第4幕 「子守歌」
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和真の実家で楽しくて大騒ぎな2泊3日を過ごして、軽井沢合宿までのわずかな間に、僕たち――と言うか、桐生家全体にとって、大きな出来事が待っていた。 父さんたち兄弟が、初めて一緒にアルバムを出すことになって、そのレコーディングが3日間缶詰で行われたんだ。 父さんたちはみんな、20代でデビューしてるのに、今まで一度も4人揃ってレコーディングすることはなかった。 それは、悟くんがピアノを弾けなくなったから。 でも、今回の悟くんの復帰っていうとんでもなく嬉しいことがあって、ついに決行されることになったってわけ。 ちなみに今回だけ葵ちゃんは本名の『桐生葵』で参加。 理由は『桐生ファミリー』のアルバムだから。 僕が少し前にチラッと聞いていたのはこのことだったんだ。 アルバムのタイトルは『子守歌』。 各国の子守歌のアレンジを色々変えて、いろんな編成でやるんだ。 アレンジ担当は、悟くんと葵ちゃんと僕。 メインの編成はもちろん、悟くんのピアノに昇くんのヴァイオリンと父さんのチェロと葵ちゃんのフルート。 で、子守歌だから…って理由らしいんだけど、僕と英と奏も参加させてもらえることになったんだ。 英はもちろんチェロで、父さんとのデュオとか昇くんとのデュオとか。 僕はフルートで葵ちゃんとデュオしたり、僕のヴァイオリンに昇くんのヴィオラの組み合わせとか、色々と楽器を持ち替えて。 ちょうど、母さんと一緒に里帰りしてる奏は、各国の言葉で『おやすみなさい』を録音したのと、僕と2人で子守歌をデュエットで歌う。 奏は歌が好きみたいで、楽器にはあんまり興味を示さないから――フルートだけは別みたいだけど――もしかして歌の道に進むのかも知れない。 父さんは、『ま、血が繋がってるんだから仕方がないよな』なんて言うけど、声がセシリアさんに似てるんだ。 ただ、まだ手が小さくて、フルートのレッスンを始めていないから、始めたらどうなるかはわからないけれど。 ちなみにこのアルバムの収益はすべてチャリティーに。 だからこそ、デビューしてない僕たち『子供』も参加させてもらってるんだと思うけど。 僕は、ドイツで何度かレコーディングの経験がある。 楽器を弾いたこともあったし、作曲やアレンジで参加してたことも。 だいたい、TVの子供番組向けの音楽で、父さんか母さんのどちらかが必ず付き添いに来てくれてたけど、僕は大人の中でひとりポツンとレコーディングブースの中で時間を過ごしていて、こんな性格の僕には、それは結構苦痛なことだった。 嫌だと言えば良かったんだけど、学校の友達に『いつも楽しみに聞いてるんだ』って言われたら、やめられなくって…。 そんな風に、あんまり『レコーディング』に対していい思い出のない僕だけど、今回は違った。 家族だけ…ってこともあって――もちろんエンジニアの人たちはいるけれど――和気藹々としてて、でもいざ録音になると、みんなプロの顔で意見を戦わせていて。 何かを作り上げるって、こういうことなんだなあ…って僕は改めて思い知って。 英も『こんな現場にいさせてもらえるなんて、とんでもなく勉強になるよな』って。 ほんと、そう思う。 そして、レコーディングの最終日、ゆうちゃんと直人先生に連れられて、和真と直也と桂が見に来てくれた。話はしてたんだけど。 僕はこの時、奏と2人で歌ってる最中で、奏ってば、ガラス窓の向こうに和真の姿を見つけるなり、満面の笑顔で手を振ったんだ。 初対面なのに。 当然和真は、誰に手を振ったんだろうって、キョロキョロしてて、隣で英がぶすくれてて。 ピアノを弾いてる悟くんも、笑いをかみ殺してる。 「奏〜、録音中によそ見しちゃダメだろう?」 無事に録り終えてブースから出て、奏に注意したら案の定、エラそうに反論してくる。 「だって、和真くん来てるのよ? 写真よりもっと可愛くて、嬉しくなっちゃったんだもん」 なにそれ。いつの間に、そんなに和真に…。 英が何か言いたそうだったんだけど、次が父さんと昇くんと英の3人での録りで、笑いを堪えてる父さんに引きずられてブースに入っていった。 この後は、最後の1曲。 全員で『わが母の教えたまいし歌』を録ったら終わり。 