私立聖陵学院・剣道部!
6
![]() |
「あ、先輩」 「加賀谷先輩」 血相を変えて駆けてきた加賀谷が、桐哉の前に立ちはだかった。 「お前たち、いったいどう言うことだっ」 桐哉が後輩たちに取り囲まれている。 いつもの場所へ桐哉を迎えに来てみれば、視界に飛び込んできたのはまったくもって歓迎できない状況だった。 剣道部を覗いているところを見咎められたに違いない、とにかく桐哉を守らないと…と、加賀谷は輪の中に飛び込んで桐哉を背後に庇ったのだ。 だが庇われた桐哉は、目の前に立ちはだかった広い背中に、ホッと安堵を……している場合ではなかった。 ぐずぐずしている間に、心配していた事態になってしまったのだ。 加賀谷まで巻き込んでしまうわけにはいかないが、だからといってここで不用意に口を滑らせてしまっては取り返しのつかないことになりかねない。 2人の接点は茶道部。 だがこれは誰にも知られてはいけないことなのだ。 「すみませんっ。通りかかったら綾徳院くんの姿が見えたので、嬉しくなって話しかけていましたっ」 1年の中でもとりわけ体格のいいヤツが前へ出てそう説明した。 「…嬉しくなって?」 では、見咎めていたのではなく、桐哉を取り囲んで楽しく談笑していたということなのか…とは思ってみたものの、だが、桐哉の表情には明らかに困惑の色があったのだ。 加賀谷は肩越しに桐哉を見下ろすと、『そうなのか?』と尋ねてきた。 「あ、はい。みんなが声を掛けてくれて、で、色々と話をさせてもらってました」 なるべく他人行儀に、加賀谷との関係を計られないよう気をつけて、桐哉が返答する。 だが。 「お~い、加賀谷、顧問が呼んで……あれ? お前ら集まって何やってんだ?」 何とかこの場を穏便にやり過ごそうと思っている桐哉をあざ笑うかのように、また一人、登場人物が増えた。 口調からすると、加賀谷と同じ2年生らしい。 「…って、おい、…綾徳院じゃないか…」 「…えっと…すみません」 もうやだ…なんて考えながら、桐哉の口をついて出たのは何故か謝罪の言葉。 目を丸くして自分を見下ろしている見知らぬ上級生も、どうやら自分の事を知っているようで、居心地が悪いことこの上ない。 さらに。 「加賀谷~、何やってるんだよ~!」 「お、一年坊主たち、これから中学の紅白戦………」 ――あああ、また増えた…。 次々と増殖し始めた胴着に袴姿の野郎どもに、桐哉は内心で頭を抱える。 「え…うわ…綾徳院くんだ……」 「うそっ、わっ、本物だっ」 だが彼らの反応も同級生たちと同じようなもので、驚きを隠そうともせず、でかいヤツらが次々と桐哉を囲み始めたのだが、桐哉の前に立つ加賀谷は邪魔らしく、片手で押しのけられてしまったではないか。 「えっと、あ、あのさ、握手してもらっていいかなっ?」 一際デカイ野郎が袴でゴシゴシ拭いた手を差し出してきた。心なしか頬が染まっているのだが、桐哉に気付く余裕はない。 「はい?」 ――握手って、何で? …もしかして、西洋式の挨拶? ホケっと見上げてしまった桐哉の両手は、ぼんやりしている間に握り込まれてしまった。 ――握手って両手でするもんだっけ? だが、握られたままでどこまでも呆けている桐哉の手は、誰かさんの手で強引に奪われた。 「おいっ、桐哉に触るなっ」 もちろん加賀谷だ。 しかも手を取り上げるだけでは腹の虫が収まらなかったのか、腕の中に囲い込んでしまい、周囲が一瞬沈黙した。 やがて…。 「なに、今の」 「呼び捨てだぜ、おい」 「なんで加賀谷が抱きしめてんだよ」 あちらこちらでぼそぼそと、だがしっかり視線は2人を捉えたままに、不審気な声が上がる。 ――あああ、加賀谷先輩~…。 これではもう、どうにもこうにもバレバレ…だ。 抗う気力も無くして、桐哉は加賀谷の腕の中でぐったりと脱力した。 そんな桐哉を、具合でも悪くしたかと加賀谷は心配げに抱きしめ直す。 「桐哉、大丈夫かっ?」 そんな様子に、当然周囲の反応は…。 「もしかしてお前さ、綾徳院と親しい…とか言うわけ?」 どう見ても『他人』に対するものではなかろう加賀谷の態度に、剣呑な目をした同級生が尋ねてきた。 「…まあな」 もうこうなっては下手な弁解は通用しまい…と、加賀谷は渋々認める。 「え~、何でだよ、いつから知り合いなんだよ~」 「もしかして中学時代か?」 