君の愛を奏でて〜外伝

歌の翼に〜番外編

2004年ハロウィン企画






19××.October


「ったく…。当たり前すぎてトトカルチョにもなりゃしねえ」

「ほんとだよな〜」


 引継の準備をしながら生徒会室でぼやくのは、役員改選を終え、晴れてお役ご免になった高等部旧生徒会の面々だ。


「ああ、翼の主演女優賞のことか? 仕方ないさ。ヤツは先生方に言わせると10年に一人の逸材らしいからな」

「そうそう。どの学年にもそれなりにアイドルはいるけれど、ああいう『全校的アイドル』はそうはいないって言うもんな」


 その『滅多にない逸材』と同じ学年になれたおかげで6年間の寮生活がかなり潤ったことは確かだと、ここにいる誰もが思う。


「まあ、いずれにしても翼の記録はこの先もそう簡単には破られないだろうさ」

「なんてったって『3年連続主演女優賞』受賞だもんな」

「本人は憮然としてたけどさ」

「あはは、発表された瞬間の翼の顔、最高だったよな」

「めっちゃ可愛かったよなあ」


 結局彼らのアイドルは、どんな顔をしてみせてもこの扱いだ。


「そういえば、あの瞬間の翼の顔、祥太郎先生が写真に撮ったらしいんだ」

「えっ、俺、それ欲しいっ」

「生徒会の役員交代記念にくれって頼んでみようか」

「あ、それいい〜」


 ちなみに彼らが所有する『アイドル松山翼』の写真はほとんどが写真部の隠し撮りだ。
 写真部の連中にしてみれば、潤ったのは彼らの寮生活だけでなく、懐も…といったところか。


「そうそう、その祥太郎先生だけどさ、来年あたり副院長…って噂だぜ」

「マジ? だって先生まだ30代だろっ?」

「おうよ。でさ、40になったら院長だって話しらしいんだ」

「すっげえ」

「なんでも院長が『次はどうしても館林くんに渡したい』って理事会でぶちあげたらしくてさ」

「センセ、あんな優しげな美人さんのクセに相当やり手だって噂だもんな」

「ま、今の院長も悪くねえけどさ、祥太郎先生が院長になったらもっと良くなりそうな気がするよな」

「だな〜」



                  ☆ .。.:*・゜



「やれやれ。役員改選で部長も交代したし。あとは受験に専念…だな」

「翼は第1志望変わらず…か?」

「もちろん。ちょっと英語が心配だけどな」

「でもさ、英語の補講、祥太郎先生だろ? じゃあ大丈夫だって」

「うん、俺もそう思うんだけどさ」


 ルームメイトとベッドに転がって交わす会話も、聖陵祭終了以降は『受験』の話に偏りがちだ。

 国公立や難関私立を狙う生徒たちは、当然春頃から受験体制には入っているのだが、それでも聖陵祭と生徒会選挙・各部役員改選が終わる10月というのは、彼ら3年生にとって大きな節目になるのである。


