ACT.

〜Love all〜
【5】

*White Day*





 3月14日がやってくる。

 ここ数日、陽司の寝付きはすこぶる悪い。

 ただし、東吾との仲がどうこう…というわけではない。

 バレンタインデー以降も二人は相変わらず親友同士のようなつき合いをしていて、それはそれは良好な『友好関係』を築いている。

 東吾が進学を検討している大学の情報もなんとかゲットした。

 都内の国立大学で、陽司の成績からしてもそう厳しいレベルでもなくホッとしているところだ。
 しかも陽司の実家から余裕の通学圏内ときている。

 では、なぜ寝付きが悪いかというと…。

 ここのところ、眠ると妙にリアルな夢を見るからだ。
 いや、これは夢ではない。はっきり言って、妄想だ。





 3月14日の部室。
 少し日の陰った頃。

 陽司は東吾と向き合っている。東吾はポワッと頬を染めて、俯いていて。
 あたりを支配するのは、不気味に甘ったるい空気。

『先輩…今日、ホワイトデーだよ』
『…うん、わかってるって』

 夢の中の東吾は、はにかんだように答える。

『お返し、何くれるの?』

 優しく聞いてみると、東吾は困ったように目を泳がせる。
 その手には、何も持っていないけれど。

『あのね…』

 …あり得ない…東吾が『あのね』などと…。

 けど、これは夢だから…。

『早坂…目、閉じて…』

 耳元でささやかれる言葉は、誘っているようにしか聞こえない。

 夢ってヤツは、なんてご都合主義に出来てるんだろう。

『…ん。こう?』

 だが、陽司もまた、その言葉に簡単に煽られて、そっと目を閉じる。

 東吾の甘い香りが――夢に香りがあるのか?――ふと近くなって…。

『ちゅっ』

 頬に柔らかい感触が…。



 で。


 そこで目覚めてしまうのだ。いつも。

 年末のあれ以来、一度もキスなんて出来なくて、それどころか触れることさえ怖くて、溜まりに溜まった欲求不満は、ついに陽司の夢まで侵食し始めたらしい。


 はぁぁ〜、情けねえ…。


 ベッドの中で、こうして一人ため息をつくのはもう何回目だろう。

 同室の3人に気づかれていないのが幸いだが。


 それにしても、ホントにホワイトデーってお返しもらえるのかなぁ。


 東吾がくれるものだったら、この際なんでもいい。裏山の石ころだって嬉しいくらいだ。

 でも、な〜んにもなかったら?

『あ、忘れてた』…なんて言われたら?


