第8幕「Storm at early spring 〜春待ちの季節」
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1月7日。 明日から後期授業再開だから、昨日から始まってる入寮は今日がピーク。 僕も、グランマに送ってもらって、2時頃寮に入った。 和真は僕より少し早く帰って来てたみたい。 「風邪ひかなかった?」 「うん、大丈夫。和真は?」 「いっそ風邪でもひいたら寝てられたんだけどさあ」 「え?」 どういうことかなと思ったら。 「今年もこき使われまくり」 ああ、そうか。 「年末年始は、かきいれどきだもんねえ」 「そう言うこと」 はあ…とため息をついて、和真はもう一度僕に向き合う。 「じゃあ、渉は元気だったんだ?」 「…あ、うん」 身体は元気だった。風邪も引かなかったし。 「そう?」 和真は万事に察しがいい。 僕のちょっとした変化でもすぐに見抜いてしまう。 「うん」 「ならよかった」 にこっと笑ってくれたけど、またなんかぐるぐる考えてると思われてるかも。 ただ、今はぐるぐると言うよりも、3時と4時の約束に頭が行っちゃってる。 直也と桂に何を言われるのか。 予想はついてるんだけど…。 暫く他愛も無い話をしてたんだけど、3時になる10分ほど前に僕は並んで座っていたベッドから腰を上げた。 「あの、ちょっと約束があるんだ」 「え? ああ、そうなんだ。どこ行くの?」 誰と、とは聞かずに、どこへ?…とだけ和真が聞いてくる。 「えっと、ホール…練習室」 「ふうん…ホールの入り口まで送ってくよ」 「え、そんなの悪い…」 「何言ってんの。入寮でごった返しててややこしいよ。特に3年生のあたり」 ああ、そうか。ずっと、和真か直也か桂が一緒にいてくれたから、ここのところ少し怖さも薄らいでいるけれど、やっぱり知らない上級生は怖い。 「ね。送ってくから」 「うん、ごめんね」 「何言ってんの。それより、帰りもひとりで帰っちゃダメだよ。誰と約束してるか知らないけど、ちゃんと一緒に帰っておいでよ」 「…う、ん」 4時は、桂との約束…。 僕の返事次第では、それは無理になるかも知れないけれど…。 「さ、行こう」 和真は僕の手を引っ張って、先に歩き出した。 ☆★☆ 「ごめんな。呼び出したりして」 約束の少し前に『練習室8』に着いたけど、直也はもう来ていた。 「あ、ううん」 僕はそれっきり何も言えなくなる。 「座ろっか」 部屋の端にたたまれている椅子を出し、僕を座らせてくれてから、直也は正面に座った。 「あのさ。考えてくれた?」 …ああ、やっぱり…。 「う、ん」 僕なりに考えた。でも…。 「あの…直也…」 「ん?」 いつも僕を包んでくれるのは、甘くて優しい笑顔。 これをなくす日が来るなんて、考えられない…。 「あと…2週間だけ、待ってくれない?」 この期に及んで僕はまだ、結論を先延ばしにしようとしている。 ううん。多分結論は出てる。でも、伝えられないだけ…。 だから、いくら伸ばしても、苦しい時間が長くなるだけなのに。 直也は少しの間、考えたようだけど、またいつもの優しい笑顔に戻ってくれた。 「OK。2週間待つよ」 そう答えてくれたけど、またすぐに少し目を伏せた。 「ごめんな。振り回してばっかりで」 え? 「何言ってるの! そんなことないよ!」 振り回してるのは、僕じゃないか…。 「渉…」 直也は少し目を見開いたけど、嬉しそうに笑って僕をそっと抱きしめた。 「ありがと…」 耳元の小さなささやきに、僕はいたたまれない気分になる。 「桂、もう合奏室にいるよ。行く?」 僕の身体を離して、直也が言った。 やっぱり2人は示し合わせてるんだ。 それはそうだよね。 いつも2人は一緒にいて、僕なんかよりずっと前から、信頼し合う親友で…。 「…うん」 練習室8から第1合奏室まではフロアを1つ上がらなくてはいけない。 階段を上る間も、僕は何にも言えなくて、ああ、そういえば『ドナドナ』って歌あったなあ…なんて、現実逃避を計ろうとしていた。 でも、あっという間に合奏室についてしまった。 「帰りはちゃんと、桂と帰って来いよ」 直也…。 「うん」 こんな時でも僕を心配してくれるんだ…。 「じゃあ、行っておいで」 僕は合奏室に押し込まれた。 「渉」 そこには直也の言うとおり、桂の姿がもうあった。 約束の時間より、随分早いのに。 「ちゃんと直也に連れてきてもらったか?」 やっぱり桂も…。 「うん。ごめん…いつまでも心配かけて」 そう言うと、桂は僕の頭をギュッと胸に抱き寄せた。 「こら、何回言わせる気だ? 渉のことが大切で大切で仕方ないのは俺たちの方だって、言ってるだろ?」 