 そして、今夜も平和に会話が交わされている翼の部屋を訪れる者たちが…。


「おーい、翼〜! 今度の日曜、映画行かねえ?」

 ノックの返事を待つか待たないか…というタイミングで友人たちが乱入してくるのはいつものことだ。


「あのなぁ。俺たち受験生なんだぞ」

「だからじゃん。これからもう遊んでなんかいられないんだしさ、行こうって」


 ベッドに転がる翼にグッと迫ると、また別の友人がそれを押しのけて翼に顔を近づける。

「いや、翼。映画じゃなくて俺たちとディズニーランドに行こう」

「え〜? 野郎ばっかで?」

「ほ〜。ということは、翼にはディズニーランドに一緒に行ってくれる彼女がいるってのか?」

「…そ、それはいないけどさ…」

「なら決まりだな。今度の日曜はディズニーランドだ」

「おいっ、俺たちと映画に行こうって!」

「ちょっと待てよ、受験生らしく参考書を選びに行こうぜ、翼」

「こら、なに割り込んでるんだよっ。絶対ディズニー…」


 消灯間際の高校寮。翼を巡って夜毎果てしなく繰り広げられる「取り合い合戦」。

 そして、いつもこれを止めるのは翼本人ではなくて翼のルームメイトだ。


「いい加減にしろってっ」

 何故かと言えば…。

「お前たちも毎度ご苦労さんなこった」

 ルームメイトの勝ち誇った声に、訪問者たちはがっくりと肩を落とす。

「…おい、翼〜」


 そう、彼らのアイドルは、今夜も騒々しい中をいつの間にかすやすやと寝息を立てていたのであった。



                  ☆ .。.:*・゜



19××.March


 晴れやかに、雲一つない空。

 けれど、気温は例年になく冷え込んでいて、翼はブレザーの胸に卒業証書を抱え、くしゅん…と一つ、くしゃみをする。

「大丈夫か、翼」

「祥太郎先生!」


 その肩にふわっとスーツの上着を被せてくれたのは、中1と高1の2回、翼の担任を受け持っていた英語教師の館林祥太郎。

 この学院の第1期生でOB教師第1号でもある彼は、堅苦しそうなその名に似合わない優しげな面差しと柔らかい物言いで、生徒たちに絶大な人気を誇っている。

「せっかく6年間無遅刻無欠席で元気に過ごしてきたんだ。卒業するなり風邪ひきはごめんだぞ」

 優しく頭を撫でられて、翼は『大丈夫です』と嬉しそうに笑う。

 そんな翼の表情を、まるでその瞳に焼き付けるかのようにしばし見つめた後、教師はまた、柔らかい口調で言った。


「翼、卒業おめでとう」

「祥太郎先生…。6年間本当にお世話になりました」

「翼がいなくなるなんて…。本当に寂しくなるな」

 言葉と同時に、視線がふと――本当に寂しげに――伏せられる。

「先生…」

 そんな教師の耳に、翼の思い詰めた声が届く。

「ん? なんだ? 翼」

「俺、ここに戻ってきたいんです!」

「…翼」

 一旦伏せられた瞳は、驚きに見開かれ…。

「俺、高等部に上がったころから考えてたんです。将来は、聖陵の先生になりたいな…って」


 将来の夢を語る教え子。
 教職に在るものにとってはこの上なく幸せな場面。

 しかも、翼は教師になりたい…この学校の教師になりたいと言ってくれたのだ。

「…そうか」

 見開かれていた瞳が嬉しげに細められる。

「待ってるよ、翼。だから4年間、大学でしっかり勉強しておいで」

「はい!」



                  ☆ .。.:*・゜



 そして、退寮の時がやってくる。


「翼、お前ここに戻ってきたいって?」

「うん」

 大きな荷物はすでに自宅に発送済みで、彼ら卒業生はここ数日使用していたものだけをまとめている。

 それでも生徒によってはかなり大きなボストンバッグを持っているのだが、翼のルームメイトもまた、あまり大きくない体に大容量のスポーツバッグをよいしょ…と担いで、呆れたように翼に言う。

「懲りてねえなー」

 翼は生活用品こそそう多くはないものの、愛用のラケットなど、テニス用品を詰め込んだスポーツバッグは結構な大きさになっている。

「え? 懲りるって? 楽しかったじゃん、6年間。お前は楽しくなかったのか?」

 バッグを担ぎながら小首を傾げる翼。
 そんな彼に、ルームメイトは「いいや」と首を振ってみせる。

「楽しかったよ。最高の学校生活だった」

「だろ〜?」

「あのさ、そうじゃなくて…」

「あ! ああ、聖陵祭な。だってあれは生徒だからあんな目にあうんじゃないか。教師になったらもう関係ないしさ、無責任に楽しめる立場になるんだぞ」


 喉元過ぎればなんとやら…。

 こんなのんきでお気楽な性格が、その容姿だけでなく、翼をアイドルにしている要因ではあったのだが。


 2年間、同室で生活を共にしてきたルームメイトは内心でこっそりため息をつく。


 ――翼…、聖陵祭の話じゃないって。 お前、もしかして、6年間狙われっぱなしだったことにマジで気がついてねえ? 戻ってきてから喰われてもしらねえからな、俺は。 ……って、やっぱ教師の方がまだマシか。同僚にだけ気を付けてればいいもんな。 それにいくら翼でも、大人になったらちょっとは用心深くなるだろ。うん。



