第2幕 「春宵の頃」
【3】
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今年も3日間に渡ってオーディションが行われた。 僕も全部聴いたんだけど、本当に熾烈を極めた…と言っても過言じゃない感じで。 これに順列をつけなきゃいけないゆうちゃんや外部講師の先生たちは、本当に大変だっただろうなって思う。 直也の情報によると、外部講師の先生たちが学校出たの、日付が変わってかららしいし。 結果は、定演での中等部の出来映えに、多くのメインメンバーが危惧した通り、かなりの入れ替えがあった。 まず、管楽器。 岡崎くんの同室で、中等部の部長だった結城くんが、ホルンの次席から首席になった。 高2の、前年の首席は次席に。 トランペットは沢渡くんがついに首席になった。 ここも、前年の首席は僕の同級生だったんだけど、次席になってしまった。 トロンボーンも高1が首席になった。 他のパートも中等部から持ち上がってきた子たちがかなりメインメンバー入り。 直也と和真はもちろん首席をキープしたんだけど、ここも次席が高1に交代。 それと、弦楽器の3位以下の奏者が大幅に順位を変えた。 中2のメイン入りも結構あって、 この分だと指揮台からの眺めがかなり変わりそうな感じ。 反対に、弦楽器の最前列はほぼ安泰だった。 桂のコンマスはもう、『他に誰がいる?』ってくらいで。 セカンドヴァイオリンは首席が卒業したので、次席と3位が順当に繰り上がった。 ヴィオラとチェロのワンツーはそのまま。凪もチェロの3位をキープした。 コンバスも七生が首席のままで、次席は卒業しちゃったので、高2の3番手があがってきた。 そして。 ファーストヴァイオリンの次席――トップサイドって呼ばれる――に、岡崎くんが入った。 他にも上手い子はいっぱいいたんだけど、かなり気迫のこもった演奏で、多分『引っ張る力』が評価されたんだと思う。 もしかしたら、桂が卒業したあとは、彼かも知れない。 それくらい良い演奏だったんだけど…。 『紘太郎が落ち込んでるんだ。渉、話聞いてあげてくれない?』 和真にそう言われて、岡崎くんがいるという『練習室16』へ行ってみた。 どうも、オーディションの結果に落ち込んでるらしいんだけど、次席で落ち込むんだったら、残りは『コンサートマスター』しかないわけで。 ☆★☆ 「自信があったんです」 岡崎くんは、ポツッと言った。 「コンマスになるつもりで弾きました。でも…」 次席だったってことか。 「1年間コンサートを聴いてきて、凄いコンマスだなって思って、聞けばあの栗山重紀の息子だし、ソロを弾いてもきっと凄いんだろうなって覚悟はしてました。でも、絶対抜いてやるって思ってたのに…」 拳がギュッと握りしめられたのが、視界の端に入った。 「栗山先輩のレベルがこんなに高いとは思ってなかった…。こんなことじゃ、何のためにここに来たのか…」 正直、僕は戸惑った。 入寮の日に話した印象では、こんなに熱いものを持ってるなんて、思ってなかったから。 でも、これだけ一生懸命になれるなんて、凄い事なんじゃ無いかなと思う。 僕なんて…。 「岡崎くん」 僕の呼びかけに、ハッと顔を上げて、でもまたすぐに、唇を噛んで俯いて。 「目の前のハードルに気がついただけでも、前進…じゃないのかな」 漸くまた顔を上げてくれたんだけど…。 「渉先輩…」 ジッと見つめられると、やっぱりまだ慣れてなくて緊張してしまう。 でも、僕は僕の出来るだけのことをしなくちゃ。 「僕は、ここへ何の目的も持たずにやってきた。何がしたいわけでもなく、ただ、来てみただけで、色々なことを見失ってた。管弦楽部にだって、入るつもりじゃなかったし」 岡崎くんが目を見開いた。 「先輩、音楽推薦じゃないんですか?」 「うん。弟はそうだけど、僕は違うよ。一般入試で入った」 「じゃあ、なぜここへ?」 そう思うのはもっともだろう。 ドイツにいた僕が、管弦楽部に入るわけでもなく、わざわざ聖稜へ来るなんて、普通は考えにくい。 「ん〜、まあ、環境を変えたかったってとこかなあ」 ゆうちゃんを追ってきた…なんて話すわけにもいかなくて、僕は曖昧に言葉を濁すしかない。 でも、それだけじゃなくて、ドイツから逃げてきた…というのも本当だから。 「なにもかも、わかんなくなってたんだ。 音楽をやるのが当たり前の環境で、他人はみんな、『家』とか『血筋』のことばっかり言うし、でも自分は何をやっても上手く行かなくて、どんな楽器を持っても自分の音が見つからなくて、もう何がしたいのか全く見えなくなってて。 それでここへ逃げてきたようなもの…だったんだ。 でも、ここへ来て、和真や直也や桂に助けられて、管弦楽部に入って、先生やみんなのおかげでたくさんの経験させてもらって、僕は少しずつ、色んなことに気づいていったんだ」 そう。みんなの手が、僕を支えて導いてくれた。 だから僕は今、ここにこうして立っていられる。 「だから、岡崎くんが今、目の前の壁に気づいたってことは多分、とても大事な一歩だと思うんだ。 今は結果を受け入れるのが精一杯かもしれないし、辛いと思うけど、いろんなことに出会って、感じていけばきっと、君にとって良いことがあると思うんだ」 って、こんな中途半端な表現で伝わるのかなあ…。 僕ってやっぱり、相談事とか向かないな…。 どうせなら和真の方が適任だっただろうに…。 はぁ…。 