ACT.2
〜Tie Breaker〜
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『322号室 2−B 桐生守・森澤東吾』 4月。 明日の入学式を控えて、聖陵学院の寮内は一年で一番騒がしい時を迎えている。 高校1年生になる早坂陽司は、掲示板の張り紙を見て、これでもかというくらい深いため息をついた。 自分の部屋割などまだ見てもいない。 ため息の原因は、この一年間、見つめることしか許されなかった3年越しの想い人の名。 高校2年からは寮の部屋は2人部屋となる。 しかも、『同室希望』を申請する事が出来るのだ。 それは主に受験体制に入る生徒のための配慮である。 部屋でのトラブルを減らし、より安定した環境を創るため…とされているのだが、実際は仲良し同士、楽しい寮生活でしっかり勉強しましょう…ということに他ならない。 現に『相思相愛』の申請した者同士は、まず希望通りの部屋割になると言われている。 (やっぱあの噂って、本当だったんだ…) 学院一のプレイボーイ、モテモテ男の桐生守が昨年、高校1年になったときに『俺の一番のお気に入り』と宣言したのは、当時初めて同室になったテニス部の森澤東吾だったのだ。 それ以前にも、東吾と守は同じクラスの『仲良し』と見られてきたが、高1になったとたんの『お気に』宣言に、周囲は『ついに守も年貢の収め時か』と騒いだものだった。 しかし、その後も守はいろいろな生徒の間を、それこそ蝶のように飛び回ったし、東吾もそれについて何の反応も示さなかったから、『あの2人はデキている』という話はそのうちに聞かなくなっていたのだが…。 ――俺、マジ失恋決定なのか…? この一年、東吾より強くなることだけを考え、話しかけることを許されない中、視線だけで思いを告げてきた。 そしてやっとまた同じ寮、同じ校舎になるときが巡ってきたのに。 「陽司っ、元気だったか?」 肩を落とす陽司の背を叩いたのは、中2の時に同じクラスになって以来、親しくしているバスケ部の中沢涼太だった。 「おう、涼太」 「なんだ、元気ないじゃんか。どうしたよ」 「べっつに〜」 「俺たち同室だぜ。よろしくなっ」 「え? マジ?」 どんより背負っていたものが、少し軽くなる。 「あと2人って誰?」 「聞いて驚け。生徒会長さまだ」 「祐介か!」 また一段と陽司の表情が明るくなる。 数ヶ月前まで中学生徒会の会長だった祐介とは、クラスこそ一緒になったことのないものの、去年一年間でずいぶん仲良くなった。 なにしろ、陽司は運動部会長、涼太は代表委員長を努め、祐介と共に中等部を引っ張って来たのだから。 「で、もう一人は?」 「『正真正銘』だよ」 「おっと、新入りか」 聖陵学院は高等部で25人の編入を受け入れる。 その編入試験は時に20倍になるほどの狭き門で、それを乗り越えて入ってくる編入生たちは、新1年生の中でも『正真正銘の新入生』と言う意味で『正真正銘』と呼ばれることがあるのだ。 「まだ入寮してないんだけどな」 「へー。どんな子だろ?」 高校に進学したとは言え、連れの面子は中学と同じ。 自然『正真正銘』に対する興味は大きくなる。 「どうもなぁ、総代らしい」 「え? 祐介ダメだったのか」 学年ダントツの秀才、浅井祐介の成績を上回って入ってくるヤツとは…。 同室になった『正真正銘』の一年生は、それは素直で可愛い子だった。 陽司はその優しい瞳を見て、また一つこっそりとため息をついた。 東吾もこんな笑顔を持っているはずなのに、決して自分には向けてくれない。 こんなに辛いのなら、今目の前にいる優しい子に恋をした方が、幸せかもしれない…。 陽司はふと、このまま逃げてしまいたいという衝動に駆られ、慌てて頭を振ってその考えを封じ込めた。 ☆.。.:*・゜ 「ふ〜…」 第2体育館の地下一階。 テニス部の部室は、中高向かい合わせで配置されている。 