君の愛を奏でて3

番外編

『Mallet & Bow』

〜6〜

七生くんの『聖陵祭・前編後編』を未読の方は、ぜひ七生くんからどうぞ〜。




 その日から凪は、元気を取り戻し始めた。

 どんな道を選んでも護ると言ってくれた貴宏の言葉は本当に嬉しかったし、今はそれを信じていたいと思っていて、開き直った…とまでは全然行かないけれど、それなりに自分の中で一旦整理はついたと感じている。

 けれど、じゃあ自分はいったいどんな道を選ぶんだという問題は厳然と横たわっていて、気持ちの一部はやっぱり宙ぶらりんのままだ。



 消灯点呼1時間前。

 七生は個人レッスンに行っていて、ひとりきりの部屋で課題に取り組んでいた凪は、手を止めて小さくため息をついた。

 成績は悪くない。
 だいたい10番台をキープしているし、落としても20番台だ。
 だからこのまま行けば、国立から私立難関校の辺りは十分狙える。

 けれど、これと言って行きたい大学もやりたいこともまだ全然見えていない。

 担任からは、焦らなくてもいいと言われているが…。


 ――浅井先生にも早坂先生にも、音大でなくていいのか…って聞かれたなあ…。

 もしかしたら、やっぱり音楽への未練はあるのかも知れない。

 でも、百歩譲って実力が追いついたとしても、絶対に自分の性格では演奏家になるのは無理だとわかっている。

 それだけは、誰に諭されても、説得されても変わらない。


 もう一度、今度はもう少し陰鬱なため息をついたところで、七生が帰ってきた。

「あ、おかえり〜」

「ただいま〜。はあ〜、今日もやっと終わった〜」

「お疲れさま。七生はいつもがんばるね」

 凪が漸くやっつけた課題を、七生はレッスンに行く前にすでに片付けていた。

 そんな七生の『正真正銘』の学力はやはり高く、いつも5番か6番につけていて、和真と競っていることが多い。

 そして、将来への目標をしっかりと持って、日々を忙しく有意義に過ごしている。

 そんな七生と暮らす毎日は、凪にとっても元気の素だ。


「七生はいつも元気印だけど、身体壊さないか心配だよ」

 掛けた声に、七生は笑って応える。

「俺は大丈夫だって。頑丈に出来てるからな。それより俺、凪がやっと元気になってくれて嬉しい」

「…七生…」


 凪がふさぎ込み始めていた頃、七生は頻繁に体調を気にしてくれていた。

 が、ある頃を境に、七生は何も聞いてこなくなった。
 ただ、いつものように明るく元気に接してくれるだけで。

 凪は、その意味を今漸く悟った。
 七生は黙って、見守ってくれていたのだと。


「…ごめん…心配かけて…」

「ん〜確かに心配だったんだけど、俺だって、黙って心配するだけで何にも出来なかったから、役に立てなくてごめん…だな」

 まさか心配をかけていた七生に謝られてしまうとは思ってもいなくて、凪は慌てた。

「そんなっ、七生がごめんなんて言っちゃダメだって!」

 けれど、七生はケロッとした表情のまま返してくる。

「だって俺、凪の親友だし? 役に立ちたいじゃん」

 言って、七生は凪の頭をくちゃっとかき混ぜた。

「俺、ここへ来て凪に出会って、親友になりたいと思ったのは、凪のど真ん中に在るものに惚れたからなんだと思うんだ」

「七生…」

「あ、人として…な」

 けらけらっと笑って、そしてふと真顔になった。

「だから、俺は凪のことならなんでも受け止められるって自信あるんだ」

 七生の言葉に、凪は身体の奥がきゅうっと縮まった。

 もしかして七生に『知られてしまった』のではないかと言う、恐れていた事態の予感に。


「ま、相談相手としてどこまで頼りになるかは俺も自信ねえけどさ、でも、親友ってさ、一緒悩むのもアリじゃねえかな〜なんてさ」

「ななお…」

 青ざめていく凪に、七生はそれでも努めて冷静に言葉を継いだ。

「んー、まあ確かに俺の恋愛対象は女の子だけどさ、だからって、そうじゃないヤツを否定する材料にはならないと思うんだけどな。ま、自分の恋愛観を押し付けるようなヤツは絶対モテねえって」

