幕間 「Family」





【魔王なおじさまと哀れな子羊たち】


「ね、桂くん、直也くん、ちょっと」

 葵に手招きされて、桂と直也が打ち上げ会場の隅へ寄ってくる。

「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

 少し深刻な顔を作られて、直也と桂は顔を見合わせる。
 何かあったのだろうかと。

 ところが、葵は深刻な顔のまま、とんでもないことを言った。

「ぶっちゃけ、渉の恋人ってどっち?」
「えっ!?」
「はいっ?!」

 大声を出してしまって慌てて口を塞いだが、幸い周囲は盛り上がりまくっていて誰もこちらには気づいていない。

「ま、この際だからしらばっくれるのナシってことで、是非とも真実を聞かせて欲しいんだ。だいたいこの僕をしてどっちか掴めないこと1年以上なんて、もう気になって気になって、仕事が手に着かないくらいでさあ」

「えっ」
「それ、マジですか!?」

「ウソ。仕事はちゃんとやってるよ」

 ニコッと微笑まれてNKコンビは激しく脱力する。 

 笑顔も渉にそっくりだけど、中身はやっぱり『葵』…だ。

「…じゃあ、俺たちからも質問ですけど…」
「どっちだと思ってます?」

 外から見て、どんな風に見えているのか気になるのはもう、仕方のないことで。

「え? どっちも捨て難いほどいい男だと思ってるけど?」

 しれっと答える葵に、さすがに百戦錬磨(?)の大人は違うと、2人はまたしても脱力する。

「あ、もちろん秘密は厳守。それに、もしかして将来の為にも大人を味方に付けといた方がいいんじゃないかな〜…なんて思ってるんだけど」

 そう言う葵の表情は、どこか確信に満ちていて…。

「…もしかして葵さん、気がついてます?」

 直也が言う。

「ふふっ、何のことかな…なんて、しらばっくれるの、アリ?」

「ナシですよ、そりゃ」

 桂の言葉に葵は『やっぱり?』なんて茶目っ気たっぷりに笑って見せてから、ふと真顔になった。

「ま、今更『それでいいの?』なんて、野暮なことを聞く気はないし、気がついてるのも僕だけだし、社会に出るまではゆっくり育てていけばいいんじゃないかな…って思うよ」

 問題はそれから…だろうと葵は踏んでいるが、今それを敢えて言う必要もないと、また微笑んで見せる。


「何で気づかれたんですか」

 6月の音楽鑑賞会以降、幾たびか話す機会は持っていたが、そんな素振りは一切見せなかったはずだ。いや、『気をつけて』いたのに。

「何でだろうねえ。…いや、本当に『これ』って決め手はないんだ。強いて言えば消去法かなあ。つまり、どちらも消せなかったってこと。で、よく考えたら、渉ってのは本当に予測不能の大物だからさ、何かまた、ひっそりと型破りなことやらかしたんじゃないかって」

