第5幕 「初雪の頃」

【1】





 12月になり、僕は大学入試の日を迎えた。

 とは言っても、推薦入試だから学科試験はなくて、そうなるとあとは実技とか楽典の試験だから、普段やってることの延長で、特別なことは何もなくて、緊張感もゼロで、こんなのでいいのかなあ…なんて、ちょっと罪悪感もあったりして。

 それは、一緒に受験する、桂や和真、七生たち音楽推薦の五人組も同じ。

 ただ、凪だけが、緊張してる。

 理由はひとつ。
 実技試験がチェロじゃなくて、ピアノだけ、だから。

 チェロならきっと、緊張することもないと思うんだけど、凪が受験する『音楽療法士課程』は実技試験がピアノって決まってるんだ。

 凪が音大への進学を決めたのは結構遅くて、それまでピアノのレッスンを受けて来なかった。
 子供の頃に習ってたから多少は弾けるって言う程度で。

 だから準備期間が短くて、不安みたいで…。

 ただ、ピアノ専攻の非常勤の先生がつきっきりで教えてたし、ゆうちゃんも『あれくらい弾けたら問題ないよ』って言ってたから、大丈夫だと思うんだけど。

 里山先輩も自分のことそっちのけで、打楽器の指導と称してしょっちゅう現れては凪を励ましてた。

 で、『里山先輩って、もしかして凪に会いにきてんじゃないか』って、みんなに言われてて、2人の関係はバレかかっている。

 もともと里山先輩に隠す気はこれっぽっちもないんだけど、凪が嫌がるから、バレないようにしてたみたいで。

 でも、卒業が近づいてる所為か、先輩はだんだん大胆になってきてる。

 そもそも凪が嫌がってるのも、里山先輩の人気が管弦楽部ではまだまだ高くて、『僕みたいなのが恋人だなんてバレたら迷惑かけるから』ってのが主な理由だし。

 ま、どっちにしてもあそこはラブラブで、大学へいったらまた、里山先輩に散々ノロケられるんだろうなあ…って思うんだけど、凪が幸せなのは嬉しいから。


 あ、ピアノがちょっと不安っていうのは和真も言ってたっけ。

 ま、和真はピアノの先生だけじゃなくて、英も練習見てたみたいだし、こっちも心配ないだろうけど。


 そうそう、グランマが、『今年と来年は楽できるわ〜』って、喜んでた。

 三親等までの親族が受験する時には、入試に関われないんだそうだ。
 試験中は構内に入るのもダメみたい。

 ただ、年明けの一般入試では、グランマはいつもの通り忙殺されると思うけど。
 今、演奏学科で一番エラい先生らしいし。

 何年か前には学長にって話もあったそうなんだけど、グランマがそれだけは勘弁して欲しいって、逃げ回ったんだってのは、葵ちゃんに聞いた話。


 で、受験の時は、自宅へ戻るのももちろんOKなんだけど、9人のうち都内に帰る家があるのは、凪と七生と僕だけで、あとの6人は遠方組だから、学校から受験に行く。

 だから僕たちも家に帰るのをやめて、学校から一緒に受験に行くことにした。

 みんなと一緒の方が楽しいし、特に凪は、『ひとりになったら緊張で潰れちゃう』なんて言うし。

 七生は『家からだと自力で行かなきゃだけど、学校からだとバス送迎と寮食のおばちゃん渾身の『必勝弁当』付きだもんな〜』だって。

 まあ、確かにそれは大きいかも。


 土曜日だから、いつも通りに登校する直也は、朝、僕たちに『頑張れよ。ま、心配はしてないけどな』…なんて笑って言ってくれて。

 9人で学校のバスに乗ると、まるで修学旅行の延長みたいなノリになっちゃって、付き添いに来てくれた翼ちゃんに、『お前たち、はしゃぎ疲れて試験中に寝るなよ』…なんて、真顔で言われちゃったり。

