私立聖陵学院・剣道部!
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数日前、加賀谷は団体戦のレギュラーメンバーと共に、練習試合のために他校へ遠征をした。 相手校は、都内でも屈指の強豪校で、地区大会ではもっとも警戒しなくてはいけないライバルだ。 その強豪校の時田という2年生が試合の後、加賀谷の元へとやって来た。 「相変わらず強いね、加賀谷くん」 「そういう時田くんこそ、今回大将だって? 3年生10人もいるのに、凄いじゃないか」 時田は今年、並み居る3年生を抜いて団体戦の大将をつとめることになっている。 「いや、運が良かっただけだよ」 そう言って謙遜しては見せるが、やはり言葉の端々に自信が滲んでいる。 彼は中学時代にはあまりパッとした成績を残せずにいたらしく、その当時の時田を加賀谷は知らないのだが、高校へ入ってから一気に才能を開花させたようで、昨年――高1の全国大会ではベスト16に入った。 今年はもうひとつ上を狙うと豪語していて、夢は加賀谷くんとの決勝戦だ…と、本人を前に堂々と言ってのける性格も結構好ましく、大勢いる剣道仲間の中でも気さくに話ができる間柄だ。 「ところでさ、加賀谷くん」 「何?」 「俺たちが中3の時に全国で準優勝した綾徳院桐哉って覚えてる?」 思わぬところで唐突に桐哉の名がでて、加賀谷は目を瞠った。 「…もちろん。それがどうかしたか?」 どうして桐哉の名前が出たのか、その理由がわかるまでおいそれと話には乗れない…と、若干警戒して返答したのだが、理由は至極単純なことだった。 「あいつ、俺の中学の後輩なんだよ」 「…え? そうだったんだ」 ということは、時田もF中だったということか。 知らなかった…と、驚いた加賀谷に、時田は肩を竦めてみせる。 「ま、俺、中3の頃はまだ地区大会の初戦敗退ってザマだったから、加賀谷くんとの接点もなかったし、仕方ないけどな」 そう言ってちょっと自虐的な笑みを浮かべたが、すぐに表情を引き締めると、時田は『いや、そうじゃなくて、桐哉のコトだ』…と、呟いた。 『桐哉』と呼び捨てにした時田に、加賀谷は最早条件反射の様に嫌な顔をしてしまったのだが、そもそも中学時代の先輩後輩だったら当たり前のことで、この場合は致し方ないだろうと無理矢理表情を繕った。 「あいつ、聖陵に進学したって聞いたんだけど…」 そうか、聞きたかったのはそれか…と、納得して加賀谷は頷いた。 「ああ。今、剣道部でマネージャーしてくれてるよ」 「えっ? 本当にっ?!」 信じられない…と言った面もちの時田に、加賀谷は若干の――いや、かなりの――優越感を覚えながら、また鷹揚に頷いた。 「ああ、一生懸命やってくれてる」 「腕は? 右腕はどんな感じだ?」 「そうだな、ちょっと不自由そうにしてはいるけれど、随分良くなったって本人も言ってる。箸もシャーペンも滅多に落とさなくなったようだし」 加賀谷の言葉に、時田は心からの安堵の色を浮かべた。 だがしかし。 「そっか…。いやあ、本当に良かった。心配してたんだ。 剣道ができなくなったと言っても、あいつの地元からすればここが一番の進学校だし、あいつもここへ進学してくると思って待っていたのに、黙って聖陵受けていっちまったから、あの頃のことなんて全部忘れてしまいたいのかなあ…なんて思うと、連絡も取れなかったんだ…。 あんなに仲良くして、毎日一緒に楽しく過ごしてたのになあ……」 語る時田の目は少し遠くて、その口調はまるで恋人を語るようにうっとりとした色すら帯びているではないか。 となると、加賀谷も大人しくはしていられない。 恋するバカオトコ・オコサマ加賀谷の出動だ。坂枝がいたら、大喜びされそうだが。 「いや、今は元気一杯で毎日思いっっきり楽しそうにやってるよ。桐哉はムードメーカーでアイドルだからね。俺たち剣道部にはなくてはならない存在だ」 これでもかと言うくらいに煽るような口調になってしまったが、わざとやってるのだから世話はない。 