 ふふっと笑う葵は嬉しそうで、渉の『大物振り』もやっぱり葵似ではないかと、直也と桂もそれぞれ感じて顔を見合わせる。

「ここまでですら、相当大変だったんじゃない?」

 3人それぞれの『質』を把握している葵には、『この結果』がすんなり出たものだとはもちろん思えなくて、かなり厳しい局面もあったのではないかと慮る。

「…確かに色々ありました」
「その都度悩んだのも確かです」

 だが、そう言う2人の声の色に暗いものはまるでなく、そのステップがあればこその『今』なのだと自信すら持っているように見えて、葵の表情も緩む。

「でも、今、本当に幸せなんです」
「最高の結果を出したと自負してます」

 生まれた時から可愛がってきた2人だけれど、いつの間にかこんなにも『いい男』になっていたなんて、歳を重ねるのも悪くないな…と、嬉しくなる。

「ま、2人が付いててくれるなら安心だな。当分は安藤くんも側にいてくれそうだし」

 渉が幸せならば、それでよし。

 しかも、桂も直也も幸せなんだから、これはもう言うことはないのだろう。

 ただ、おそらく年長者の手助けが必要な時は、いつか来る。

「ってわけで、困ったことや悩み事なんか出来たらいつでも頼っておいで。僕はきっと、頼りになるし、役に立つよ?」

 そう言って笑む葵の、それでも瞳は真剣で、その気持ちが心底嬉しくて、桂と直也は胸を熱くする。


 気負いがないとは言えば嘘になる。

 英も和真も全力でサポートしてくれていて、本当にありがたいことだと思っているが、やはり大人の味方がひとりいてくれるだけで、こんなにも頼もしい。

「それと、僕が知ってるってこと、安藤くんにも伝えておいてくれる? もしもキミたちに言えない悩みができたら、渉はきっと安藤くんを頼ると思うから」

 そこまで『読んで』、葵が手をさしのべて包んでくれていることに、さらに胸を詰まらせると、言葉までもが詰まってしまう。

「ありがとうございます…」
「すっごく、嬉しいです…」

 漸く絞り出した言葉の、その声が少し潤んでいたことに、葵は気づかないふりでまた微笑む。

 今度は、まだまだ渉には真似のできない、大人の慈愛を込めて。

 だが。

「あ、でも渉には僕が知ってること、ナイショね」

「へ?」
「は?」
 
 どうして?…と顔を見合わせた直也と桂に、葵は少し真面目な顔を作って見せた。

「渉が頼るべきは、僕じゃなくて、キミたち2人…だろ?」

 言葉の裏に、『渉をしっかり護っていけ』というエールを感じ、直也と桂はしっかりと頷いた。

 なのに。

「な〜んちゃって、ちょっといいカッコしちゃったけどさ〜。『渉を暫く泳がせて観察して楽しみたいな〜』ってのが本音?」

 小首を傾げて『てへっ』と舌を出され、NKコンビは腰が砕けるほど脱力して、『やっぱりこの人は大魔王だ〜!』との認識を新たにしたのだった。


 ちなみに。

『気がついてるのは僕だけだし』と言った葵の言葉が大嘘だったことに直也と桂が気がつくのは、まだ少し後のことになる。




【先生たちはミタ?】


「なあ、浅井」
「はい」

 レコーディング見学に連れて行った3人の生徒たちを送り届け、桐生家へ戻る車の中で、助手席の直人がハンドルを握る祐介に言った。

「ちょっと気にならなかったか?」

 主語もなにもない。
 けれど、祐介もひっかかっていたことがある。

「…もしかして、英の発言…ですか?」

「ああ」

「奏が安藤に逆プロポーズした時…じゃないですか?」

「そう、それだ」

 桐生家の姫は今日もやってくれた。

 おしゃまさんは見た目だけでなく、話す様子も昇に似ていて、直人にとっても我が子同然の愛おしい存在だ。

「普段は『安藤先輩』って呼んでますけどね」

「だよな」

「さっき、ファーストネームで呼んでいたような気がしましたけど」

「何度もな。しかも自然にな」

「おまけに、そのことに渉たちは違和感を感じていない様子でしたね」

「ってことは、すでにあの周辺では『公認』ってことだ」

「…のようですね」

「まさかの展開だよな。あの安藤がなあ」

 彼が中等部生徒会長の時、予算でもめた中等部と高等部の双方に妥協案を提示してみれば、『院長先生、それでは筋が通りませんっ』と、真正面から喰ってかかってきたのが昨日のように思い出される。