 そうそう、翼ちゃんと和真がこんなに近くにいるの、実は初めて見たんだ。

 僕と桂が『知っている』のは、翼ちゃんもわかってるんだけど、それでも2人ともいつもと全然変わらない。

 全く普通に『先生と生徒』。

 でも、近くで比べてみると、2人はやっぱり、かなりよく似ている…と、思う。

 翼ちゃんは美少年系のまま大人になった感じで、和真は言うまでもなく美少女系なんだけど。


 ちなみに翼ちゃんは、高3の国立難関校の理系受験の数学しか担当していない。担任も持ってない。

 でも、クラシック音楽が好きで、息抜きと称してしょっちゅうホールの2階席で合奏を聴いてるから、仲のいい管弦楽部員は多いんだ。

 だから今日も、翼ちゃんが来てくれたらしい。

 ゆうちゃんは、定演まであと少しと言うこの時期に部活を抜けるわけにいかないし。


 で、今年の推薦入試の志願者は43人…らしい。
 倍率はない。

 一般入試と違って定員がなくて、合格点を超えればOKなんだけど、この『合格ライン』が一般入試より高く設定されてるって話。

 だから、全員合格ってこともあるし、全員不合格ってこともある。
 その分、一般入試で人数を調整するんだって。

 ただ、推薦を受けるには、学科だけでなく実技の評価も必要なので、聖陵の他は音高がほとんどらしくて、毎年合格率は高いそう。
 
 つまり、最初からハードル上げて、その代わり、ハードル越えたらみんな合格ってこと。

 葵ちゃんたちの頃には、推薦を受けるのは学科だけで、実技の評価は自己申告だったから、最初のハードルは割と低くて、その分受験生も多くて入試は2日間あったみたい。

 だから、合格率は結構低くて、だいたい3割くらいしか通らなかった…って聞いた。

 ちなみに今まで聖陵から受けて落ちた人はいないって。

 だから、毎年話題になるのは、『不合格第一号にならないようにしなきゃな』…なんて、笑い話で。


 午前中に、全科共通の試験――楽典やソルフェージュや聴音があって、午後が専攻別の実技とピアノ。

 楽典の筆記試験会場では、僕たち聖陵の生徒以外の男子は3人だけ。
 
 あとはみんな女の子で、紺色系の制服なのに、やたらと華やかな感じ。なんかいい匂いもするし。

 桂が、『いかに普段むさ苦しい環境で生きてるか、思い知ったな』なんて笑ってたけど。

 七生が、『入学したら、モテるかなあ〜』なんてワクワクしたら、横から凪が『コンバス専攻って、女の子2人しかいないんだって』…なんて、多分里山先輩から仕入れたのであろうネタを披露して、七生を撃沈させてた。


 ともかく僕たち9人は午前中からリラックスモードで、試験に臨むことができた。

 午後はピアノと専攻別の試験。
 専攻の試験に一番時間がかかる僕と凪が先にピアノを受ける。

 僕は指揮の実技の他に制限時間2時間っていう和声学の課題があって、その他にもスコアリーディングがあるし、凪も制限2時間の論文と面接がある。

 器楽のみんなは、ピアノの試験と専攻実技だから、待ち時間はあるけど、自分の試験時間はだいたい20分程度…かな。

 ピアノの順番を待つ控室でも、ノリはほとんど音楽ホールの生徒準備室と一緒。

 学校別に控室が設定されてなかったら、もうちょっとみんな大人しいとは思うんだけど、聖陵は9人もいるからひとつ控え室が貰えてるんだ。
 だから、ちょっとやりたい放題の騒ぎっぷりで。
 もちろん、防音室だから、だけど。


 で、指揮科の推薦入試は僕ひとり。

 そもそも指揮科って志願者そのものが少ない。
 一般入試も、例年4、5人がいいところらしくて、しかも合格ゼロってことも、割とあるみたいで。

 ゆうちゃんに聞いたところによると、現在の指揮科在校生は大学院まで含めて9人。ゼロの学年もあるらしい。

 反対に、受験者数がもっとも多いのは声楽だそうで、次がピアノとヴァイオリン。
 今日も桂を含めて43人中11人がヴァイオリン。
 ついでに言うと、男子は桂ひとり。

 ウハウハだな…なんて言うのはやっぱり七生で。



 そして夕方。

 全ての試験が終わり、最後に控室に戻ってきたのは僕と凪だったけど、合否が学校に伝えられる日時なんかを教えられて解散になったその時。

 ヴァイオリンケースを担いだロングヘアの綺麗な女の子が僕たちの所へ駆けてきた。

 そして…。

「あの、これ!」

 桂に向けて差し出されたのは小さなメモ。

 突然の事に面食らう桂の胸にそれを押しつけると、女の子はぺこりと頭を下げて、そのまま同じ制服の一団の中へと駆け戻り、その集団はこちらを振り返りつつもきゃあきゃあと楽しそうな声を上げながら去って行ったんだけど…。

「コンマス〜。どこへ行ってもモテるねえええ」

 うりうりとみんなに冷やかされ、桂はチラッと僕を見る。

 別に気にしなくってもいいのに。

 で、メモの内容はみんなが予想したとおり、その子の名前と携帯のアドレス。  

『メール、待ってます』って、書いてあったらしい。

 まあ、こんな現場を目の当たりにして、僕が嬉しいか嬉しくないか…って聞かれたら、そりぁ嬉しいはずはないけれど、でもきっと、これからこんなことは当たり前のように起きるに決まっている。

