第8幕「Storm at early spring 〜春待ちの季節」

【5】





 昼休みはあっという間だった。

 午後の授業に戻ってきて、和真は頭を抱えていた。

 渉の告白が重くのしかかっている。

 渉は和真の説得で、漸く話を始めた。
 それは想像もしなかったことだった。

 渉は言った。
 どちらも好きなのだと。

 ずっと2人に、側にいて欲しいと願ってしまったのだと。

 そして、2人共に『Yes』といえない以上、2人共に『No』と言うしかなかったと打ち明けた。

 渉が2人に想いを残したまま、苦渋の決断をしたことを知り、和真は渉を抱きしめて慰めた。


「辛かったね…渉…」

 そう言うと、渉もまた和真にしがみつき、堰を切ったように、声を上げて泣き出した。

 その、あまりに切ない泣き声に、華奢な身体の中にこんなに重いものを抱えていただなんて、もっと早く気づいてあげたかったと、痛切に感じた。

 それにしても。
 何とかしてやりたいのは山々だけれど、直也と桂がそれで納得するはずがない。

 しかし、このままでは、渉も、直也と桂もダメになるかもしれないと思った和真は、意を決した。

 全部ダメになるくらいなら、何もかも明らかにしておかないと、きっといつか必ず後悔する。

 知らずにダメになるくらいなら、知ってダメになる方がマシだ。

 2人と話をしよう。
 そう、決めた。


                    ☆★☆


「今って、時間ある?」

 夕食後、和真に呼び止められた直也と桂は、一も二もなく頷いた。

 罵倒されようが馬鹿にされようが、どうしても渉の様子が聞きたい。
 ずっと気になって、何も手につかなかったのだ。

 だが、410号室でベッドに向き合って座ってからも和真は何かを考え込んでいる風で、なかなか話を始めようとしない。

 こんな和真は初めてで、直也と桂はこれから始まるであろう話に、激しい不安を感じていた。

 まさか渉の身に、何かあったのではないだろうかと。


「あのさあ…。…どこから話そうか、ちょっと…」

 そしてまた、黙り込む。
 たまりかねて直也が口を開いた。

「渉の様子は、どうなんだ?」

「ああ、それね。ご想像の通り、キミたちが100年廊下に立ってりゃいいって話が原因で、今日は1日静養室にいた。 昨日の昼以降、何にも食べてないし、寝てないから、点滴受けてる。消灯点呼が終わったら、斎藤先生が連れてきてくれるはずだから」

「やっぱり…」

 桂が悔しそうに呟く。

 なんてことをしてしまったのだろうと、悔やんでも悔やみきれない。

 傷つけるつもりなんてこれっぽっちもなかった。
 いや、それどころか、大事に大事に護ってやりたいと、今でも切実に思っているのに。

 静かに落ち込んでいく2人を見て、和真はまたため息をついた。

「どうしたもんかなあ…」

 和真の、何故だかすっかり毒気が抜けている様子に、直也と桂は不審そうに顔をあげる。

「あのさ、今日、昼休みと放課後、ずっと渉と話をしてたんだ。で、ちょっと僕自身も整理がついてないから、わけわかんなくなるかも知れないけど、それでもいい? 聞きたい?」

「いい」
「もちろん」

 即答する2人に、和真は頷いた。

「じゃあ、まず…。最初に確認なんだけどさ、2人は渉のこと、今でも好きなわけ? 振られちゃったって聞いたけど」

「好きだよ」

 言い切った直也の隣で桂が頷いて続ける。

「受け入れてもらえなかったから、それで終わり…なんて半端な想いじゃないんだ」

「そっか…」

 和真が少し、肩の力を抜いた。

「あのさ…渉が『No』って言ったのは、『Yes』って言えなかったから…なんだ」

「え?」
「それって、どういう…」

「渉はね、本当は『Yes』って言いたかったんだよ」

 2人が共に絶句した。

「好きなんだ…って。ずっと一緒にいたいと願うほど、大好きなんだ…って。そう言ってた」

 顔を見合わせた直也と桂は、同時に同じことを思い出した。

 和真に言われたあの言葉…。


『渉はもっと怖がってるよ! お前らが恋なんかしたから、渉は大切な親友をどっちかひとり、なくすことになるんだ!』


「どちらかひとりを選ぶことができなかったんだ、渉は」

 静かに言葉を継いだ和真が、直也と桂、それぞれを見て尋ねる。

「どうしてだと思う?」
「それは…」
「振られる『もうひとり』に遠慮したから…じゃないのか?」

 そう、誰もがそう思うだろう。和真もそう思ったのだから。

「違うよ」
「えっ」
「違う?」 

 和真は小さく頷いた。

「渉は、直也も桂も好きなんだ。大好きで、ずっと一緒にいたいんだ」

 今度こそ本当に、2人は言葉をなくした。

「どちらにも『Yes』なんて死んでも言えないから、だから『No』というしかなかったって…。そりゃあもう、こっちが切なくなるような声で、泣くんだ…。ひとりだけの手なんて取れないって」

