ACT.

〜Love all〜
【3】





「…せんぱい…」

 信じられないとばかりに、陽司はその目を大きく見開いたまま、その場に固まっていた。

 今、確かに東吾は『良かった』と言ったのだ。

 そしてその前には『お前がテニス部に入ってくれてなきゃ、俺たち出会えてないもんなあ〜』…と。


「俺も、先輩に出会えて、ホントに良かったよ…」


 やがて、東吾がすうすうと寝息を立て始め…。

 足が勝手に引き寄せられた。

 いや、多分心が引っ張られているのだろう。

 陽司はソファーに沈む東吾の傍らにそっと膝をつき、顔を寄せた。

 甘い寝息――ちょっと酒臭いけど――が唇を掠める。

 そのままそっと、触れてみた。

 初めての、キス。

 本当は起きているときにしたかったけれど、それではいつになるかわからないからと、自分に言い訳をしながら、もうちょっと密着できるようにほんの少し角度を変えてみる。

 それだけで、触れる唇はマシュマロのような柔らかさになって…。



 中学に入学して、初めて訪れたテニス部の部室で東吾を見た日から4年と8ヶ月。

 自分の気持ちを自覚した日から4年と3ヶ月。

 初めて好きと告白した日から1年と10ヶ月。

 そして、初めて抱きしめた日から8ヶ月。


 この日をずっと夢見てきた。

 だから、離れることなんて到底出来なくて…。


 けれど――とういうか、案の定――身体が熱を持ち始め、触れているだけでは我慢できなくなり、そっと舌先を出して東吾の唇を舐めてみた。

「…ふ……」

 それが刺激になったのか、緩く閉じられていた唇――アルコールのせいか、いつもに増して紅く色づいた――からふわっと息が漏れ、そして薄く開いた。

 鼻先を掠めた熱い息に、陽司の理性が弾け飛んだ。

 次の瞬間にはすでに深く舌を差し入れ、探り当てた東吾の小さな舌を思うさま味わっていて…。


「…んっ…んーっ」

 息苦しさに東吾が呻く。
 その声に、陽司は漸く今の状況に気づいた。

「…あ!」

 慌てて唇から離れ、見下ろした先には、驚きのあまり目を見開いたまま硬直する東吾がいて…。

「せ、せんぱい…っ」

 掛けられた声に、東吾もやっと状況を把握したのか、見る間に――アルコールのせいでなく――耳まで真っ赤になった。

「お…おま…っ」

 必死で何かを言おうとしているらしいのだが、まったく言葉になっていない。

 けれど、その表情に嫌悪の色はなく、ただ…。





「好き…」

 だから、自然に言葉は漏れた。

「好き…、大好き…」

 そして、唇はまた、引き寄せられるように、触れた。

「……っ」

 だが相変わらず、東吾の言葉はまったく言葉にならなくて。

 そして、もう一度深く唇を合わせたとき、東吾の身体が大きく震えた。


 …先輩…、感じてくれてる…? 


 一段と熱を上げたその息に、堪らなくなって、ソファーに…東吾の身体に、乗り上げた。

 乗り上がられた東吾はというと、陽司の――東吾に比べると遥かに育っている――身体の重みを全身に受けて、漸く我に返ったように抵抗を始めた。


「…や、め…っ」

 熱すぎる息から逃れようと、目眩がしそうなほど頭を振る。

 そんな東吾の顎を利き手で捉え、のし掛かる身体を押し戻そうとする両手首を左手で一纏めに握り、その頭上に縫い止めると、東吾は身体を強張らせ、その瞳を初めて怯えの色に揺らめかせた。