 そしてそれは、直也にも言えることだと思うし。

 気になるけど、気にしても仕方ない。

 でも、ついうっかりとため息ついちゃったら、和真がこっそり頭を撫でてくれちゃったりして。

「で、どうすんの? メールすんの?」

 七生が聞いた。

「え? まさか」

 桂が『ご冗談でしょ』と、笑う。

「えー、なんで? 可愛い子だったじゃん」

 みんな――もちろん、僕と和真を除く――が一斉に桂に迫ると、桂は前触れもなく突然爆弾発言を落とした。

「だって俺、好きな子いるもん」

 その瞬間、和真がチラッと僕を見て、僕はどんな顔をしていいかわかんなくて、みんなは一瞬の沈黙の後、大騒ぎ。

 桂ってば、きっと僕が気にしてると思って…。



「こら、お前たち、騒がしいぞ」

 みんなが桂を追及しながら駐車場までやってきたら、翼ちゃんが待っててくれたんだけど、騒ぎすぎだって怒られちゃった。

 で、一瞬静かになるんだけど、バスに乗るなり、みんなが口々に今し方の出来事を翼ちゃんに報告し始めて、入試が済んだって開放感も手伝ってか、もう好き放題。

 翼ちゃんも、バスに乗せてしまえばもう、仕方ないかって諦めたのか、話に付き合ってくれるんだけど、桂は苦笑するしかないって感じ。

 僕とも、わざと席を離してるようだし。

「せんせ、桂の想い人って知ってます?」
「あのなあ、俺が知ってるわけないだろう」

 翼ちゃんも苦笑するしかない…よね、そりゃあ。

 でも、どこの子だとか、校内かとか、もしかしてウィーンにいるのかとか、いや、京都だろ…とか、ここまで盛り上がれたらもう面白いかも。 

 思わず僕も参戦しちゃおうかな…なんて思うくらい。

 そんな大騒ぎの帰りのバスで、七生がふと、話の輪に入ってない和真を見て、それから今度は翼ちゃんを見た。

 そして、言った。

「なんか、松山先生と和真って、よく似てない?」

 ありゃ。やっぱり気づいたか。側にいると気づいちゃうんだよね、これが。

 でも、和真の事だから、こんなことくらい何ごともなかったかのように、上手くやり過ごすはず…なのに。

 今度は和真がケロッとした顔で爆弾発言を落とした。

「だって僕たち、血が繋がってるもん」

 その瞬間、あれだけ騒がしかったバスの中が静まりかえった。

 そして、和真の発言に目を瞠った翼ちゃんは…。

「なんだ、和真。今頃カミングアウトか?」

 なんて、笑い出して。 

「だってあと3ヶ月で卒業だし。もういいかなって」

 そんな2人のやりとりを、僕と桂以外は呆然と見守ってるんだけど。

「…えと、親戚とか?」

 凪がおずおずと聞いた。

「ああ、甥っ子なんだ」
「オジサマ。僕の母さんの弟」

 お互いを指して言う2人に、またしてもバスの中は大騒ぎ。

 その話で持ちきりになって、みんなの関心が桂から和真に移り、僕も桂も、それが和真の『助け船』だと気がついた。


【2】へ


女子高生は本日もパワー全開!

『おまけ小咄〜信じる者は救われる』
女子高生たちも、推薦入試が終わって大解放〜!

