第1幕 「清明の頃」





 3年目もやっぱり、駅前は男子高校生の大売り出しだった。

 桜並木を歩いて登校するのもこれが最後。

 入学した年は、満開ちょっと手前で、去年は満開。

 そして今年は、少し温かかった所為か、風が吹き抜けるたびに、花びらが舞い、散る。


「花を咲かせることってさ、桜にとっては1年の最後の仕事だって聞いた事あるんだけど」

 英が言う。

「花…が?」

「そう。日本では、年度の最初に桜を見るから、なんとなく桜って1年の始まりの花…みたいな感じがするけれど、桜は、花を咲かせて、散らせたところで1年を終えるんだ。で、葉っぱの出始めが1年の始まりなんだってさ」

「じゃあ、今この桜並木は、1年を終えようとしてるんだ?」

「そういうことだな」

「なんか、不思議な感じだね」

「ああ」 


 僕たちは、1年を終えようとしている桜に迎えられて、新しい1年を始めようとしているんだ。

 桜からなにかを引き継ぐように。



 そして、今年は僕だけではなく、英にかかる声も多い。

 春休み中のちょっとした出来事を報告しあったりしながら、誰もが新しい1年への期待を膨らませていて。

「お、桐生兄弟発見! 元気だったか?」
「あ、七生。久しぶり〜」

 声を掛けてきたのは、管弦楽部の同級生で、コンバスの首席の七生。

 僕と同じ『正真正銘』なんだけど、七生は音楽推薦で、多分大学も同じところになりそう。

 男子としては中肉中背――もちろん僕よりかなり大きいけど――で、いかにもコンバス…って感じじゃないんだけど、ジャズベースもこなしちゃうほど、ベーシストとしてのセンスは抜群。

 英との相性も良くて、学年は違うけど低弦はこの2人が引っ張ってる。

 って、ほら、もう2人で楽器の話始めてるし。


 英も1年生の間にたくさんの友達に出会って、僕なんかより遥かに広い交友関係を築いている。

 ちゃっかり恋人までゲットしちゃうし。


 と、見ればあちらこちらに生徒の固まりが出来ていて、何やらひそひそザワザワやっている。

 何かあるのかな…と思って、見回してみたところで、僕にはさっぱり。

 あ、でももしかしたら、誰かを見てるのかな?
 みんな同じ方を見てるし。

 でも、よくわかんないから、まあいいや…と思ったら、七生が僕の肩をガシッと抱いて耳元で言った。

「ほら、あれ、岡崎礼二の息子だって」

 誰、それ。

 七生の視線の先には、一際背が高くてがっちりした体格の生徒がひとりで歩いていた。

「英、知ってる?」
「いや、知らない」

 僕たちの会話に、七生は『ああ』と頷いた。

「帰国組は知らないか。すんげえ有名な俳優なんだ。海外の映画祭とかで賞もとっててさ。このガッコ、芸能人の子も結構いるけどさ、ちょっと別格って感じ。母親も有名な女優だしな」

「ふうん、そうなんだ」


 件の生徒の横顔が、遠く、チラッと見えた。

 結構背が高くて、見栄えのする顔みたいな感じ。
 まあ、僕には関係ないし。

 って、ほら、英も全然関心ナシって感じだし。


「やっほう〜!」

 元気な声と一緒に僕に飛びついてきたのは、凪だ。

「渉も英も七生も元気だった?」
「うん、バッチリ。凪は?」
「元気だよ〜ん」

 凪は、里山先輩の後を追って、僕たちと同じ音大への進学を決めた。

 と言っても、演奏学科ではなくて、一昨年新設されたばかりの、音楽教育学科の音楽療法士課程。

 かなり倍率も偏差値も高い学科で、聖陵からの進学希望は凪が初めてなので、ゆうちゃんも気合いを入れて受験のバックアップ体制を整えてる。

 今まで管弦楽部からの進学は演奏学科ばかりだったけど、これからは音楽を仕事に選ぶ中でも、新しい選択肢が広がるって、かなり期待もしてるみたいで。

 音楽は高校まで…って言ってた凪のご両親も、堅実な職業に繋がる学問としての音楽なら…って認めてくれたそうで、ほんとに良かったなあって思ってる。

 
 ちなみに里山先輩と凪は、春休みに旅行してるんだ。
 情報源はなんと里山先輩本人。

 旅先から『凪とラブラブ』なんて、画像付きメール送って来るんだもん。

 先輩があんなキャラだとは思わなかった。
 ほんと、恋するとみんな、暑苦しいったら。

 

