私立聖陵学院・剣道部!


茶道部の顛末



「加賀谷のヤツ、ちゃんと桐哉を掴まえたかなあ…」

 茶釜の湯を捨て、水指しの水を流しながら、坂枝が言った。

「きっと大丈夫ですよ。今頃僕たちのことなんてすっかり忘れて、ラブラブモードじゃないですか?」

 クスクス笑いながら、葵が――こちらは茶碗や茶杓などを丁寧に拭きながら――、一仕事終えた充実感に満ちた声で応える。


「それにしてもごめんな。お客さんに片づけ手伝わせるなんて」

「いいえ、こちらこそ素敵なお茶会に呼んでもらえて本当に嬉しかったですから、これくらいのお手伝いはさせてもらわないと罰が当たります」

 ニコニコと笑う葵は本当に華やかだ。
 黙って立っている姿はそれこそ菖蒲か杜若の風情だが、笑うと一気に満開の牡丹か芍薬のようになる。

 桐哉も美少年と言っていい顔立ちだが、葵ほどの華やかさはなくて、どちらかというと『ひっそりと谷間に咲く百合』の風情だ。

 そんな桐哉は、現在ここにいない。

 葵を招いての茶会の後、剣道部への見学を巡って波乱が起きた。

 葵から『剣道部の見学に行ってもいいですか』と尋ねられた加賀谷が、葵には笑顔で快諾したのに、『桐哉も一緒に』と言われた途端に表情を曇らせて言葉を濁したことが原因で、桐哉は深く傷つき、坂枝の計らいで早々に――逃げるように――茶室を後にしたのだ。

 もちろん葵も坂枝もその辺りのことは最初から計算済みで、加賀谷が桐哉の手のことを気にしていつまでもアプローチしようとしないことに業を煮やした結果の『一芝居』だったわけだが、予想以上の効果が上がって、葵は大満足と言ったところだ。

 桐哉を泣かせてしまったのはちょっと可哀相だったけど、泣き顔の桐哉を見た加賀谷がそれでちょっと燃え上がってくれたらなあ…なんて、とてもじゃないが桐哉には言えないようなことまで考えて、内心では現在の展開にウハウハ状態だ。


「それにしても、加賀谷先輩も辛抱強いですよね」

「だろ? なにせ入学式の日からずっとだからな。いい加減悶々具合も頂点に近かったと思うんだけどな、桐哉がまあ、あの通りかなりの『天然系鈍ちん』だから、加賀谷が自分のことをどう思ってるかなんて考えもしなかったんだろうなあ」

 そう言う人間もいるのだ。自分がどう思われているのか、まったく気に留めない、ある意味『達観』したヤツが。


「ですよね。想っているのは自分だけ。でもそれで十分…なんて、一人で満足してたんでしょうね」

 そうはいかないんだよ〜ん…と言わんばかりの葵が、茶道具を箱に収めて綺麗に紐を掛けた。

 茶道具の箱の紐は特殊な掛け方になっているのだが、葵のその慣れた手つきに感動しつつ、坂枝も片づけを終えて、葵に向き直った。


「なあ、奈月くんはどう思う? 加賀谷は多分、2年前の大会の時に一目惚れしてたんだと思うんだ。で、ここで再会して燃え上がった…ってわけだろうけど、桐哉はいつから加賀谷の事が好きなんだろう」

 見ていればバレバレ…なのは入部してからいくらか経った頃のことで、それ以前の桐哉は、どう思っているのかを掴ませるような表情を見せなかったのだ。

 もちろん、坂枝との初対面の時から、『加賀谷』という単語に『無反応』という反応を示したのは覚えているが、だがそれは随分と醒めた感じのもので、少なくとも、甘やかなものではなかった。

 それがいつしか、桐哉は加賀谷に見惚れるようになり、最近ではそこここから好き好きオーラが滲み出ているような状態だったのだ。

 もちろんそれに加賀谷が気付いていたかどうかは本人に聞いてみないとわからないところなのだが、恐らく他のこと――桐哉の手のこと――に、気を取られていて、わかってはいなかっただろう。


「桐哉は最初から加賀谷先輩が好きでしたよ」

 事も無げに、葵が言った。

「最初から? というと、入学当初からということ?」

「いえ、そうじゃなくて、もっと最初です。加賀谷先輩が桐哉に一目惚れしたとおぼしきその大会の時に、桐哉も多分、先輩に一目惚れしていたんだと思います」

「そ、そうなのか?」

 意外だった。てっきり入学してからの事だと思っていたから。

「はい。桐哉と話していても、自分が剣道をしていたって話は一度も出なかったんです。でも、大会を『見に行った』時にすごい選手がいて、その人が加賀谷先輩で、それ以来憧れていて…って言う話は何度も聞きました」