昨日までなんなく開けていた部室のドアが、今日からはとてつもなく重い、岩の扉のように思えてしまう。 東吾は高等部の部室のドアノブに手を掛ける。 中にはもう、午前中に入学式を終えた新一年生が来ているはずだ。 『一年間、絶対に声をかけるなよ』 そう言い置いて卒業して、一年が過ぎた。 それは、短かったようでもあり、長かったようでもあり…。 部室は向かいでも、滅多に姿を見ることはなかったし(自分が意識的に避けてきたせいもあるのだが)、高等部・中等部それぞれの部長や役員同士は接点が多くても、平部員でいられる高校1年の間は、かえって中3との接点は少ない。 東吾の計画では、その間に想いのすべてを断ち切る予定だった。 自分が想うのと同じものを得られない恋なんて、絶対にしたくない。 なのに…。 自分はこの一年何をした…? 遠くからいつも、いつの間にか、見つめてしまってはいなかったか? その背中を…。 ――もう…イヤだ…。 この一年で、自分はまったく進歩できなかった。 けれど、きっと陽司はもう、覚えてはいないだろう。 あの日の約束…『俺が勝ったら、先輩…俺のものになって』…そう言ったことを。 入学式後、陽司の姿を遠くから見つけた。 一緒にいたのは、新入生総代を務めた『正真正銘』の一年生。 こんな子が本当にいるんだ…と思えるほど、愛くるしい子だった。 そして、その肩を抱いていた…陽司…。 ――もう、やめよう…。 すでに、考えることすら煩わしい。 東吾はドアを開けた。 すでに集まっている1年生。 一際目を引くのは…やはり陽司だった…。 そして、その陽司はと言うと、一瞬東吾と絡んだ視線を…、切なげに外したのだ。 ――な…っ、なに…。 いつも自信に溢れた陽司の瞳しか見ていなかった東吾にとって、それは理解の範疇を遥かに越えてしまう出来事だった。 新学年のオリエンテーションをほとんどボーッとやり過ごし、体育館から、寮へ向かう道を、東吾はまたぼんやりと歩く。 「待てよっ、東吾!」 追いかけてきたのは、中学からの親友で同じテニス部の輝明。 中学時代は部長、副部長として二人三脚でがんばってきた仲間だ。 「どうした? 何かあったか?」 輝明は東吾を庇うようにして立ち、そして歩く。 それは中学から変わらない光景。 輝明はいつも東吾の傍にいて、周りに目を光らせてきた。 向こうっ気の強い東吾。 なのに、その顔と声は簡単に人目を引いてしまう。 それも、恋愛の対象としてだ。 東吾自身にどこまで自覚があるのか定かではないのだが、とにかく本人は自分に降りかかる火の粉くらい自分で払えると思いこんでいる。 しかし、どんなに強がったところで、東吾の体格は小ぶりに出来ている。 『万が一』の時には負けてしまうに決まっているのだ。 しかも、東吾は普段人見知りが激しいくせに、いったん心を許してしまうと、とことん信じ切ってしまうと言う、かなり単純で素直な性格をしている。 しかし、それはとても厄介なことだったのだ。 東吾が信頼を寄せている上級生の中にも、東吾狙いの者が何人もいるのだから。 東吾はそこのところはどうやら…理解しているとは思えなかった。 だから輝明はこうやって東吾の側を離れない。 そしてその思いは、やはり中学からの親友である守も同じで、守は高校入学を期に東吾と同室になったことを最大限に利用した。 守が東吾を『俺のお気に入り』と公言したのだ。 もちろん、2人の仲は『大親友』以外の何者でない。 けれど、守はそうすることで、大事な親友を守ろうとしたのだった。 しかし、それは東吾を真剣に想う陽司には、とてつもなく高い壁になってしまったのだが。 ☆.。.:*・゜ 新学年が始まって1週間が経とうとしていた。 陽司は約束の1年が過ぎたというのに、なかなか東吾に声をかけられずにいて、東吾は東吾で、この1年で陽司の心はきっちり醒めたのだと思いこんでいた。 気詰まりな放課後。 今日もやっと部活を終えて、東吾は逃げるように部室をあとにした。 そして、夕食もすんだ午後8時頃…。 「え…? なんで?」 