私立聖陵学院・剣道部!


After茶道部



 9月のとある放課後。

 茶道部がない日の桐哉の日課は、第2体育館の1階で行われている剣道部の『覗き見』…だ。

 これは入学当初からの日課で、加賀谷と両想いになり、夏を越えた今でも何ら変わることなく続けられている、桐哉にとっては大事な大事な日課なのである。


 この夏、加賀谷はついにインハイで頂点に立った。

 もちろん桐哉は坂枝と一緒に応援に行ったのだが、そこには聖陵の剣道部員の姿も多く、当然桐哉のクラスメイトも数名含まれていたものだから、結局そっと、目立たぬように応援してきたのだ。

 そんなわけで、多忙だった加賀谷と帰省していた桐哉は、夏の間ほとんど会うことができなかったのだが、それでも電話は一日も休まずかかってきて、桐哉は十分に幸せだった。


 そして、待ちに待った新学期。
 桐哉はこうして、放課後を心待ちに、日課に勤しんでいるのである。


 今日も木陰の一等地からそっと覗き込む。

 ここは体育館からは死角になっているのに、こちらからは開け放された入り口から奥の奥までよく見えると言う絶好の場所だ。

 しかも直射日光は当たらないし風通しはいい。何時間座り込んでいても、ちっとも辛くないと言う点でも申し分ない。

 我ながらいいところを見つけたと、桐哉は自画自賛するのだが、思いを確認し合って以来、部活を終えた加賀谷が迎えに来てくれるまでここにいるのも日課になっているので、その間の時間つぶしに課題まで持ってきている始末だ。


「今日もかっこいいなあ」

 思わず呟いてしまうほど、稽古中の加賀谷は凛々しい。

 元々文学青年風のハンサムなのだが、胴着に袴姿となると、その上に『貫禄』までついてしまって、何時間見ても見飽きない。

 面などの防具をつけてしまったら顔は見えなくなるけれど、それでも『垂れ』に刺繍されている『加賀谷』という字を見るまでもなく、どれが加賀谷かはっきりとわかる。

 高2で3段が取れる実力というのは、足の動き一つとっても周囲とは違うのだ。


 今日の稽古は来るべき秋期大会に向けた、実戦型の稽古だ。

 大会の規模はさほど大きくはないが、現在高校日本一の加賀谷にとってはディフェンディング・チャンピオン的な立場もあるので、練習にも熱が入ろうと言うものだ。

 そして、真剣勝負をしている加賀谷は更に格好良くて、桐哉は瞬きを忘れるほどに見入っていた。


 だから、気がつかなかったのかも知れない。背後に人影が現れたのを。



「あ、れ? 綾徳院…じゃねえの?」

 突然自分の名前が耳に転がり込んできて、桐哉は思わず――弾かれたように――立ち上がった。

 振り返る前にまた次の声が。

「あ、ほんとだ。綾徳院だ」

「嘘、マジ?」

「え? なんで桐哉がここに?」

 最後の声には聞き覚えがある。クラスメイトだ。

 ――どうしよう…。

 声だけでも複数の生徒がいるのがわかる。

「あ、あの…」

 恐る恐る振り返ると、そこには胴着に袴姿の剣道部員数名の姿があった。

 いずれも桐哉の同級生――高校1年生だ。中には桐哉のクラスメイトの姿も複数ある。


「どうしたんだ? 桐哉、こんなところで…さ」

 駆け寄ってきて問いかけるクラスメイトの声には、どこか遠慮がちな色があって、無邪気さは感じられない。

 明らかに訝しんでいる口調に、桐哉は返答に詰まった。

 まさか、剣道部を覗いてましたとは言えない雰囲気だ。

 背中を冷たい汗が流れた。
 どう言い訳をしようかと、頭をフル回転させるが、あまりに突然の出来事の所為でどこかパニック状態で、言葉はこれっぽっちも出てきてくれない。

 だが、クラスメイトをはじめとした剣道部員たちからも、桐哉に『覗いてたのか』だとか『なんか用か』などの声は全くなく、妙に張りつめた沈黙が広がり、桐哉はギュッと拳を握りしめた。