 あははと笑い飛ばす様子に、凪はどんな顔をしていいかわからなくなった。

 間違いなく、七生は知っているのだ。自分が誰に恋しているのかを。


 身動きが取れなくなった凪の前に、七生が腰を下ろした。

「俺さあ、ここを受験する時、すっげえ悩んだんだ」

 穏やかな顔で自分の話を始めた七生を、凪はおずおずと見る。

「あんまりにもハードル高くてさ、ちょっと諦め入ってた。 でもな、やらずに諦めるのは嫌だったんだ。 だってさ、受けてダメなら諦めつくけど、そうじゃなかったらさ、一生引きずるかも知れないじゃん。 『あの時受けてたら、通ったのかも知れないのに』って。 そんなのをずっと抱えて生きてくの、嫌だったんだ。 だからダメ元で受けた。 そりゃあ、必死でがんばったけど、この目で合格通知見るまでは、ずっと『ダメかも』って思い続けてた」


 その時の気持ちを思い出したのか、七生は少し照れくさそうに笑ってから、思わぬ力強い視線で凪を見つめてきた。

「受験と恋愛を一緒くたに語るのも、まあダサいとは思うけどさ、でも、凪もさ、諦めるのは最後にしとけよ。 もし最後に諦めなきゃいけないことになったら、俺が全力で慰めてやっからさ、ともかく頑張ってみろって」

 凪が目をみはった。
 諦めようとしていたことまでバレてしまっているとは思わなかったから。


 けれど、続く七生の言葉は、凪の気持ちを大きく揺さぶった。

「自分が先輩のこと好きだって気持ちを信じろって。 好かれてるって事に自信がないんだったら、自分の想いには自信もてばいいじゃん。 だって、凪の気持ちは凪のもんだろ? 他の誰にも、邪魔されることねぇんだから」

 それは、思いもよらない発想の転換だったから、七生がどうして、いつの間にここまで知っていたのかという疑問も、彼方に飛んでしまった。

「凪だって男子じゃん。オトコなら、愛されるより愛すればいいじゃん」
「七生…」

 想われなくなる日が来ることに怯えるばかりで、自分の想いにまで蓋をしていたなんて。

 こんなにも苦しかったのは、もしかしたら、自分の気持ちまでも黙殺していたからかも知れない。


「って、あはは、コンバスが恋人の俺に言われたくないか」

「…七生、ありがと…」

 ボロボロと大粒の涙を零し始めた凪に、七生は大いに慌てた。

「わああ、凪っ、泣かないでくれ〜!俺、先輩に殺される〜!」


 その言葉で凪は、七生の情報源が貴宏であることを悟る。

 けれど、どういういきさつでそうなったのかは、今は聞かないでおこうと思った。

 いつか知る日がくれば、それでいい…と。

 きっと、自分が誰かに聞いて欲しかったのと同じように、貴宏も悩んでいたのかも知れないと、今はわかるから。 

 そしてその日から、凪と七生の絆が一層強くなったのは、言うまでもない。


                     ☆★☆


 けれどやっぱり、凪は進路に悩んでいた。

 貴宏との関係は、あれから順調に――相変わらずゆっくりだが――進んでいた。

 キスが少し深くなり、抱きしめてくれる腕の力は強くなっていたが、凪は相変わらず翻弄されるばかり。

 気持ちはあるけれど、身体がついて行かないのか、それともその逆なのか。

 自分でもよくわからなくて、狼狽えるばかりだが、貴宏が我慢をしてくれていることだけは、漸く解るようになった。

 ただ、解るようになっただけ、だが。



                    ☆ .。.:*・゜



 晩秋が初冬の空気に変わりつつある頃。

 貴宏が同級生7人と共に、音大の推薦入試に合格した。

 8人ともに、『合格して当然』という状況ではあったけれど、やはり実際に合格通知を手にするのは喜ばしいもので、凪も合格を喜んだのだが、容赦なく進む時間の先にある『卒業』がどうしてもチラついて、心の隅っこがいつも落ち着かない。

