幕間 「君は誰のもの?」
【1】
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少し離れたところで、同級生たちに囲まれて渉が笑っている。 主にコンバス首席の遠山七生が何やら可笑しな話を繰り広げているようで、渉から話を振っている様子はまるでないが、可愛い笑顔は周囲を和ませている。 そんな様子に、紘太郎の頬も自然と緩む。 自分が執拗な恋慕の視線を送り続けていたときには、何処かにいつも緊張感を漂わせていたけれど、それもなくなり、これで良かったんだと、紘太郎はまた自分に言い聞かせる。 あの頃、桂や直也、和真が鉄壁のガードで渉を護っていることを痛感した。 ケリをつけるまでは、どこまで事情を知っているのかはわからなかったが、英の無言の圧力も感じていた。 確かに噂通りのウルトラスーパーブラコンだと思った。 出来ることなら自分もいつか、彼らの信頼を得て、渉を護る立場になれたら…と、今はそれを願っている。 「お、渉先輩は相変わらず可愛いなあ」 紘太郎の視線に気づいたのか、章太が声をかけてきた。 「うん。…なあ、章太」 「なんだ?」 「俺、渉先輩を見てると、なんか生まれたての小鹿を思い出すんだ。自分の足でしっかり立ち上がろうと、一生懸命なところとか」 よりによって、18にもなる先輩をつかまえて『生まれたての小鹿』はないだろうと、章太は小さく吹き出すが、気持ちはわかると頷いた。 「紘太郎ってば、短い間によく見てるよな~。確かに渉先輩って、無垢で可愛くて、いつも生まれたてみたいな感じあるよな。で、一生懸命なんだよ。それが指揮台に上がるとああだもんな」 いつも章太は感じていた。 この人は指揮台に上がると、遥かに年上に見えるな…と。 まるで、『人生の大先輩』のような気がするのだ。 「みんなは『人格入れ替わる』って言ってるけど…」 「や、俺はそうは思わないな。紘太郎もそうじゃねえの?」 「あ、うん。そうなんだ。どっちもちゃんと渉先輩で、奥深くでは繋がってる気がする」 そう。音の世界に入った瞬間、きっとあの人の意識は奥深く、そして高く、広がっていくのだ。 「だよな。渉先輩と少し長く突っ込んだ話すると結構わかるんだ、それ。あの人、赤ん坊みたいなのに、物凄く大人なんだよ。外面しか見てないヤツにはわかんないと思うけどさ」 「ミステリアスだよな」 「そう、それ。マジで不思議な人だよな」 結局は、魅了されているのだ…と、2人は顔を見合わせて小さく笑った。 「お、合奏開始だ」 顧問がステージに上がったのを見て、メインメンバーたちがそれぞれの定位置に戻り、音出しを始める。 紘太郎の席は、桂の左隣。所謂『トップサイド』という位置だ。 楽団によっては、弦楽器のすべての次席を『トップサイド』というところもあるらしいが、大概の楽団と、ここ聖陵学院管弦楽部では、コンサートマスターの隣だけを『トップサイド』と呼んでいる。 つまり、コンサートマスターの代理を務めることもある重要な位置という意味で、プロの楽団では、コンマスより経験豊富な奏者が配される事も多く、他の次席とは違う重みを持つ。 紘太郎は当初、コンマスになれなかったことを悔しく思っていたが、この位置で何度か合奏に乗っただけでも、今の自分では到底コンマスの責務には耐えられなかっただろうと感じていた。 弾けるだけではもちろんダメ。気配りだけでもダメ。集中力と注意力が常にマックスの状態で、しかも自分は誰よりも弾けなくてはいけない。 そして何より、すべての奏者を背負って走る気概と絶対の信頼を得ること。 そんなものは、一朝一夕で得られるものでは無いと痛感した。 そして、それを難なく――見ている限りではそう見える――こなしているのが隣で弾いているコンサートマスター・栗山桂だ。 だが、それを難なくこなしているように見えること自体が凄い事なのだということも、紘太郎はもうわかっていた。 彼は、中1・中2で3番奏者、中3でトップサイドになって、高校進学と同時にコンマスに昇格して3年目。 初めてオーケストラの中に入ってまだ3ヶ月目の紘太郎との差はあまりに大きく、追い越してやろうと思うこと自体が間違っていたのだと気づいたのと同時に感じたのは、『この人の隣で弾けること』のありがたさ…だった。 コンマスが出す『アインザッツ』の呼吸の全てが手に取るようにわかる位置で、桂の様々な様子をつぶさに学べるのは幸せなことなのだと思い至ってから、紘太郎は少しずつ、『栗山桂』というヴァイオリニストに傾倒していった。 本格的な合奏が始まってから半月ほど経ったある日、『お前さ、このまま頑張れば、来年俺の後釜いけるぞ』と言われた時には、嬉しくて眠れなかったほどだ。 それ以来、紘太郎は合奏中の桂の様子に一層注意を傾けるようになり、渉が指揮台に上がってからは、2人が目と目で交わす会話――アイコンタクトを漏らさず確認するようにした。 まだまだ自分のことで精一杯の部分がある中でも。 だが、そうしているうちに、あることに気がついた。 顧問が指揮台にいるときと、渉が指揮台にいるときでは、アイコンタクトの様子が違うのだ。 