幕間 「僕は君のもの」
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聖陵祭の大騒ぎの余韻もまだ残る頃。 聖陵学院高等部は選挙の時を迎える。 受験のない中等部は年度末だが、高等部は受験を考慮して、この時期に行われる。 管弦楽部も役員改選なのだが、ちょっとした波乱があった。 中等部で部長を務めていた打楽器の首席が『大所帯な上に個性的で実力伯仲で戦国時代状態の打楽器をまとめることに専念したい』と、選挙の候補から外して欲しいと申し出てきたのだ。 その他の理由なら難しかったかもしれないが、打楽器の現状については確かに憂慮されるところで、顧問と現部長が『致し方ない』と認めたため、部長の候補が空いてしまったのだ。 ほんの一瞬だが。 『なんだ、それなら英がいるじゃん』 そんな声が誰からともなく、同時多発的に挙がった。 そして、『なんか雲行きが怪しいな…』と、英が訝しんだのも束の間。 気がつけば、直也のあとを継ぐことになってしまった。いとも簡単に。 正直なところ、英に不安はない。 直也にできたことが、自分に出来ないわけがない。 以前なら『面倒だな』と思っただろう。 けれど、いつの間にかそんな感情はすっかり失せていて、寧ろ、より良い1年にしたいと言う思いが先に立つようになっている。 管楽器リーダーが斎樹だと言うのも心強い。 部長・コンマス・管楽器リーダーは、管弦楽部を牽引する3本柱だから。 ただ、コンマスだけはオーディションで決められ、そこに『思惑』というものは介在できないので不確定要素ではあるが、英は誰がコンマスになっても上手くやっていく自信はある。 だが、おそらく次は岡崎紘太郎だろう。 桂が『その気』で指導しているようだし、演奏を聞いても、かなり明白だと感じらられる。 それに、何より渉が言ったのだ。『次は岡崎くんだろうなあ…』と。 まあ、和真の件で若干思うところはあるが、当の本人が卒業してしまうので、管弦楽部を引っ張っていく分には問題はないだろうと、楽観視はしている。 ただ、『妙な誤解』――和真と紘太郎がデキているという――だけは、なんとしても解消しておきたいところなのだが…。 ☆★☆ 「1年なんて、あっという間だったな」 重要事項を引き継いで、最後に部長専用のロッカーのキーを手渡しながら、直也が言った。 「理玖先輩から引き継いだのが、昨日のことみたいなのにさ」 受け取った鍵をブレザーの内ポケットにしまい、英はそれを外からそっと、大切に押さえる。 たったひとつの小さな鍵だけれど、そこには今までのたくさんの想いが詰まっているような気がして。 そんな英の様子を優しい目で見ていた直也が、ふと、言った。 「実はさ、あいつが部長候補から外して欲しいって相談に来た時、僕に言ったんだ」 あいつというのは打楽器の首席のことだ。 「英がいるから自分は降りても大丈夫だって。そうでなかったら、無理してでも両立させたかも知れないけど、でもどこかできっとパンクすると思うってさ」 彼は、英にはそんなことは言わなかった。 ただ、『我が儘言ってゴメンな』と声を掛けてきたから、『部はお前でも俺でも引っ張れるけど、打楽器はお前にしかまとめられないから、仕方ないさ』と応えたら、『おかげで最後の1年を悔いなくやれそうだよ』と返ってきて、改めて次は『最高学年』なのだと自覚したのだ。 ここへ来たときには、3年になることへの展望など、何もなかった。 ただ3年を過ごし、卒業したらまた、渉の後を追うつもりで…。 「俺、みんなが寄せてくれた信頼に応えたいと思います」 英にとっても、『ここ』は大切な場所になった。 たくさんの出会いと共に。 「頼むな。後輩たちのこと」 「はい。任せて下さい」 力強い返事に直也が笑顔で頷き、そして…。 「それと…」 ふと、真顔になった。 「渉と僕たちのことも、ずっと見守ってくれてて、ほんとに感謝してるんだ」 「…先輩」 「英と和真がいてくれることに、どれだけ勇気づけられたかしれない」 真っ直ぐに告げられて、気持ちがふわりと温かくなる。 「こちらこそ、渉を愛して下さって、ありがとうございます。最初はどうなることかと思ってましたけど、渉は本当に幸せそうで、しかも強くなりました。