 そう言えば、凪だけじゃなくて、僕も聖陵から初めての指揮科受験って聞いたっけ。
 
 悟くんは、卒業は指揮科だけど、ピアノ科で入ったし、グランパはヴァイオリン科だったから。

 グランパは、大学に入ってから指揮の勉強を始めて、3年生の頃にはもう、ヴァイオリンそっちのけで指揮者目指してて、卒業してすぐにコンクール獲ったから、ヴァイオリン奏者としてのグランパを知る人はほとんどいない。

 ここでは3年間コンマスだったらしいんけど、僕がそれを知ったのも、ここへ来てからだし。

 グランパがここでどんな風に過ごしてたのかって、ほとんど聞いたことないから、今度聞いてみよっと。

 なんて、ぐるぐる考えてたら…。


「あ、あれって噂の『正真正銘』だよね」

 凪が七生に言った。

「そ。すでに話題沸騰だ。帰国組のこの2人は話題についてきてないけどな」

 笑いながら七生が僕たちを指す。

「まさか、音楽推薦ってことないよね」

「そりゃ可能性低いんじゃね? 渉や英みたいのならともかく、俺が自分で言うのもなんだけどさ、推薦で入るの、大変だぜ?」

 確かに、推薦は倍率的には音大よりはるかにキツいと思う。
 七生なんて、確か12人のコンバス志願者の中でただひとりの合格だったはずだし。

 あ、僕は推薦じゃないけど。

 凪も『確かにね』と頷いて、今度は英を見上げた。

「英、浅井先生から『正真正銘』の内訳って聞いてる?」

 凪ってば、なんで僕に聞かないで英なわけ? 
 ま、聞かれてもわかんないけど。

「推薦と一般が半々…としか聞いてないんです。推薦の内訳はまではちょっと…」

 …って、なんで英は知ってるんだよ。も〜。

「そっか〜。まあ、どうでもいいか。きっと関係ないし〜」
「だよな〜」

 みんなであははと笑って、僕たちはまた、行き交う友人たちと挨拶を交わしながら、桜舞い散る並木道をゆっくりと正門へと向かって行った。


                     ☆★☆


 和真はもう入寮してるはず。

 1時間くらい前に、『到着〜!』って、メールがきたから。
 もちろん英にも。


 今年、僕と和真は3−A。
 担任は英語の坂枝俊次先生。
 教科担当にもなったことのない、僕にとって全く初めての先生。

 和真によると、茶道部の顧問らしい。

 茶道部があるなんて知らなかったんだけど、先生の人柄に惹かれて掛け持ちしてる生徒が結構いて、人気なんだそう。

 やっぱりOBらしいんだけど、葵ちゃんから聞いたことがあるような気がするんだ。

 管弦楽部のOBじゃない上に学年も違うから、どこで接点があったのか知らないんだけど、唯一葵ちゃんと張り合えるくらいに『イケる口』の先輩がいて、卒業してからもずっと飲み友達…って人が、確か『坂枝さん』って名前だったような気がするんだ。

