第3幕 「青葉の頃」

【1】





「紘太郎がね、渉に話がしたいって言ってるんだ」
「…え」

 岡崎くんは、数日間部活を休んでいた。

 今年は、黄金週間強化合宿中の合奏が少なくて、しかも僕の担当は今月末まで中等部。

 メインメンバーの、夏のコンサート用の曲を見るのはそれ以降だから、顔を合わせることも少なくて、助かったんだけど、それでも『体調不良』と言う理由での欠席と聞けば、心配で。


「渉のこと、ちゃんとケジメをつけたいみたい。こういうことは、自分でケリつけないとね」

 それって…。

「和真…」 

 呼びかけた声は、自分でも思いがけず不安な色になってしまったんだけど。

「大丈夫だから」

 和真は僕に、穏やかに笑って見せた。

 ならばきっと、大丈夫なんだ。

 そして、今回もまた、僕に見えないところでずっと助けていてくれたんだ。

「…うん。わかった」

 結局、直也と桂には何も言わなかった。
 でも、2人はきっと、知っていた。

 けれど、何もいわずにただ、僕を優しく包み込んで、『ここにいるよ、安心して』って伝えてくれた。

 その事がどれだけ僕を強くしてくれたことか。

 見守ってもらっているという安心感は、僕の中にずっと、暖かく留まっていて、僕を癒してくれた。

 こんな風に、僕も、直也と桂を見守れるようになりたい。

 あ、もちろん和真も…だけど、和真はきっと英が全力で護る。
 そして和真もまた、英を護ってくれる。


「和真、ありがと…。いつも…」
「ふふっ、僕はね、渉を甘やかすのが生き甲斐になり始めて気がする」

 ニタッと笑う和真は、なんだか例の派手な縞々の猫みたいで。

「これ以上甘やかされたら、僕、ほんとにダメ人間になっちゃうよ」
「何言ってんの。渉は自分で思ってるほど、人に甘えてないよ」

 そんな…。

「まさか」

 こんな甘ったれ、僕は他に知らないくらいなんだけど。

「まさかじゃないって。むしろ他のヤツより甘えてないと思うけど?」
「和真って、時々ムチャクチャなこと言うね」

 和真はいつも褒めてくれる。僕が自信を持てるように。

「え〜、なんでムチャクチャ〜? 僕はこれ以上なく真剣だけど?」

 あれ? 真顔なところを見ると、本気で言ってくれてるのかな?

 それはそれで、やっぱりムチャクチャだけど。

「…でも、和真に甘やかしてもらうの、好き、かも」

 甘えてちゃいけないんだけど、でもちょっとだけ甘えちゃおうかな…なんて。

「あ〜、もう渉ってば可愛すぎ!」

 和真が、がばちょと飛びついて来て、僕たちは危うく2人してひっくり返るところだった。


                    ☆★☆


 気詰まりな練習室16。

 防音室は、何の音も出さないと、自分の心臓の音しか聞こえてこない。
 それくらい、外からの雑音も遮断する。

 向き合ったは良いけれど、岡崎くんも、なんだかきっかけを探しているようで…。

 でも、一応僕の方が上級生だし、やっぱり僕から声を掛けないと、だめ、だよね…。


「あ、あの、身体、大丈夫?」
「…え?」
「えっと、体調不良…って聞いてた、から」

 って、もしかして口実だったのかな。体調不良って。

「…あ、はい、大丈夫です。ご心配おかけしてすみませんでした。それと、合奏も始まってたのに、抜けてしまって、ご迷惑おかけしました」

 や、それに関しては、多分桂がやりにくかっただろうとは思うんだけど…。

「それは、えっと、僕はまだメインメンバーを振ってないから、全然、僕は迷惑とかじゃなくて、ええと…」

 あああ、ダメだ。何言ってんのかわかんなくなってきた…。

 すると、硬い表情だった岡崎くんが、ふわっと笑った。

 うわあ、こんな笑い方、できるんだ。

「やっぱり渉先輩って、みんなの言うとおりですね」
「へ?」

 また何か言われてるんだろうか。

 この前、後輩に『渉先輩って天然さんですね』って言われて、意味がわかんなかったんで和真に聞いたんだ。

 どうも『ナチュラリスト』って意味ではなさそうだったから。

 そしたら、和真に『漫才でボケる能力が生まれつき備わってる人のこと』って言われて、余計わけわかんなくなったっけ。

 でも、和真は『渉は天然じゃないって』って言ってたけど。

 まあ、僕はボケもツッコミも出来ないから。


「先輩は、優しくて、懐が深くて、可愛いのに大物で…って」

 …あ、それね。

「あの、それは、みんな勘違いしてるだけだって。人見知りで引っ込み思案なのを、良い方に取ってくれてるだけだから」

 なんでこんなに誤解が生じるのがわからないんだけど、とりあえず、嫌われるより良いかなあと思って、できるだけみんなが誤解してるとおりに、優しくありたいなあとは思ってるんだけど。

