第2幕 「春宵の頃」

【1】





「え? 和真?!」
「…えっと、紘太郎、久しぶり」
「なんで、ここにっ?」

 前中等部管弦楽部長の結城くんが、『正真正銘』くんを連れてきたらしい。

 そこまではよかったんだけど、なぜかその『正真正銘』くんは、部屋に入るなり、和真の姿を見て声を上げた。

 でも、和真はわかってたのか、ちっとも驚いてないみたいで…。

「あー、えっと、話せば長くなるから、まあ、入って」

 和真は『正真正銘』くんの手を引いて自分の椅子に座らせると、僕の隣りに――ベッドだけど――腰掛けた。

「って言うか、渉に会いに来たんだよね?」

 え? 僕?

「あ、そうなんだけど…。でもあんまりびっくりして」

『正真正銘』くんは、大きく深呼吸してから和真を見て、それから僕を見て、真っ赤になった。

「えと、じゃあせっかくだから、先に渉に自己紹介する? 僕の話はその後ってことで」

 水を向けられて『正真正銘』くんは、頷いたあと、また息を大きく継いで僕に向き直った。

 しかも立ってくれちゃったりして。

「は、はじめましてっ。音楽推薦で入学した岡崎紘太郎と言いますっ。ヴァイオリンですっ。チェロコンチェルトの時からずっと聴かせてもらってて、先輩に憧れて入学しました! よろしくお願いしますっ!」