 貴宏もあれ以降、凪の進路についてあれこれ言わなくなった。
 ただ、『ゆっくり自分のやりたいことを探せばいいから』とは言ってくれるのだが。



 そして、すでに楽譜が配られていた曲を、渉をソリストに据えたコンチェルトに曲を差し替えると言う前代未聞の展開になった定演の準備に忙しくなり始めたある日、凪は祐介に呼ばれて音楽準備室へ行った。


「川北、ピアノのレッスンを始めてみないか?」

 祐介が口にしたのは意外な言葉だった。
 そして、大きな封筒をひとつ、差し出した。

「中を見てごらん」

 驚いて目を見開いていた凪が、言われてごそごそと取り出したそれは、大学案内だった。

「先生…これ…」

 思わず顔を見れば、穏やかに頷かれ、凪はページをめくった。


 凪には、人を癒すという能力が生まれつき備わっているかのような暖かさがあると、祐介は常々感じていた。

 そして、音楽と言う道を捨てきれないでいることもわかっていたから。


 食い入るように大学案内を読み、凪はまた、祐介を見つめる。

「来年の春、新設される学科なんだ。 目指してみないか? お前にはぴったりだと思うんだけどな。 ただし、実技にピアノが必要だ。 確かお前は中学に入るまでやっていたはずだから、今からきちんとレッスンを受ければ十分間に合うと思う。 チェロで受験できれば言うことないんだが、残念ながら、実技はピアノだけなんだ。 ただ、チェロが弾けるのは、将来的に大きな強みにはなるけれどな」

「…先生…」

「お前がやる気になったら、ご両親の説得は引き受けるから心配しなくていい」

 霞んでいた視界が急に晴れたような気がした。

「あの…」

「ん?」

「ありがとうございます。しっかり、考えてみたいと思います」

 聞いたことはあるけれど、何も知らない未知の分野。
 でも、今確かに心は動いた。

 いつになく、引き締まった表情で告げる凪に、祐介は笑顔で応えた。



 それから凪は、定演前で忙しさを増している部活の合間を縫って、図書室やパソコンルームに足繁く通い情報を集めた。

 貴宏も理玖も七生も、凪が何かに一生懸命になっていることに気づいていたが、いつもの凪らしい、静かな一途さが現れた良い顔をしていたから、黙って見守ることにした。


                    ☆★☆


 渉をソリストに据えた定演は、準備期間が短かったにも関わらず、高い評価を得て大成功に終わった。

 舞台袖では少し一緒にいられたが――渉の前でキスされてしまって飛び上がったが――その後の打ち上げでは、貴宏はずっと大勢に囲まれていて、凪は遠くからその姿を眺めるだけだった。

 けれど、少し前まで感じていた虚脱感に満ちた寂しさや、焦げ付きそうな諦めは、不思議となかった。

 何か別の、もっと大切なものが身体の中に芽生えているような気がしていて、それを大事に育てて行きたいと思えるようになっている。


「なんかさ、覚悟ついたって顔だな」

 七生が凪の耳元にこっそり囁いた。

「まだまだ。 覚悟ってよりも『諦めるのは今度にしよう』…って、先送りできる図太さがついただけだよ」

「それも覚悟っていうんじゃね?」

 七生が嬉しそうに笑う。

 昨晩、目指す進路を七生に打ち明けた。

 七生は同じ大学を目指せるようになったことに、踊り出さんばかりに喜んでくれて、理玖には今朝、リハーサル前の舞台裏で報告したら、抱きしめて『良かった…』と言ってくれた。

 その声が少し涙ぐんているように聞こえて少し慌てたけれど。


 そして今夜、貴宏にも報告しようと思っている。

 七生はこの後帰省する。
 貴宏の同室者も帰省する。

 貴宏は今日中に帰省することはもちろん可能だが、遠方帰省組の理玖や同級生たちと個人的打ち上げを今夜することになっていて、帰省を明日の午後にした。

 凪はいつもならすぐに帰省するのだけれど、『今夜は帰らないでくれないか』と貴宏に言われたから、明日にすることにした。

 その事について、両親――特に母親――には、何かあるのかとかなりしつこく聞かれて困ったのだが、理玖が電話に出て、『凪くんにお手伝いいただきたいことがありまして、1日お借りしてもよろしいでしょうか』と言ってくれたら、あっという間にケリがついた。