 確かに、切れ者な美少女は誰よりも男前で、周囲が『難攻不落の美少女』と呼んでいるのも納得だった。

「それが、実はアニーが言ってたんですよ。『恋をしたんじゃないかな』って」

「先月レッスンに来た時か?」

 生徒の体調や情緒が音に直結するのは、直人にはもちろんよくわかっていることで。

「そうです。で、その相手なんですが、夏休み前に管弦楽部である噂が立ってたんですよ」

「安藤に関して?」

「はい。安藤と岡崎がデキてるんじゃないかって」

「岡崎…ってトップサイドの…岡崎紘太郎だよな?」

 入学前に父親がわざわざ挨拶にやってきたが、至って温厚な普通の父親で、それがかえって大物振りを際立たせていた。

 中途半端な有名人の方が扱いにくいのは、いつものことだ。

「そうです。『難攻不落の美少女』がついに『ハリウッドジュニア』に堕とされたって、そりゃもう盛り上がってたんですが、僕としては『ないだろ、それ』って思ってたんですけど、アニーは『恋してる』とか言い出すし…で、もしかして『アリなのか?』なんて考えてたところで今日の英の発言ってわけですよ」

 結局、恋のお相手は甥っ子だったという、予想外のオチだったというわけだ。

「しかもあの様子では英の執着っぷりはかなりのようだしな」

 小さく思い出し笑いをした直人に、祐介もつられて笑う。

 何のことはない、2人とも気分は高揚しているのだ。
 幸せな、子供たちの姿に。

「…まあ、僕としては野暮なことを言うつもりもありませんし、本人たちが幸せならそれでいいんですが…」

「そうだな…。しかし、英もやるなあ。外見は悟に似てストイックそうに見えるのに、『難攻不落』を落とすとはな」

「中身は父親似なんでしょう」

「当たり過ぎてて返す言葉がないな」

 今度こそ大笑いになった。

 そして…。

「…翼は知ってるのかな…」

「…や、どうでしょうねえ…」

「…気づいてないだろうなあ…」

「…翼ちゃん、ですからねえ…」

「ところで、渉の相手はどっちなんだ?」

「……それ、僕に聞かないで下さい…」

 こうして先生たちの夜は更けて行ったのであった。





【パパたちもミタ?】


「あ〜、もう可笑しかった〜。ほんと、いつのまにキャラ替えしたんだよ、英ってば」

「渉と奏のこと以外にはクールでドライだったのにな」

「そうだよ〜。それがあんな恋愛体質の暑苦しい熱血漢になってるとはね〜」

「恋は人を変えるってことだろう」

「悟は気づいてたって?」

「ああ、伴奏に行ってた時にな。とにかく英が安藤くんにべったりなんだ。いくら表面取り繕っても、大人の目は誤魔化せないってことだ」

 盛り上がる昇に、悟も笑いながら言う。 

 そんな2人の会話に、不敵に笑って守が参戦してきた。

「ま、彼は学院一競争率の高い子らしいからな。ここは英を褒めてやるのが筋だろって話だ。さすが俺サマの子だ」

「何言ってんだか」

 昇はあきれ顔…だ。

「けれど、あれ、さやかさんも気づいてるよな」

 若干『まさか』というニュアンスを込めて言ってみた悟だったが、守はあっさりと頷いた。

「当然だろ。去年の夏からそうじゃないかと思ってたって、さっき言ってたぞ」

「えっ?!」

「本当か、それ」

 昇も悟も目を見開いた。

「ああ。英が安藤くんの話ばっかりしたらしくて、それで奏が興味を持ったんだ。で、会いたいから連れてきてって言われた渉が写真を見せたら一目惚れ…ってことらしい」

「それが今夜の逆プロポーズに繋がったってわけか」

 なるほどね…と悟が小さく笑う。

「でも見事な切り返しだったじゃん、安藤くん。僕は初めて話したけどさ、ほんと、頭の回転、早い早い。直人に聞いてたとおりの『切れ者』だったよ」

 その話を聞いたのは随分前だ。

『今年の中等部生徒会長は、ちっさくて美少女なのに男前なんだ』と。

 まさか3年後にこんな展開になろうとは、夢にも思わなかったが。


「それにしても、留学の時に家へ…ってのはいいアイディアだな」

 その頃英がどこにいるのかはわからないが、おそらく長く離れるつもりはないのだろうと悟は思う。
 自分が葵と離れたくないと同じで。

 長く共にいれば、過剰な執着は薄らぐのかと思っていたが、全くそんなことはないのだと、すでに思い知っているから。

「ああ、そもそもアニーに最初に聞いた時から、さやかは『うちでお世話できないかなあ』って言ってたんだ。 渉を入学当初から全面的に支えてくれてるっての、祐介から聞いてたからな。せめてものお礼…ってところだ」

