幕間 「僕は君のもの」

【3】





「な、ちょっと聞いていいか?」

 桂が、トップサイドの紘太郎と2人だけの練習と打ち合わせを終えた時、ふいに言った。

「あ、はい。なんですか?」

 桂の声に深刻さは皆無で、むしろその口調は今夜のメニューでも尋ねるような気楽さだったから、紘太郎も同様に軽く応えたのだが。

「岡崎ってさ、和真と噂になってるけど、あれ、マジ?」

 紘太郎が目を見開いた。

 そして、次の瞬間には、ともかく誤解だとわかってもらわねば…と、慌てたのがまずかった。

「いや、違いますっ、あれは皆が勝手に噂してるだけで、俺と和真はなんでもな……」

 瞬間、紘太郎の表情にあからさまな動揺の色が走る。

「…え、何? 今、和真…って?」

 桂も目を見開いた。

 2年も離れていて、呼び捨てとは聞き捨てならない。

 これはもう、理由がないはずはない…と、桂は察した。『難攻不落の美少女とハリウッドジュニアがデキている』と言う噂の元になった、2人のぎこちなさに。

 紘太郎が力無くため息をついた。

「…実は、俺と和真は幼なじみなんです」
「…へ?」

 もっとディープな理由を勝手に想像していた桂は、思わずマヌケな声を発してしまった。

 ――幼なじみなら別に隠す必要ないんじゃね?


「黙っていたのには、実は訳があるんです」

 こうなったらもう、事実を話して口止めをするしかないと、紘太郎は腹を括った。

 どうせ自分的には大した理由ではない。
 ただ、和真の家に問題が起こると困るだけで。

「うちは…」
「あ、いいって、別に」

 桂が言葉を遮った。

「え?」
「言っちゃいけないからナイショなんだろ?」

 パチンとひとつ、キザにウィンクを投げられて、ついうっかり見惚れてしまった。

 見た目も…だけれど、その男気が格好良すぎて。

「俺としては、お前と和真が何でもないってのを、お前自身の口から聞けたから、それでOKってことだ」

 紘太郎が意図的に和真との噂を流したのではないとわかれば、それでいいのだから。

「先輩…」
「ま、どうやら和真の側に、ナイショにしておきたい理由がありそうだから、ヤツが話す気になったら聞く事にするよ」

 明るく言われて、紘太郎はまた目を瞠る。

「……先輩…やたらとカッコいいですね…」
「ん? そうだろ〜? みんなに言われるんだよなあ〜」

 あははと豪快に笑う桂に、紘太郎もつられて笑ってしまう。

 明るくて、思いやりがあって、その上ヴァイオリンの腕はピカイチで。

 紘太郎は自分がますます桂に傾倒していくであろう予感に、こっそり幸せを感じていた。



                     ☆★☆



 僕の、聖陵祭での行動のあれこれや、その後英が発したらしい問題発言――唇の感触で僕だとわかった…なんて言い放ったらしい――の後、相変わらず『難攻不落の美少女とハリウッドジュニアはデキている』って無責任に噂される影で、ひっそりと『難攻不落の美少女の相手は、実はチェリストだ』…なんて話がまことしやかに流れ始めていた。

 でも、それはあくまでも水面下の出来事で、噂の主流はやっぱり、僕と紘太郎で。

 僕はもちろん、自分が取った行動で噂になると計算してたわけなのだけど、少し計算と違ったのは、紘太郎との噂を払拭するほどの状態にいたらなかったことだ。

 結構インパクトあったはずなのに、どうしてだろうかと思っていた時に、チラッと桂から聞いたところに寄ると、『和真と岡崎のカップリングってさ、信憑性が薄いところがツボならしいぞ』…ってことらしくて、『なんじゃそりゃ』としか言えなかった。

 つまり、『和真をダシにして盛り上がりたいけれど、マジなのはイヤだと言う、複雑なオトコ心のなせる技だな』…なんて聞かされて。

 …ったく、開いた口が塞がらないとはこのことだよ。


『こうなったらもう、和真は誰のものにもならずに卒業して欲しいんだってさ』

 桂はそう言ったけど、それでも紘太郎との噂話は相変わらず全校的にもりあがっていて、つい先日にも柔道部の悪ガキが『よお、ハリウッドジュニアとどこまで進んだ? ちゅーとかしちゃった?』なんて廊下で言ってきやがったから、『へー、中等部時代のアレ、忘れた訳じゃないよねえ』って、わざと大きな声で言ってやった。