 期待して、ハズされたらきついもんな…。


 それならいっそ、期待しない方がいい…。

 陽司はまた、湿っぽいため息をついて、今度こそはまともに寝るぞと心に決めて、乱暴に毛布を被った。



                   ☆ .。.:*・゜



 そして、その日は当然やって来る。

 3月14日。

 授業も試験もすべて終わっていて、明日は卒業式。
 明後日は卒業生の退寮があり、2年生は修学旅行へと出発する。

 そして、その翌日は、全校退寮日。

 春休みは部活もないから、明日、旅行に出発する東吾を見送ってしまったら、次に会えるのは新学期だ。

 それだけでも憂鬱になるというのに。



 夢の中で見たのと同じように、少し日の陰った部室。

 14日になったと言うのに、東吾からは何も言ってこない。

 だから、何となく寮に居づらくなって、自然にここへとやって来てしまった。


 この状態、いつまで続くのかなぁ…。


 焦ってはダメだと言い聞かせた端から弱気になる。

 机に頬杖をつき、何となくロッカーを眺める。

 すでに3年生の荷物はなく、東吾たちの学年が最高学年の位置を占めている。

 中でも東吾のロッカーは一番使いやすいところにあって、少し大きい。
 管理しなくてはいけないものが多い、部長だから…だ。


「とうご…」

 ほんの小さく呟いたつもりなのに、誰もいない部室でその声は妙に響いてしまい、思わず狼狽える。

 その時。


「…ここにいたのか」

 ドアが開くのとほぼ同時に、声がした。
 振り向かなくてもわかる。東吾だ。

「寮内を探し回ってもいなかったから、きっとここだとは思ったんだけど」

「…先輩」


 探し回ってくれたのか。

 もう、それだけでいい。お返しなんていらない。東吾が自分を探してくれて、そしてここへ来てくれただけで。


「お前、なんて顔してんだよ」

 東吾がクスッと笑う。

「捨てられた子犬みたいだぞ」

 …って、そんな可愛いもんじゃないか。なんて言われたけれど。

 そんな言葉も気にならない。


 大型のシベリアンハスキーが捨てられてたらコワイよな。


 まだ東吾はブツブツ言っている。

 でも、ここにいてくれるだけで幸せ。

 言葉もなく、じっと東吾を見つめると、東吾はポワッと頬を染めて俯いた。

 …まるで夢のシチューエーションそのままだ。


「あのさ、早坂」

 けれど、出た言葉は東吾らしい口調で。

 やっぱり東吾は東吾らしいのがいいな。
 そう思うと自然に笑みが漏れる。


「なに?」

 優しい声で尋ねると、東吾は俯いたままで、ぶっきらぼうに告げた。

「お返し、やるよ」 


 え? まさか? ほんと? なになになに?

 けれど、見たところ、東吾は手ぶらで。

 …と、言うことはまさか、夢の再現か?

 だが、『目を閉じて』と言われることもなく、その、何も持っていない右手がふと挙がった。


「ほら」

「へ?」

「へ…じゃない。取れよ」


 差し出された右手。


「先輩?」

「俺の手、取れよ」


 東吾が真っ黒な瞳で陽司を見上げてきた。


「ど、どういうこと?」

 意味を把握できずに陽司は焦る。

 そして、そんな陽司に焦れたのか、東吾は差し出していた手を引っ込めた。


「…お前、いらないんだな…」

 拗ねた口調。

「せんぱ…」

「お返し、いらないんだな…」


 そう言って踵を返す。
 だが陽司は慌ててその手をつかみ…。


「先輩…。もしかして…」

 思いついた通りだとすると、とんでもない展開だ。

 それでもまだ、心のどこかで期待しない方が…などと言い聞かせている自分もいるのだが…。

 振り向かせてじっと見つめると、東吾は耳まで真っ赤になって、俯いた。そして、床に向かって呟く。


「わ、わかんないのかよっ。」

 …もしかして、やっぱり?

