ACT.

〜Love all〜
【1】





 どうにも手が出せない。

 夏休み前、東吾にどういう心境の変化があったのか陽司には定かではないのだが、漸く抱きしめることの叶ったあと、暫くまるで冷戦のような期間を経て、二人はやっと『日常の自分』で相手に接することが出来るようになり…。


 最初のデート――これはあくまでも陽司サイドのシチュエーションだが――は『お買い物』だった。

 漸く目を見てくれるようになり、やっと他の後輩たちと同じように接してくれるようになった東吾が、ある時部室で同級生に『そろそろこのラケットも変え時かなあ』と言っているのを耳をダンボにして聞きつけ、『俺もちょうど変えようと思ってたところなんですけどっ。一緒に見に行きませんかっ』と勢い込んで誘ってみれば、意外にも『うん、いいけど』という天にも昇るような承諾の一言をもらえたのだ。


 そして、休日に二人だけで出かけることにしたのは、東吾お気に入りのテニスショップ。

 もちろん寮へ戻ってしまえばその瞬間に『じゃあな』の一言でデートという魔法は解けてしまうから、陽司は行きも帰りも、本屋だのCDショップだのファーストフードだのと出来るだけ寄り道をしまくり、二人でいられる時間をなるべく引き延ばし、そして、東吾が今どんなものに興味を持ち、どんなものを好んでいるのか観察しまくろうと心に決めていた。

 悔しいことに、今まで持っていた『東吾の情報』といえば、すべて、同級生や上級生から得た間接的なものばかり。自力で知り得た情報などほとんどない。しかも『家庭』に関する情報は皆無だ。

 それほど、東吾は陽司を近寄せてこなかった。

 そして東吾の方はというと、そんな陽司のちょっとばかり邪な計画に気づくはずもなく、ただ、『自分であれやこれや考えるより、ついていく方が楽だから』という限りなく消極的な理由で、特に異論を唱えるでもなく、陽司の言うがままについてくるのだった。




 最初に立ち寄ったのは本屋だった。
 
 二人して暫く雑誌の立ち読みをしていたのだが、そのうち東吾は参考書の棚へ向かった。
 
 目で追うと…熱心に探してるのは、どうやら化学の参考書らしい。

 さりげなく隣に立つと、東吾はちらっと上目遣いに陽司を見上げ、何やら言いかけたがふと口をつぐんだ。

「なんですか?」

 その表情が気になって尋ねてみると、東吾はちょっぴり口を尖らせた。
 そんな表情も可愛らしいのだが…。

「いや、こう言うとき、同級生とか先輩だったら『どの参考書がいいか』って意見が聞けるけどさ、後輩じゃどうしようもないなと思ってさ」

 思いもかけなかった強烈なパンチが繰り出された。もちろん、東吾にこれと言って他意はないのだが。

「あーあ、守にお薦めを聞いてくればよかった」

 そう言われても、当然陽司に返す言葉はない。

 はっきり言って、そこら中の本棚をひっくり返して暴れたくなるほど悔しい。

 自分だって、できることなら同じ学年に生まれたかった。
 そうすれば、もしかしたら同室になっていたのは守ではなく自分…なんてこともあったかもしれないのに。


 そして、そんなもやもやは、次に立ち寄ったCDショップでますます泥沼化することになった。

 東吾は、ここのところ流行っている女性アイドルのコーナーを熱心に見ていたから、陽司は『ちょっと頼まれもの探してきます』と断って、クラシックのコーナーへ向かった。

 同室の祐介と葵から頼まれものをしていたのだ。

 だが、預かったメモを見てもなんだかよくわからない。

 普段クラシックなんて縁のない陽司には、いったいどれが曲名で、作曲者名で、アーチスト名なのか、よくわからないのだ。

 もちろんモーツァルトだとかベートーヴェンだったらわかる。

 でも、この『ゴーベール』とか『マドリガル』とかっていったいなんだ。多分、なんとなく、『マドリガル』の方が曲名だと思われるのだが、作曲者と演奏者の区別がつかない。

 おまけにジャンルもわからない。

 クラシックの棚は、交響曲だの管弦楽曲だの器楽曲だのに別れていて、その数はあまりにも膨大だ。
 そもそも『交響曲』と『管弦楽曲』とはいったいどこが違うのか、それすらよくわからない。どっちも確かオーケストラ曲のはずなのに。