 あの声を今思い出しただけでも切なくなってくる。

「直也も桂もショックだろうとは思うけど、これが真相なんだ。 渉はもう完全に諦めてる。直也も桂も無くしたと思ってる。それを自分の罪だとまで言いきってる。 だから、渉の気持ちを尊重するなら、半端に関わらないで、完全に切ってやって欲しいんだ。そうでないと渉は…」

 生殺しだ…と、告げた瞬間、和真の目から涙がこぼれ落ちた。

 4年近く一緒に過ごして、初めて見た和真の涙に、直也と桂が呆然と目を向ける。

 けれどその目はやがて、柔らかい笑みの形に変えられた。

「俺は…嬉しい」
「僕も」

 2人が小さく言った。

「俺たちまだ、愛されてるってことだろ?」
「そうだよな。渉に欲しがられてるってことだよな?」

 今度は和真が呆然と2人を見る。

「…え。ちょっとまさか…」
「なに?」
「どうした」
「この状態を受け入れる…とか?」

 こいつらならやりかねん…と言う思いもあるが、いや、まさかまさか…だ。

「いやあ、さすがに今すぐ打開策が浮かぶ訳ではないけどな」
「でもさ、俺たち2人とも渉と相思相愛ってことじゃないか。それならそれで、いずれ道は見つかるんじゃね?」

 ――うーん。こいつらやっぱり、想定外の精神力だな…。ってか、もしかして『鈍感力』か?