 でも、こんな風に、みんなが適当に『伝説もどき』のことを作って出回らせてしまうから、知らない人まで誕生日をお祝いしてくれたり、『付き合って』って手紙もらっちゃったりするんだろうな。

 …って。

 そうだ。岡崎くんにもそんなこと言われて、今その大切な話の真っ最中なんだっけ。

 なんか、不思議な感じ。僕の中にあった、張り詰めた警戒心がいつの間にかなくなってる。

 目の前に岡崎くんがいるのに。

 僕は、なんとなく逸らしたりしていた視線を、しっかりと岡崎くんに移した。

 目が合うと、和真が『大丈夫だから』って言ったのが、わかる気がした。

 この前みたいな、なんて言うんだろ…そう、手負いの獣…みたいな追い詰められた感じがない。

 ここにいるのは、英みたいに、年齢以上にしっかりして見える、ひとりの高校1年生。 


「俺、大切なことを忘れていました」

 柔らかいけれど真剣な表情で、岡崎くんは僕をジッと見たまま言う。

「渉先輩の側で、音楽をやりたいと思って、ここへ来たんです。ずっとそれを夢見て頑張ったのに、何もかも駄目にしてしまうところでした」

「…岡崎くん…」

「先輩が、好きな人がいるっておっしゃったのに、それを無視してごり押しするようなマネをしてしまって…」

 そう言って唇を噛んだ岡崎くんの声は、少し苦い感じがして…。

「でも、絶対に敵わないと思い知りました。本当に、気持ちが結び合ってるんだ…って…」

 え? それって…。

「あ、もちろん誰にも言いません。先輩が、守り通そうとされたこと、俺もちゃんと守ります」


 …もしかして、と思ってたんだけど、直也のあの行動にはやっぱり意味があったんだ。

 だって、直也も桂もそれなりに無節操だけど、あの場所での突然の変容は、ちょっと考えられないことだった。

 あの場所で、よりによって管弦楽部長サマが、あんな危ない行為に及ぶなんて。

 まあ、あっさり流される僕も僕だけど。


「あ、あの…」

 ともかく、あのシーンを見られてしまったということの恥ずかしさは半端じゃないし、でもそのおかげで事態が収拾できたとか、なんとなく結果オーライのような気がするんだけど、それでいいのかって感じもして。

 でも、桂は知ってるんだろうか…。 

「ともかく、渉先輩はもう、何も心配されなくて大丈夫です。俺、いつか栗山先輩を追い越せるように頑張ります。でも、先輩が卒業するまでは、精一杯トップサイドとして支えていきます」

「うん…」

「でも、その後もずっと、俺は渉先輩のタクトで弾き続けて行きたいんです。先輩の音楽を追い続けていくことだけは、許して下さい。お願いします」

 吹っ切れて、どこか明るささえ感じさせる決意を滲ませる岡崎くんは、なんだか頼もしい。

「…ありがとう…。そんなに言ってもらえて、本当に嬉しい。僕の方こそ、これからも一緒にできたらきっと、楽しいだろうな…って」

「渉先輩…」

 少し泣き笑いみたいな不思議な表情は、かなり岡崎くんを魅力的に見せて、何となく僕は、彼が人気者になりそうな予感がして、ちょっと嬉しくなる。

 でも、なんだか岡崎くんって本当に弟っぽい感じ。  

 どことなく、雰囲気が英に似てるから…かもしれないけど。



                     ☆★☆



「岡崎くんと話したんだけど」

 直也が文化部長会議に行っている間、僕と桂は練習室1にいた。

 ここは、今のところ僕が占有させてもらってる。
 僕がピアノを使って総譜の譜読みをしたり、各パートの首席と打ち合わせしたりできるようにしてもらってるんだ。


「ああ、あいつ、なんか調子戻ったみたいだな。随分張り切って弾いてたぞ。合奏の勘もいいし、注意力と集中力のバランスがいいから、このまま頑張ってくれたら、来年はあいつに渡せるかな…って感じ」