 ヤツは途端に青くなって――とっくに時効だろうに――『ゴメンゴメン』と、小さくなってそそくさと去って行ったけど。

 ほんと、相手を見てから物言えってんだ。

 ちなみに『中等部時代のアレ』ってのは、当時生徒会長だった僕が、ヤツのタバコを見逃してやったことだ。

『2回目はアウトだよ』と、威圧感たっぷりに告げて見逃してやったんだけど、弱味を握ったことに変わりはなくて、おかげで結構ボディガードとして使えたのも事実だったけどね。


 とにかく、無遠慮な連中はこんな風に面白おかしく噂に乗ってかき回す。

 だから、冗談でも紘太郎と噂になったままで卒業したくはない。

 恋人は英。紘太郎は大切な幼なじみだから。

 いっそのこと、『僕の恋人は英だ!』…なんて言ってしまおうかなとも思わないでもないんだけど、英に迷惑がかかるのもイヤだし…なんて躊躇ってたら、桂が『日ごろの感謝を込めて、俺たちがなんとかしてやるよ』なんて言い出したもんだから、ちょっと不安ながらも様子見かなあ…なんて。


 で、それから数日たった頃。
 何やら新しい噂話が流れ始めた。


『英から告白された和真の、英への返事が、あの『ちゅう』だった』


 そんな、作り話だった。

 つまり、告白してきた英に、僕はあのランウェイでの『ほっぺちゅー』で『YES』と応えたんだって。

 そして紘太郎とのことは、あくまでも『隠れ蓑』だったという話になっている。

 直也と桂の仕業にしては、なにやら上手くできてるけど、出来過ぎていてわざとらしい気がしないでもなくて、でもまあ、これでもいいか…なんて、消極的な高評価…かな?

 渉は『なんか、わけわかんない話になってるね』って、可愛らしく首を傾げていたけど。


 ちなみに、『実際どうなの? まさか事実じゃないよね?』とストレートに聞いてきたのは、凪と七生だけだった。

 紘太郎と噂になり始めた頃にも『マジで?』と聞かれたけれど、その時には当然『あり得ないし!』って答えたんだけど、今回は『まあね』って答えておいた。

 せっかく直也と桂がお膳立てしてくれたことだから、乗っかっておこうかなって思って。

 ま、あの2人は多分嬉しがってやってたんだろうけれど。


 で、僕の返事に凪も七生も驚愕したらしくて、2人とも『ム★クの叫び』と化して、暫く魂がその辺りを浮遊してた。

 その後、『全然気づかなかったっ! いつからっ? どうやってっ?』…なんて質問攻めにあったんだけど、ま、凪と七生だからいいか…って、差し支えない範囲で話をしたら、『確かに和真って最近一層可愛くて、出す音も艶々だったもんね』なんて言われた。