 って、もしかしてこの人、朝から話題の人物かな?
 音楽推薦のヴァイオリンって言ったし。

「あ、あの、ええと、はじめまして。3年の桐生渉、です」

 で、ええと、ええと、あと何言ったらいいんだっけ。

「コンチェルトからずっと聴きに来てたんだ?」

 すかさず和真のフォローが入る。
 ほんと、いつも助かるんだ。

「そう、コンチェルトの時は偶然だったんだけど、その後はコネ総動員でチケット入手して通い詰めたんだ…」

 和真には、友達みたいに話してる。
 なんだか親しい知り合いみたいだし…。

「桐生渉さんの音楽が聴きたい一心で」

 …ぼんやり2人を眺めてたら、目が、合っちゃった。

 僕の音楽なんて、まだ全然で、管弦楽部の力量に助けてもらってやっとなのに、こんな風に言ってもらえるなんて…。

「あ、えっと、その、ありがとうございます」

 ぺこっと頭を下げたら、何だか向かい側から慌てた雰囲気が。

「あ、でも、僕はまだまだで、ここのみんなが上手いから何とかなってて…」

 なんかまずかったかなと思って、慌てて喋ったんだけど、なんか取り留めなくなっちゃった。

 何でいつもこうなんだろ…。

 恐る恐るみれば、『正真正銘』くん――ええと、岡崎くんだっけ――が、固まってる。

 どうしよう…。

 思わず…と言うか、いつものことで、助けを求めて和真を見れば、笑いを堪えていて。

「予想外…だったんじゃない?」

「何が?」

「渉のこと。ほら、去年もいっぱいいたじゃん。まさか渉が『人見知りで引っ込み思案』だなんて思わなくて、面食らってた新入生」

 …ああ、あれね。
 後からみんな言うんだ。『渉先輩の第一印象は『唖然』でした』なんて。

「そんなの、みんなが勝手に想像してるだけじゃん」

「そう、その通り」

 ニコッと笑って和真が岡崎くん――だったよね――に、向き直った。

「これが『渉』だよ。めっちゃ素敵な先輩だろ?」

 それを言うなら和真こそ、頼りがいがあって面倒見のいい、素敵な先輩だと思うけど。

「…うん。俺、ここに来て本当に良かった…」

 って、その結論はまだちょっと時期尚早な気がする…。

「先輩、俺、これから頑張りますので、よろしくお願いします!」

 何だか素直で爽やかだなあ。仲良くなれるといいな。

「あの、至らない先輩だけど、こちらこそ、よろしく、ね」

 とりあえず、ぎこちないとは思うけど、ちょっと笑ってみたりなんかして。 

 また盛大に赤くなった岡崎くんに、和真が吹き出した。


「で。こっちの話だけど」

 まだちょっと笑いながら、和真が話を始める。

 うん、僕としてはこっちの方が面白そうなんだけど。

「えっと、紘太郎と僕は、幼なじみなんだ」

「えっ、そうなんだ?」

 びっくり。まあ、確かにそんな感じの話しぶりだけど。

「で、うちみたいな商売はお客さんの情報は漏らしちゃダメなんで、普通は言えないんだけど…」

 と、和真は紘太郎くんを見た。

「大丈夫。渉先輩だったら」

 って、何を根拠に。
 まあ、僕は言うなって言われたら言わないし、そもそも多分…思い出さなくなっちゃうと思うけど…。

 和真は頷いて話を続けた。

「紘太郎の家族はうちのお得意様なんだ。毎年夏の終わりに来てくれて…」

 和真の後を岡崎くんが継いだ。

「子供の頃から、夏休みの最後の1週間、家族旅行で必ず行ってたんです。で、退屈してしまう僕の遊び相手になってくれてたのが和真で…」

「5歳くらいから、ずっとだったよね」

「うん。でも、一昨年から和真はいなくなって…」

 ちょっと恨めしそうに見つめられて、和真がばつの悪そうな顔をする。
 こんな顔、珍しい…。


「あ〜。8月の最後の1週間は、合宿なんだよ。ね、渉」

 えっ、いきなり僕に振るっ?

「あ、えっと、そうそう、夏の軽井沢合宿。あれ、高等部だけだもんね」

 中等部はないんだ。軽井沢合宿。

 ゆうちゃんが生徒だった頃は、その時期に中等部の修学旅行があったからだそうなんだけど、今、中等部の修学旅行は夏休みの前になってる。

 でも、今でも中等部の合宿がないのは、軽井沢校舎の収容人員が高等部だけでマックスだから。

 そもそも合宿の目的が、以前は『コンクールに向けて』ってことだったらしいんだけど、聖陵はもうコンクールには出てない。

 理由は簡単。『敵なし』だから。

 だから今では単に、『いつもと違うメンバーで、小編成の訓練しましょう』ってことなんだ。

 ま、ゆうちゃんたちの頃も、目的はほぼ『それ』だったみたいだけど。

 ともかく、3回ある合宿の中では1番開放的で自由時間もあって、花火したり、すいか割りしたりして楽しいから、中等部のみんなは早く参加したい…って思ってるらしい。

「っていうわけで、ごめん。何にも言わずにいなくなって」

 和真が両手をパンッと顔の前で合わせて、『ごめんなさい』のポーズを取ったら、岡崎くんは『しょうがないなあ』って笑った。

「いや、でもコンサートのプログラム見て、後から『あれ?』っと思ったんだ。同姓同名だって。でも楽器やってるってことも知らなかったし、中学から聖陵に行ってるなんてことも知らなかったから…」