「その上、英の恋人と来たら、これはもう…ってとこ?」

「さやかの思惑は間違いなくそうだろうな」

 桐生家の奥様は、大奥様同様、太っ腹なのだ。息子の恋愛には。

「なにしろ安藤くんの実家にはすでに話がついてるらしいからな」

「え? 安藤くんの両親も了解済みなんだ?」

「そう、海外へ出す不安を解消…ってことでさ。手回しいいだろ?」

「さすが、さやちゃん」

 義妹だけれど、実態は『頼れる義姉』であるさやかは、万事に気配りが利いている。

「いつの間にか『ママ友専用掲示板』っての作っててさ。安藤くんの母上とも情報共有して仲良くやってるぞ。なにしろ住んでるところがバラバラだからな」

 その上、時差もある。
 しかも仕事を抱えて多忙である和真の母は、弟とその恋人から入手するしかなかった息子の周辺の様子をさやかから聞けるようになって、喜んでいた…ということは、男性陣のあずかり知らないことではあるが。


「さやちゃんと安藤くんのお母さん以外の面子って?」

「由紀ちゃんと、隆也の嫁さんだってさ。そもそも由紀ちゃんと隆也の嫁さんは子供たちの入学式で会った時から仲がいいらしいんだ」

「さやかさんと由紀ちゃんは渡欧して以来の仲だしな」

 当時、欧州生活も6年目に入ろうかという由紀のアドバイスは、さやかにとってこの上なくありがたいものだった。

 それは、日常生活のみならず、音楽家の夫の『周辺』とのつき合い方などという、少々気の張る問題にも及ぶことで、おかげで2人は10もの年齢差を感じさせない『友人』なのだ。


「ああ。ただ子供たちの交流はさっぱりだったけどな」

「あ、それ、なんで? 渉ってば、桂くんと遊んだ記憶がほとんどないって言ってたけど」

「ああ、チビの頃の2人には言葉の壁があったんだ。渉はまだ英語しか話せない時期だったし、桂くんは生まれた時からドイツ語圏だから、ドイツ語は堪能でも英語がイマイチでさ」