 可愛い…はまったく余計だけど、音が艶々って言うのはなんだか嬉しかった。

 英に恋をして、それが僕の音楽に良い影響を与えているのなら、こんなに嬉しいことはないと思ったんだ。

 ただ、2人とも『まさか、1年も前からだったたなんて、すっかり騙されてた』って、ちょっとぶすくれてたけど。


 で、英はって言うと、やっぱり直也から『何とかしてやるよ』って言われてたそうで、『なんかクサすぎる演出が入ってたけど、ま、結果オーライ?』なんて言ってた。

 僕としては、『俺だって、岡崎と噂になったままで和真が卒業なんて、絶対イヤだったからな』って言ってくれたのが一番嬉しかったんだけど。



 で、それから僕と英が冷やかされてるかって言うと、これがまったく皆無で。

 冷やかそうにも、僕たちは相変わらず渉と直也と桂と一緒に行動していて、どうにも声の掛けようがないらしいんだ。

 人前で2人きりにはならないし。

 まあ、七生が言うには、『英ってさ、全身から『冷やかすなっ。黙って見守ってろっ』ってオーラ出してるよな』ってことらしいんだけど。


 ただ、こうなってからの心配事がひとつ。

 浅井先生と翼っちの耳に入ったら、どうなるかなってこと。

 英は先生の甥っ子。僕は翼っちの甥っ子。

 まあ、2人ともパートナーは『アレ』だから、その点でとやかく言われる筋合いはないけれど…。

 それと、英のお母さん。

 留学する時には家に…って言ってもらえるほど可愛がってもらってるのに、バレたらどうなるのかなあ…って、かなり不安かも…。



                     ☆★☆



「なんか、不思議な感じ…」

 手にした手紙をぼんやりと眺めて、ポツンと呟く紘太郎に、章太が笑う。

「何言ってんだか。紘太郎だって渉先輩のこと好きだったくせしてにさ」
「…そりゃそうだけど」

 紘太郎が手にしているのは、寮の靴箱に入っていた『ラブレター』だ。

 差出人は不明。
 だが、中には真摯な言葉が綴られていて、冗談のようには思えない。

 文面からすると、どうやら3年生で、名乗れはしないけれど、想いだけは打ち明けて卒業したいと言うことらしい。

 匿名で想いを募らせられるのも、重くて困るのだが。
 それならいっそのこと、当たって砕けてもらった方がいい。


「しかも学院一の美少女とあれだけ噂になっててさ〜」
「だからあれは完全な誤解だってば」
「わかってるって」

 中学まで通っていた私立の共学校でモテていたのはともかく、全寮制男子校へきて、それ以上にモテるとは一体どういうことだと、紘太郎は日々戸惑っていた。

「でも、渉先輩のことは、『渉先輩だったから』…なんだけどさ」

 もしかしたら、渉以上に好きになれる相手はもう現れないかも知れないと思うほどに、未だに渉のことは好きなままだ。

 だから今も、いつも、見守っている。ちょっと遠くから、そっと。

「ま、その気持ちはわかるけどな」

 章太の軽い相槌に、曖昧な笑顔を返して紘太郎は、ふと、今日見た部活での様子を思い出す。

 桂に何やら耳打ちされて、ちょっとくすぐったそうに身を竦めてから、はにかむような笑顔を零した渉。

 あの時桂の手は、さり気なく渉の腰に回されていた。

 バックステージの薄暗い場所だったから、気づいた生徒は少ない。

 いや、気づいたとしても、『やっぱり渉先輩の相手は栗山先輩なのかなあ』と思った程度だろう。

 けれど、自分は知っている。
 渉の恋人は直也だと言うことを。

 そして一度気にかかってしまうと、納得の行かないことが多いような気がしてきた。

 ともかく、渉と桂の距離は近過ぎるのだ。
 何かにつけて、『指揮者とコンマス』と言う関係以上に。



 そして、それから数日後、紘太郎は決定的な場面に遭遇してしまった。 

 その日は、夕食後に中1の基礎練習を見る約束をしていて、懐いてくれる中学生たちが可愛くて、部活外の相談事まで受けたりしていた所為で遅くまで音楽ホールに残っていた。

 中学生たちを先に帰した後は、自分の練習も一通り済ませ、人気のほとんど絶えた、練習室が並ぶ静かな廊下の端――渉のお城『練習室1』の近くで、小さな声を耳にして立ち止まってみれば…。


『え? 直也がそんなこと言ってた? やだなあもう』

 クスクス笑っているのは、紘太郎が聞き違えようのない、渉の声。

 そして応えているのは…。

『だから、ナイショだって言っただろ?』

 桂の声も、嬉しそうに弾んでいる。

 2人ともに、聞いたことがないような甘えた声色で、背筋が少し凍った気がした。

 そして、居ても立ってもいられずに、少しだけ、覗いてみた。


 重い防音ドアを閉めた様子の桂が振り向き、渉を抱き寄せる。

 その指は絡められていて、ふと身をかがめた桂は、渉の唇を盗んだ。

 そして、幸せそうに頬を染める…渉。


 ――まさか…渉先輩、浮気…?


 
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