東吾は322号室で間抜けな声をあげていた。 いくら探しても『地学』のノートがないのだ。 明日提出の課題は、ノートにしか書いていない。 見せてもらおうにも、同室の守は今夜も蝶のごとく花の間を飛び回っているようで、きっと点呼間際まで戻ってこないだろう。 「…部室…だ」 陽司がまだ残っていた部室から逃げるように出てきたとき、今日の授業分のノートをブックバンドで一括りのまま、丸ごとおいてきたような気がする。 内心、面倒くせ〜、と思いながらも取りに行かざるを得ない。 東吾は渋々立ち上がり、部屋を後にした。 「あれ? 東吾?! どこ行くんだ、今頃から」 坂道を降りた校舎経由ではなく、そのまま山沿いの雑木林経由で体育館に行こうとしていた東吾に、薄暗いところから声がかかった。 「守?」 声の主は確かに同室の守のものだ。 『悪い、この埋め合わせは必ずするからさ、先に帰って』 誰に言ってるのか、ヒソヒソと声がする。 『うん、わかった。その代わり、もう一回…』 『はいはい』 そう聞こえた瞬間、『chu』と言う怪しげな音がした。 (ちゅ〜〜〜〜〜〜〜?) 東吾はあきれ果てて声もない。 やがて、パタパタと小さな足音が寮の方へと去っていった。 「お待たせ、東吾」 暗がりから、守はパンパンと服を叩きながら姿を現した。 「誰も、待ってねーってば」 「そう言うなって」 「いいのか? 可愛い子猫ちゃんをほったらかしにして」 ほら、ここにも付いてる…そういいながら、東吾は守の背中から、葉っぱを一枚つまみ取った。 その仕種に、守は小さく、さんきゅ…と答える。 「お前も俺の可愛い子猫ちゃんの一人だぜ」 パチンとウィンクされて、東吾は小さい舌を思いっきり出した。 「ば〜か、一回死んでこい」 「はいはい。…ところでどこ行くんだよ」 東吾の説明を聞くと、守はついていってやるよ…と言って肩を抱いてきた。 「お前なぁ、ガキじゃあるまいし、なんで体育館まで付き添ってもらわなきゃなんないんだよ」 「愛する東吾の側にいたいんだ、俺は」 「やっぱ、お前死んでこい」 「はいはい」 笑いながら、守は心中で呟く。 体育館に誰か残ってたらどうするんだよ…と。 いつものノリで、冗談の応酬をしながらやって来た第2体育館。 ドライエリアに面した地下の部室の窓に灯りが見えた。 (ついてきて正解だったな) 守がそう思ったとき、東吾が息をのむ音がした。 「東吾…?」 東吾は地上から部室の窓を見おろして、片手で守のシャツの裾をギュッと握った。 部室に残っていたのは、陽司だった。 布を手にしている。 そして陽司はしばらくそれを見つめ、やがて…愛おしげに抱きしめた。 それは、高校テニス部の、真っ白なポロシャツで…。 「T.MORISAWA」 唐突に守がそう言った。 「まもる…?」 東吾が不安の色を滲ませて、守を見上げる。 「はっ、視力が2.0もあると、見えなくていいものまで見えちまう」 守は端正な口元を僅かに歪ませた。 「あいつが抱きしめてるポロシャツのネームだよ」 東吾は驚愕に目を見開き、そして、再び視線を部室に落とし、そして…。 「おいっ! 東吾!!」 東吾は踵を返して駆けだした。 ――東吾…。 恐らく真っ直ぐ部屋へ帰るだろう。 そう思って守は追うのをやめた。 それよりも今目にした光景だ。 東吾によからぬ思いを抱いている奴なら、一発浴びせて大人しくさせてやればすむことだ。 しかし、あの東吾の反応は…。 ――まさか…東吾、あいつなのか? 中1の時から仲良くしていた東吾。 その東吾が中2になった頃、誰かに恋をしたであろうことは、恋愛経験豊富な守にはそれこそ『バレバレ』なことだったのだが、東吾はずっとそれを隠し通した。 もちろん、守とて興味本位で聞くようなマネはしなかったのだが、それにしても東吾は、頑ななまでに、己の感情に蓋をしている様子だった。 ――あいつは、葵の同室…。 守はその足を部室へと向けていた。 