ゆうちゃんたちはみんな、コントロール・ルームの一番後ろでジッと、始まった3人の録音の様子に耳を傾けている。 僕は、手を振ってみんなに挨拶して、みんなも口の形だけで『お疲れ〜』って伝えてくれるんだけど、奏が和真の所へ行こうとしたので、慌てて手を引っ張って母さんに渡した。 母さんも声を殺して笑ってるんだけど、奏ってば本当になんで、そんなに和真? そりゃ、去年写真見せてから、会いたいって言ってたけど。 で、最後の曲も予定通りの時間でちゃんと録り終えて、あとはもう、大人任せ。 父さんたち4人は、グランマの意見も聞きながら最終打ち合わせをして、あとは楽しみな打ち上げ! ☆★☆ 打ち上げ会場は、スタジオの側のレストラン。 パパたちと僕たちとエンジニアさんたちはもちろん、事務所の人たちとかもやってきてすごい賑わい。 ゆうちゃんと直人先生、直也と桂と和真も引きずり込んで、聖陵の昔話から今の話まで乱れ飛んで大変な盛り上がり。 でも、ゆうちゃんと直人先生がいるのは嬉しいんだけど、こっそり飲んでやろうと思ってたのがダメになったのはちょっと残念かも。 2人とも身内だけど、一応学校の先生だもんねえ。 直也と桂と和真もいるし…。 はあ…法律が18歳だったらなあ…。ほんと、日本って遅れてるんだから。 ま、でもゆうちゃんも直人先生も生徒がいて、しかも帰りは3人を直也のマンションまで送っていかなきゃだから、一滴も飲まないみたいだし、悔しさも半減…かな。 葵ちゃんなんて、もうかなり飲んでるはずなのに、顔色ひとつ変わってないし、言動も何ひとつ変わんない。 「そう言えば、彼らがまだ在校中に京都の栗山家で宴会をしたことがあったなあ」 葵ちゃんを眺めて直人先生が言った。 「え? 家へ来られたことあったんですか?」 桂が聞くと、先生は笑いながら頷く。 「ああ、確か正月だったと思うんだ。君の父上が教授に招聘されてオーストリアに渡る少し前だった。彼ら4兄弟に、香奈子先生と…そうそう、赤坂先生も来られたな」 「…凄いメンバーだな」 直也が呟いた。 そうなのかな? 僕にとってはみんな家族だから何とも思わないんだけど…。 それよりも、この前ニュースで見た直也のお父さんとその周囲の方がよっぽど凄いメンバーだったけど。 何かの大臣が直也のお父さんの肩抱いて、耳元に何やら囁いてて密談風だったんだ。 その光景はちょっとネットで話題になってた。 「あ、そう言えばうちの父親が、留学時代に院長先生とよく飲み歩いたっ言ってました」 なんと。直人先生と栗山先生は『飲み友』だったんだ! 「なんか、どっちも強そうだよな」 直也が僕にこっそり言う。 「うん。互角にやり合いそうだよね」 でも僕の敵じゃあない。 だって葵ちゃん言ってたもん。直人先生は昇くんと同じくらいだって。 「ああ、父上は強かったよ。その正月の宴会でも、次々と撃沈していく中で最後の方までに残ってたけど、結局最後まで平気な顔をしてたのは葵だったんだ」 …やっぱり。 「えっ、葵さんって強いんですか?」 桂の問いに直人先生が、『ああ見えて、とんでもない底なし沼なんだ』って答えた時、僕の隣で和真がニタッと笑った。 きっと僕のこと、思い出してるに違いない。 うーん。底なしでないように見せかけるにはどうしたらいいんだろう。難しい問題だなあ…。 って、ひとりでどうでもいいことに悶々としていたら、ゆうちゃんが高校生の頃、葵ちゃんの洗濯物たたんであげてた話とかしてて、めっちゃウケてて。 そう言えば、正直なところ、葵ちゃんが一番生活能力ないと思うんだ。 お料理ダメだし、洗濯嫌いだし。掃除はちゃんとしてるけど、整理整頓はやり過ぎてどこに何しまったかわかんなくなるし。 反対に、何でもできるのが昇くん。 父さんに言わせると、直人先生のおかげ…らしい。 高校卒業までは、寮にいたにも関わらず、何にもできなかったみたいだし。 悟くんは今も昔も万能で、『悟くんは、出来ないことなんて何にもないんじゃないかなあ』って、母さん言ってたけど。 父さんは、聖陵にいた頃は何にもしなくて良かったんだ…って教えてくれたのは、実は1年の時の担任の森澤先生。 親衛隊がいて、全部やってもらってたから何にもしなかったって。 なんて贅沢な。悪さばっかりしてたクセに。 でも、ちょっとびっくりだった。 