「ってことは、加賀谷が聖陵に入ったことも、もしかして最初から知ってたってわけ?」

 坂枝の質問に、葵が頷いた。

「はい。それは確かです。聖陵にスポーツ推薦で入ったって聞いて、凄いなあって思った…って話、してましたから」

 ということは。

「もしかして、桐哉が聖陵へ入ったのって…」

 坂枝が言わんとしたことを、葵は正確に受けとめた。

「桐哉は地元の有名な進学校にも合格してたのに、わざわざ遠い聖陵へ来たんですよ。だから多分…そう言うことだと思います」

 桐哉は加賀谷を追って聖陵へ来たのだと、葵は確信していた。

「…それ、加賀谷が聞いたら…」

「狂喜乱舞ですよね」

「…ばらさない方が面白いよな」

「当然ですね」

 大魔王と小悪魔がニヤリと笑い合う。


「そういう嬉しい話は、桐哉本人が告白するのが一番ですよね、先輩」

「そのとおり。ここまでお膳立てしてやって、しかも上手くいったんだからな。後は本人たちの努力次第…ってことだ」


 坂枝の言葉に葵は頷いて、『きっと大丈夫』と呟いた。

 剣道を通して『自分を律する』と言うことの大切さを知っている2人だから、相手を想う気持ちもきっと真摯で深いに違いない。


「なんかこう…祝杯上げたい気分ですね」

「お。奈月くんはいける口か?」

「えへ。嗜む程度ですが」

「ということは、かなりだな」

「そう言う先輩こそいけそうですよね」

「嗜む程度ですが」

 そう言って片目をつぶって見せた坂枝に、葵はプッと吹きだし、それから2人で大笑いした。

 やっぱりとても気分がいい。

 これから後々、『いける口』の2人は『飲み友達』となるのだか、もちろんそんなことは、幸せ一杯の加賀谷と桐哉には与り知らぬ事であった。



                     



『ボケッとしてないで追っかけろっ』

『桐哉はもう、精神的なハンデは克服していますよ?』


 桐哉を傷つけまいとして取った曖昧な態度が、桐哉を深く傷つけてしまった。

 茶室から走り去った桐哉の背を呆然と見送ってしまった加賀谷に、坂枝と葵から声が飛んだ。

 そして2人に背を押されて――いや、心はとっくに追い掛けていたのだが――加賀谷は桐哉の後を追った。



 桐哉は大きな木の根本で泣いていた。
 そんな桐哉を突き動かされるままに抱きしめて、加賀谷はやっと、全てをうち明けた。

 2年前の夏、初めて桐哉を見た日のことから、全部を。


「去年の夏、全国大会を見に行ったって言っただろ?」

 さらにギュッと抱きしめると、桐哉の頭が加賀谷の肩に自然に重みを与えてきた。
 その頭がそっと頷いて、話の続きを待っている。

「桐哉がいると思って見に行ったんだ」 

 だが見開く瞳は、『信じられない』と語っていた。

「きっと、もっと強くなっているだろうと思っていったんだけれど、桐哉の姿はなかった。それで、大会関係者から聞いたんだ。お前が試合中、禁止されている「突き」を仕掛けられて、それを避けようとして、怪我をしたことを」

 話す言葉に震えが混じっているのを感じ、桐哉の方が狼狽える。

「悔しかった。自分が負けたとき以上に…悔しかった」

「先輩…」

 言葉と一緒に、桐哉はギュッとしがみついてきて、そのあまりの愛おしさに、加賀谷もまた桐哉をきつく抱きしめ直す。

「忘れられなかった…ずっと…桐哉…」

 頬と頬が触れた。 

「……好きだ」

 囁きの終わりに吐息が間近で絡み、そして、唇が重なった。



                    



「大丈夫、か?」

「へ、平気、です」

 そうは言うが、桐哉の頬は真っ赤に染め上がっている。

 一度触れてしまったら、再会以来募らせてきた想いはさらに膨れ上がり、桐哉が目を回すまで口付けてしまった挙げ句に危うく制服を剥いでしまいそうなところまで暴走してしまった。

 日頃の精神修養はいったいどこへ吹き飛んでしまったのか。

 そんな自分が情けないやら可笑しいやらで、加賀谷は桐哉にわからないようにこっそりと息を整える。


「あの…」

「ん? なんだ?」

 見上げてきた桐哉に対する加賀谷の受け答えは今まで以上に優しく甘ったるくて、その様子にまた桐哉は赤面してしまうのだが、ともかく気になることを片づけなくてはいけない。