 その時、目の前で桐哉を見下ろしていたクラスメイトが、言いにくそうに、言った。


「あ、あのさ。違ってたらごめん…なんだけど、も、もしかして剣道部を見に来てくれてた…とか?」

 まったくその通りだ。だが、桐哉的には『見に来てくれていた』のではなく『覗いていた』のだが。


「…あ、あの、ごめん」

 言葉は震えて、消え入りそうになった。

 ばれてしまった以上はどう謝ろうかと、桐哉は必死で考える。
 ともかく、加賀谷が来るまでにここを去らねば、加賀谷にまで迷惑を掛けることになってしまうからだ。

 だが、そんな桐哉の煩悶を余所に、同級の剣道部員たちは何故か歓声を上げた。


「うおっ、すごい! 見に来てくれてたんだ、桐哉〜!」

「え〜、綾徳院が見てるんなら、もっと気合い入れて稽古したらよかったよ〜」

「おい、お前いつもは気ぃ抜いてんのかよ」

「や、でも綾徳院が来てるってわかってたら、ちょっとビビるよなあ」

「そうそう。俺、今さらながらにドキドキしてきたもん」

「それ、おせーよ」


 口々に騒ぎ出した彼らを前に、桐哉は目を丸くするしかない。

 これはいったいどういうことなのか。


「…あ、あの…」

 どうやら怒られているのではなさそうだと感じ、桐哉はおずおずと声を掛けてみるのだが。

「桐哉もさー、せっかく来てくれたんだから、こんなとこから覗いてないで、声かけてくれたらいいのにー」

「え、でも、僕は…」

 だが状況がまったく掴めなくてオロオロする桐哉の様子に、今まで騒いでいた面々の表情がふいに曇った。

「あ、や、ごめんな。怪我して竹刀が握れないのは知ってんだけど、それでも見に来てくれたんだと思ったら嬉しくてついはしゃいじゃったんだ。悪い」

 今度こそ桐哉は言葉もないほど驚いた。

 どうして彼らが自分の怪我の事を知っているのか。
 しかも『竹刀が握れない』と言ったのだ。なぜ剣道をやっていた事まで知れているのか。


「あ、あの、何で?」

「へ?」

「何で、知ってるの? 僕、剣道やってたこと、誰にも言ってないし、あと、怪我のこと、とか…」

 半ば呆然とした様子の桐哉に、面々は顔を見合わせて不思議そうな顔をした。

「何でってさ、F中の綾徳院桐哉っつったら、公式戦58連勝、中2で全国準優勝に輝いて、史上最年少で二段に昇段した超有名人じゃんか。知らない方がもぐりだろ?」

「え、そうなんだ?」

「おいおい」

「お前、もしかして自分がどんだけ有名人だったかわかってないってか?」

「信じらんねー」


 嘘だろ、とか、呆れたヤツ〜、とか、もしかして天然?…とまで言われ、やっぱり桐哉は返す言葉に詰まるしかない。


「じゃあ、その全国大会の時にさ、個人戦で当時聖陵の中等部3年だった現高2の先輩方を3人も負かしてることも覚えてないよな?」

「あ、ええと、ごめん」

 聖陵の生徒と当たっていたことすら覚えていなかった。あの時は加賀谷しか目に入っていなかったのだ。最初から最後まで。


「や、謝ることじゃないってさ」

 よほど桐哉が萎縮していると見たのか、よしよし…と頭まで撫でられて、ますます桐哉は複雑だ。

「それにさ、中2で2段に受かるヤツなんて普通いないじゃん。特例もらわないと受ける資格すらないんだしさ。だからさ、俺たちにとっても憧れだったんだよ」

「そうそう」

「でもさ。あの後怪我でやめちゃったじゃん? あの時俺たちも正直ショックだったんだ」

 クラスメイトの言葉に、周囲も『うんうん』と深く頷いている。

「けどさ、その綾徳院がまさか聖陵に来ると思わなくてさ。びっくりしたよな」

「だよー。入寮日に俺たち桐哉の部屋まで見に行ったんだぜ? こっそりさ」

「なっ。そしたら、本物の『綾徳院桐哉』でさー。ドキドキしちゃったぜ」


 全然気がつかなかった。

 そもそもそう言う事に敏感なタイプでないことは自覚しているが、それにしてもぼんやりだよな…と自分で自分が可笑しくなる。


「そうだったんだ。でも、それなら声を掛けてくれたら良かったのに」

 やっと緊張を解いて、ホッとした様子もありありと微笑んだ桐哉に、全員の目が一瞬釘付けにされた。
 だが桐哉の言葉を受けて、気まずそうな表情に変わる。


「うん、そうなんだけどさ…」

「やっぱ怪我の話とかになっちゃうかもだし、悪いかなあとか思ってさ…」

 だが、そう言って顔を見合わせる部員たちを、桐哉は『あはは』と明るい笑い声を聞かせて驚かせた。

「そんなの全然かまわないよ。もうずっと前のことだし、僕は何とも思ってないよ?」

 思わぬリアクションだったのだろう、一様に『ほんとに?』…なんて顔を見せたのだが、当の桐哉がニコニコと笑っているのだから、これ以上説得力のあるものはない。


「あ、じゃあさ、復帰してみる…とか?」

 けれど、さすがにこれは――ちょっと遠慮がちに、だが期待を込めて言われてしまうと余計に――辛い。

「な。見に来てくれるくらいなんだからさあ」

 そうは言われても、まさか『個人的事情で加賀谷先輩を見に来てるんです』とは口が裂けても言えなくて、桐哉は視線を彷徨わせた。

「な、どうだろ?」

 周囲からズズッと詰め寄られ、仕方無しに桐哉は『本当のこと』を言わざるを得ない。

「あー、うん、でも、握力はあんまり回復してないんだ。お茶碗とかでも落としちゃう事があるくらいだから、とても竹刀は…」

 なるべく深刻にならないように気をつけたのが良かったのか悪かったのか、さらに『じゃあ、コーチでもいいから』とまで言われて、それこそ『とんでもないこと』と、慌てて辞退をする羽目になった。

 すると、一同はまたどんよりと表情を曇らせた。


「ごめん…」

「え?」

「やっぱり辛いよな。無神経なこといって、本当にごめん」

 口々に『ごめん』『悪かった』と謝られ、桐哉はまたしても焦ることになった。

 すでに剣道への未練はちゃんと精算してるし、本当に何も思っていないのだが、それをちゃんとわかってもらうのもなかなかに大変だ。


「や、本当に平気だし……」

 もう一度言い募ろうとしたとき、凛とした声が響いた。


「そこで何をしている!」


 桐哉の待ち人の声だった。


6へ続く

次回の剣道部は…?
 ――どうしよう…加賀谷先輩〜。

 弱り果てた顔で加賀谷を見上げれば、
加賀谷もまた、困り果てた顔で桐哉を見下ろしてきた。

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