第2幕 「春宵の頃」
【2】
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桜吹雪の入学式。 岡崎くんは総代で、昨日部屋で会ったときにはもう少し子供っぽく見えたんだけど、壇上の彼は去年の英と同じくらい堂々として、かなり格好良くて、彼のバックグラウンドも相まって、まさに『注目の的』。 当然、音楽推薦のヴァイオリニストって情報も昨日のうちに知れ渡ってて、『音楽推薦? ないない』って言って一緒に笑ってた凪と七生もびっくり。 英も最初は『へー、音楽推薦なんだ』なんて、大して驚いた風でもないけど、それなりに関心はあるようだった。 だって、もし弦楽器の最前列になれば、コミュニケーションも必要になるわけで。 でも、夜遅くに和真から事情を聞いて、ちょっと顔色変えてた。 『仲良しだったんだ? 再会出来て良かったじゃない』…なんて、なりたて16歳のクセに、物わかりのいい大人みたいなこと言ってたけど、あれは絶対、内心穏やかじゃないと見た。 でも、和真の気持ちは英にしか向いてないんだから、ちょっとくらいヤキモキするのもいいんじゃないかって思うんだ。 だって、50人以上が玉砕したっていう『難攻不落の美少女』を 、沢渡くん曰わく、 『あっという間に攫ってしまった』んだから、ちょっとのヤキモキくらい経験しといた方がいいと思うんだ。 僕はヤキモキなんてヤだけど。 その『ヤキモキの素』――和真は、今までほとんど実家の話をしなかったんだけど、今回の岡崎くんの件で、『小さい頃から、お客様のことを話しては絶対ダメってきつく言われてきたんだ』…ってポツッと漏らした。 『信用を積み上げるのは長い時間かかるけれど、その信用も何かひとつのミスで一瞬で崩れてしまう。だからこの商売はいつも気の抜けない真剣勝負だ』 お父さんからずっと言われてきた言葉なんだ…って、和真は教えてくれたんだけど、僕には、その言葉が和真の芯の部分を作ってるひとつじゃないかなあって思えた。 和真がみんなに信頼されているのは、信用を積み上げることの難しさと大切さと知っていて、いつも真っ直ぐの真剣勝負…だから。 ほんと、和真は可愛いのにオトコマエ…だよね。 で、結局昨日は音楽推薦の『正真正銘』全員がわざわざ尋ねてきてくれて、本当にありがたかったんだけど、一度に人の顔と名前を覚えるのはやっぱり大変。 だって、どうしてもじっと顔を見たりはできないから、ほんの数分の会話の間に特徴まで覚えられなくて…。 そこへ持ってきて、今日は朝から中等部の新入生まで声掛けてくれて、もうごちゃごちゃ。 当分、和真や英のフォローなしではやってけない感じ。 情けないったら…。 その点、直也も桂も凄い勢いで新入生の顔を名前を覚えてる。 さすが、部長&コンマス。 僕だって生徒指揮者なんだから、ちゃんと覚えないと…って言ったら、桂が『渉は音を聞いたらそれが誰か思い出すんじゃない?』って真顔で言った。 確かに、音で判断は…結構できるかも。 でも、ちゃんと覚えないとね。やっぱり。 入学式の後はそのまま始業式があって、それから新しいクラスのオリエンテーション。 3−Aは一応文系クラス。 一応…なのは、おおざっぱに文系進学希望者を集めただけだから。 受験ヘの細かい対応と補講は個別に設定されるんだ。 だからあんまりクラス分けは厳密じゃない。 担任の坂枝先生は涼やかな目をした優しそうな先生で、やっぱり葵ちゃんの『飲み友達』だった。 しかも、父さんとも悟くんとも昇くんとも同級生で仲良しで。 特に悟くんとは親しいみたい。 悟くんが中等部の生徒会長だった時の仲間…らしいんだけど。 で、先生は僕に言ったんだ。 『奈月に聞いたんだけど、渉って、俺と奈月の2人きりの世界に割り込めるくらい凄いんだって?』って。 もー、葵ちゃんってば、何バラしてんだよ〜。 言葉に詰まって目を泳がせてしまった僕に、先生は嬉しそうに笑って、またとんでもないことを言った。 『一応校内では自粛しろよ? あ、大丈夫か。森澤先生が、『渉は守と違ってやんちゃしないから』って言ってたな』 だって。 校内で悪さをする度胸なんて僕にはないに決まってるんだけど、優しく笑う先生につられて思わず言っちゃったんだ。 『じゃあ、卒業したら仲間に入れて下さいね』って。 先生は『もちろん』って言ってくれて、『じゃあ、3人の目標は世界征服だな』な〜んて。 今年もいい先生に当たって良かった。 それにしても、父さんの『やんちゃ』って、みんな知ってるんだ。 どんだけ悪さしてたんだろ。 今度突っ込んでみよう。もちろん英と一緒に…だけど。 昼休みを挟んで午後は管弦楽部のオリエンテーション。 