 けれど、もうそれすら抑制力になりはしない。ただ、煽るだけで…。


「そんな目で見たら、止まらなくなるよ…先輩…」

「ば、ばかや…っ、人のせいにす……あっ、なに…っ」

 左手はそのままに、利き手を顎から離すと、その手を陽司は東吾のジーンズに掛けていた。

「少しだけ、ほんの少しだけだから、お願い…先輩」

 耳元に切ない声で懇願され、東吾は一瞬言葉を失う。

 だが、ここで素直に「うん」といえるのなら苦労はないし、ここまでもつれ込んでもいないだろう。

「ば…っ、だれが…ん…あ…っ」

 だが器用に潜り込んできた陽司の指は、いきなり東吾の核心に触れた。
 握り込まれた衝撃に身体が跳ねる。

「や、め…っ…、はやさ…か…」

 性急に、快感を引きずり出すように動かされ、東吾の息は知らず弾んでしまう。

「…陽司…って呼んで…東吾…」

 そして、熱い息と共に、耳に埋め込まれてきたそれは、東吾の脳幹をしびれさせてしまうには十分だった。

「東吾…お願いだから…」
「あ、あ…や、やぁ…」

 もう、何がなんだかわからない。

「とうご…」
「ん……よう……ああっ!」



 ……しまった。

 陽司は心の中で呟いた。

 あと一息で呼んでもらえたのに、最後の一文字の手前で東吾を弾けさせてしまったのだ。 



「……あ……」

 小さく漏れた声に、慌ててその表情を伺うと、東吾は胸を激しく上下させながら、茫然自失の様相で目を見開いたまま天井を見上げていた。

 見る間に盛り上がってくる涙。

 それは、陽司の目の前で、そのまま止まることなく、ボロボロと零れ始めた。


「ご、ごめんっ」

 ここに至って陽司は漸く東吾の上にのし掛かっている自分の状況を完全に――理性の下で――把握した。

 なんてことだ。

 そりゃあ、アンナコトもコンナコトもしたかったし、妄想の中では数限りなくやっちゃってはいたけれど、現実ではもっと時間を掛けて、当然のことながら、合意の上で…と思っていたのに。


「ごめんっ」

 慌てて身体をずらし、声もなく涙を零し続ける東吾をギュッと抱きしめる。

 抗う力も残っていないのか、東吾はされるままに腕の中に納まり、やがて小さな嗚咽が漏れ始めた。

「ほんとにごめん……もう、何にもしないから…」

 それから陽司は、東吾の身体をもう一度抱きしめ直し、そして、泣きやんで寝付くまで背中を優しくさすり続けた…。

 当然、陽司は一睡も出来なかったのだが。



                   ☆ .。.:*・゜



 …東吾く……大丈…
 …疲れ…る……飲ませ過ぎ……だよ…
 …目が覚め…ちゃんと…お風呂……てね…


 意識の外から切れ切れに入ってくる言葉を捉え、東吾の思考はぼんやりと覚醒を始める。


 …あれ? ここ、どこだっけ?


 寮のものとは違う、ベッドのスプリング。そして、枕。

 何よりこの、なんとなく安心する、匂い…。


 ぼんやりと目を開けてみると、あたりはもう十分に明るい。

 やっぱり見慣れない室内。

 頼りなげに視線を漂わせていると、視界の端のドアが静かに開いた。


 …ようじ…。


 心なしか疲れているように見える彼は、ふとこちらを見ると、慌てて駆け寄ってきた。

「…先輩…」

 枕元に跪き、僅かに躊躇ってから、そっと髪に触れてきた。

「…ごめん…俺…」
「…ん?」


 何を謝ってるんだろう。

 そうだ、そう言えば昨日、こいつの家に泊めてもらいに来たんだっけ…。

 で、お父さんとお母さんと楽しい夕食を囲んで、それからこいつの部屋に来て…。

 それから…、それから…。



 ………あ。



 一気に頭に血が上った。
 思い出してしまったのだ、昨夜のアレ…を。


「先輩っ?」

 いきなり掛け布団に潜り込んでしまった東吾に、陽司は慌てて声を掛けたが、その理由に思い至ったのか、急に気弱な物言いになった。

「…昨夜は、その…勝手なコトしてごめん。でも、でも俺…」


 …キスして――いや、『されて』しまったのだ、昨夜、こいつ――陽司…と。


「先輩のこと、好きでたまんなくて、我慢できなくなって…っ」


 …いや、キスだけじゃない、いきなり、いきなりあんな…っ。


「…無理矢理やっちゃったことは謝る。でも、信じて…。好きだから…なんだ…」

 そして最後は、突然訪れた激しすぎる快感に感情のコントロールを放棄してしまった。

 めちゃくちゃ泣いてしまったような気がする…。


 陽司の『弁解』を聞きつつ、昨夜の自分を振り返って、東吾は布団の中で盛大にため息をついた。

「先輩……お願いだから…顔、見せて…」

 だが今度は陽司が泣きそうな声をしている。

 後輩が頼むんだから仕方ないな、とか…このまま放っておいてまた昨日みたいに切れられちゃ困る、とか…無理に理由を作って自分自身に言い聞かせ、それでも東吾は決死の覚悟で目だけを覗かせてみた。


「先輩…」

 途端に陽司は心底安堵した息をつき、その頭をそっと抱いた。

「…ありがと…先輩」

『先輩』

 陽司はまた、当たり前のように東吾をそう呼んだ。
 それはもちろん、当たり前のことではあるのだけれど…。


『…陽司…って呼んで…東吾…』
『東吾…お願いだから…』
『とうご…』

 昨夜、泣きたくなるくらい切ない声で、繰り返し自分の『名』を呼んでいた陽司。


 …もう一回、呼んでくれないかな……とうご……って。


 間近に陽司の息づかいを感じ、何故か安心する匂いに包まれて、東吾はもう一度――今度はとても落ち着いて――目を閉じた。


【4】へ続く


次回テニス部! は?

【バレンタインデー】の巻!

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