「そうなんだ」

 桂が言うんだから、間違いないだろう。

「振るの、楽しみだな…」

 あと少しで、僕とメインメンバーの練習が始まる。

 最後の1年。みんなと精一杯やりたいな…って思う…んだけど。


「ね、桂」

 見上げると、いつもと同じ笑顔がある。

「ん?」

 どうしよう。何て聞こう。

「あ、あの、ええと、その、岡崎くんのこと、で」
「うん?」
「ちょっと、何て言うか、色々と…」
「うん」
「それで、直也が、ええと」


 あああ、こんなんじゃ、伝わらないよ…と、思ったら。

「ああ、もしかして、この前廊下の隅で、直也とエロいラブシーンやらかした件とその周辺の出来事?」

 笑いを堪えた声で言う桂に、僕はどこかホッとするんだけど、でも、僕の意味不明の物言いで、よくわかるなあ。

「…やっぱり知ってたんだ」

「直也からちゃんと聞いてたよ。俺たち的には結果オーライだったけど」

 僕をふわりと抱き締めて、労るように背中を撫でてくれる手は、暖かくて。

「頑張ったな。渉」

「ううん。頑張ったのは僕じゃないよ。桂と直也と…それから、和真が頑張ってくれたから…だよ」

「渉らしいな…」

 頭をギュッと抱き寄せられて、僕は気持ち良さに目を閉じる。

「…ありがと…桂」

「それ、直也にも言ってやって? 喜ぶよ」

「うん」

「じゃあ、俺ともエロいラブシーンしよ?」

「えっ?!」

「え…じゃないの。ほら」

 頭の後ろをすくい上げられて、仰向かされた唇に降ってくるのは優しいキス。

 触れるだけですぐ離れたそれを、僕は思わず追いかける。

 すると、ちょっとキケンに桂が笑って、今度こそ噛みつかれそうなキスがやってきた。

 こうなると、僕はもうどうしようもなくて、ただ桂の腕の中でされるがまま……って…わああ!

 べ、ベルト外してなにする気?!

「ん〜!」

 暴れる僕の唇を離して、桂が耳元で囁く。

「何?」

「だ、ダメだって…ば」

 必死で桂の手を離そうとするんだけど、僕よりずっと力の強い桂は、僕の抵抗なんてものともせずに…。

「…や、あ…っ」

 侵入して来た手に煽られて、思わず漏れたのがとんでもなく恥ずかしい声で、僕は慌てて桂の肩に顔を埋めて声を殺した。

「わたる…声出していいよ…。防音室なんだから…」

 そ、そう言う問題じゃなくて〜!

「や…手、離し…て」

「ダメダメ、今やめたら辛いだろ?」

 じゃあ最初からやらなきゃいいじゃん〜。

 でも、そんな思いももう、言葉にはならなくて、僕はただ、弱く頭を振って、やめてと伝えるだけで。

「…いいから、全部俺に預けて、感じてな」 

 そんな、甘い声で囁かれたら、もう、足に力が…。

「おっと」

 崩れそうになった僕の身体を抱えて、桂は部屋の隅に座り込んだ。

 横抱きにされた僕と目が合うと、優しく笑ってまた、キスが始まって。

 その間も、桂の手は僕を追い詰めていて、僕はもう、無駄な抵抗をやめた。

 そうしたら、頂点はすぐにやってきた。


「…んっ」

 小さく震えてしまう身体をきつく抱き締められて、僕はぐったりと桂にもたれかかってしまう。

「可愛い…わたる」

 もう恥ずかしすぎて、顔が上げられない。

「ちょっとじっとしてな。キレイにするし」

 って、桂のハンカチで後始末までされてしまって、動悸も収まらない。 

「口でしてあげようと思ったんだけど、キスに夢中になってたら間に合わなかった。ごめんな」

 う〜!

「…もうっ、桂のバカっ」
「あはは、ごめんごめん」

 って、嬉しそうじゃん。も〜。信じられないし〜。

「…でも…」
「ん? なに?」
「桂…は?」

 僕ばっかりされちゃって。

「俺は、今度の土曜日にまとめて『ヨロシク』だから」

 ニッと笑った桂の瞳に危険な色を見つけてしまって、次の土曜日がコワい僕だった。


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