秘密の春休み
【前編】
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東吾が修学旅行から戻った翌日・午前。 陽司は東吾の元へと向かうため、電車に揺られていた。 本当は昨日のうちにでも飛んで行きたかったのだが、東吾も疲れているだろうし、何よりいきなり家族の団らんに乱入するのも悪いかと思い、陽司は一晩だけグッと耐えた。 そして、いつもより長く感じた夜を越えて、午前もかなり早い時間にうちを出た。 電車を二回乗り変えて向かう駅には、東吾が迎えに来てくれているはずで。 2回目の乗り換えのあと――つまり3本目の電車に乗る頃には、車窓を流れる風景が随分と変わり始める。 その風景に、そう言えば東吾の住所はかなり都心だな…と今さらながらに思い至る。 少なくとも住宅街ではない。 多分、商業地域だ。しかもかなりの。 ほんと、俺って東吾の家のことなんにも知らないよな…。 改めてそう思う。 陽司が東吾の家庭の情報で知っていることと言えば、両親がともに仕事を持っている…というくらいのものだ。 もちろん大好きな人の家庭の情報というのは当然気になることで、陽司も情報収集にはかなり努力してみたのだ。 テニス部での東吾の片腕――高等部でも副部長になった尾崎輝明にもそれとなく聞いてみた。 だが尾崎は『ええと、そういえば聞いたことないなぁ』といって、視線を泳がせたのだ。 絶対嘘だ。どうせ嘘をつくならもうちょっと言いようもあるだろうにと思ったのだが、そもそも東吾と気が合うだけのことはあって、『腹芸』などとは無縁の人なのだ。 そして、言わないとなったら頑として口を割らない真面目一徹タイプで…。 仕方がないから諦めた。 中2で同じクラスになって以来の仲良しだという、生徒会副会長の横山大貴にも聞いてみた。 やっぱり『え? そう言えば知らないなあ』と言われたのだが、こちらは本当に知らなさそうだった。 この人も『腹芸』なんて絶対不可能なタイプだから、これはこれで信用していいのだろう。 で、いろいろと嗅ぎ回ったのだが、結局誰も知らないのだ。 最終手段で――頼りたくはなかったのだが――守に聞いてみたのだが、『そう言う情報は本人から聴く方がいいと思うぜ』と言われておしまいになった。 ちなみに「ダメもと」でちらっと自分の担任にも聞いてみたのだが――東吾は中2の時に担任だったはずだから――『ああ、案外話のわかるお父さんだったな』としか教えてくれなかった。教師には守秘義務があるらしい。 まあ、担任はともかく、どうして東吾の周囲の人間が――あんなに人気者なのに――誰も知らない…もしくは教えてくれないのか。 もしかして…ヤバイ商売? いや、それならそれで構わない。 東吾と自分の間には、関係のないことだから。 ☆ .。.:*・゜ 約束通り、駅の改札まで東吾が来てくれていた。 迎えてくれる笑顔は、ホワイトデーのあの日以来、一段と鮮やかになっていて。 修学旅行でのあれこれを聞きながら、二人でゆっくりと歩く道のり。 それは予想していた通り、都心の道で、行き交う人間はビジネスマンやOL、買い物客…と言った感じだ。 自分の実家とは随分環境が違う。 当然一戸建ての家などどこにもない。 立ち並ぶのはビルばかり。 ということは、東吾の自宅はマンションということか。 そして、10分ほど歩いた頃、大通りから一筋裏道へ回って……着いた先はマンションではなく――どうやら裏側のようなのだが――普通のビルだった。 しかも出入り口はとても小さい。 けれど…。 まるで『会社の通用口』のような味も素っ気もないその出入り口に、常駐らしい管理人がいて、しかも警備会社の制服をきたガタイのいい…しかも目つきの鋭いオニーサンまで立っている。 これでは用もないのに立ち入ることなど不可能だろう。 かなり気合いの入ったセキュリティだ。 もしかして、やっぱりヤバイ仕事…? ついついコソッとあたりを伺ってしまう陽司だが、東吾はお構いなしに、管理人に『ただいま』と笑顔を見せて通っていく。 