「…先輩…」 目を瞠ったままだった岡崎くんの声が少し震えていて、僕はまた不安になる。 やっぱり、ダメダメだなあ、僕って… 「ありがとうございます。俺…感動してしまって…」 へ? 今の話のどこに感動できる要素が…? 「俺、先輩のこと、何の迷いも悩みもない天才だと思ってました。 でも、こんなにも繊細で、たくさんのことを悩んできて、しかもそれを隠さずに、俺みたいな新入りに聞かせてくれるなんて…」 ええっと…。 なんか様々に誤解や曲解や買い被りが存在してるような気がするんだけど。 「やっぱり先輩を追い掛けてここまで来て良かったです。先輩は、俺が思っていた通り……いや、思っていた以上に素敵な人で、俺は…」 思い詰めたような目でじっと見られて、僕は思わず視線を落としてしまう。 「渉先輩が、好きです」 …は? 「1年以上、ずっと思い続けてきました。最初は会えるだけでもいいと思ってました。けれど、こうして話までさせてもらえるようになって、そうしたら、もっともっと素敵な人で…」 ええと、こういう時はどうすればいいんだっけ。 「あ、あのさ、僕の話、ちゃんと聞いてた?」 「もちろんです。一言一句、漏らさず完璧に聞いてました」 え〜。 「それだったら、なんで僕なんか…。自分で言うのも情けないけど、ひとりでは何にも出来ないヘタレだよ? しょっちゅう後ろ向きだし、すぐ熱出すし…」 って、それはこの際関係ないか。 「じゃあ、俺が護ります。先輩を」 へっ? なんか、話せば話すほど違う方向へ転がってるような気が…。 「俺、これからまた心を入れ替えて頑張ります。渉先輩の側にいたいから」 えっと、ええっと…。 「俺の気持ち、受け入れてもらえませんか?」 「岡崎くんの、気持ち?」 な、なんかそれらしいことをさっき聞いたような気がしないでもないんだけど…。 「はい。俺は、渉先輩が好きです。俺の気持ちを受け入れて下さい」 う、そ…。 「そ、それは、無理っ、絶対無理っ」 「それは、同性だから、ですか?」 って、ここで『うん』って言っちゃえば話は早いんだろうけど、そんな大嘘つくわけにいかないし…。 オロオロしてたらやっぱりと言うかなんというか、あっさり突っ込まれてしまった。 「そうじゃないなら…」 「そ、そうじゃない!」 「先輩…」 「そうじゃないけど…でも、だめ、なんだ」 そうじゃないと言ったら、一瞬表情を緩めた岡崎くんは、また顔を曇らせた。 「誰か、もう付き合ってる人が?」 核心を突かれて僕は言葉を見失う。 直也と桂。僕は2人のもの。 でも、ここでそれを言うわけにはいかないから。 沈黙を否定と取ったのだろう。 岡崎くんは、腕を伸ばして僕の肩をしっかりと掴んだ。 痛くはないけど、すぐには逃れようのない力強さ。 「相手がいないなら諦めません」 上げてしまった僕の視線を捉え、どこか獰猛にも見える光が彼の目に灯った瞬間。 「……!」 僕の身体は岡崎くんの腕の中に抱き込まれてしまった。 まるで予想もしていなかった展開に、僕は半ばパニックに陥った。 力一杯に暴れたけれど、びくともしなくて、一気に恐怖心が募る。 けれど…。 「先輩、大丈夫。これ以上何もしませんから、落ち着いて下さい」 腕の力はそのままに、岡崎くんは僕の背中を優しく撫でる。 「信じて下さい。本当に何にもしませんから」 その言葉に、僕はなけなしの力を奮い起こして、言った。 「好きな人がいるんだ。だから、君の気持ちには応えられない」 それは、嘘偽りのない、僕の本当の気持ち。 「片想い…ですか? それなら尚更、諦めません」 言われて思い返せば、片想いの時期なんてなかった。 僕よりずっと先に、いつもいつも、直也と桂はその想いを僕に向けてくれていて、僕だけが勝手に辛いと思い込んでいて…。 「…違うよ。片想いなんかじゃない。ずっと一緒にいようって、約束してる」 一瞬緩んだ拘束に、僕は腕を突っ張って逃れる。 「渉先輩…」 「僕の心はもう、その人のもの、だから」 どうしてもわかって欲しくて、怖かったけど、目を見てはっきり言った。 「それでも…」 岡崎くんの瞳が揺れる。 「俺は諦めたくないっ」 一瞬、また息が出来ないほど抱きしめられて、今度は少し乱暴に僕の身体を離して、岡崎くんは、出て行った。 残された僕は、もう自力で立っていることも出来ず、ずるずると座り込んで呆然とするばかりで…。 どれくらいそうしていたのかわからない。 「渉っ!?」 突然聞こえた和真の声に、我に返れば、目の前には和真が片膝をついて、僕の肩をしっかりと掴んで…。 「…和真…」 緊張の糸が弾け飛んで、僕は和真にしがみついて、泣き出してしまった。 ☆★☆ 「遅いから、何かあったのかと思って見に来たんだ」 漸く涙が止まった僕を抱き起こして、椅子に座らせてくれてから、和真はいつものように、なかなか要領を得ない僕の話を辛抱強く聞いてくれた。 そして…。 「もっと早く来ればよかった…。 僕のミスだ。紘太郎がこんなに煮詰まってるとは思わなくて…。ごめん、渉。怖い思いさせて」 え? どうして和真が。 「何言ってるのっ。和真のせいなんかじゃないよっ」 「でも…」 「気持ちは誰にも止められないんだ…。それはよく解るんだけど、でも、僕は応えることはできない…から」 和真はまた僕をぎゅっと抱き締めてくれて、『そうだね…』と、小さく呟いた。 |
END |
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