「なんでさ。日本人なら日本語があるじゃん」

 金髪碧眼の納豆好きが口を尖らせた。

「いや、それが日本語でも壁があったんだ」

「どういうことだ?」

「ウィーンの栗山家は、プチ京都なんだよ。文化がさ」

「確かに先生も由紀ちゃんもバリバリの祇園育ちだよね」

「そう。家庭内では言葉が完全に京言葉でさ、桂くんも日本語は京都弁だったんだ。で、東京育ちの渉には『謎の日本語』だったらしい」

「渉はその上、人見知りだからな」

「そういうこと。で、それ以来、栗山家へ行こうにも、渉は『お留守番してる』の一点張りだったんだ」

 その『言葉の壁に阻まれた2人のチビ』が、10年後に『こんなこと』になろうとは、もちろん誰ひとり想像しなかったことだったが。

「もしかしてさやかさん、留学中だけでなく、ずっと先まで見据えてるんじゃないか? 英たちのこと」

 ふと、思いついたかのように悟が言った。

 色々と精力的に動いている所をみると、そんな気がしてならない。

「だろうな。どういう形になるかわからないけど、できるだけのことはしてやりたいと思ってるみたいだな」


『想い合う2人が、2人の所為でないのに結ばれない…って、ほんっと、イヤなのよね』


 まだつきあい始めて間がない頃、何かの会話がきっかけで、さやかがそう言ったことを、守は未だに忘れられない。

 あれは紛れもなく、自分と隆也の話だったのだと思っている。そしてその時に、さやかが持つ情の深さに惚れたのだ。


「頼もしい母上だな」

「最強だろ」

 自分の目に狂いはなかったのだと、胸を張ってそう言える。

「それに、母さんも翼ちゃん経由で押したらしいし」

 手回しの良さは相変わらずで、桐生家の姑と嫁に、タッグを組んで何かを仕組まれた日には、誰も太刀打ちできない。

「ってか、母さんもなんか企んでない?」

「それは、来年の春のお楽しみ…だってさ。なんか渉たちが喜びそうなこと、画策してるらしい」

「来年の春か…渉、卒業だもんね」

「早いもんだな。高校の3年間なんてあっという間だ」

 だがその短い3年間に渉が遂げた変容はあまりに大きい。

「あの、引っ込み思案の人見知りが、たった3年で大物になったもんだ」

 指揮者として先を行く自分を脅かす存在になろうとは夢にも思っていなくて、けれどもそれがどうしようもなく嬉しくて、不思議な気分だな…と、悟はひとり、心の内で笑う。

 そもそも、この歳になってもう一度ピアニストへの道にチャレンジしようなどと考えたのも、渉の存在があったからだ。

 いつの間にか、指揮者として一定の評価を受けている自分の現状に腰を落ち着けてしまっていて、指は、ほぼ以前の機能を取り戻しているのに、挑戦する勇気はなかった。

 けれど、渉という才能が後を追いかけてきたときに、ぬるま湯につかっている自分をはっきりと自覚したのだ。

 そして、自分はまだ、夢を叶えていないのだと思い出した。
 そう、葵のピアニストになるという、幸せな夢を。

 素直で可愛らしくて愛おしい甥っ子が、自分に夢を思い出させてくれたのだ。

 そして、悟は自分が病気を乗り越えて指揮者としてデビューした時の、父親の言葉を今初めて、真から理解したと思えた。

 あの日、父は言った。

『いくらでも踏み台になってやるから、お前はもっと高く飛んで行け』…と。

 それはずっと『親の愛情』だと思ってきた。

 いや、愛情には違いないのだが、『親は子の為なら耐えられるものだ』という意味に取ってきた。

 けれど違った。

 自分も『その時』には渉に同じ言葉を贈るだろう。

 だがそれは、自身の喜びであり、望みであるのだ。

 もっと高く、自分を超えて、ずっと高く飛んで行ってくれ…と。

 そして、そんな日はきっと、そう遠くはない。


「渉と言えばさ、気になってんだけど」

 昇が、ひとり想いに耽っていた悟をちらりと見る。

 その視線を受けて、悟も頷いた。

「確かにな」

「あ? 何が?」

 守が何のことだと首をひねる。

「渉の恋人って、どっち? 今日見てても全然わかんなかったんだけど。悟はわかった?」

「いや、さっぱりだった。気をつけて見てたんだけどな」

「もしかして、どっちも違うんじゃない?…ってチラッと思ったんだけど…」

「でも、完全に消去するには距離感が近いだろう?」

「そう、それなんだよね。違うって言い切れないんだ。でも、どっちって言われたら…」

 悟と昇の会話に、守が視線を逸らす。

「守ってば、何知らん顔してんの?」

「で、どっちなんだ? 実際のところ」

 2人に詰め寄られて、守が降参のポーズを取った。

「…それを俺に聞くなって…」

 父親として、これでも気にはしているのだ。
 一応、他の誰よりも。

 そして悟と昇は、珍しくもちょっとだけ気弱になった守の様子に、『守でさえわからないんだ』…と、ある意味感嘆していた。
 多分、渉に対して。


 そして。

「…やっぱさあ、直也くんの方がいいな〜とか思う?」

 遠慮がちに聞いてくる昇に、守は軽く笑う。

「いや、本当に誰でもいいんだ。それこそ男でも女でも、年齢も、何やってるやつでも、渉が心底惚れた相手なら応援してやりたいと思ってる。渉はああ見えても、物事を奥深いところを見ているからな。だから相手を見る目はあると思ってるんだ」