「…ふぅん…そうなんだ…」 あっさりと煽られて、不満げに唇を尖らせた時田だが、もちろん負けていなかった。 もとより負けん気の強い剣士だ。正面切って挑まれた勝負を逃げるわけにはいかないとばかりに鼻息を荒くして、桐哉が怪我をした当時、どれだけ自分が支えてきたかアピールし始めたのだ。 「怪我した時も、俺は一緒にいたんだけど、救急車が来るまでの間、脂汗を流してる桐哉の側にずっといて…。桐哉も左手で俺の腕を握りしめて、必死で痛みに耐えていて…」 桐哉がこいつの腕を握りしめていたなんて…、と、オコサマ加賀谷なら、ここで火を噴いていただろう。 だが、そんなことを思うより前に、桐哉が耐えた痛みというものが心に重くのし掛かった。 酷い怪我だったというのは、大会関係者からも聞いていた。 砕けた腕は、鍛錬を積んだ大の男たちが思わず目を背けるほどの状態だったということも。 「骨だとか神経だとか皮膚だとか、ともかく桐哉のダメージは大きくて、一回の手術ではとても済まなくて、合計3回手術を受けたんだよ。特に最初の時は術後の痛みも酷かったみたいで、俺が見舞いに行ったときも、鎮痛剤がちょうど切れたときみたいで、涙目で耐えてた。 どうにか気が紛れないかなあと思って、頭とか撫でてやってたんだけど、『大丈夫』って言った端から『痛いの、もうやだ…。我慢できない』って弱音がでて…。 どんなにきつい練習でも、泣き言一つ言わなかった桐哉だったから、俺も本当に辛くて…」 時田が言葉に詰まった。 話している自分自身が当時を思い出して唇を噛んでいるようだ。 そして、加賀谷もまた、押し黙った。 ――手術…3回も受けてるのか…。 今も桐哉の腕にはひき攣れた縫合痕がくっきりと残っている。 だがそれは、上手い具合に肘の内側に隠れていて、わざわざ覗かないとそれとはわからない。 もちろん加賀谷はそれを知っているのだが、桐哉はその傷跡について、 『女の子じゃなくてよかった』と言って、ケラケラっと笑った。 どれだけ痛かったかなんて、おくびにも出さず。 だいたい桐哉は一度もそんな話をしない。 怪我をしたときのことも、相手――1年間の公式戦出場停止処分だけで段位剥奪は免れたらしいが――を恨むようなことも、何一つ言わない。 ただ、『また竹刀が握れたら…』と、願っているだけなのだ。 今は自分が側についているから、いずれ桐哉の願いが叶うように、少しずつでも練習していこうとは思っているが、それでも桐哉が一番辛かった時期に側にいられなかったことが辛い。 当時は知り合いでも何でもなかったのだから、どうしようもないことなのだが、それでも悔しい。 自分がついているからと言って、桐哉の痛みが和らいだわけではないが、それでも側にいたかった。 すっかり黙りこんでしまった加賀谷に、時田もまた気まずそうな顔をして、『とにかく桐哉のこと、よろしく頼むな』…と、遠慮がちに声を掛けた。 その言葉に、加賀谷はどうにか穏やかな顔を繕って、『もちろん。任せておいてくれ』と、力強く答えたのだった。 そして、その時加賀谷は誓ったのだ。これから先、絶対に桐哉に痛い思いはさせない…と。 ![]() 「…ごめんな、桐哉」 そう言って、加賀谷はそっと、桐哉の体を離した。 桐哉はと言えば、いきなり開けられた距離に戸惑いの色を濃くして、不安げな瞳で加賀谷を見上げてくる。 「…あ、あの…僕ではダメ…ですか?」 「桐哉…?」 桐哉の問いの意味が、瞬間には捉えきれなかった。 「僕では…そんな気…に、なれません…か?」 羞恥に頬を染めながら、それでも必死で尋ねてくる桐哉に、加賀谷は一瞬目を見開き、そして、らしくない様子であわあわと狼狽えた。 「そ、そうじゃないんだ、桐哉」 その気になれないなんて、とんでもない。 その気があり余りすぎて、ここのところよく眠れないくらいだ。 現に今も、理性をぶっちぎってケダモノ化してしまったばかりではないか。 「あの、な。