そう問われて、『そうだ』と言えばよかったものを、加賀谷も根っからの正直者で咄嗟に嘘がつけない質なのだ。 「いや、その頃じゃなくて、ここへ来てからだ」 なんてバカ正直に告白してしまったものだから…。 「じゃあ、いつ頃から親しいんだよ」 「いつって…、入学の時に順位発表で名前を見つけたから…声を掛けた」 実際声を掛けたのは坂枝だが、声を掛けるようし向けたのは自分なのだから嘘ではないだろう。 「おい。抜け駆けだろ、そりゃ」 低い声で凄まれて、加賀谷もグッとにらみ返す。 「何が抜け駆けなんだよ」 「だいたい、いつの間にそんなに親しくなったんだ。しかもお前だけってどういうことだよ」 「そうそう。それならなんで俺たちにも紹介してくれないんだよ」 「こっちは声かけたくても遠慮してたんだぜ? 一人で美味しいとこもってくのは無しだろうが」 加賀谷に向けて、2年生らが文句を垂れまくる。 その後ろでは1年生たちも『だよなー』…なんて頷き合っていて、どうにもこの場は加賀谷が圧倒的不利の様相だ。 だが加賀谷も黙って言われるままになるつもりはない。 親しくなったのは高校に入ってからでも、自分は中学の時から桐哉に目を付けていたんだ…なんてことは、今だから言えることに違いないのだが、ともかくなんとしてでも桐哉と接点を持って近づこう…と努力してそれを実らせたのは自分なのだから。 もっともその件に関して『坂枝大明神』には頭が上がらないが。 そして。 「美味しいとこってなあっ…! だいたい、桐哉は俺の…っ」 桐哉を離そうとしないまま周囲に食ってかかる加賀谷が、危うく『桐哉は俺のものだ!』と熱烈大告白大会をしてしまいそうになって、桐哉がさあっと青ざめたとき。 「おい。お前たち、大勢でたかって何を騒いでるんだ」 クマ系のごつい男がでかい声を発しながら現れた。剣道部の顧問にして剣道6段の猛者だ。 「おっ。綾徳院じゃないか」 目が回ってきた。 いつも部活を覗いているからこの人物が顧問だというのは知ってはいたが、教科担当にも当たっていない教師がどうして自分の名前を知っているのか。 多分、部員たちと同じ理由なのだろうというのはすでに容易に想像はついてしまうが。 逆に、桐哉は半分泣きそうな気持ちで必死で記憶をたぐった。 ――ええと、何の先生で何て名前だったっけ~。 だが、入学してまだ半年で、しかも担当ではない教師の名前など普通は覚えてはいないだろう。 ちなみに、国語教師の政岡というのだが。 「どうした、こんなところで」 「剣道部を見に来てくれていたようなんですよ」 驚いた顔で桐哉を見下ろす顧問に、お節介な誰かがちゃっかり教えてくれてしまった。 「え、本当か?」 「…すみません…」 今日はいったい何回謝っただろう。 だがそんな桐哉とは正反対に、顧問は明るい声をあげた。 「いやー、それは素晴らしいぞ!」 ちょっと強面のクマ顔をパッと輝かせて、諸手を挙げて大歓迎の様相だ。 「せっかく来てくれたんだ。こんなところで見てないで中に入ってくれ。ちょうどこれから中学生の紅白試合を始めるところなんだ。中坊たちも喜ぶぞ~」 「せんせー。それどころか中学生たち『ど緊張』の坩堝ですってば」 「わはは、そうだな、その通りだ。だがな、その緊張感に勝ってこそ…だろうが」 「そうですよねー」 ぎゃあぎゃあと笑いながら、周りは勝手に盛り上がりまくる。 当の桐哉をポツンと残して。 ――どうしよう…加賀谷先輩~。 弱り果てた顔で加賀谷を見上げれば、加賀谷もまた、困り果てた顔で桐哉を見下ろしてきたが、ふうっと一つ息を吐くと、顧問の顔を真っ直ぐに見ていった。 「先生、綾徳院くんにも都合があると思います。あまり引き留めても迷惑になるんじゃないかと」 「ん? そうなのか、綾徳院。何か予定でもあるのか? もし都合が悪くなければぜひお願いしたいんだがな」 「先生っ」 「うるさいぞ、加賀谷。俺は綾徳院に尋ねてるんだ。お前は黙ってろ。で、どうなんだ、綾徳院」 ――仕方ない…や。 桐哉は内心で深くため息をついたが、それを見せることなく、 「じゃあ、ちょっとだけお邪魔させて下さい」 と、言い切った。 よりによって顧問から正面切ってきちんと頼まれたのだ。嘘をついてまで逃れても、後々いいことはないだろう。 それに、このままでは自分を気遣ってくれる加賀谷の分が悪くなる一方だ。 「桐哉…っ」 小さな声。だが、心配を露わにした声で加賀谷に呼ばれたが、そんな加賀谷に桐哉はニコッと笑ってみせる。 