多分、渉なりに先輩たちのことを護っていこうと思ってるんだと思います」 ああ見えて、愛されるばかりではない強さもしっかりと渉は持っていたのだ。 その部分を、自分はしっかり見ようとしていなかっただけで。 「そうだな。僕たちも渉に護られてるって感じるよ。…でも、ここを出たら、僕たちだけでは行き詰まることもあるかもしれない。そんなときも、英と和真が見守ってくれてると思うと、強くなれるし、頑張れる」 それは、静かな口調だったが、確信に満ちていて、英の気持ちもまた、強くなる。 「でさ」 口調が軽くなった。 「はい?」 「和真との事ってさ、いつかカミングアウトかまそうとか思ってる?」 自分たち3人に、カミングアウトと言う日は来ないだろうけれど、英と和真なら、場合によっては有りなのでは…と直也は思ったのだが。 「えっ?」 英は一応驚いた風だ。 「あ〜、だってさ、ほら、なんでかわかんないけどさ、和真と岡崎って噂になってんじゃん。なんでそんなことになってんだってことだし、そもそも確かにあの2人、人前ではぎこちないだろ? でもそんなはずないんだ。5月の時点ですでに、和真はかなり岡崎と腹割って話せる程度には近かったみたいだからさ。だから、変だなあ…ってさ」 色々と気になっていた分を一気に吐き出すと、英はお手上げだとばかりにため息をついた。 「さすがによく見てますね…」 「まあね」 最初に渉絡みの出来事があったから、余計に注視していたが、そうでなくても部長の身としては、部内の出来事には敏感でなくてはならない。 ほんの少しの感情のもつれが、部活動――つまり合奏に大きな影響を及ぼすこともないとは限らないから。 「と言うわけで、英は理由を知っていると見た」 「え。」 そんなヘマをした覚えはないのだが…と、英は眉間に皺を寄せる。 「だって、ヤケに落ち着いてるじゃん。まあ、おもしろくなさそうだな…とは、思ってたけど」 まるで何もかもお見通しのようで、英は『ヤラレタ…』と、またしてもため息をつく。 そんな様子に笑いを零しながら、直也は英の肩を軽く叩く。 「や、別に理由を教えろってんじゃないんだ。知っててもなお、この状況に甘んじてるってことは、話せない訳があるって事だろうし。ただ、辛くなって行き詰まる前にガス抜きはした方がいいと思うし、場合によっちゃ、カミングアウトまではいかなくても、『実は…』って、それとなく2人の噂を流すのもありかなあ…なんてさ」 「それとなく…ですか?」 その提案は、ちょっと魅力的に聞こえた。 おそらく和真も今の状況を良しとは思っていないはずだ。 それは、聖陵祭のあの出来事でもわかる。 いくらその場で和真と解らない姿をしていても、あれは『まさか』の行動だったし、そのすぐ後には正体が明かされる段取りだったのだから。 それは、直也も感じているようで、やはり同じことを言った。 「ほら、フリフリの美少女姿でほっぺにちゅー…なんてさ、和真だってある程度の覚悟はしてんじゃないかなって思ったんだけど」 「…ですかね…」 「だと思うけど」 確信に満ちた不敵な笑みを浮かべられて、英は白旗を挙げた。 和真のことになると、こんな風に、どこか気弱になってしまうことがある。 惚れた弱み…に他ならないと思うのだけれど、それではいけないとも思っている。 ずっと、和真をこの手で護っていきたいから。 「まあ、任せとけって。日頃の感謝を込めて俺たちが上手いことやってやるからさ」 「…ほんとですか?」 「あ、なに、その疑惑の目は」 「…いや、一応信用してますけど…」 信用はしているが、とんでもないことをやらかす可能性も捨てきれず、ついつい視線が『ジト目』になってしまう。 「失礼だなあ、英クンは〜。まあ、オニイサマたちに任せておきなさいって」 げ。いつからアニキになったんだ…とは、今は言わずにおくけれど。 だが、甚だ不安ではあるが、現状を打開してやろうと言ってくれてるのだから、取りあえず乗っかるしかない。 「…じゃあ、よろしく、です」 「おっけー」 何だか発音が軽かったなあ…と、やっぱりちょっと不安な英だった。 |
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