「お茶室が、気になるんですけど…」

 何もかも放り出して、走って逃げてきてしまったのだ。
 初めての茶会だったのに。


「あ…。そう言えばそうだな」

 加賀谷もあの時は桐哉のことしか頭になくて、後先を考えずにともかく追い掛けたのだ。
 あれから多分1時間ほどは経っているだろう。

 坂枝と葵にもちゃんと報告して謝らねばならないと考え、加賀谷は桐哉の手を取った。


「戻ってみよう」

 手を引いて歩き出すと、大人しく手を握られている桐哉がまた可愛くて仕方がないあたり、すでに相当重症だ。

 ポツポツと、茶会の事などを話しながら、細い山道を再び登り、慣れ親しんだ小さな茶室が見えたときにはすでに辺りに人影はなかった。

 どうやら片づけもすっかり終わったようで、茶室には施錠もされていた。
 そして、そこに張り紙が…。


『奈月くんが完璧に後片づけを手伝ってくれたからな。2人とも、ちゃんと御礼を言っておくように』  


 達者な筆遣いで書いてあるその下には、これまた毛筆で器用に『Vサイン』と『ハート』が描かれていた。どうやらこちらは葵の仕業らしい。

 隅っこに何かの顔のような物も書かれていたが、耳とひげがあるところを見ると、どうやら『猫』らしい。何の意味があるのかは不明だが、これも葵の直筆だとしたら、絵心に関してはかなりアヤシイようで、葵にも苦手があるのかなあ…と、ちょっと嬉しくなったりもする。


「葵に抹茶パフェ奢らなくっちゃ…」

 ボソッと呟いた桐哉に、『坂枝には一升瓶だな…』と加賀谷が応え、顔を見合わせて笑いあう。


 やがて、ふと加賀谷が表情を引き締めた。

「あのさ、桐哉」

「あ…、はい」

「改めてちゃんと言う。俺、桐哉のことが好きだ。俺と、つき合ってくれないか?」

 竹刀を持つときとはちょっと違う色の真剣味を帯びた瞳でジッと見つめられ、かなり照れくさかったけれど、でも桐哉もしっかりと目を見て答えた。

「本当に、僕で、いいんですか?」

「桐哉でないと、ダメなんだ」

 間髪入れずの答えを受けて桐哉は、はにかんだように微笑んだ。

「ふつつか者ですが、よろしくお願いします」

 その言葉に加賀谷は破顔して、桐哉の右手を取った。
 そして、また、抱き込む。

「好きだ、桐哉」

 何度告白しても、足りないくらいに。

 腕の中で桐哉が身じろいだ。加賀谷の胸に頬を寄せて、小さな小さな声で告げる。

「僕も…先輩が、好き、です」

 遠くから見つめられるだけでいい。
 そう思って追い掛けた憧れの人の腕の中は、これ以上ないほど暖かくて幸せな場所だった。


「…桐哉…!」

 きつく抱きしめられて、息苦しいほどでも、それすらが幸せだった。

5へ続く

↓おまけつき!


次回の剣道部は…?
「どうしたんだ? 桐哉、こんなところで…さ」

 駆け寄ってきて問いかけるクラスメイトの声には、どこか遠慮がちな色があって、無邪気さは感じられない。

 だが、明らかに訝しんでいる口調に、桐哉は返答に詰まった。

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おまけ小咄〜葵の『ねこ絵』


〜あれから随分経ってからのこと〜

桐哉:ねえ、葵。コレみて。覚えてる?(と、茶室の張り紙を出す)

葵:わあ、桐哉ってば、まだ持ってたんだ。

と:うん。でさ、気になってたんだけど、この絵、葵が描いたんだよね。

あ:うん。そう。

と:えっとさ、ねこ、だよね?

あ:……だよ。見えない?

と:あ、だ、大丈夫、見える見える!

あ:…(ジト目)

と:や、あのさ、なんでねこなのかなーって思ったんでさあ。

あ:うーんと、あの時坂枝先輩が、僕にもなんか書くように…って筆を渡してくれたんだけど、それでハートとVサインを描いたら、『上手だ』って誉めてくれたんだ。で『もっとなんか描いて』って言われたから、これ、描いた。

と:ねこ、を? なんか意味あるの?

あ:ないよ。だって僕、コレしか描けないんだもん。

と:え、そうなんだ。

あ:蜂も描けたんだけど、祐介に『ごき☆りか?』って聞かれてさ、それ以来描いてないっ。

と:…ぷっ。

あ:あ〜! 桐哉ってば笑った〜!

と:うわ、ごめんごめん〜!

というわけで、オチはないのです。