 陽司が『もう少し詳しく聞いてくればよかった』と後悔していたとき、いつの間に側に来ていたのか、東吾が陽司の手からメモを取り上げた。

「ああ、これ、多分フルートの曲だ」
「え?」

 何故そんなことを知ってるのか。

 もしかして、東吾ってクラシックが好きなのだろうかと陽司は慌てる。
 これは大変だ。縁のないジャンルなどと言ってられない。

「あのっ、もしかしてクラシック好き…とか?」

 思い切って聞いてみる。
 だが、返ってきたのは…、

「まあね。ほとんど守の影響だけど」

 なんていう、あんまり聞きたくない答え。

 陽司がムッとして眉間に皺を彫り込んでいる間にも東吾はスタスタと場所を移動して、器楽曲の棚の前に立った。

「ほら、これ」

 渡されたのは確かにメモの通りのCD。
 思わず東吾の顔を見つめてしまうと…。

「もしかして、お前が聞くの?」

 かなり疑惑に満ちた視線が投げかけられてきた。

 慌てて首を振ると…。

「だろうな」

 返ってきたその口調があまりにも『さも当然』だと言わんばかりでかなり悔しい。

 そして、陽司が次の口を挟む間もなく、『そうか、奈月ってフルート奏者だったっけ』と一人得心して、しかも『クスッ』と笑ったのだ。

「フルート曲知らないって、そんなにおかしいですか」

 さらにムッとして言ってしまうと、東吾は『あはは』と小さく笑った。

「違うって。別にお前が曲を知らなかったから笑ったわけじゃない」

「じゃあ…」

「ただ、奈月のことを思い出すと、自然に可笑しくなるだけなんだ。気にするな」

 意味不明だ。余計気になる。

「もしかして、先輩、葵と個人的に知り合いだったりするんですか?」

「いや、全然。守がいろいろと教えてくれるから、情報だけは豊富だけど、今のところ、話どころか挨拶を交わしたこともないし、だいたいそんなに間近で見たことすらないしな」

 遠目に見ても美少年だということはよくわかるけれど。

 ただ、つい先日、そのスーパーアイドルが悟の恋人だと知ってから、妙に親近感を覚えるようになったのは確かだ。

 もちろん、こんなこと誰にも喋るつもりはないけれど。


「でも…」

 さらに陽司がなにか言い募ろうとしたとき、東吾はふと視線を転じた先によく知る顔を見つけた。

「あ、これ、守の母上だ」

 器楽曲の新譜の棚に、ピアニスト・桐生香奈子のニューリリースアルバムが飾られていたのだ。


「相変わらず綺麗だなあ」

 ピアノに軽く片肘を乗せて微笑む姿は、とてもではないが3児の母――『そう言う意味』では正確には1児の母なのだが――には見えない。

 しかもその「3児」はすでに高校生ときている。


「これ、やめた」

 そう言うと、東吾は買うつもりだったのであろう、手にしていた某女性アイドルグループのCDをあっという間に元の棚に返して戻ってきた。

「こっちにしよう」

 新たに手に取ったのは、その『3児の母』のCDだ。

「え? これ、買うの?」

 守の母のCDと言えば、当然ピアノ曲だ。アイドルグループとの、この差はいったい…。

 驚く陽司を後目に、東吾は手にしたCDを眺めて幸せそうに頷いた。

「うん。守の母上のピアノ、すごく気持ちいいんだ。守の実家に遊びに行ったとき、生で聴かせてもらっちゃったんだけど、俺、涙が出るほど感動しちゃってさ。それ以来大ファン」

 急に生き生きと語りだした東吾に、陽司は瞬間見惚れてしまうのだが、しかし、守の実家に遊びに行ったこともあるのだと知り、心中は当然穏やかではいられない。

「おまけに優しいし、見ての通り綺麗だし…。あ、ケーキ作りもすごく上手いんだぞ。いちごのタルトなんて、ケーキ屋のよりずっとずっと美味かったしな。そうそう、薔薇のジャムなんて、自家製とか言ってたもんな〜」

 だから、頼むからそんな風に初恋の人を語るかのようにうっとりしないで欲しい。

 しかも…。

「そうだ、きっとこの新譜は守もまだ聴いてないはずだから、今夜一緒に聞こうっと」

「一緒に?」

 陽司の眉がピクッと上がる。

「うん、2人部屋になってから、よくやってるんだ。守のヤツ『ダブルイヤフォン』っていう、一つの端子で二人一緒にステレオで聞ける便利なイヤフォン持っててさ、同じCDをイヤフォンで同時に聴けるんだ。夜中にベッドの中でゴロゴロしながら聴いてると気持ちいいんだ」

 ベッドの中でゴロゴロ…?
 そのイヤフォンのコードはそんなに長いのか…?

 東吾は陽司の顔つきが剣呑に変わっていることなど気づきもせず、脳天気に322号室の『夜のお楽しみ』を披露してくれる。


「あれでベッドがもっと広かったら言うことないんだけどな〜」

 …ってことはまさか、一つのベッドの中に二人…?

「だいたい、いつも俺の方が先に寝ちゃうから、守が俺のベッドに潜り込んできて聞いてるんだけどな」 

 …ベッドに潜り込んでくるだとぉ…?

「でも、春先は暖かくて気持ちよかったけど、ここのところ暑くなってきたから、やっぱ密着してると汗かくし…」

 …密着ぅぅぅ〜!?


「なに? どした、早坂。コワイ顔して」

 だが、心底鬱陶しそ〜な顔で見上げられてしまうと、もう、陽司に次の言葉はない。

 ここで自分が切れたらきっと、次のデート(自称)にこぎ着けるまで、またどれほどの日が必要になるかわかったものじゃない。

「…なっ、なんでもないですっ」

 苦い気持ちを必死で飲み下して無理矢理表情を整える。

「…ふーん。変なヤツ…」

 相変わらず東吾は不審そうな目を向けてくるのだが…。

「ま、いっか。それより俺、腹減った。なんか食いに行こ」
「はっ、はいっ」

 妙に張り切った返事をしてしまった陽司に、東吾はまたも不審そうな目を向けたけれど、すぐにまた『どうでもよさそうな』顔に戻って、店を出るべくスタスタと歩き始めた。

 こうして二人の『初デート』(あくまでも陽司の言い分)は、陽司にとってはかなり不本意な結果に終わったのであった。


【2】へ続く


次回のテニス部! は?

【お泊まり編】!
(い…いきなり…)

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