 実力もルックスも抜群の管弦楽部長は、母親受けも抜群なのだ。

 凪の母はいつも言っている。
『オーボエの2人は本当に奇跡の美しさよねえ』と。

 父は『本人はイヤだと思ってるんじゃないか?』…なんて言っていたけれど、2人とも中身がかなり男前なことはみんなが知っているから、外見はもはや付加価値に過ぎないと、多くの仲間が思っている。
 ただ、ネタにはもってこいだが。

 ともかく理玖のおかげで1日延長が可能になったのだが、そのことについて理玖が『大変なことに荷担しちゃったかも〜。凪のお母さん、ごめんなさい〜!』…なんて、内心で懺悔していたことを、凪は知らない。



                    ☆★☆



「えっ、遠山と理玖はもう知ってるのか?」

 進路について打ち明けると、貴宏は驚き、そして『こんなに嬉しいことはない』と感極まった様子で凪を抱きしめた。

 そして、七生と理玖にはすでに報告したと告げると、貴宏はこれまた驚いて、そして拗ねてしまったのだ。

 理由は単純明快。『最初』でなかったから…だ。

 凪も、よもや貴宏が拗ねるとは思わなくて、おろおろと言い訳を始めた。

「でも、先輩と落ち着いて話すためには、先に七生と理玖先輩に聞いてもらった方が…って思って」

 どう言う経緯でこうなったとか、自分なりに情報を集めて考えた結果を正しく伝えるために、手順を踏んだに過ぎないのだ。凪的には。

 けれど…。

「そうか!遠山と理玖でリハーサルしたってことだな」

 なんて、嬉しそうに笑われてはもう、『はい、そうです』と言っておいた方が無難なのは身に沁みている。

 ただ、両親の説得はこれからだ。

 自分の意志を伝えた時に、顧問もそれはそれは喜んでくれて、約束通りに両親に話をすると言ってくれたのだが、凪は出来るだけ自分で説得出来るよう頑張って、それでもダメなら力を借りようと思っている。

 それも貴宏に伝えたら、『俺も力になりたいから、何でも相談してくれよ』と、これ以上ない真顔で迫られて、嬉しいやら、ちょっとコワいやら…だ。

 とにかく、諦めない。きっと、この道なら頑張れると確信したから。

 それにしても、貴宏にも理玖にも七生にもこんなに喜ばれてしまっては、絶対落ちるわけにはいかない。

 問題は、ピアノ。これが実は一番の不安要素だ。
 学科推薦も演奏専攻に比べると格段に偏差値が高くなるが、凪の成績なら問題はない。

「ただ、ピアノが間に合うのかどうか、それが心配で…」

 ポロッと漏らせば、貴宏も『それな…』とため息をついた。

「俺もピアノには手こずったぞ。10本の指をバラバラに動かすなんて芸当、人間のやることじゃないって」

「あのー」

「ん?」

「両手で6本のマレット扱ってマリンバ演奏出来るのに?」

 凪としては、ピアノより、片手に3本ずつマレットを持って演奏する方が驚異だ。

「あんなの、たかが6本じゃないか」

 ニコッと笑って当たり前のように言うが、この人は凄いプレイヤーなのだ。
 在校中でもコンクールを受けられるレベルだったのに――しかも受ければ1位は目に見えている――本人は『管弦楽部最優先』という姿勢を貫いた。

 もちろん練習量も半端なく、そんな色々のありとあらゆる面から、管弦楽部員の尊敬を集めていて、特に打楽器の面々は『里山教信者』といって差し支えない有様だ。
 だからこそ、貴宏の『卒業後』が懸念されているのだが。


「まあ、マレットも楽器によって持ち方が色々あって大変って言えばそうだけど、俺的には、弦楽器の弓の持ち方の方が凄いと思うな。あんな不安定な持ち方で、弦に圧力かけて弾くなんて考えられない」