「新入部員は遅くまで残って洗濯でもしてるのか? ご苦労なこった」 いきなりかかった声に、陽司は抱きしめていたポロシャツをパサッと落としてしまい、声の主を確かめる前に慌ててそれを拾い上げた。 「守先輩…」 床に片膝を着いたまま、陽司は思わぬ人物の登場を呆然と見上げる。 「東吾のお供で来たんだがな、あいつは幽霊でも見たような顔をして走って逃げちまった」 「先輩…が?」 見られてしまったと思い至った瞬間、陽司の体温は一気に上昇した。 「お前、確か葵の同室で、早坂だったよな」 「…そうですが…」 「ちょっと聞きたいんだが、お前、東吾の好きなヤツって誰か知ってるか」 「…は?」 今さら何の話だ、と陽司は上がった体温をさらに上昇させてしまう。 「森澤先輩の好きな人って、あなたじゃないんですか? お気に入りだとか何だとか言っておきながら、今さらどう言うことですかっ」 「お気に入りは、お気に入りさ。東吾は俺の可愛い子猫ちゃんだからな」 守は陽司の高揚などまったく意に介さないかのように、さらっと流す。 「それって、森澤先輩のこと、どうでもいいってことですか?! たくさんいる恋人の一人とでも…」 「お前、バカか? 俺は東吾を誰よりも大切にしているぞ」 詰め寄る陽司にも、まるで動じない守。 それが尚更、陽司を苛立たせる。 「大切にしてるなら、どうして浮気ばっかりして泣かすようなマネするんですかっ」 「ふ〜ん、お前、正真正銘のバカだな。いつ、東吾が泣いたってんだ」 「そ、れは…」 「言ってみろよ、いつ、東吾が泣いた」 低い声で詰め寄ってくる守に、陽司は返す言葉なく、次第に壁際に追いつめられていく。 「東吾を泣かせてるのはお前だろうがっ!」 「…な…っ?」 それはあまりにも心外な言葉だった。 ――どうして俺が、先輩を泣かせるんだ…。 何かを言おうとしたまま固まってしまった陽司を、守はジロッと一瞥し『しょうがないな』と呟いた。 「教えてやるつもりなんか、なかったけどな。どうやらお前もまったく無自覚のようだから、仕方ない、教えてやる」 守は何を言おうとしているのか。 陽司の体温は上がったまま降りてこない。 「東吾がずっと恋してるのは、多分、お前だ」 しかし上がりきった体温は、その一言でスッと落ちた。 「ま、さか…」 悪い冗談にしか聞こえなかった。 自分は一度も心からの笑顔をもらったことなどない。 避けられて、冷たくされて、この1年は声をかけることすら許されなかったというのに。 「お前、俺のことえらく批判してくれたけどな。じゃあ自分はどうなんだ? 東吾がなびかないからって、手っ取り早く同室のカワイコちゃんに乗り換えたんじゃないのか?」 陽司はジッと守を見つめてから、手にしたポロシャツに視線を落とした。 紺色の糸で刺繍された、想い人の名。 「俺…、森澤先輩に出会ってなかったら、多分本気で葵を好きになっていたと思います。でも、俺は先に森澤先輩に出会った。3年間抱き続けてきた思い、今さらなかったことになんかできません。 俺は、先輩が…好きです」 その言葉は、守に言ったのか、それとも刺繍された名前に向かって言ったのか…。 「でも、先輩にはあなたがいて…」 陽司の、まるで独白のような呟きに、守は大げさに一つ、ため息をついた。 「今から消灯点呼まで姿を消してやる。鍵、お前に渡すから322号室へ行ってこい」 「…え…?」 「最初で最後のチャンスだと思え。 自分の気持ちを正直にぶつけることだな。 それを東吾が受け入れるかどうかは俺の知ったこっちゃない。 ただし…、力に訴えるようなマネだけは絶対に許さない」 それだけを一気に言うと、守は部屋の鍵を陽司に投げてよこした。 「言っておくがな、『東吾を泣かすな』ってのは、俺のセリフだ」 言い終わるか終わらないかで、守は部室を出ていった。 もちろん東吾のノートはしっかり回収して。 そして、残された陽司は掌の小さな鍵を見つめ、そして、ギュッと握りしめた。 まるで、この鍵こそが、東吾の心の鍵のように思えて…。 ☆.。.:*・゜ 『コンコン』 ベッドの上、毛布を被って丸くなっていた東吾の耳に、ノックの音が届いた。 ――だれ…? 守ならノックなどせずに、いきなり鍵を開けて入ってくるはず。 人気者の東吾と守の部屋は、訪れるものも多かったが、今夜は誰とも会いたくない。 東吾は居留守を決め込んで、また毛布に深くくるまる。 どうあっても、先ほどの光景を頭から追い出したい。 『コンコン』 ――留守だってば! もう一度聞こえたノックの音に、東吾が内心で答えた直後、鍵の音がした。 ――え…? 守…? 鍵が外れる音、そして、静かにドアが開く音…。 いずれにしても、覚えがある守の行動ではない。 一つ二つ、足音がして、やがてドアが閉まり、そしてまた、鍵がかけられた。 ――…だ、れ…? 激しくなり出した鼓動が、侵入してきた人間にも聞こえるのではないかと思われるほどだ。 「先輩…」 小さくかけられた声に、東吾は驚愕する。 ――はやさか…? なんで…っ? ほんの少しの間をおいてから、足音はゆっくりと近寄ってきた。 鼓動はそれに連れて早くなって行くばかり。 やがて、東吾のベッドが僅かに傾いだ。 「守先輩に言われました。自分の気持ちを正直にぶつけてこいって」 陽司は当然、東吾からの返事など期待していない。 ただ、逃げないでいてくれたら…。それだけを願って次の言葉を探した。 「先輩…、俺、先輩のこと、この一年間もずっと…、ううん、この一年間だけじゃない、初めてあなたを見た日から、ずっとずっと好きだった。今でもこの気持ちは変わらない。これからも変わらない…」 ――初めてあった日から…? それは東吾にとっては思いもかけない告白だった。 ――堕ちない俺を、おもしろがって追いかけていたんじゃないのか…? 陽司の言葉を受け止めきれず、毛布を被ったまま狼狽えている東吾に、容赦なく次の言葉は降り注いだ。 「先輩だけが…好き…」 ――俺…だけ? 「たとえ先輩が守先輩を好き、でも…」 ――お、俺が守を、だとぉぉぉ? 「守の腐った冗談なんか、真に受けるなぁっ!」 たまらずガバッと起きあがった東吾の目が真っ赤に泣き腫れていることに、陽司が驚く。 「先輩…泣いて…」 「ば、ばかやろうっ、誰が泣いてなんかっ!!」 東吾は笑ってもくれないが、泣き顔を見せたのも初めてだ。 思わず目尻に溜まる涙を、親指でそっと拭ってしまう。 「あ…」 それだけで、無自覚なまま一気に頬を染めてしまう東吾。 そんな東吾の様子に、陽司は自然に本心を言葉にのせた。 「先輩が、好き…。 好きで好きで…たまらない…」 目を見て言われてしまうと、東吾はもう、金縛りにあったように硬直してしまう。 それでも、東吾は声を絞り出した。 どうしてもこのまま押し切られたくない。 陽司の『好き』とはいったい…? 「…また…おれ……のこと、自分のもの…にする…っていうのか…」 可哀相なほど、途切れ途切れに紡がれる言葉。 その言葉に陽司は静かに首を横に振った。 「違う…俺…先輩に笑って欲しいんだ…」 「は、や…さ、か……」 「俺に向かって…笑って欲しいんだ…。それだけ…それだけで、いいから…」 自分よりずっと逞しい腕が、身体に回されてくるのを東吾は感じた。 やがて大きな掌が背中を愛おしそうに撫でる。 一瞬、その温かい感触に目を閉じてしまいそうになり…。 「……! 早坂! 何やってんだよっ!」 金縛りは呆気なく解けた。 「先輩?」 「俺を抱きしめようなんて、百年早い!」 「そんな〜」 腕を突っ張り、東吾は『陽司専用』のキツイ目で言った。 「今度の新入生歓迎試合で俺に勝てたら…」 「勝てたら…?」 「抱きしめさせてやる」 そして、東吾は笑った。 それは、それは、鮮やかに。 翌日、テニスコートの一角で、元部長同士が真剣に打ち合っている姿を、他の部員たちは羨ましげに見守っていた。 2人は今、やっと同じスタートラインに立ったばかり。 |
END
BBS700GETの一夜さまからリクエストいただきました。