣道部が終わり次第くるから。あ、あいつが掛け持ちってことは…」

「ナイショ…ですよね?」

 ニコニコと嬉しそうに言う桐哉には、どう見ても加賀谷への確執めいた思い――それは勝手な推測に違いないのだが――はなさそうだ。

 この際だから、『実は加賀谷さんに憧れてたんですー』なんて展開になったら、それはそれで今後の気遣いが入らないと言う点で楽なのだが……などと、坂枝が思いめぐらせていたところへ、当の加賀谷が現れた。


「おう、加賀谷。随分早いな」

 いつも剣道部が終わってから来る加賀谷は、毎度坂枝より1時間は遅く現れるのだが、今日はどうだ。まだ30分しか経っていないではないか。しかも、いつも胴着のまま現れるのに、今日は私服に着替えているし。

 まあ、それに関しては、『桐哉に対する気遣い』なのだろうと理解した。
『剣道』を思い起こさせるものはなるべく桐哉の目には入れたくないのだろう…と。


「ああ、今日はちょっと早く終わったから…」


 ――嘘だな。絶対先に切り上げてきやがったに違いない。

 あまりに分かり易すぎて、愛おしいくらいだ。


「紹介するよ、桐哉。加賀谷賢だ」

 加賀谷と桐哉。2人の視線がかち合った。

「で、こっちが噂の新戦力、綾徳院桐哉くんだ」

 どうせ知ってるんだろうけど…なんてことはチラッとも見せず、きっちりと紹介の労をとった坂枝に、けれど2人とも何も言わなかった。

 視線が合ったまま、逸らすこともせず、言葉も発せず。

 …要は見つめ合っているのだ。2人は。


 ――おいおい。まさかいきなり両想いでしたとか言わないだろうな。


 だがこの雰囲気はどう見ても、『惹かれ合う2人』ではないか。


 ――マジですか、おい。や、それはそれでハッピーで結構ですが、それじゃあ俺は面白くないじゃんかよー。


 暫く楽しめそうだと思ったのにー…などと、坂枝が一人内心で煩悶していたその時。

 加賀谷が口を開いた。

「はじめまして。ええと、綾徳院くんって、呼びにくいから、桐哉くんって呼んでもいいかな?」

 どうやら『知らない』という態度を貫く気のようだ。
 そして、桐哉は。

「はじめまして、加賀谷先輩。お邪魔しています。えと、あの、坂枝先輩にも『桐哉』って呼んでもらってますので、加賀谷先輩も…」

 どうやらこちらも『知りませんでした』で通すらしい。それならそれで、今後のもって行き方もあろうかというところだが…。

「そうか? じゃあ、桐哉って呼ばせてもらうな」

 嬉しそうにそう言った加賀谷は、『どうだ、俺だって桐哉って呼べるんだぞ』と言わんばかりに、勝ち誇ったような視線を坂枝に流して寄越した。


 ――お〜ま〜え〜は〜、ガキかっ。


 だが、そんな罵倒を含んだ視線を送り返されても何のその、加賀谷は満面の笑顔で桐哉と話し始めた。

「で、桐哉は入部決定だろ?」

「あ、はい、楽しそうなので、お世話になろうかなって…」

「そうかそうか、じゃあ一緒に楽しくがんばろうな」

「はい、よろしくお願いします!」


 ――ったく、人があれこれ心配してやってるってのに、勝手に盛り上がってやがる……。


「よかったな、加賀谷」

 わざと『よかったな』を強調してやると、加賀谷は一瞬ギクリと肩をこわばらせたが、すぐに何食わぬ顔で『ほんとだよな、坂枝』と、同じような口調で返してきた。

 そんな2人をみて桐哉は、『先輩たち、仲いいなあ〜』と、純粋に感心していたのだった。



 こうして、桐哉という可愛い新入りを迎えて茶道部は新しい年度をスタートさせ、そして夏のある日、学院一のアイドル――奈月葵を招いての茶会の席をきっかけに、2人の思いは通じ合うこととなった。


4へ続く

次回の剣道部は…?
「桐哉は最初から加賀谷先輩が好きでしたよ」

 事も無げに、葵が言った。

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