だって、僕が知ってる父さんは、なんでもできる人だから。 僕が生まれた時から積極的に手伝ってくれたそうなんだけど、特に、6歳と4歳の僕と英を連れてドイツに行った時から、何でもやってくれるようになったんだって、母さん言ってたっけ。 まあ、僕の所為…ってのも大きいかも。 ドイツに行ってからも、しょっちゅう病気してたから、その度に英の面倒見るのは父さんの役目だったし。 奏が生まれた頃には、僕と英も大概の事は出来るようになった。 母さんが長い間入院しちゃったから。 でもあの時は、みんな入れ替わりで手伝いに来てくれたっけ。 葵ちゃんなんか、苦手なくせにご飯作ってくれたんだけど、結構まともなご飯だった。 やれば出来るのに。 なんて、ぐるぐる色んなこと考えてたら、直也と和真が何やらひそひそやってて。 何の話してるのかなと思って顔を突っ込んだら…。 「な、昇さんってめっちゃ意外だったんだけど…」 直也がこっそり僕に言う。 「僕も右に同じ」 和真もひそひそと僕に言う。 「ま、直也と和真の言いたいことはわかるけどな」 10歳で日本に戻って来てから、聖陵受験のためのレッスンを、昇くんに見てもらったことのある桂が、横からうんうんと頷く。 なんでも昇くんは『聖陵学院伝説のフランス人形』とか言われてるそうなんだけど、直人先生が『黙っていたらお人形さんなんだが、喋ったらおしまいだからな』なんて2人に言ったらしくて、いったいどういうことだろうと思ってたら、ほんとに先生の言ったとおりだった…って。 昇くんって黙ってる時と喋った時のギャップは確かに激しい。 きっと頭がいいんだろうなあ。ひとつ言ったら100くらい返ってくるし、しかも速攻で。 打てば響くってより、打つ前から響いてるって感じなんだ。 ほんと、僕が100人いても敵わないかも。 でも、そんな昇くんだけど、話すのが遅い僕にはいつも合わせてくれて、優しく相手をしてくれるんだ。 赤ん坊の頃は、昇くんの膝の上でご飯食べさせてもらうのが僕のお気に入りだったらしいし。 で、英とは倍速で喋ってる。 それと、昇くんと奏がよく似てるって、3人ともびっくりしてる。 奏は見た目だけでなく、喋らせてもも昇くんにそっくり。 お口が達者というか、おしゃまさんというか…。 昇くんは、そんな奏がやっぱり可愛いみたいで、今も膝の上に乗せてる。 でも奏は和真の方が気になるみたいで、こっちを見ては和真に手を振ってる。 和真はちょっと困惑しつつも 『やんちゃな女子には慣れてるから』って、相手してくれてる。 多分、優里さんと愛里さんのことだと思うんだけど、そんなにやんちゃかなあ。たおやかな美人って感じだったけど。 「奏〜。僕と直人先生の子供になる?」 膝の上の奏に昇くんが言った。 周りの大人たちが、奏がなんて返事するだろうと興味津々で見守ってる中、奏が爆弾を落とした。 「ん〜。昇くんと直人先生はみりょく的だけど、それは無理よ、昇くん。だって、私が桐生家を継がないとダメだもん」 僕たちが固まったのは言うまでも無い。 しかも。 「渉も英も、好きなことしそうだし」 ななな、なにそれっ。 僕は当然としても、英ですら、すぐに言い返せずに絶句してたら、奏は昇くんの膝から飛び降りて、和真の前へトコトコとやって来た。 そして、見上げてニコッと、昇くん譲りの極上の笑顔で言った。 「和真くん」 「あ、はいっ」 直立不動になった和真に、直也と桂が吹き出した。 「『あの』安藤が気圧されてるぞ」 直人先生が笑いながらゆうちゃんに耳打ちして、ゆうちゃんも笑いを堪えてる。 「奏のお婿さんになって」 「か、かなでっ!?」 硬直した和真の代わりに、ひっくり返った声で返事(?)をしたのは英。 僕はもう、どうしていいかわからなくて、直也と桂を見たら…。 2人ともお腹抱えて必死で笑いを堪えてるし。 堪えなくてもいいのに。 だって周りの大人たちはみんな大爆笑なんだから…。 「あ、あのな、奏。ちょっと話合おう」 「え〜。どうして英が奏の邪魔するの?」 「邪魔じゃなくて、これは大事なことだろう? ちゃんと和真の気持ちも聞かなくちゃ」 って、必死で英が奏を説得しようとしてる横で『奏が逆プロポーズしちゃった〜』って、葵ちゃんたちバカ受け。 そんな大人たちをものともせず、奏は伸び上がって英に言い返す。 