そして管理人はと言えば、『お帰りなさい、東吾さん』と言うではないか。 おまけに陽司に向かって『いらっしゃい』ときた。 「あ、どうも、お邪魔します」 って、…ここで言う台詞じゃねえか…。 そう思ってみるが、『いらっしゃい』といわれたのだから、まあ、返事としては妥当だろう。 東吾も当たり前のような顔をしているし。 しかし、東吾は確か年末には『一人で不用心だから』とか言ってなかっただろうか? この管理体制で不用心ならどこへ住めばいいというのだ。 …もしかして、『一人で寂しいから』…の間違いだったのかな? 東吾ならありそうだけど。 『寂しい』とは言えなくて、『不用心』と言ってしまうことも。 そんなことをつらつらと考えながら東吾のあとをついていく。 入ってみれば、そこは外観から想像できる通り、なんの飾りっけもない小さな空間で、エレベーターが二基設置されているだけだ。 だが、その横にあるたくさんの郵便受けを見る限り…やっぱりマンションなのだろう。 そして、エレベーターに乗った東吾が押したボタンは最上階――12階だった。 「どうぞ」 エレベーターを降りると、目の前にドアが一つきり。 東吾はそこを当たり前のように開けて、陽司を中へと招いてくれる。 「あのさ、もしかして、この階全部、家?」 「そうだよ。ついでに下のフロアも俺んちだから、気兼ねいらないよ」 そ、そうなのかっ? そして最初に通されたのはとてつもなく広いリビングで、外観の素っ気なさからは想像もつかないほどお洒落で洗練されていて、しかも――ホームシアターまである…。 こんな物々しいほどのセキュリティを入れている、都心の一等地に建つマンションの最上部二つを独占だなんて、やっぱり『ヤのつく自由業』? ここは心の準備のために(?)聞いておこう。 そう意を決して、陽司は初めて東吾本人に聞いた。 「な、ええと、東吾のご両親ってなんの仕事してるんだ?」 できるだけさりげなく聞いてみたつもりなのだが…。 東吾はふと目を伏せた。だが、すぐに顔を上げてニコッと笑って…。 「自由業…だよ」 あああ。 …ってことは、やっぱり「ヤ」のつく…。 「でも、今日は帰ってこないんだ」 「え? 留守? そんなときに上がり込んでよかったのか?」 「うん、それは全然構わないって。ちゃんと両親には言ってあるし、二人とも明日には帰ってくるし、それに…」 東吾は陽司を見上げて嬉しそうに言った。 「ちゃんと紹介してくれって言われてるし」 紹介…というと、あれか。 『お父さん、お母さん。俺、この人と結婚するから』…ってヤツ! …いや、そんなはずはないのだが。 でも、とてもとても嬉しくて、 「じゃあ、俺は『息子さんを下さい』って言おうかな」 な〜んて言ってしまう。 途端に東吾は真っ赤に染め上がった。 「ななな、何言って…っ」 そんな東吾が可愛くて、ギュッと腕の中に抱き込む。 久しぶりの感触に、気持ちがふにゃんととろけていきそうだ。 おまけに東吾からも抱きしめ返してくれちゃって。 あまりの気持ちの良さに、暫くそのままの体勢で小さなキスを繰り返したりしていたのだが。 モゾッと東吾が動いた。 見下ろすと、東吾も見上げてくれているのだが…。 「…あのさ。うちの両親に会っても驚かないでくれよな」 …ごくっ。 …き、きたっ。 「う、うん。大丈夫だって」 ちょっと緊張してしまうとは思うけれど、愛する東吾の両親だから、大丈夫。 「東吾だって、うちの親見て驚いたろ?」 安心させるようにわざと片目をつぶって言ってみると、東吾は『確かに』と言いつつ、楽しげに笑った。 「でも驚いたのは最初だけだよ。ほんと、楽しくて優しいお父さんとお母さんで、俺、嬉しかった」 あの時のあれやこれやを思い出したのか、東吾はまた笑いを漏らす。 だが、ふと真顔になった。 「実は、今までにうちの両親に会わせることができたの、守と輝明だけなんだ。いろいろと事情があって…」 そして、語尾を濁す。 これは、決まり…かも。 