 しかもその人は聖陵の先生になったって聞いてたし。

 人の顔や名前がなかなか覚えられない僕にしては、よく覚えてるんだけど、それは『葵ちゃんと唯一張り合える』ってところに興味があったわけで。

 まあ『唯一』って言っても、数年前までの『唯一』で、今はもうひとり現れたけどね…って葵ちゃんは言うんだけど。


 僕、明後日18歳だけど、日本の法律ってどうなんだっけ。
 ちょっと調べてみないとダメだよね。

 ドイツは16から一部OKだけど、せっかくのその16歳目前で、僕はこっちへ来ちゃったし。


 で、直也と桂は3−B。
 今年も同じクラスにはなれなかった。
 でも、寮の部屋は斜め前だから、行き来はし易くて良かった。

 英は2−B。担任はなんと森澤先生。

 きっとまた、当人が置き去りになる同窓会的三者面談が行われるに違いない。

 そして、2年生以下の新しい部屋割りとかが張り出されてる掲示板の前で、沢渡くんと水野くんに会って、英は彼らと一緒に『引っ越し』に行った。

 沢渡くんと水野くんは、その後、ゆっくりだけれど進展しているみたい。
 色々と英に相談なんかもしてるみたいだし。

 うまくいくといいなあ。お似合いだし。



「「渉!」」
「直也! 桂!」

 寮に着いて、自分の新しい部屋を目指していたら、その手前で直也と桂に会って、そのまま部屋に連れ込まれた。

 2週間とちょっと振り。
 毎日メールか電話はしてたけど、やっぱりそれだけじゃ寂しくて。

 会えて嬉しいんだけど、でも、2人ともなんだか少し大人っぽくなってない?

 なんで? たった2週間とちょっとなのに。


「渉、相変わらず可愛いなあ」
「明後日18だろ? ウソみたいだなあ」
「なんか、時の流れが止まってるよな」
「そうそう。初めて会った日と全然変わんないよな〜」

 …って、なにそれ。

「あれ? どした?」
「ご機嫌ナナメ?」

 2人が僕の頭をグリグリ撫でる。

「なんで、2人は大人っぽくなってるのに、僕は変わんないわけ?」

 なんか、口にしてみたら物凄く理不尽な言いがかりのような気がしたけど。

「あっはっは、可愛い〜」

 や、それはもういいから。

「俺たちは普通に成長してるだけだぜ」
「そ、まだまだ成長するつもりだし」
「僕だって、1センチ伸びて166センチになったよ!」

 って、やっぱり墓穴を掘ったような気が…。

「お。エラいエラい」
「よかったなあ〜」

 やっぱり…。ますます子供扱いじゃん。

「ま、仕方ないんじゃない? 葵さんだって、時間止まってるじゃん」
「だよな〜、あの人も、どう見ても20代前半だし」

 そっか、葵ちゃんの所為か。今度文句言ってやろう。
 って、葵ちゃんになんか言って、勝てたこと1回もないけど…。

「そうそう、さっき浅井先生から今年の音楽推薦の名簿もらったんだけどさ」

 直也が、ぺらっと紙を取り出した。

「全部で5人。ヴァイオリン1、ヴィオラ1、コンバス1、クラリネット1、ファゴット1…だってさ」

「おー。やっぱり管楽器ありだったか。久々だな」

 うん、クラリネットもファゴットも、首席が卒業しちゃって、しかも今年の持ち上がり組がゼロだから、多分…って思ってたんだ。

「で、驚きの情報があるぞ」
「何?」

 なんだろ?

「今朝から話題騒然の『正真正銘』、あれ、音楽推薦だってさ」
「え、マジで? 楽器なに?」
「お前の配下だぞ、桂」
「えーっ! ヴァイオリンかよ〜」

 …2人とも、何の話してるんだろ。

 話題騒然の『正真正銘』って…?

「ゲーノージンの子が管弦楽部に入るって、あんま聞いたことないよな」
「確かにな。ちょっと楽器かじった程度じゃ、ついてこれないもんな」

 ええと、あ、そうか。さっき、桜並木で聞いた話。あれのことか。

 関係ないやと思ってたけど、管弦楽部に来るんだ…。

 音楽推薦ってことは、レベル高いだろうし、もしかしたら最前列に来るかも知れない。

 上手くコミュニケーション取れるといいなあ。

 ま、音楽を通して…なんだから、何とかなるだろう。多分。



                     ☆★☆



 相変わらず大騒ぎの新学年の入寮日。

 僕たち3年は、修学旅行から帰った日に引っ越し完了してるから、気楽なものなんだけれど、少し話した後、部長の直也はいろんなところから呼び出されて、あっちこっちに走り回ってて忙しそう。