「だって、まずは『おつきあい』からじゃないの?」 「確かにそうだけど、でもな、和真には和真の気持ちがあるだろ? それに奏はまだ子供なんだから…」 「英だって子供じゃないの。渉は18歳になったけど、英はまだまだ子供でしょ」 奏の反論に、辺りはまたバカ受けで。 そっか、ドイツは18で成人だったっけ。 日本ではまだ2年も『子供』だなんて、変な感じだけど。 で、奏の言葉に返す言葉をなくしてる英に、和真が小さく笑った。 そして、奏の前に片膝をついた。 「あのね、奏ちゃん」 ニコッと笑う和真は、そりゃもう、学校のみんなが見たら『総倒れ』なくらい可愛いくて、奏がポッと頬を染めた。 「うん」 「僕は、奏ちゃんのお兄さんたちの『親友』なんだ。これからもずっと『親友』だから、奏ちゃんともずっと『お友達』でいられるから、仲良くしてね」 「…お友達…なの?」 ちょっと寂しそうに奏が言うと、和真はまたとびきりの笑顔で応えた。 「そう。ずーっと仲良しでいよう?」 奏はちょっと口を尖らせてから、『仕方がないわね』とエラそうな口調で呟いた。 「和真くんと奏はずーっと、仲良しなのね?」 「そう。僕と仲良しになって?」 「OK、いいわ。でも奏が女の子の中では一番でなきゃイヤよ?」 「もちろん。奏ちゃんがいつでも一番だよ」 もう一度必殺の笑顔を向けられて、奏は大人顔負けの仕草で肩を竦めてから、和真の頬にひとつキスを贈った。 「後でアドレス教えてね」 「了解です、お姫様」 その一言は奏の気分を多いに持ち上げたらしく、奏は上機嫌でまた、昇くんの膝の上に戻っていって、奏に注目していた周りの大人たちも笑いながらまたそれぞれの会話に戻っていったんだけど…。 「か〜な〜で〜、覚えてろ〜」 誰にもわからないようにこっそりと、英が呟いた。 英…相手は8つも下の妹なんだから…もうちょと大人になろうよ…うん…。 でも、やっぱり凄いや…和真ってば。 口では誰も勝てない奏を丸め込んじゃったよ。 「意外〜。和真って、『切れ者』だけじゃなくて『タラシ』の才能まであるわけ?」 「だよなあ。6年間男子校にいたからわかんなかっただけってことなら、大学行ったら大変なことになるんじゃね?」 「音大って7割女子だって言うじゃん」 「ふふっ、和真も王子サマってわけだ」 って、直也も桂も知らないよ? そんな風に英を煽っちゃってさ。 「栗山先輩、麻生先輩」 「あ?」 「なに?」 「言っておきますけど、渉だって王子様キャラですよ。女の子たち的には」 え? なんで僕に飛び火してくるわけ。 巻き込まないで欲しいなあ、もう。 ほら、直也も桂も毛が逆立ってるし。 「僕は和真みたいに口が上手くないから大丈夫。絶対モテないから」 うん、自信あるし。 「誰が『口が上手い』っての。それより、渉は黙っててもモテると思うよ」 って、和真まで〜。 「ふんっ、渉がモテるのくらいわかってるっての」 「そうそう。こんな可愛い子、他にいないし」 僕のことなんかどうでもいいよ。 それより…。 「僕は、直也と桂がモテる方が心配だけど…」 …って、本音を正直に言っただけなのに、なんでみんな照れてんの? 「や、うん、ごめんごめん」 和真が僕の肩をポンポン叩きながら言うんだけど。 「何がごめんだよ、も〜」 訳わかんないし。 って、ごちゃごちゃやってたら、エンジニアの人たちや事務所の人たちと話をしていた母さんが、僕たちのところへやってきた。 僕たちがレコーディング中に、直也と和真はゆうちゃんに紹介してもらってたみたい。 桂は『久しぶり』だけど。 母さんが和真に新しいグラス――中身はもちろんジュース――を渡して、小さな声で『ドイツだったら飲めたのにね』って言ったら、和真は『渉くんほど強くないですよ』なんて笑いながら返してて。 直也と桂はいつの間にか葵ちゃんに拉致されてて、向こうの隅っこでなにやら話し込んでる。なんの話してるんだろ。 気になる…。 「和真くん、大学を出たらアニーの所へ来るって聞いたんだけど」 母さんが切り出した。 「あ、はい、お世話になろうと思っています」 「そのことでね、ちょっと相談なんだけど…」 4年も先の話なのに、何なんだろうって思ったら。 なんと、ドイツへの留学中は、うちへ来ない?って話だったんだ。 そう、僕の家へ。 