一昨年、去年と同じように、ゆうちゃんが話をして、そのあとは部長が仕切る。 今年はもちろん、直也。 ほんと、堂々としてかっこいいんだ。 桂と漫才やってる時とはまるで別人。 新入生たちが、魂が抜けたみたいな顔して見惚れている。 昨日、同級生たちが『今年は何人の新入生が直也に転ぶか』って、騒いでた。 当然、『今年は何人の新入生が桂に転ぶか』って言うバージョンもあるんだけど。 桂に転ぶとしたら、オーディションの時が最初だろうなあ。 弾いてる桂って、直也同様、とても漫才やって、しかもデビューしろとまで言われるようなのには見えない。 大人っぽくて情熱的で。 岡崎くんがどれだけ弾けるのか、まだわからないけれど、コンマスは桂で揺るがないんじゃないかなあ。 桂は技術力だけじゃなく、人を惹きつける力を持ってるから。 去年、こっそり練習を覗きに来たグランパも『桂くんのカリスマ性はお父さん譲りだな』って言ってたくらいだし。 こんなに凄い直也と桂が僕とずっと一緒にいてくれるだなんて、本当に幸せで奇跡みたいなことだなぁって思う。 ちなみに『何人の新入生が英に転ぶか』ってバージョンも今年から加わったらしい。 まあ、見た目は悟くんそっくりの男前だし、外面も完璧だし。 で、英の誕生日は春休み中だったから、前倒しで年度末の退寮の日が凄かったんだ。 大きなダンボール5つ分のプレゼント。 しかも匿名ゼロ。 直也と桂曰わく、『期待されてんな〜』って。 そう言う2人だって、匿名はほとんどない。 僕にはよくわからなかったんだけど、和真の解説によると、『返事を待ってる』ってことらしい。 つまり、付き合って…ってこと。 そういえば僕だって、仲のいい友達からは『おめでとう』って言葉をもらうのが普通で、プレゼントとかやり取りしない。 でも僕がもらったプレゼントはほとんどが匿名だったんだ。 これも和真の解説だと『渉はビッグ過ぎて、おいそれと『付き合って』なんて言えないんだよ』…だって。 なんかやっぱりよくわかんない。 ☆★☆ も、ありえないし…。 4月10日。僕の18回目の誕生日。 僕は朝からかなり深く落ち込んでいた。 和真に『日本の法律って、お酒は何歳から?』って聞いたら、『お酒もタバコも選挙権もハタチだよ』って答えだったから。 絶対18歳だと思ってのに〜。 だって、ドイツは16歳からビールとワインはOKなんだ。 その他のお酒でも18から全面解禁。 でも、僕はその16歳を目前に日本に来ちゃったから…。 あ〜も〜つまんない〜! 今時ハタチって遅れてると思う、絶対! で、ひとりで密かにめちゃくちゃどんよりしてる僕に、和真が気がついた。 「もしかして渉って飲める人?」 えっ? 「な、なんで?」 「だってさ、18でお酒が飲めないって解ってから落ち込んでるじゃん」 うう…和真ってば鋭い…。 「そんなにバレバレだった?」 「うーん、バレバレかって言われたらそうなんだけど、でも意外過ぎてちょっと驚き」 「意外?」 何がだろ。 「うん。渉からお酒の話題がでることが」 「そうかなあ」 なんかよくわかんないけど。 「和真は? お酒って飲んだことある?」 聞いたら和真は笑い出した。 「まあ、接客業の家に生まれたから、それなりに…って感じ? 家庭内では日本の法律は無視されてたし」 そうなんだ。 「なんか、和真の方が意外だよ。それなりに…ってことはそこそこ強いんだろうし」 「まあ、飲めない方じゃないと思うな」 ふふっ、なんだか頼もしいかも。 「渉は? 実際のところどうなわけ?」 「僕は、両親からも親戚一同からも、飲酒年齢になるまで絶対に人前で飲むなって言い渡されてる」 妙なところで葵ちゃんとの共通DNAが発動しちゃったもんだから。 顔以外で葵ちゃんに似てるのって、これくらいだし。 「あれ? もしかして、めっちゃ弱いの?」 「ううん。 いくら飲んでもなんともないから、 正体晒すなって」 和真が目を見開いた。 「なんか、嘘みたい…」 って言われるんだ。いつも。 「そんなに僕って弱そうに見える?」 まあ、強そうには見えないと思うけど。 葵ちゃんだって、『僕、全然ダメなんです〜』なんて言ってる方が似合うと思う。 でも実際は一升瓶抱えて離さない人だし。しかも複数本。 お正月に樽を抱えてたこともあったっけ。 「弱そうって言うか、渉のその面構えと性格だったら、コップ一杯のビールで、ほっぺはピンク、目はとろん…って思うだろ、普通は」 なに、その偏見は。 「ほんと、渉って良い意味で裏切ってくれるよなあ、色々と」 「ひどーい。色々ってなに。も〜」 抗議する僕をモノともせず、和真は『あ、』と声を上げた。 「それ、直也と桂にはナイショにしておいた方がいいかも」 「え? なんで?」 まあ、わざわざ言う必要もないけど。 