「でも、ほんとにどうすればいいんだろう」
「そうだな。どっちも両思いで万々歳のはずなんだけどなあ」

 いや、それでもこの通り、確かにそれなりには悩んでいるようではあるのだが。

「いずれにしても、終わってなんかいないってこと、渉に伝えたい」
「そうだな。なんとしてでも渉の負担は取り除いてやりたいし」

 ――はあ…疲れた……。

 どうもいい方に転んだような気がするのだが、でも、この脳天気コンビのことだ。また何をやらかすかわかったもんじゃない。

 ――渉って、もしかして大変なのに惚れられちゃったんじゃ…。しかも2人だよ。マジ、暑苦しいし〜。



                   ☆ .。.:*・゜



 渉に『No』と言われて以来、立ち入るのも気が滅入った『練習室8』と『第1合奏室』で、直也と桂は渉を待っていた。

 どう言ったら伝わるだろうか。なんと言えばわかってもらえるだろうか。
 そればかりを考えていた。

 小さくノックの音がして、渉がやってきた…というよりは、和真に押し込まれた。

「渉…」

 出来るだけ優しく、静かに名前を呼んでみる。
 そして安心してもらえるように、柔らかく笑う。

「…なおや…」

 その笑顔は予想外だったのだろう。渉は半ば呆然と、直也を見つめる。

「ごめんな、呼び出して」
「…ううん…」
「渉に、聞いて欲しいことがあるんだ」

 渉の華奢な肩が、小さく震えた。

 怯えていることに気づき、直也は内心で深く落ち込む。
 ここまで追い詰めていたのだと。

 だが、もう悲しい思いはさせたくない。

 自分たちが最終的にどういう道を取るか、まだ決められていない。
 けれど、何があってもただひとつのことは最初から決まっている。

「僕は、渉が好きだ」

 弾かれたように渉が顔を上げた。

「好きであることは、やめられないんだ。だから、僕はまだずっと、渉を想っていく。それを、許して欲しいんだ」

 渉の瞳に涙が溜まりはじめたのを見て、直也は慌てて言葉を継ぐ。

「渉は何にもしなくていい。今まで通りの渉でいて」

 渉は何かを言いたげに、でも何も言わず、複雑そうな表情で曖昧に頷いた。

 合奏室では桂も、渉に真っ直ぐに告げた。

 この想いをまだ大切にしてるのだと。
 好きだという気持ちは止められないと。

 身体を固くして聞いている渉が可哀相で、触れることなどとても出来なかったけれど、本当は抱きしめて安心させてあげたかった。

 けれどまだ、きちんとした答えが自分で出せていない以上、中途半端なことは出来ないと自分を戒める。

 そして最後に言った。
 何も心配はいらないから、少しだけ、時間をくれるか?…と。


 その時すでに、渉の情報処理能力は限界を超えていた。

 どうして今、2人がこんなことを言い出すのかまったくわからなくて、半ば考えることを放棄していた。

 そうでないと、また泣いてしまいそうだったから。



                   ☆ .。.:*・゜



 直也と桂はずっと考えていた。

 渉に恋をし、告白した。
 そして渉もまた、自分に想いを寄せてくれている。

 いや、『自分たち』に…だ。


 もしこれが、渉では無い他の誰かだったら…と、ふと考えた。

 おそらく、『どっちも好き』とわかった時点で気持ちが醒めるのではないかと思った。
 そんなことは普通、あり得ないから。

 けれど、そんなあり得ない事実を突きつけられてなお、醒めることなく…いや、今まで以上に気持ちは熱くなっている。

 嬉しいのだ。渉に想われているという事実が。

 まだ無くしていない、ここに想いが確かにあるのだと言われて、どうしようもなく嬉しい。


 けれど、想い合っているのがわかっているのに、その手をすんなり取ることの出来ない関係に陥ってしまい、喜びと焦りと不安がない交ぜになっている。

 何を、どうすればいいのか、わからない。

 しばらくの間、それぞれがひとりで悶々と考え続けたけれど、当然答えに行き当たろうはずもなく、直也と桂は改めて、お互いに向き合った。

 それしかもう、解決の糸口を見いだす手立てがない…というのは、きっと最初から解っていたはずなのだが。


「なあ、全部、本心さらけ出して話そうな」

「当然。…ってか、僕はお前と建前で話したこと、1回もないぞ」

「…だよな」

 いつも思うまま、本音でぶつかってきた。

 良いことばかりでなく、時には厳しい意見の応酬もあった。

 けれどそこにはお互いを思いやる気持ちがあったから、2人の絆はいつしか強固なものに育っていた。

 だからこそ、親友のまま恋敵で在れたのだ。


「なあ、もし…例えば桂が降りて、僕が残ったとしても、渉は『じゃあ、直也と』…とは言わない気がする」

「…それ、まったく同感。ってか、俺、絶対降りないし」

「…だよな」

「お前だって降りる気さらさらないだろ」

「当然だろ」

「んじゃ、どうしたらいいんだ?」

「それ聞きたいのはこっちだっての」

 どちらも絶対に降りない。
 それが大前提ならば…。


「渉ってさ、ああ見えても頑固なとこあるよな」
「確かにな。でも、渉が『譲らない』時は、必ず理由があるんだ」

 普段の様々な場面で渉が自己主張することは稀だ。

 主張したとしても、それを主張とは感じさせないほど、渉は柔らかい。

 けれど、その芯の部分はぶれない。
 そして、その大切な部分に関わる時、渉は譲らない。

 そんな渉が一度『No』と決めて、それを告げてきたからには…。


『あと2週間待って』

 そう言ったあの頃、渉はひとりで悩み、苦しんだのたろう。

 和真の言う通り、過酷な選択をその身に負わせてしまった後悔は、直也と桂の心を締め付ける。

 けれど、それでも諦めたくない。


 幾度も幾度も、未来を思い描いてみる。
 自分と渉……自分と親友……そして、親友と渉。

 何が幸せなのか。どうすれば、渉の笑顔が見られるのか。

 それにはきっと、お互いの友情と渉への愛情の両立が必要なのではないか。

 けれど、それを実現するにはどうすればいいのか。
 自分たちはこの気持ちをどうコントロールすればいいのか。

 答はすぐ側にあるような気がするのだが、まだ見えてこないそれを求めて、直也と桂はため息を飲み込んで、考え続ける。 

 どうすれば、渉をこの腕に抱けるのか。


 だが、2人は大きな誤算をしていた。

 渉に再びこの想いを真摯に告げたのだから、『No』を『Yes』に変えるその時まで、『友達以上恋人未満』でいられると信じていた。


 渉が静かに心を閉じ始めていることに、気づかないまま……。




 心に大きな穴を空けたまま、渉の、聖陵学院での1年目が終わった。


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