「あ、それは単に言う間がなかっただけ。だってほら、一日中クタクタになるまで遊び回ってじゃない。だからそんなどうでもいい話するヒマ、ほんとになかったんだってば」

 和真が笑うと岡崎くんも笑う。

 ほんと、仲良いんだ。なんか可愛いなあ…。

 あ、でも。
 英が見たら、ご機嫌ナナメかも。

 なんてったって、束縛体質の『俺だけを見ろ』ってタイプだから。

 英自身は、『そんなことないって』なんて言ってるけど。


「ってさ、管弦楽部のコンサート、来てたんじゃないの? 僕、毎回乗ってたよ、ちゃんと」

「あ〜、ごめん。『桐生渉さん』しか見てなかったから」

「ひど〜い」

 そりゃ確かに酷い。
 和真のオーボエは、耳に入ったら目も行くと思うんだけどな。
 それくらい魅力的なんだから。 


「とまあ、そんなわけだけどさ。最初言った通り、旅館業には顧客情報の守秘義務ってのもあるんで、僕から紘太郎のことは何にも言えないんだけど…」

 和真が言うと、岡崎くんが頷いた。

「別にうちは構わないんだけど、それで和真んちに迷惑かけてもいけないし、それに…」

 岡崎くんは、ちょっと考えて…。

「部活では先輩後輩だから、ちゃんとそう言う風に呼んだ方がいいと思うし…」

「だよね。じゃあ、渉以外には、ナイショってことで」

 和真の言葉に岡崎くんは何故だか凄く嬉しそうに頷いた。


 和真は英とも、みんなの前では先輩後輩って立場を貫いてる。
 恋人同士だってのナイショにしてるから。 

 ま、その分僕の前ではいちゃいちゃしてくれちゃって、この前なんか、妙な気配に振り返ってみれば、キスしてるんだもん。

 和真は慌てて離れたけど、英は全然動じてないんだ。

 それどころか離そうとしなくて、和真に足踏まれてた。

 幸せなのは良いんだけど…良いんだけど…良いんだけど…も〜。


 でも、やっぱり、色々ナイショで和真のストレスが溜まらないか心配。

 ってことは、せめて僕の前では思う存分自由に振る舞ってもらうのが一番ってことか。

 ま、僕はそれどころではないほど和真のお世話になってるし。


「それにしても、和真がここにいて、渉先輩と同室だなんて、夢にも思わなかった…」

 少し伏し目がちに、まるで呟くように言った岡崎くんに、和真がニタっと笑った。

「おかげで渉ともお近づきになれたわけだし、これで僕が黙って居なくなったこと、チャラにして〜」

「しょうがないなあ」

 って、やっぱり岡崎くんは嬉しそうで。

 彼のお父さんがどんな見た目の人なのか知らないけれど、岡崎くんはハッキリした目鼻立ちに立派な体格で、ぱっと見は大人っぽいんだけど、話を聞いてると、なんかちょっと可愛い。

 英より弟っぽい。弟って、本当はこんな感じなんじゃないかと思うくらい。

 英は絶対自分を弟だと思ってないから。


「あ、でも…」
「え? 何?」

 思いついちゃったよ。

「英には言っておいた方がいいかも…」

 ナイショにしとくとロクなことないと思うんだけど。

「…あ、そうか…」

 和真も多分、僕と同じことを考えたと思う。
 岡崎くんをちらっと見て、また僕を見て。

 その様子に岡崎くんが反応した。

「ええと、渉先輩の弟さん、ですよね」
「うん」

 とは言ったものの、どう説明する?

「あのさ、英はいつも渉にべったりなんだ。何だったら同室の結城に聞いてみて。英の『ウルトラスーパーブラコン』って、今や誰でも知ってる聖陵名物だから」

 さすが和真。回転早い早い。

「あ、じゃあ、いつも一緒にいるから?」

「うん。隠しようがない…と思うんだ」

 ううん。多分隠せるとは思うんだけど、隠したくないってことで。

 ちょっと騙しちゃうみたいで心苦しいけど、これも和真が毎日をストレスなく過ごすためってことで、この際勘弁してもらおう。


「わかった。じゃあ、話しておいてもらっていい?」

 岡崎くんの言葉に、和真が『了解』と答えて、ちょっとホッとしたように笑った。

 でも、和真の幼なじみだなんて、英が知ったら何て言うだろう。

 表向きは平静を保ってても、幼なじみは自分の知らない和真をたくさん知ってる訳だから、嫉妬メラメラ…とかあるかなあ。

 僕だって、直也や桂の幼なじみとかって、きっと羨ましいと思うはず。

 好きな人のことはたくさん知りたいから。

 早く、ゆっくり話がしたいな。

 直也と。桂と。


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