 ずっと以前、まだつきあい始めたばかりの頃、凪の『こそ練』を見ていた貴宏が、『チェロに触ってみたい』と言いだして、構え方や弓の持ち方をざっくりと教えた事があるのだが、弦を押さえる左手はともかく、弓を持つ右手の不安定さに貴宏は早々に音を上げたのだ。

 てっきり握って弾いているのかと思ったら、5本の指の先だけで支えていて、グラグラの状態だったから。

「でも、慣れちゃうとあの持ち方でないと、手首が自由に動かなくて、ちゃんと弾けないんですよ」

「…そうなんだろうなあ。…ってことは、ピアノも結局は慣れ…だろうな。俺も試験で弾く曲は1年の終わりに先生に決めてもらって、とにかくそれに慣れることばかりに専念したからな」

 高1の終わりと言うことは、試験まで2年近くあるということで。

「…そんなに長い間同じ曲やって、飽きませんでした?」

「いや、飽きる所まで弾きこなせなかった…。ともかく合格ラインに持って行くことだけ考えたな。ピアノで落ちるとか、あり得ないし」

「…ですよね」

 専攻以外で落ちるなんて、まさに『あり得ない』ことだ。

「まあ、結果オーライだったし、今後ピアノ触れることもそうはないだろうから、いい経験だったってことさ」 


『やったことはすべて糧になる。だから手を抜くな』


 入学した時に言われた顧問のこの言葉は、凪の中にずっと在って、凪の支えになっている。

 そして貴宏もまた、得意なことも苦手なことも、全部自分の糧にしてきたのだと、凪はなんだか嬉しくなる。

「でも、凪は中学に入るまでピアノ習ってたんだろう?」

「ええと、まあ、一応…ですけど」

「そこまでの基礎があるのとないのじゃ大違いだって。それに先生が間に合うって言うんだから、大丈夫さ」

 キュッと抱きしめてそう言われると、なんだか大丈夫な気がしてきた。

 この前まで、こんな風には考えられなかったのに。

 そして、こんなに大学へのあれこれを話したことも今までなかった。

 できることなら、こうしてひとつずつ階段を上がるように、貴宏との関係を確実に繋いでいければいいなあ…と凪は考える。

 それだけでも、今までにはあり得なかったほどの前進だろう。

 そしてそれは支えてくれた理玖や、七生や渉のおかげで、何よりもずっと辛抱強く待っていてくれた貴宏の愛情の深さなのだと、漸く理解できるようになってきた。


「さて。シャワー浴びようかな」

 貴宏が立ち上がった。

「あ、じゃあ僕戻ります」
「は?」
「え?」

 立ち上がりかけた凪の腕を掴んで、貴宏は海よりも深いため息をついた。

「あのさ、凪」
「はい」

「俺、凪は今夜ここへお泊まりのつもりなんだけど」
「…ええと、はい」

 もちろん凪もそのつもりだった。
 一晩中話が出来ると思って、かなり浮かれていた。

「じゃ、なんで戻るわけ?」
「ええと、シャワー…」

 それなら取りあえず、自分も部屋に戻ってシャワーしてこようかなと、考えただけだ。それ以外に何もない。

「戻ってシャワーして、またここへ来る?」
「あ、はい。先輩さえ良ければ」

 真顔で言う凪に、貴宏も真顔で言った。

「ここにもシャワーあるぞ」

 それは確かにそうだけど。

「えと、でも先輩が入ってる間に僕も部屋でシャワーしてきたら、時間の無駄がないと言うか…」

 そう、ここでひとりでぼんやり待つ事はない…と、極めて合理的提案のはずなのだが。

「じゃあさ、凪」
「はい」
「一緒に浴びたらもっと時間の無駄はないぞ。しかも節水にもなる」

 なるほど、確かに節水にはなるな…と、凪は思った。

 …のだが。

「…え?」

 その前にとんでもないことを言われた気がする。

  ――いっしょに? シャワー?


