ACT.

〜Advantage〜
後編





「んー」

 東吾が大きく伸びをする。

 しかし、ここは寮の自室でもなければ部活中のコートでもない。


 ――今まで気がつかなかったけれど、この時期のここって、結構快適かも。


 空は晴れ渡っているようだ。月も星も、とても綺麗だから。

 時間はすでに消灯を越えている。

 梅雨はまだ完全には明け切っていないけれど、そのクセに夜の空気は意外と乾いていて、ほんの少し風も吹いたりして、かなり気分がいい。



 どうしても眠れなくて、部屋を抜けてきた。

 あれ以来、日に日に睡眠時間が短くなっているような気がする。

 目を閉じると陽司の顔がちらついて、神経が高ぶってしまうのだ。

 おまけに、ちょっとその姿を見てしまおうものなら…その仕草や声が記憶に張り付いて、一日中自分を支配してしまう。

 だから、自分の心の平安のために、陽司の姿を視界に入れないよう、ここのところずっと視線を下げて歩いているものだから、肩が凝って仕方ない。


 だから――夜とは言え――こんなに爽やかな空気の中に一人でいると、ついつい身体を大きく動かして、いっぱいに空気を吸い込みたくなってしまう。

 寮からそう離れていない裏山の小道には、当然何の人影もないから……。





「東吾?」
「うわっ」


 薄ぼんやりとした非常灯の下、いきなりかけられた声に、東吾はそれこそ飛び上がらんばかりに驚いた。 

「ごめん、驚かせるつもりはなかったんだけど」

 もちろん聞き覚えのあるその声は…。

「さ、悟…」

 よもやこんな所で会うとは思えない人物ナンバー1の登場に、東吾は続く言葉を無くしてしまう。

「珍しいな、東吾がこんな時間に外にいるなんて」

 それはこっちのセリフだ。

「その言葉、そのまま返すよ、悟。優等生のお前がこんな時間に寮外にいるなんて…」

 びっくりした…なんて言葉だけでは済まされないほど驚いた。

 その言葉に悟は曖昧に微笑んで、東吾の側にやって来た。


「で、東吾はどうしたんだ? 一人?」

 言いながらあたりを確認する。人影は…ない。

「あ、うん。眠れなくてさ」
「じゃあ、少し話ながら歩くか」


 そう言って、悟は東吾の返事を待たずに歩き出す。さりげなく東吾を前にやりながら。

「それにしても、よく守が東吾を一人で外に出したな」
「いや、守のヤツ、消灯点呼の後、消えたっきりだから」
「やれやれ、またか」


 呆れたようにため息をつく悟だったが、実は東吾が『不眠の虫』に取り憑かれていることは、守から聞いていた。

 原因は『恋患い』。

 相手の情報はこれっぽっちも聞いていないが、守がそう断言するのだからまず間違いではないのだろうと、悟は感じていた。

 だから、今夜のことは、もしかすると守の計算のうちかもしれない。
 東吾の肩の力を抜かせてやろうとでもしているのか。


「そう言う悟は?」
「ん?」
「悟は何か用があったんじゃないのか? 俺と歩いてたりしてていいわけ?」


 ああ…と軽く相づちをうって、悟はにっこりと笑って見せた。

 それは、2年になってから急に表情が豊かになったと噂の、かなり麗しい笑顔。

「ちょっと夜の散歩だ」
「…もしかして、誰かと一緒だったりした?」

 ちょっとした悪戯心できいてみる。Yesという返事はもちろん想定外だ。

 だが…。


「……まあね」
「………え。」

 悟が『夜のお出かけ』というだけでも十二分に驚ける話だというのに、誰かと一緒だったということを悟があっさりと認めてしまって、東吾はまたしても言葉を無くしてしまう。

 そして、なんとなくため息が漏れた。

「東吾は誰と夜の散歩がしたかったんだ?」
「え?」 

 見上げると、悟の笑顔は妙に幸せそうで。

 それがなんだか羨ましくて、またいらない意地を張ってしまう。

「俺は、別にそんなんじゃ…」
「…ならいいんだけど」

 語尾の端っこがちょっと笑っていたような気がする。そんな悟も珍しくて。

「…変わったな、悟」

 他の話ならともかく、今までずっと、『こんな話』を気安く出来るような感じではなかった。

「そう?」
「…もしかして、その『誰か』のせい?」
「…ああ、その『誰か』のおかげ…だな」
「…意外…」


 そう、悟が『誰か』を想うことも、そして、それを『隠さない』ことも。

 そのどれもが『今までの悟』を覆してしまう。

 そして、とんでもない発言はまだ続いた。


「なりふり構っていられなかったんだ。その子をこの手にするためにはね」
「…え?」

 悟が…?

「東吾も、『誰か』のことを本当に好きなら、迷っている暇はないと思うよ」

 穏やかに、それでもかなり強い思いを込めて語られた言葉に、東吾は思わず目を見開き、そして、諦めたように、伏せた。


「…でも、俺、怖いんだ…」

 相手が百戦錬磨の守だったら、こんな風に素直にうち明けられたとは思えない。
 だが、今目の前にあるのは――勝手な思いこみかも知れないが――とても『色恋』に長けているとは思えない悟の、思いもかけないほど『熱い』眼差しで。


「怖い?」

「うん…。 きっと、俺の方がずっとずっと相手のことが好きで、だから、たまたまラッキーで一度は手に入れられたように見えても、そのうち失う日が来たりしたらと思うと…怖くて…。それくらいなら、最初から手に入らない方がいいんじゃないかって…」