「うちからアニーの家は結構近いのよ。歌劇場のアカデミーはもっと近いわ。渉と英がいなくなって部屋も余ってるし、どうかしら? 奏も喜ぶと思うのよ」 って、さっきの騒ぎを思い出して、母さんが笑う。 「本当に和真くんには感謝してるの。渉がまともな高校生活を送れたのはあなたのおかげよ。本当にありがとう」 なんか酷い言われ様だけど、確かにそう。 うんうんと頷く僕の隣で、和真は恐縮するばっかりなんだけど、桐生家一族で押し切って、結局『うん』って言わせてしまったんだ。 でも、その後の母さんの発言に、みんな――グランマ以外――崩れ落ちてたけど。 だって母さん、『ひとつだけお願いがあるの。ドイツへ来たら、私のことは『ママ』って呼んでね』なんて言うんだもん。 理由がまた腐ってて、『いつの間にか渉まで『ママ』って言ってくれなくなっちゃって、寂しいのよね』…だって。 あのね、日本の高校生は『ママ』なんて呼ばないの。 和真だって、今までお母さんのこと『ママ』なんて言ったことないはずだから、絶対嫌がるはず…。 「え、いいんですか? 実は僕、渉が1年の頃に『ママ』って言ってるの聞いて、ちょっと羨ましかったんです〜」 へっ? 確かに和真が『ママ』って呼ぶの、似合うけどさ…。 母さんは『嬉しいわ〜!』って大喜び。 って、英が赤い顔して横向いてんだけど。何照れてんの? それに、なんだかグランマが企みのありそうな顔してニコニコ笑ってるのも気になるし…。 そんなグランマの顔をジッと見てたら、『ナイショよ』って誰にもわからないように笑って、ちょっとだけワインの入ったジュースを渡してくれた。 和真はそのまま母さんに捕まってて、英はそっちへ行きたいようなんだけど、でもあんまりべったりだと勘ぐられそうだと思ってるのか、ちょっと自重してるみたい。 「渉、英」 珍しく、グランマが僕たちをちゃんと呼んだ。 大事な話かも…と、思った。 「今、4人が一緒にアルバムを出す気になったのは、悟が弾けるようになったから…って言うのはもちろんなのだけれどね、そのアルバムが『子守歌』で、収益をチャリティーにしようってなったのは何故だと思う?」 グランマの言葉に、僕と英は顔を見合わせる。 確かに、パパたちならもっと技術的に難しいものだって出せるのに、どうしてアレンジ物を中心にした『子守歌』なのかな…って、チラッと考えないでもなかったんだけれど…。 考えても答えのでない僕たちに、グランマは目を細めて優しく微笑んだ。 「それはね、あなたたちが無事に大きくなってくれたから…なのよ」 「僕たち…が?」 その理由が『僕たち』だなんて、思いもよらないことだった。 「そう。あなたたち3人は、私たちみんなの大切な宝物で、生まれた時からみんなでずっと見守ってきたわ。それがこんなに大きくなって優しい子に育ってくれたから、そのことに感謝して、『子守歌』で少しでも世界の子供たちの役に立とうと思った…ってわけなのよ」 …そんな想いがあったなんて…。 英を見上げると、英もまた、口を引き結んで頷いた。 僕はずっと、『桐生家』というものを重く感じてきた。 『家』や『血筋』にがんじがらめにされていると思ってきた。 でも、僕が感じ取るべきはそんなものではなくて、『想い』なのだということに、やっと気がついた。 『桐生渉』という僕に繋いでもらった命の中にある想い。 それを大切にしながら、僕は音の世界で生きていくのだと。 僕と、僕の頭をクチャっとかき回した英を見つめて、グランマは幸せそうに笑った。 ちなみに。 クリスマスの前に発売になった『子守歌』はクラシック部門では異例の売り上げになった。 ジャケット写真はもちろんパパたち4人が悟くんのピアノを中心に、何やら楽しそうに話をしているような感じなんだけど、実は裏ジャケットには僕たち兄弟が、こっそり写ってたりするんだ。 星空の中に浮かぶ三日月に、奏を中心にして左右に僕と英が寄り添って、背中を向けて空を見上げて座っている…って構図。 当然CG合成だけど。 で、コレに味を占めた父さんたちは、英が大学に進学した頃に、今度はライブでクリスマスコンサートやろうか…なんて言ってる。 ちょっと楽しみ…かも。 |
END |
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