「あ〜、やっと終わったね。入試」

「うん、みんなマジお疲れ〜だよね」

「でもさ、こんなに萌えられる入試って、ちょっとないんじゃないかなあ」

「だよねえ」

「間近で見ると、やっぱ桐生兄と安藤くんって、ヤバいレベルに綺麗だよねえ」

「ありゃ、反則だって。乙女の立場、ないじゃん」

「あたしは栗山くんだなあ。も、超絶カッコいいもん」

「喋らせても面白いしさー」

「ま、合格すれば同級生じゃん? アタックのチャンスはいくらでもあるって」

「そう思うと、麻生くんが音大へ来なかったのはちょっと計算違いだったなあ」

「だよね〜。絶対来るって思ってたのにさ。よりによって東大狙いらしいよ」

「そりゃあれじゃん、将来はお父さんの跡継いで国会議員でしょ」

「だろうねえ」

「そうそう。学年2位だってさ」

「うそ、マジ? やっぱ頭いいんだ、麻生くんって」

「ちなみに万年1位は桐生兄だわよ」

「ええっ。勉強もできるんだ!?」

「うんうん、ちょっとホワッとしてるから、そんな感じしないんだけどねえ」

「でもさ、指揮者って頭良くないとできないじゃん?」

「あ、そういやそうだよねぇ」

「器楽科の先輩たちが、今から手ぐすね引いて待ってるらしいよ、桐生兄」

「ああ、学内オケ?」

「そう。でもって、学内オケ『チームA』の常任の座がアブナイって、指揮科の大学院生が青ざめてるらしい」

「1年生にメインのオケ持ってかれたら、ちょっと悲しいよねえ」

「でもさ、もう今の段階ですでに次元が違うって、エラい先生方も言ってるらしいよ?」

「本物の天才ってやつ?」

「おまけに凄く性格良いらしいし」

「その上可愛いなんて、もう、どうにでもしてって感じ?」

「この際、自分より可愛いから…なんて後込みしてる場合じゃないね」

「それに来年はきっと桐生弟が来るよ」

「や、でも彼はちょっと近寄りがたい雰囲気あるじゃん?クールビューティって感じでさ」

「何言ってんの。そこがいいんじゃん」

「でもさ、桐生弟って、ウルトラスーパーブラコンだって、聖陵では伝説化してるらしいよ」

「ブラコンってことは、お兄ちゃん大好きってこと?」

「そうそう。もう、べったりなんだって。授業終わったら、教室まで迎えに来るらしいし」

「どひゃ〜、何それっ。爛れた妄想に走っちゃいそうだ〜!」

「お似合いってところがまた、ヤバイよねえ」

「いやー、1年下だったら、あたし的には水野真尋くんの方がいいな〜。ちょっと中性的でさ」

「で、再来年は『あの』岡崎紘太郎くんが来るだろうし」

「知ってる? 岡崎くんと同室の結城章太くんってホルンの子もかなりいけてるんだよ? 持ち上がり組だけど、多分音大進学じゃないかって」

「わお

「それなら、聖陵で初めて音楽教育学科の方受けた…ほら、優しげな顔したのいたじゃん」

「ああ、川北凪くんね。チェロの第3奏者よ。あれもかなりイイ線いってるいってる」

「あ、川北くん繋がりで思い出した。コンバスの遠山くんとかいうのいるじゃん。音楽推薦でさ」

「ああ、フツーっぽいけど、よく見たらわりと可愛い顔してるよねえ。でも何で川北くん繋がり?」

「1年の時から同室の親友同士なのさ」

「あ、そうなんだ。で、そのコンバスがどうしたって?」

「相当デキ良いらしいよ。プロオケがもう狙ってるらしい」

「ええ〜っ、それってめっちゃ有望株じゃん」

「うーん、こりゃもう暫くウハウハだね〜」

「そういえば、2年上の打楽器に里山って人いるじゃん」

「ああ、先々代の管弦楽部長のイケメンね」

「そうそれ。来年から桐生悟のツアーに参加だってよ」

「ええっ。ほんとにっ?!」

「いや〜これはもう、『買い』じゃない?」

「将来が約束されたも同然だもんねー」

「や、でもさ、今2年っしょ? もう彼女いるんじゃないの?」

「それがさあ、未だにフリーらしいのよね〜」

「まじっ?」

「まだ意中の彼女に出会えてないってことよ」

「う〜、これはもう、入学したら頑張らないとねっ」

「気合い入れてかないとねっ」

「え〜、その前に合格しないと〜」

「何言ってんの。問題無く合格よ、私たちも」

「だよね〜。ちゃんとスマホにお守り持ってるもんね」

 そうそうと頷き合ってお互いのスマホの画面を見せ合う彼女たちの、その『ホーム画面』には、フリフリおリボンのピンクロリータの超美少女の画像が…。

「器楽科志望の子は安藤くん」

「声楽科とピアノ科志望の子は桐生兄」

「ほんと、神社のお札より霊験あらたかなお守りよね〜」


 そう。音高の女の子たちの間に、この秋から密かに広がっていた『お守り』とは、聖陵祭での渉と和真の『フリフリピンクロリータ姿』だったのである。

「この画像、ホーム画面の待ち受けにしたら絶対落ちないんだもんね」

「そうそう」


 何を根拠に?

 いや、そんなことはこの際問題ではない。

 可愛い男の子は心のオアシス。
 リラックスこそ、受験の神髄。
 鰯の頭も信心から。
 信じる者は救われる。

 日本は森羅万象に神の宿る、八百万の神々の国であるからして。


 そして、この驚愕の事実を渉と和真が知るのは、大学に入学してから実に半年後のことだった。
 

合掌

君の愛を奏でて 目次へ君の愛を奏でて2 目次へ君の愛を奏でて3 目次へ
Novels Top
HOME