きっと『組長』なお父さんに、『姐さん』なお母さん…。 …いや、絶対に驚かないぞ。 場合によっては、ホントに『息子さんを下さい』って言ってやるんだっ。 心の中で一人暴走しながらも、陽司は勝手に自己完結してそれなりに満足したようだ。 「心配するなって。何があったって東吾のこと、離したりしないから」 暴走ついでに熱烈に告白してみれば、照れ隠しの一発をお見舞いされた。 そのままリビングの大きなソファーにもつれ込んで、じゃれ合って…。 思いを通じ合わせてまだ1週間とちょっと。 この二人、早くもバカップルの様相を呈しているようだ。 ☆ .。.:*・゜ 広い家で、二人きりの夜がやってきた。 夕食は冷蔵庫にたくさん用意されていて――グラタンにハンバーグ、焼き魚に煮物、和え物、酢の物、色とりどりのサラダ、スープにデザートまである――温めればいいだけ…にしてあった。 「すごいな、これ。お母さんが作ってくのか?」 陽司のうちはそうだ。仕事で家を空けるとき、母は食事の準備をしっかりして出て行くから。 しかしそれにしては、この食卓には献立の脈絡がない。 豪華なのだがまるで持ち寄りパーティーのような品揃えだ。 「あ、ううん。これは、その…若い人たちがやってくれるんだ」 …わ、若い衆っ…。 いや誰も『衆』とは言ってないのだが。 うーん、『うちの東吾が欲しければ指の1本も詰めて誠意を見せてもらおうか』…なんてことになったらどうしよう。 ま、いいか、東吾と一緒にいるためなら、指の1本や2本。 陽司、気分はもうすっかり『仁義なき戦い』だ。 賑やかな食事のあと、迫力の大画面でゲームを楽しんで、ゆっくりとジャグジー風呂なんかに浸からせてもらって再びリビングに落ち着いた。 時刻はすでに、24時に近い。 でも、どちらからも『おやすみ』とは言い出さなくて…。 ふいに訪れる沈黙。 いっそのこと、このまま夜明かしでも構わない。 陽司はそう思う。 だって、せっかくこんなに側にいるのに、眠るために離れなきゃいけないなんて…。 それなら眠りたくなんかない。 だが、東吾はちらっと時計を見上げて、『もうこんな時間だな』と呟いた。 いや、今夜は寝かせないぞ。 もちろん、陽司のこの決意に邪な意味はない。今のところは。 ところが、次に東吾の口から出たのは、予想もしない言葉だった。 「あのさ、一応客間なんかもあるんだけど、せっかく来てくれたのに、わざわざ離れて寝ることもないし…」 そっ、それはもしかして、東吾も『寝るのはもったいない』と思ってくれてるってこと? だが本当の爆弾は次に降ってきた。 「よかったら、俺の部屋で一緒に寝る?」 え? えええええええええええええええええええええっ? 一緒にっ? 寝るっ? そそそ、それはまさか、夜のお誘い…っ?! ああ、カミサマ。俺、今日まで生きててよかったです…。 勝手に感動に打ち震えてる陽司。 だがその鼻先に、何故かいきなり東吾が『…わっ』と小さく叫んで手をあててきた。 しかもいつの間にかその手にはテッシュを引き抜いていて。 へ? テッシュの登場にはまだ早いんじゃ…。 な〜んて、ウルトラバカなことを思った瞬間…。 鼻の下に生ぬるい感触が…。 鼻先にあてられているテッシュがじんわりと濡れてくる。 しかも真っ赤に。 嘘だろ〜。 俺、情けなさ過ぎ…。 信じられない失態に肩を落とす陽司に、東吾は大笑いをしながら抱きついてきた。 「お前って、わかりやすいの〜」 そう、こんなに分かり易い性格をした陽司を相手に、自分は何年も悪あがきをしていたのだ。 今思えば、なんともったいないことをしたのだろうと思う。 けれど、陽司はこれからもずっと一緒にいてくれると言ったのだから、もう、終わったことを振り返るのはやめよう…とも思う。 「寝よう。…一緒に」 本当は、自分の部屋でゆっくり話しながら寝よう…というつもりだったのだけれど。 この言葉の意味を陽司が『そう』とったのなら、それでいい。 東吾が差しだした手を、陽司は強く握り、そして引き寄せた。 |