 彼がこの認識が甘かったと知るのは、これから十数年先のことである。



                    ☆ .。.:*・゜



19×× + About10years October 31



「Trick or treat」

「え?」

 かなり流暢な発音で翼に声を掛けたのは、担任をしているクラスの委員長・古田篤人だ。

「へえ、お前も一応年相応の高校生なんだな」

「どういう意味ですか?」

「だって、それって、ハロウィンの決まり文句だろ? お前って、こういうお祭り騒ぎには興味なさそうに見えるし…」

「そんなことありませんよ。俺も聖陵祭は思い切り楽しみましたし」

「………」


 篤人の言葉に、翼の脳裏に漸く忘れかけていたあの日の屈辱が、思い出したくもないのに鮮やかに蘇る。


「言っておくけどな、来年はごめんだぞ」

「来年のことは新生徒会の管轄ですから」


 さも、先日の聖陵祭は旧生徒会の管轄だから次年度のことは一切関知するところではありません…と言わんばかりの篤人に、翼は一瞬「あ、そうか」と納得しかかったのだが…。


「ちょっと待てっ。今度の生徒会って、会長はお前じゃないか!」

「ああ、そういえばそうでしたね」

 聖陵祭後に行われた生徒会選挙で、大方の期待を裏切ることなく、篤人は会長に選出されていたのだ。


「あ〜の〜な〜」

「そんなことより先生」

 頭から湯気を噴く翼などなんのその。

 篤人は切れ長の目で翼をジッと見つめ、もう一度言った。

「Trick or treat」

「…それって、お菓子をくれないと悪戯するぞ…とかって意味だよな」

「正解です」

「いっとくけど、ハロウィンを仕切ってるのは英語の先生方だからな。俺のとこに来てもお菓子なんてないぞ」

 翼にしたって、よもや篤人がお菓子目当てにやっているとは思えないのだけれど。

「ご心配なく」

 そんな翼に、篤人はニッコリと笑いかけた。
 ほんの一瞬かいま見せる年相応のその笑みに、つい目が釘付けになり、翼は慌てて視線をそらす。

 だが、篤人は翼の瞳をまたジッと捉える。


「先生が言ってくれればいいんです。『Trick or treat』ってね」

「俺が?」

「そうです」

「なんで俺が」

 いつもこの『大人な生徒』に振り回されている所為か、翼はつい拗ねたような口調になってしまう。
 けれど、やっぱり篤人はそんな翼をモノともしなくて…。


「いいから、言ってみて下さい」

「……『Trick or treat』」

 結局、なんだかんだ言いつつも、後先や裏表を考えずに素直に従ってしまうところが翼のいいところではあるのだが。


「はい。ではお菓子をあげましょう」

「なに〜?」

 なんで教師の自分が生徒からお菓子をもらわなきゃいけないんだ…と目を尖らせたものの。

「わっ、これっ」

 篤人の手にあるのは翼の大好物で、しかもご当地限定の超レアもの。

「好きでしょう? 先生」

「うんっ、大好きっ」

 グアム限定、ココナツプリッツを前に、子供のようにはしゃぐ翼を見つめ、篤人は目を細める。

「どうぞ、たくさん食べて下さい」

「え? ほんとにもらっていいのか?」

「もちろん」

「でもさ、これ、買うよ」

 教師の身で、生徒からものをもらうのは気が引ける。
 チョコや飴の一粒二粒ならともかく、出てきたのはココナツプリッツの巨大箱なのだ。


「それはお断りです。これはハロウィンの楽しい行事なんですから」

「え、でもさ…」

「その代わり、また問題集の解答を見て下さい」

「あ、うん、それはもちろんだけどさ…」

「さ、どうぞ」

「…じゃあ…ありがと」

 頬を染めて上目遣いに言われると、篤人の表情も知らず緩む。

「どういたしまして」

「な、古田。お前も食べない?」

「いえ、俺は…」

「いいのか? 美味しいのに〜」

「はい。先生に喜んでいただければそれで」


 篤人にまたしてもふわっと微笑まれ、その柔らかい眼差しに翼はまたしても目を奪われる。

 普段クールで売っているクセに、こんな微笑みは反則じゃないかと、ちらっと思わないでもないのだが…。


 ――先生の方がよっぽど美味しそうですよ…。


 な〜んて、篤人がその「微笑み」の下で考えていたなんて、もちろん翼には思いも寄らないことであった。


「ほんとにいらない?」

 またしても可愛く――まったく無自覚だが――尋ねてくる翼に、篤人は「ええ」と、また、それはそれは優しく微笑み返す。



 ――ご心配なく。俺は翼を美味しくいただきますから、ね。


END

2005.10.31再UP


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