 桂もそれを手伝ってて、一緒に走り回ってる。

 周囲には『3年になってもNKコンビは相変わらずだなぁ』って言われてて、僕も、仲のいい2人を見るのは嬉しくて。

 2人の用事が一段落したら、僕と和真の新しい部屋で、みんなでおやつタイムしようってことになってる。

 和真が温泉街の新しいお菓子の試作品を持ってきてるんだ。モニター頼まれたって。

 温泉街のお菓子を男子高校生にモニターさせて意味あんのかね…って、和真は笑うけど、僕はワクワクしてる。 

 英も引っ越しが終わったらくる予定で。


「あ、これ森澤センセのお母さんなんだけど、知ってた?」
「えっ、この綺麗な人?」

 お菓子と一緒に和真が持って帰ってきた旅行雑誌には、和真の実家の特集が載っている。

 今年の夏は、みんなでお邪魔することになってて、すごく楽しみにしてるんだけど。

 その旅行雑誌の裏表紙が化粧品の広告で、年の頃は40くらいの、超美人が森の中で髪をなびかせて立っている…って構図なんだけど。

「今、日本で一番有名なミュージカル女優なんだよ」
「そうなんだ。って、さっきなんて言った?」

 僕が、広告の美人を指差すと、やっぱり信じられない言葉が返ってきた。

「この美人が、 日本で一番有名なミュージカル女優で、森澤先生のお母さんだって言った」

 え?

「えええっ?」
「驚いた?」

 頷くしかない僕に、和真は『そうだろうとも』って満足そうに笑う。

 森澤先生のお母さんがそういう人だって言うのも…だけど、僕がもっと驚いたのは、一体この人はいくつなんだってことで。

 森澤先生は父さんと同い年。
 そのお母さんとなると、40代ってことは有り得ないはずだし。

「ほんと、年齢不詳だよねえ。森澤先生曰わく、少なくとも10代の時の子じゃないし…ってさ」

 ってことは、最低でも58…。

「…有り得ない」
「よねえ」

 で、和真の話によると、森澤先生のお母さんがそういう人だって言うのは、ずっと秘密にされてたそうだ。

 それが、10年ほど前、週刊誌に子供がいることがスクープされてしまい、その当時大騒ぎになった話を、和真は翼ちゃんから聞いていた。

 翼ちゃんは森澤先生が生徒だった当時に部活の顧問でもあったから、当然知っていたそうなんだけど、この学校にはそういう風に親子関係を公にしていないケースもままあることらしくて、『秘密』と言うのも先生方は慣れてるらしい。

 そう言えば、葵ちゃんとグランパも、1年くらい公表してなかった…って言ってたっけ。

 僕には想像もつかないような、色んな想いとか、難しいことがあったんだろうな…。

 やっぱり葵ちゃんって凄いよ。


「ま、先生みたいに黙ってる場合もあれば、わかっちゃってるヤツもいたりするけど、結構芸能人の子供っているんだよ」

「僕、誰もわかんないよ」

 ひとりも知らない。

 芸能人じゃないけど、珍しいと言えば、お父さんが某国駐日大使って言う子がいて、2年間同じクラスで仲良くなった。

 本名はルディアって言うんだけど、お母さんが日本人で、日本名もあるから普段はそっちの名前を使ってる。

 生徒では僕と和真くらいしか知らないと思うんだけど、お父さんは、母国では王様の弟で歴とした王族らしい。

 彼は、英にしか解読できない――英語もドイツ語もできる桂にすら読めなかった――僕のノートを完璧に読んだ、初めての友達。

 小さい頃からいろんな国で過ごしたから…なんだけど、多分、在校生の中でもっとも多言語に通じてる生徒だって、ゆうちゃんも言ってた。

 しかも、さすがに『王族』って言うのは全校生徒でも彼だけらしいし。

 で、どうして僕がそんなことを知ってるかと言うと、ルディアのお祖父さんと僕のグランパ――母さんの方の――が、ここでの同級生で、とても親しかったから。

 そんな特殊な例は別として、普通はお父さんの仕事とか、あんまり聞かないから、ほんとによくわかんない。

「特に親しくならない限り、親の話ってあんまりしないもんね」
「だよね」

 と、頷いたところでノックの音がした。

 桂かな? 直也かな? 英かな?

「は〜い。ど〜ぞ〜」

 返事だけで、ドアは開く。いつも。

 そして今日も、少しだけ開かれたドアから聞き覚えのある声がした。

 多分、この前まで中等部の部長をやってた、ホルンの結城くん。

 ドアまで行った和真と何やら言葉を交わして…。


「…え? 和真?!」

 今度は聞き覚えのない声が、和真の名を呼んだ。



END

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