 思わず震えてしまう声を押さえながら、途切れながらも訴える東吾に、悟もまた新鮮な驚きを感じていた。

 そして、東吾の言葉はそのまま自分の不安でもあって…。

「…確かにそうだな。 失ってしまうことを考えたら、僕も、怖くて眠れなくなる」

「…さとる…も?」

「ああ。…だけど、みっともなくても情けなくても、僕は多分、ずっとその子を思い続ける」


 ちょっと遠い目をした悟の言葉に、東吾はなんだか鼻の奥がツンとしてきたのを感じる。
 これは、ここのところ妙に覚えのある、涙の出る前兆。


「東吾もその気持ちが本物なら、とことん思い続ければいいじゃないか。それを格好悪いだなんて、僕は思わない」

「さと……」

 我慢しきれなくなった。

「…お、おい、東吾…」

 でも、ポロッと落ちてしまった雫は、思わずしがみついた悟のシャツに吸い込まれてしまい…。

 そして、悟はそんな東吾の肩を優しく撫でてやり…。



                   ☆ .。.:*・゜



「ええとさ、聞いてもいい?」

 すっかり憑き物が落ちたような表情の東吾と、相変わらず穏やかな表情の悟が連れ立って、眩しいほどの月明かりの下、裏山の小道を降りていく。

 時刻はすっかり深夜になってしまった。

「なに?」
「もしかして悟の恋人って…、あの子?」
「どの子?」
「ええと……『正真正銘』のスーパーアイドル」

 半分は何となく『そうだといいな』…と、でも残り半分はまったくの当てずっぽうで吐いた言葉だったのだが。

「…そうだよ」

 よもや大当たりとは。

「…うっわ。すごい。さすが悟だな」

 まったくもってお似合いのカップルだ。

「なに、それ」

 悟は言いながら笑いを漏らす。

「なあなあ、いつから?」

 聞いてもはぐらかされるかとな、とは思ったけれど、悟はあっさりと答をくれた。

「想いが通じたのは割と最近だよ。入学式の前日からずっと片想いだったんだけど」

 全身から幸せオーラが溢れている…というのはこんな感じなのだろうか。
『片想い』と告げる言葉すら嬉しそうで。


「入学式の前日って…。もしかして、一目惚れってヤツ?」
「まあね」
「うわー、俺、なんか感動しちゃった」


 その気になれば、相手なんて選り取りみどりだろうに、今まで浮いた噂の一つも立てられないほど鉄壁のガードを張り巡らしていたのだ。
 この「カリスマ生徒」は。


「どうして?」
「だって、悟もちゃんと青春してるんじゃないか〜ってさ」
「あのねぇ…」

 苦笑する悟に、東吾もまた嬉しそうな笑顔を向けて、二人は寮へと帰り着いた。





 そして、そんな二人を寮の前で待っていたのは…。

「よ、お帰り。不良少年ども」
「「守」」

 二人揃って、『お前だけには言われたくない』なんて顔をしてみせる。
 もちろん守にはそんなもの『どこ吹く風』だが。


「東吾、俺のいない間に抜け出してどこへ行ったんだと思ってたら、なんと悟とデートとはね」