顧問も渉も、桂とだけでなく、すべてのパートの首席奏者とアイコンタクトをとっているが、顧問は、ほんの一瞬のそれでコントロールを効かせる。 それは誰が相手でも同じ。 だが、渉のそれは、相手によって少し違うようなのだ。 初めのうちは、それぞれの『やり方』だと思っていたのだが…。 渉の場合、顧問のそれと同じような時もあれば、奏すること以外の感情も含まれているような気がする時もある。 相手がフルートの首席――直也ならそれも仕方がないかと思った。 彼らは熱愛の恋人同士なのだから。 けれど、他の奏者の誰よりも長くアイコンタクトを取るであろうコンマスとのそれにも、同じような種類の熱を感じるのだ。 ふと、その瞳が何処かに愛しさを含んでいるようで…。 紘太郎も、渉を腕に抱くことは諦めたが、好きでいることをやめた訳ではない。 好きは好きで仕方がないのだ。 ただ、それをどの方向に持って行くのかが問題なだけで。 だから、そんな風に感じてしまうのかなとも思ったのだが…。 ――でも、栗山先輩と渉先輩、合奏中でなくても、結構目と目で話してるような気がする…。和真とはそんなことないのにな。 親友だから…なら、和真ともそうであってもいいはずなのに、渉と和真の間にある空気はまったく雰囲気が違う。 はっきり言ってしまえば『健全』なのだ。 そうなると、渉と桂の間は『不健全』なのかと言うことになってしまうのだが、そうとまでも言い切れず、紘太郎はなんとなく悶々としていた。 ――渉先輩と麻生先輩が恋人同士で、麻生先輩と栗山先輩は大親友で、栗山先輩と渉先輩は…。親友…しかないよなあ、普通は…。 そして、そんな紘太郎を悩ませる噂がもう一つ発生していた。 合奏が始まり、管弦が集合すると、和真と紘太郎は顔を合わせる機会が増える。 それだけではなく、 全ての管楽器のトップである管楽器リーダーは、コンマス代理も担う紘太郎とは何かと密接な接点も増える。 首席会議にも、トップサイドだけは次席でも参加するのが常で、その場でも紘太郎は和真と顔を会わせることになり…。 「ええ…っと、あの、岡崎…」 「あ、はい、安藤、先輩」 「この前、話してた件、だけど」 そこまで言ったところで和真が言葉を切った。 周囲の耳がダンボになっていることに気づいたからだ。 「ちょっと、あっち、いこ」 袖を引っ張ると、紘太郎は素直に、しかしぎこちなくついてくる。 紘太郎にもわかっていたのだ、周囲の『注目』が。 そして2人いなくなった現場では、視線の動きだけで2人を見送った『周囲』が、ざわざわと騒ぎだす。 「なんか、ぎこちないよなあ、2人とも」 「ああ、絶対へんだよな」 和真と紘太郎の様子がおかしいことに、周囲はすぐに気がついた。 なにしろ『難攻不落の美少女』と『噂のニューフェイス』の組み合わせだ。 なにもなくても視線を集めているのに、近寄れば不気味なほどぎこちなくなる2人の様子に、『そう言うこと』に敏感な『ここ』の生徒たちが気づかないはずがなかったのだ。 その『ぎこちなさ』の原因はもちろん、2人の関係故…だ。 今まで10年以上『和真』『紘太郎』と呼び合ってきた幼なじみの2人にとって、いきなりの『先輩後輩』は、和真をしても、切り替えに時間と手間のかかることだったのだ。 「どう思う? あれ」 「バリバリ意識してるよな」 「視線もあんまり合わさないんだぜ? あの、和真がさ」 「そう、それ。院長相手でも視線を捕まえて意見言うヤツが…だよ」 「ってことはやっぱり…」 「ま、デキてるって解釈するのが妥当ってとこだろ」 「難攻不落の美少女も、ついにハリウッド俳優ジュニアの手に堕ちたってわけか?」 「決め手ってなんだろ?」 「それ! 聞きたいよなあ。『難攻不落』が6年目で堕ちたわけ」 「イケメンはうじゃうじゃいるからさ、顔だけってわけじゃないだろうし」 「もしかして、バックグラウンド?」 「いやー、和真だぜ? それはないだろう」 「だよなあ」 そして、3年生たちが盛り上がる輪から少し離れた場所で、ぶすくれている男前――チェロの首席――がひとり。 これ以上ないほどの不機嫌ぶりに、下級生たちは『男前は不機嫌でもカッコいいなあ』なんて、遠巻きにしているが、すぐ側にいる2人の親友――斎樹と真尋は、顔を見合わせて困り顔…だ。 和真の恋人は英だと知っている。 けれど、確かに紘太郎との関係がどこか変なのもやはり感じていて、それとなく英に話を振ってみたものの、『心配してもらうことは何にもないから安心しろ』…と、これまたかなり不機嫌に答えがあって、ますます意味不明…といったところだ。 ――仕方ないさ。事情があるんだから。 英は、そう自分に言い聞かせる端から面白くない。 和真のことだから、そのうち今の状況に馴染んでいくだろうから…と、無理やり自分にねじこんで、英は誰にもわからないようにそっとため息をついた。 いっそのこと、『和真は俺のものだ!』と大声で言いたいくらいなのにと、内心で頭を抱えつつ。 |
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