 その言葉に頷いて、3人はそれぞれに、いつか渉が選んだ相手を知る日が来るのを楽しみに待つことにした。





【香奈子ママは見ていた】

 遡ること少し前。

 悟が英と和真の伴奏のためにしばしば母校へ出向いていた頃、香奈子も幾度かその練習を見に出かけていた。

 葵も同行できる日には必ずついていき、その度に桂や直也と話す機会を持っていたのだが…。


「ね、お母さん」

「なあに?」

「渉の恋人って、どっちだと思う?」

 桂なのか、直也なのか。固有人名はわざと出さなかったのだが。

「どっちも…じゃないの?」

「……」

 まさに、自分が『もしかして…』と感じていたことを、端的に口にされて、葵はしばし言葉をなくす。

「桂くんと直也くんが渉に恋してたのは一昨年からわかってたけれど、でもライバルのはずの2人の間に火花が散ってないのよね。その上、渉との間にはない、深い信頼関係みたいなのが見えるわけよ」

 そっちか…と、葵は香奈子の『見る目』に感嘆していた。

 自分は渉の動向にばかり囚われていて、だからこそ、まったく読めなかったのだ。

「そう思って見てご覧なさい。それが一番自然な姿に見えてくるわ」

 視点を変えるだけで、視野は広がる。

「さすがだね、お母さん」

「あなたよりもたくさんの『愛』を見てきてるからよ」

 自分とその周囲だけでも、『常識的』――この言葉はあまり好きではないが――には一生お目に掛からないかもしれない愛の形がいくつもあった。

 その上、生業にしている世界がまた、奔放な友人が多くて、若い頃から多くの幸せと別れを見てきたから。

 そこにはもちろん、笑いも悲しみも喜びも、憎しみもあった。


「で、お母さんはどう思ってる? 渉たちのこと」

 葵と悟も秘密を守らねばならない愛の形だけれど、渉たちのそれは、それ以上に『型破り』に違いない。

「あの性格の渉が、そういう結論に至ったって言うのは、相当な何かがあったと思うのよ。それに、悩み抜いたんじゃないかしら…とも思うのよね。2年に上がる前の春休みなんて、明らかに様子がおかしくて、あの頃が心労もマックスだったんじゃないかしら。英が来てくれたおかげで学校へ送り出すことが出来たけれどね」

 そんなことがあったなんて、暫く会えなかった葵はまったく知らなかった。

「どういう経緯だったのかは知らないけれど、とにかく私は渉が幸せならそれでいいのよ。その為ならどんなことだってするわ。直也くんも桂くんも、まとめて面倒みちゃうわよ」

 ふふっ、と微笑む香奈子の姿はかつて、自分を守ってくれたあの頃と同じ頼もしさで、葵はホッと息をつく。

 そう、渉が決めたことならば、自分たち家族はみな、全力で渉を支える。

 自分も悟も、昇も、祐介も、子供を持たない人生を選んだ。

 だから渉は――渉だけでなく、もちろん英も奏も、自分たちにとっても『子供』なのだと葵は思っている。

 もちろん、悟も昇も祐介も同じ思いでいる。

 だから、少しの瑕疵もなく、幸せな人生を歩ませてやりたい。
 渉も英も奏も。

 真綿で包んで何が悪い。
 親が子の盾になるのは当たり前だ。

 ――渉…思うままに飛んで行け…。

 やっとその羽を広げたのであろう大切な存在を、これからもずっと護り、見守っていける幸せを、葵はそっとかみしめた。



END

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