「なっ、違うって!」

「早坂に言いつけちゃおうかな〜」

「守っ」

「え? 早坂って…1年の?」


 悟が目を丸くして東吾を見つめた。東吾の頬が一気に染まる。

 大概のヤツらならノックアウトされてしまいそうな、それはそれは可愛らしい表情であるのだが、この時の悟の思考はまったく別の方向を向いていた。

「そうか、早坂か! がんばれよ、東吾」

 つい先刻までの『静かなエール』とはうって変わり、悟の激励の言葉には何だか妙に力が入っていないか。

 そのことに、不思議そうな顔を向けてきた東吾に、守がニヤッと笑って答えた。

「早坂は412号室の住人だからな」

 だがそれだけでは、『こういうこと』に鈍い東吾にはなんのことだかさっぱりわからない。

「それが何か…」
 関係でも…と、言おうとしたとき、悟がニッと笑って見せた。

「一つでも不安のタネは潰しておきたいからな」

 バンッと一つ、大きな音を立てて東吾と守の背中を叩くと、悟は『おやすみ。良い夢を』…なんて、ちょっとばかり気障なセリフを吐いてさっさと寮内へ消えていった。



「さてと」

 そんな悟をちょっと肩を竦めて見送ったあと、守は大きく伸びをして、俺たちも行こうか…と、東吾の背中を軽く押す。


「しかし、悟があそこまで言うってことは、東吾、お前も聞いたわけだな」

「何を? …って、ああ、悟の恋人のことか」

「そう」

「俺、悟に恋人がいるってだけでも感動しちゃったんだけど、相手が……、あ。」

 急に歩を止めた東吾の肩を、守が慣れた仕草で抱き寄せる。

「どうした、東吾」
「…奈月と同室なんだ。だから…」

 漸く気がついたらしい。悟の言う『不安のタネ』に。
 
「そういうこと」

 隣で守が盛大に肩を竦めてみせる。

「おい、まもる…」
「なんだ」
「悟って、あんなヤツだったんだ」
「そういうこと。人間、なりふり構わなくなったら一皮剥けるって見本かな」


 茶化した守の言葉にも、東吾は真剣に頷いた。

「…うん。俺も、ちょっと頑張ってみる」
「何を?」

 もちろんわかっていて聞いてるのだ。この、恋の達人は。

 だが、東吾はまたしても真摯な表情で口を引き結び、それから守を見上げてニコッと笑って見せた。

「うん、色々と」

 まずはいつもの通りに――陽司の前でも自分らしくいられるように…なりたい。


 そんな東吾が可愛らしくて、守もまた、他の子猫ちゃんたちには見せない、くつろいだ笑顔でその肩を抱き寄せたのだった。





 そして次の日曜日。

 東吾と陽司が連れ立って外出したと聞き、『がんばれよ、早坂』とほくそ笑んだのは、守だけではもちろん…なかった。


END

99999GETのユエさまからリクエストいただきました。


テニス部は次回から完結編へ突入ですv

次回は…【踏んだり蹴ったりの初デート編】! お楽しみに〜!

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