不意に、目頭が熱くなった。 「渉?」 怪訝そうな桂の声。 「…ごめん…ちょっとだけ、待って」 これ以上話すと、泣いてしまいそうだった。 でも、僕が泣いていいはずなんかないんだ。 桂は何かを察したのか、何も言わずに暫くそのままでいてくれた。 「…大丈夫、か?」 僕を胸に抱き寄せたまま、小さな声で聞いてくれる桂。 ものすごく経ったような気もするし、瞬きひとつだったような気もする奇妙な時間の感覚の中で、僕は小さく『うん』と答えてから、顔をあげて桂をしっかりと見る。 そこにあるのは、少し唇を噛んで、いつもより固い表情。 でも、僕が目を逸らさないでいると、やがてふわっと笑ってくれた。 いつまでも、こんな風に笑っていて欲しい。 でもきっと、僕がいるとダメになる。 それはわかっているのに…。 「桂…」 「ん?」 「直也にも言ったんだ」 桂が少し、目を見開いた。 「あと、2週間だけ、待ってって」 「…渉…」 「桂も、あと2週間だけ、僕にくれない?」 その2週間で、僕は何を決めようとしているのか。 僕自身が自問自答している中で、こんなことを言うのは、逃げているだけ、なのに。 「…わかった。待つ…よ」 桂がちょっと無理をして笑ってくれる。 「ごめん…」 「バカ、謝るなって。悪いのは急かしてる俺たちだから」 「違うよ」 「渉…」 即答した僕に、桂は面食らったようだったんだけど…。 「絶対…違う」 悪いのは、僕だ。 「どうした? 渉…」 「…帰ろ…桂」 一緒に、帰ろう。そうしないと、和真が心配するから。 「…ああ」 僕たちはやっぱり無言のまま、音楽ホールを後にした。 和真は何事もなかったように、穏やかに『お帰り』って言って迎えてくれた。 ちゃんと一緒に帰ってきたよって報告したら、『偉い偉い』って頭まで撫でてくれちゃって。 でも最後まで、『誰と?』とは聞かなかった。 昨日から覚悟していた通りの結果になって、僕はまた眠れない。 この2週間でいったいどうしようというのか、自分でもわからない。 2人とも、どうして僕なんかに恋しちゃったんだろう。 他の誰かにしておいたら、もっと楽で、もっと楽しかっただろうに。 こんな面倒くさいヤツのいったいなにが良くて……。 あと2週間。 時間が僕を次第に追い詰めていった。 ☆ .。.:*・゜ 後期が再開して、部活も始まったんだけど、大きな行事は全部終わっていて、3月の学年末までですることと言えば、基礎練習と、中学生たちの指導。 特に、春から高等部に上がってくる中3の指導には各パート熱が入る。 僕も、中等部のチェロパートの練習を見る予定だったんだけど。 ある日、ゆうちゃんに呼ばれて僕は、音楽準備室へ行った。 「え? 指揮の勉強?」 ゆうちゃんが、指揮の勉強を始めようって言いだしたんだ。 「あ、ええと、僕が、だよね」 「他に誰がいる」 ゆうちゃんが笑う。 「去年何度か指揮台に上がって指導しただろう?」 「うん」 「あの延長を、ちょっとやってみないかって言うことだ」 確かにあの時間はなんだか楽器を弾いているときとは違った。 洪水のように押し寄せてくる音の渦を整理して、また別のうねりを作ることは、想像以上に楽しいことだった。 「僕に…できるの、かなあ」 「出来るか出来ないか、やってみればいい」 「…あ、うん」 「それにな、指揮を覚えて、助けて欲しいんだ、渉に」 「助ける?」 それは意外な言葉だった。 僕がいったい何の助けになるって言うんだろう。 「そう。高等部の合奏を一部受け持って欲しいなと思ってる」 「ええっ、そ、それは」 慌てる僕に、ゆうちゃんは構わず続けた。 「実はな、中等部の底上げに少し時間を取りたいんだ」 「ゆうちゃん、が?」 「そうだ。今の高等部はかなり安定している。次のオーディションでも、大きな入れ替わりは少ないと踏んでるんだ。だから今のうちに、中等部をもう少し鍛えておきたいなと思ってるんだ」 ゆうちゃんの言うことはもっともだった。僕もそんな気がしてたし。 それに…。こんな風に、部活のこれから…みたいなことを僕に話してくれたことが凄く嬉しくて。 「どう? 頑張ってみないか?」 「あ、うん。頑張ってみる」 頷く僕に、ゆうちゃんは嬉しそうに笑ってくれた。 それから僕は、週に3回、ゆうちゃんから指揮法を教えてもらうことになった。 理論と実践を同時に覚えていかなくてはならなくて、かなりハードだったけれど、僕は楽器のレッスンとは違う楽しさも覚えていった。 そして、2週間はあっという間だった。 |
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