大丈夫です。僕は平気ですから…と。 ![]() 聖陵には剣道専用の道場はまだない。 第2体育館の1階部分を専有することで十分に事足りているからだが、敷地は余りあるので、いずれは完備されることになりそうだ。もちろんその頃には現在の在校生はみな卒業しているだろうから、誰も余り関心を持っていないのだが。 そんな第2体育館の、長辺の縁のど真ん中に桐哉は座らされていた。 隅っこに座ろうとしたら、「ここ、ここ」とみんなに引っ張られ、真ん中に連れてこられてしまったのだ。 中学生たちは、桐哉の突然の登場に色めきたった。 桐哉が活躍していた短い期間を直接は知らない生徒たちも大勢いるのだが、聖陵に入学してきたことで桐哉は剣道部内で勝手に――当の本人の知らぬ間に――伝説にされていたのだ。 いや、自分たちと同じ年齢で二段に昇段しているというだけでも、彼らにとっては十分に伝説なのだが。 ――美化されまくり…。 だが、それが中学生たちを言葉を交わした桐哉の率直な感想だ。 現物を見ずして話だけ聞いて想像することがどれだけ恐ろしいことか、身を以て知ってしまった。 けれど、自分に対する認識の誤りは別として、中学生たちの態度はとても真摯で、剣道に対する情熱に溢れている。 それは、中学生たちの試合にアドバイスをし、親身に稽古を付けている上級生や顧問たちにも言えることで…。 ――2年前まで、僕もこんなだったっけ…。 元々どちらかというと『ぼんやり』で、人と争うことが嫌いなマイペース人間だったのだが、剣道は武道といっても人と争うのではなく、内なる自分と向き合うものだ…という教えに惹かれて竹刀を握るようになり、良き指導者や友人、先輩たちにも恵まれて、一生懸命練習しているうちに、いつの間にか公式戦の連勝記録を積み重ね、全国大会に進めるまでになっていた。 桐哉にとっては何もかも、『とにかく竹刀を振っている時が幸せ』という気持ちの後についてきた『結果』に過ぎないのだが。 紅白戦最後の試合が始まった。 対戦するのは、中等部の部長と副部長だ。 どちらも似通った背格好で、実力も伯仲。誰もが認める良きライバル同士なのだ…と、ちゃっかり隣に座った加賀谷が教えてくれた。 ちなみに反対側の隣には顧問がしっかり陣取っているのだが。 空気が凛と張りつめる。 竹刀同士が当たる乾いた音。防具にぶつかる湿った音。そして、自身を鼓舞するように掛け合う声。 ――あああ…、胴を狙うには切っ先が少し低いかも…。 ――その上段の構えは肘が上がりすぎ…! きちんと正座した膝の上で、いつしか桐哉は拳を握りしめて見入っていた。 ――…あ! 決まる…! 桐哉がそう直感した直後、副部長の『面』が決まり、決着が着いた。 一呼吸おいて、桐哉がふうっと息を吐いた。 そんな桐哉の様子を、加賀谷はずっと気に留めていた。 桐哉がずっと握りしめていた左手と、握りしめようにも握りきれない右手。その両方を、試合を見ながらも視線の端に捉えていたのだ。 試合をしている人間の動きの、一瞬先にビクッと反応する右手。 恐らく右手が健全な状態の桐哉と対戦していたならば、ここにいる誰が相手であろうと――もちろん自分も含めて――勝負はあっと言う間についていただろう。 もしかしたら、インハイの頂点に立ったのは桐哉だったかも知れない。 そんな、とてつもない才能を抱えたまま、桐哉はその全てを封じられてしまったのだ。 なのに、こんなところに連れてくるなんて、自分たちはなんという残酷な事をしてしまったのだろうかと、加賀谷は心底落ち込んだ。 「いやあ、綾徳院がいてくれたおかげで空気が引き締まったよ」 顧問はクマ顔をデレデレに――それこそ空気が引き締まり損ねるような顔に――崩して、桐哉にぜひまた遊びに来てくれ…と何度も言った。 それは、中等部の部員も高等部の部員も同じで、絶対これっきりにしないで欲しいと懇願され、桐哉は照れくさそうに頭を掻いた。 「僕も久々に稽古場の空気が吸えて楽しかったです。ありがとうございました」 本当に嬉しそうにそう言う桐哉に、一同はホッとした表情を見せ、また何度も『今度も近いうちにぜひ』と念を押されつつ、桐哉は体育館を後にした。 |
7へ続く |
次回の剣道部は…? |
「先輩っ、やめて!」 このままでは部長が殴られる! そう思った桐哉は咄嗟に2人の間に割り込んだ。 |