和真がニタッと笑った。 「いつだったかヤツら、『酔った渉を介抱してみたい』とか『渉を酔っぱらわせて好き放題』とか言ってたからさ、このまま夢見させてやって、いつか現実を目の当たり…って、面白そうじゃん。絶対ヤツらの方が先に潰れるわけだし」 って、和真、先の尖った黒い尻尾が見えてるんだけど。 「でも、直也も桂も強そうだよ?」 ま、僕の敵ではないと思うけど。 「いや、桂はそこそこいけるけど、直也はそんなに強くないよ。でも、桂も種類混ぜるとアウトかな。直也は蒸留酒はいいけど醸造酒は苦手で日本酒は全然ダメ」 そうなんだ。なんか意外。 って…。 「なんで知ってんの?」 やけに詳しいし。 「んー? まあ、全寮制男子校だし、知能犯多いし、ノリはいいし」 「それ、答えになってないよ」 和真がふふっ、と笑いを漏らす。 「優等生が大人しいとは限らないってこと。直也も桂もそれなりに悪さもしてきたから」 「和真も…だろ?」 なんか、面白そう。そんなの見てみたいな。 「いやいや、僕は悪さなんかしないって。これでも一応、中等部生徒会長だったんだから」 「え? なんかウソくさいけど」 「失礼だなぁ〜」 笑いながら言っても説得力ないよ。 「あ、」 中等部生徒会長と言えば…。 「なに?」 「う、ううん、何でもない」 アブナイアブナイ。 思い出したこと、ついうっかり口からこぼれ落ちそうになっちゃった。 「えーっ、なになになに?」 しまった〜。こういう時、和真は引いてくれないんだよなあ。 「あのさ、絶対ナイショにしてくれる?」 「もちろん。渉だって、僕のこと信用してくれてるだろ?」 「そりゃもう」 確かに和真は、ナイショって言ったら絶対ナイショにしてくれるから。 「あのさ、ゆうちゃんがさあ」 「うんうん」 ゆうちゃんと聞いて、和真が一段とワクワクした顔つきになってしまう。 「高1の時、タバコ吸ってんのが葵ちゃんにバレて、止めさせられた…って言ってたんだ」 「えーっ、浅井先生がっ!?」 そりゃびっくりするよね。 父さんだったらやりそうだけど、ゆうちゃんだもん。 あ、2人とも今は全く吸わないけど。 ゆうちゃんは葵ちゃんに見つかって以来、きっぱり止めたそうだし、父さんは最初から『タバコは高校卒業まで』って決めてたんだって。 なんか間違ってるけど。 「先生、めっちゃ優等生だったって、翼っちが言ってたけど」 「優等生が大人しいとは限らない…ってことじゃん」 「だねえ」 ちなみに昇くんは、同室の友達――よりによって高等部生徒会長――と一緒に部屋の中に密かにミニ冷蔵庫を置いて、ビールを冷やしてたらしい。 ってことは、みんなずっと前から好き勝手やってるんだ。 伝統…だな、もう。 「そうだ!」 「えっ、なに?」 なんか思い出したのかな。 「ね、渉。いつか、僕らで桂と直也を潰して悪さしてやろ?」 「わ、悪さって、なに?」 「お腹に絵を描くとか」 ひどーい。でも…。 「…面白そうかも…」 「だろ〜? 今まで散々相談にのってやったんだから、これくらいお楽しみがないとね〜」 って、やっぱり和真の尻尾は黒くて先が尖ってると思う。 「あ、和真」 「ん?」 「英、そんなに強くないから」 潰されるってことはないと思うけど。 「え、そうなんだ。意外かも。英って、見た目は強そうだけど」 和真の相手がつとまらないってことはないと思うけど。 でも。 「ワインだとボトル10本は無理だと思う」 もうちょっと飲めてもいいと思うんだ。 まあ、父さんの子にしちゃ上出来だけど。 きっと母さんがかなりいけるからだろうなあ。 「…それで、強くないって?」 「まあ、弱くはないと思うけど」 「…渉の基準がわかんなくなってきた…」 和真が頭を抱え込んだ。 どうしたんだろ? 「ほんと、色んな意味でビッグだね、キミは」 へ? わけわかんないし。 そして、ありがたいことに、今年の誕生日は去年と比べものにならないくらいたくさんの手紙やプレゼントをもらった。 名前があるものには全部、お礼のカード出したんだけど、量が結構あって、かなり和真に手伝ってもらっちゃった。 もちろん、はっきりと『付き合って欲しい』って書かれてるのには『ごめんなさい』って返事したけど。 でも去年はこんなにはっきり書いてあるの、なかった気がする…。 あ、手伝ってくれたお返しに、7月の和真の誕生日にはばっちり手伝うつもりだけど。 でもきっと英のご機嫌がナナメになるんだろうなあって思うと、なんだか面白い。 英にも手伝わせちゃおうかな〜。 でも、英にさせたら、『付き合って下さい』に『おとといきやがれ!』って返事しそう…。 |
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