「首にリボンでもくっつけてなきゃ、わかんないのかよっ」

 …でも、絶対やらねーぞ、そんな恥ずかしいこと…と呟いて、東吾はさらに視線をおとす。


「もらっていいの? 俺に、くれるの?」

 先輩を、俺に。

「不満ならやらないっ」

 東吾だって、決死の覚悟が要ったのだ。ここで要らないと言われたら、多分、もう立ち直れないだろう。

 けれど、そんなことがあるはずはないのだ。


「不満なわけないだろっ、ずっとずっと、欲しかったのにっ」

 そう、なにしろ夢にまでうなされていたのだから。

「先輩だけが、欲しかったのに…」

 言葉と同時に深く抱き込まれた。


 …ああ、やっぱりここは、暖かい…。


 東吾は目を閉じた。



 それから、どれくらいの間、そうしていただろう。
 ふいに東吾を抱きしめる力が緩む。

 やっぱり、二人の間に隙間が出来るととても寂しくて…。

 だが、頭上から振ってきたのは東吾を赤面させるような陽司のセリフだった。

「…ええと、キス、していい?」

 怖ず怖ずとしたその問いかけに、東吾は内心で『バカ』と呟く。

 そんなこと聞かないで欲しい。

 ただでさえ恥ずかしいのだから、そんなことぐらい聞かずにやっちゃえよ…と思う。

 だいたい年末のアレはいったいなんだ。

 あの時は、こっちが泣き出すまで好き勝手やったクセに。


 けれど、あの日があったから、その後の陽司は異常に慎重になってしまったのだろうと言うことも簡単に想像はつく。

 きっと陽司は、自分が『うん』と言わない限り、何もしない…いや、できないのだろう。

 だから…。


「…ん」

 目眩がしそうなほど恥ずかしいけれど、意を決して小さく頷いた。

 途端に息が出来なくなるほど抱きしめられる。


「…東吾…」


 それは、もう一度聞きたいと思っていた、胸が痛くなるほど切ない陽司からの呼びかけ。

 そして、それを呟いた唇は、東吾の額に触れ、耳朶を擽り、頬を滑ってやって来た。

「…ん…っ」

 軽く触れあっただけなのに、声が漏れてしまう。

 身体はもうすでに、熱い…。

 そのまま、押しつぶされそうな勢いで机の上に組み伏せられ、東吾が酸欠でギブアップするまで、熱くて深くて長いキスは繰り返された。



                    ☆ .。.:*・゜



「でも、どうして急に?」

 漸く東吾の呼吸が正常に戻ってから…。

 とっても、とても、幸せだけれど、東吾の心境の変化はぜひ聞いておきたい。いや、聞いておかねばならない。

 あれ以来触れようとしなかったのは、自分の勝手な『けじめ』ではあるけれど、東吾だってまったく『そんな気配』をみせてはこなかったのだから。


 机の上から東吾を抱き起こし、座らせると、陽司も東吾に並ぶようにして机に腰をかけた。

 ギュッと肩を抱き寄せると、東吾は自然な仕草で陽司の肩に頭を預けてくる。


「俺、気づいたんだ。お前と一緒にいられるのは、あと1年しかないんだって。 それなら、この1年、お前の事忘れないように、いっぱい思い出つくっておこうってさ…」

 切ない声で東吾が告げる。

 だが。

「なんだよ、それ…」

 思いもかけず、低く不機嫌な声を発した陽司に、東吾は驚いて預けていた頭を上げた。


「早坂?」
「あと1年ってなんだよっ!」

 両肩を掴まれて、激しく揺すられる。

「え…、だって俺はあと1年で卒業で…」

 どうやら陽司は怒っているようなのだが、東吾にはその原因が思い当たらない。

「だから何だってんだよっ。 『あと1年』じゃないだろっ、『たった1年』だろっ」

「は…早坂…何言って…」

「先輩が卒業して、たった1年! たった1年を我慢すればいいだけなんじゃないのかっ?!」

「どういう…」

 陽司の怒りが理解できない。『たった1年』とはどういう意味なのか。


「1年経てば、俺も卒業して、先輩を追いかける」

 急に落ち着いた声になって、陽司はそう言った。


「早坂…」

 東吾は目を見開いた。どうやら驚きのあまり、瞬きも忘れているようだ。


「どこまでも、追いかける。先輩、さっき『俺をやる』って言ったよな。もう俺のもんだっ。逃げようたってそうはいくもんかっ。絶対離さないんだからなっ」

 言葉の意味通りにきつく、自分よりかなり小さな身体を拘束する。

「今だけ楽しけりゃそれでいいなんて関係、俺はいらない。そんな関係が欲しいくらいで、誰がこんなに追っかけるもんか!」

 離れている1年なんて、怖くない。声をかけることすら禁じられた、あの1年に比べたら、何でもない。

 だって、この想いはすでに、深く、通じ合ったのだから。


「一生離さないために追いかけたんだ…」




 東吾の腕がおずおずと伸ばされ、そして、そっと陽司の背に触れた。

 いつの時も、思いが強いのは自分の方だと思っていた。

 自分の方がたくさんたくさん『好き』なのだと。

 けれど東吾は漸く気がついた。

 こんなにも深く、激しく、愛されていたのだ…と。


「…ようじ…」

 精一杯気持ちを込めて、初めてその名を呼んでみた。
 瞬間に、折れそうなほど抱きしめられた。

「…好き…だ」

 その言葉は自然に口をついて出た。

 不思議と恥ずかしさはなくなっていた。

 それはきっと、ずっと言いたかった言葉だから…なのだと思う。

 やがて抱きしめられた首筋に、暖かいものが伝った。

 陽司が静かに…泣いていた。

 そして東吾は初めて、その身体を強く、抱きしめ返した。



                   ☆ .。.:*・゜



 翌々日、16日は快晴だった。

 東吾は今日から修学旅行に出かける。

 空港まで向かうバスはすでに正門前に待機していて、点呼前の校庭は、当事者である2年生と見送る在校生でごった返している。


「東吾、気をつけてな」

 まだ全然慣れないけれど、こうして名前を呼ばれるのは……嬉しい。

 うん…と小さく頷いてから、東吾は陽司を見上げて、ニコッと笑った。

「なあ、俺、実家に帰ったら連絡するから、今度はうちへ泊まりに来いよ」


 …ま、マジ?


 天にも昇るお誘いを受けて、陽司の頬がこれ以上ないほど緩む。

「うん、絶対いく。連絡、待ってるから」

 その言葉に東吾がふわっと笑ったとき、点呼の声がかかった。

「じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」

 照れくさそうに小さく手を振って、東吾は同級生たちの輪に戻っていった。




 そして、1週間後。

 陽司の自宅のベッドの上で、長期休暇の時だけ使う携帯電話が着信を告げる。


『あ、…陽司? 俺。 うん、帰ってきたよ……ただいま』


END

…と、おもいきや。


次回テニス部! は?

え? 終わりじゃないの?!

ええ、もう一つあるんです( ̄ー ̄)
これがホントの最終回! 【秘密の春休み】の巻〜v

すっかりバカップルになりさがった二人の
お初物語をお楽しみに(笑)

秘密の春休みへ

君の愛を奏でて〜目次へ* *テニス部!目次へ*
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