「えええええっ」

 飛び上がらんばかりの凪を、貴宏は笑いながら抱き留めた。

「そんなに驚かなくたって」

 楽しそうに言われてしまい、凪はもう、どんな反応をしていいのかわからない。

 いくら鈍くてももうわかる。貴宏が何を求めているのかを。


「…や、ごめんな。俺だって急ぎたくはないんだけどな、でも今までも相当耐えてきたし、そろそろ良いかなあとか、も、いい加減限界って言うか…」

 だが言っている内容の割には落ち着いた声で、凪は腕の中から貴宏を見上げた。 

 その視線を受けて、貴宏は少し苦笑いをして、ひとつ咳払いをした。

「いや、言い訳はヤメだ。正直に言うよ」

 そして、ギュッと抱きしめる。

「不安なんだ。凪との確かな繋がりが欲しい。そうでないと、俺、凪を置いて卒業なんてできない…」

 離れることへの不安をはっきりと口にして、『凪が欲しい…』と、貴宏は呟いた。

「もちろん身体だけで繋ぎ留められるなんて思ってない。でも、ひとつでもたくさんの繋がりが欲しいんだ。本当は『凪は俺のものだ!』って、学校中に宣言してから卒業したいくらいなんだけど…」

 それは凪が嫌がるに違いないと言うこともよくわかっている。

 案の定、凪は青くなった。

「せ、先輩、それは…」
「大丈夫。凪の嫌がることはしないから」

 ポンポンと背中をあやすように叩いて優しく言われて、凪はたまらなくなって思わず貴宏のしっかりとした身体にしがみついた。

「凪…っ」

 初めて抱き返してきた凪に、貴宏は目を見開き、やがて天を仰いで少々艶めかしい息をついた。

 やっとここまで来たのだと。

 そして凪は、自分が離れることに不安を覚えていたのと同じように、貴宏もまた、離れる事への不安を抱えていたなんて思いもよらなかったと、貴宏の胸に顔を埋めて零れそうになる涙を堪えた。

 自分がとんでもない視野狭窄に陥っていたのだと、改めて思い知る。

 自分のことしか考えていなかった。

 こんな身勝手な自分を、貴宏は見捨てることなく想い続けてくれた。

 きっと、もう迷うことも悩むこともない。
 大切で大好きなこの人に、ついて行こうと思った。


「先輩…」
「凪…」
「僕も、先輩と離れてしまうことが怖くて怖くて、その怖さからずっと逃げようとして、諦めた方が楽だって、勝手なこと考えて…」

 貴宏は、言葉に詰まった凪の頭を優しく撫でて笑った。

「凪が諦めても、俺が諦めないから大丈夫」

 見つめ合った後、引き寄せられるように唇が重なって、今までになく、深く深く結びついた。



                     ☆★☆



「なあ、凪」
「はい」

 ベッドの中、腕枕の気持ち良さに、ついウトウトしそうになるのを凪は頑張って堪えていた。

 この時間がもったいなくて、寝てしまいたくないから。


「そろそろ先輩って呼ぶの、やめないか?」

 深刻な顔で何を言うのかと思えば、それはちょっとした貴宏の願望で。

「ダメですってば。卒業するまでは我慢して下さい」

 言われてちびっ子のように口を尖らせて、貴宏は不満をたれた。

「…あとたったの3ヶ月じゃないか…」

 それくらい大目に見てくれたって…と、続けようとしたら。

「え?違いますよ。僕がここを卒業するまでですってば」
「え〜!どうしてだよっ」

 有り得ないっ、と目を見開く貴宏に、凪はにっこり微笑んだ。 

「だって先輩、指導OBになるでしょ? だから、まだまだ先輩後輩です」

 凪の言葉に貴宏が抗議しようと口を開く前に、凪はまた柔らかく笑って言った。

「あ、でも僕が頑張って大学入れたら、そこでも先輩後輩ですね」
「えーっ!ウソだろっ!」

 そんな悪いこと言う子にはお仕置きだと、のし掛かってくる温かくてしっかりとした身体に翻弄されながら、凪は恥ずかしさと気持ち良さの狭間でぼんやりと、『ホントについてって大丈夫かな…』…なんて、幸せにまみれながら考えた。 


 
END

凪くんが何を目指しているかとか、2人のその後については、本編第2部でまた、渉が報告してくれますv
お楽しみにv


君の愛を奏でて 目次へ君の愛を奏でて2 目次へ**君の愛を奏でて3 目次へ
Novels Top
HOME