よく聞いてくれ、桐哉」 両肩を優しく包まれて、桐哉は頷いた。 「正直に言うよ。俺は、桐哉が欲しい。抱きたい…と、思ってる。切実に」 真顔で告げられて、桐哉が真っ赤に染め上がった。 この純情振りで、よくも大胆に『その気になれませんか』などと言えたものだが、とにかく桐哉は必死だったのだ。 「でも、な。俺たちがそう言うことをする…ってことは、桐哉にはとても負担がかかるってこと、わかるだろ?」 強烈に恥ずかしかったが、桐哉は素直に頷いた。 加賀谷と『そう言うことになる』というのは、自分が受け入れる側なのだということくらい、当然わかっているから…だ。 そして、それが自然の摂理に反した行為だと言うことも。 でも、好きなんだから、仕方がない。 「俺は、お前にこれっぽっちも痛い思いをさせたくないんだ」 真剣な眼差しでそう告げた加賀谷に、そういうことか…と、桐哉は納得した。 でも『はい、そうですか』とは言えないし、言うつもりもない。 自分だって、加賀谷が欲しいのだから。 「せ、先輩は、それで、いいんですか?」 「桐哉…?」 「先輩が僕に痛い思いをさせたくないっていうのなら、僕は先輩に我慢なんてさせたくない」 見上げてくる瞳には強い光が宿っていた。絶対に引く気はない…と、宣言しているかのように。 「それに、僕だって男です。痛いのなんて…平気です」 「桐哉…」 「そ、そりゃ、怪我して痛いとかいうのはもうイヤですけど、でもそれと、これを一緒にしないで…下さい。す、好きな人とすることだったら僕は…!」 「桐哉!」 これ以上、桐哉だけに言わせたくなくて、加賀谷は桐哉の体をきつく抱き込んだ。 やっぱり自分より桐哉の方がよほど強いと思う。 こんなに小さくて可愛くても、桐哉の方がずっとずっと、心が強い。 桐哉の右手のことを気にして、自分が一人で揺れて狼狽えている時も、桐哉はしっかりと前を見つめて歩んでいたのだから。 「ありがとう…桐哉」 もう、『ごめん』とは言えなくて、その代わりにありがとうと伝えた。 すると、緊張に固くなっていた桐哉の体が、ふわりと綻んだ。 このまま抱いてしまいたい。けれど…。 「あ、でも、ここでは……」 桐哉がまた、少し体を固くした。 いつ誰が来るかわからないようなところで、こんな大事なコトをしたくない。 それはもちろん加賀谷も同じ――じゃあさっきの暴走はなんだったのかと言われたら返す言葉がないけれど――なのだが、けれど校内でおいそれとそんなことができる場所などもちろんない。 少し前に、加賀谷はその件に関して、校内一のエキスパートとも言える守にちらりと意見を求めてみたことがあるのだが、『その気になったら校内至るところがパラダイスだ』…なんてニヤリと笑って返されてしまい、名うてのドンファンはやっぱり違うと唖然としてしまったのだった。 もちろん、守の見解が加賀谷にとって何の参考にもならなかったのは言うまでもないが、ともかく、大事な桐哉が安心してこの腕の中に来てくれるようにしたいから、そのあたりはきちんと考えなくては…と、今さらながらに思う。 「なあ、桐哉。ちょっと先の話になるけどな、年末の帰省、2日ほど伸ばせるか?」 聖陵は12月24日から冬期休暇に入る。 だが海外や、国内でも遠方へ帰省する生徒も多く、交通事情も様々なことから退寮には数日の猶予があるのだが、それでもほとんどの生徒は休暇の開始と同時に退寮して行くから、寮内は一気にガラガラになる。 「…えと、大丈夫…です」 家族は帰省を待っているだろうが、2日間くらいたいしたことはない…と、桐哉は思った。 「じゃあ、その2日間、俺の部屋で一緒に過ごそう」 ということは、加賀谷の同室者も帰省でいなくなると言うことだ。 「…は、い」 返事は緊張でちょっとぎこちなくなった。 でも、『約束できたこと』が嬉しかった。 |
10へ続く |
次回の剣道部は…? |
どうしよう…。本当に…? そんな言葉が頭の中を渦巻いていたが、お構いなしに加賀谷は愛用の太刀を引き抜いて、左上段に構えた。 |