第5幕 「初雪の頃」
【2】
![]() |
学校の駐車場には、ゆうちゃんの姿があった。 「おかえり」 笑顔で迎えてくれるゆうちゃんに、みんなやっぱりホッとした感じで。 「松山先生、ありがとうございました」 ゆうちゃんの言葉に翼ちゃんが笑いながら答えた。 「修学旅行の引率した気分だぞ」 「え、何かありましたか?」 少し表情を曇らせたゆうちゃんの肩をポンと叩いて、『ま、面白かったけどな』…なんて言ってから、僕たちを振り返る。 「お前たち、和真はともかく、栗山をあんまりいじめるんじゃないぞ」 やっぱり笑いながら言う翼ちゃんに、みんなが『はぁ〜い』…なんて、ふざけた返事をして。 ゆうちゃんはゆうちゃんで、翼ちゃんが『和真』って呼んだことに気づいたみたいで、しかも桂がどうとか…って話に、僕を見たんだけど。 「ええと」 当然僕に、今ここで『全てを端的に報告する』能力なんてあるはずなくて。 そんなことはもちろんゆうちゃんもわかってるから、ちょっと笑ってから、みんなを促して校舎へと向かった。 それら一旦全員で音楽準備室に行って、今日の報告をちゃんとして、解散になった。 ☆★☆ 「お帰り、どうだった?」 僕たちが寮に帰り着いた頃、部活ももう終わってて、直也は自習室で勉強してたんだけど、僕たちが帰ってきたのを聞きつけて、出てきてくれた。 もちろん直也は『入試、どうだった?』って意味で聞いたんだろうけど、その返答ときたら、みんな――やっぱり桂と和真を僕を除いて――『桂がナンパされた』とか『翼ちゃんと和真の秘密を知ってしまった』とか、そんな内容が口々に飛び出て、直也は『はあっ?』って言ったきり、みんなの話を聞くしかないって感じで。 「なんか、入試そっちのけで盛り上がったみたいだな」 僕を見下ろして言う直也に、僕は肩を竦めるしかない。 でも桂は動じてなくて。 「ま、俺の想い人の件については、今騒いでも俺は口割らないし。心配しなくても、社会人になったときに一緒に住んでる相手を見て判断してくれ」 …あーあ、言っちゃったよ。 この一言でさらに騒ぎは盛り上がったんだけと、桂には作戦があったみたい。 「で、この話はここにいる俺たちだけの秘密な。正解は数年後。乞うご期待ってことだ」 不敵に笑う桂に、みんなはあっさりと『ここだけのヒミツの、数年後の正解発表』に釣られてワクワクしちゃって。 でも、桂が直也と先に暮らし始めたらどうするんだろ。 そう言えば、1年の頃、チェロパートで『直也と桂がデキてる』って話で盛り上がったことあったっけ。 あの時はまだ、学校に慣れるのが精一杯で、直也や桂のことも、ちゃんとはわかってなかったから、『ちょっとどころでなくコワい感じだけど、そう言うのもアリなのかなあ。葵ちゃんも、愛の形は色々だからって言ってたし…』なんて、思ったっけ。 まあ、今後『直也と桂』ってカップリングで誤解されちゃっても、僕、知らないし〜。 「…ね、1年の時、チェロパートで話題になったの覚えてる?」 凪がコソッとやってきて耳打ちした。 ほら、やっぱり。 「…直也と桂のこと?」 「そう、それ。まさかアリじゃないよねえ」 「…それ、2人に言ったら悶絶すると思うけど」 「だよねえ。僕はそんなコワいのより、渉が相手だったら良いのになあ…って思うけど」 ニッコリ微笑む凪に、僕は返事が出来なくて固まった。 「でもさ、直也と渉ってのも捨てがたいんだよね」 さらに石化してしまう僕に、凪はトドメを刺してくれた。 「いっそ、直也と桂と渉…なんて、理想的かも!」 「り、り…理想って…」 そう言うパターンを、理想なんて言う人、いないよ。他には。 「まあ、直也が音大行かないって聞いたときにはびっくりもしたし、これはもしかして、桂で決まりかなあ…なんて思ったりもしたけど、学校が離れても、気持ちが繋がってたら大丈夫って、悩んでた僕にアドバイスしてくれたのは渉だし?」 って、凪はひとりで納得してるように話すんだけど。 「あ、あのさ、凪」 「ん?」 「なんか、妙な固定観念…ない?」 まるで、直也と桂と僕って決めてるみたいになってるんだけど。 「え? ないよ? あくまでも『僕の理想』って話」 って言うけど、笑い顔が、悪だくみ中の和真にそっくりなんだけど。 ほら、和真お得意の、ハデなシマシマ猫みたいな、アレ。 で、僕と凪が隅っこでヒソヒソやってるうちに、騒ぎを聞きつけて3年生の談話室には次々と同級生たちが集まって来ちゃった。 桂のことは、『秘密の共有』を持ちかけたのが功を奏して、『桂は試験会場でもモテた』って言う程度の『話題』に落ち着いたんだけど、和真のことはもう、持ちきりになって、これはもう、月曜日がコワいって感じ。 和真は平然としてるけど。 ☆★☆ その夜、僕はいつものように、直也と桂の部屋にいた。 和真のところには、英が来ているはず。 定演の準備や部長会があって、僕たちが帰って来た頃は走り回ってたみたいだから、やっとゆっくり話が出来てるんじゃないかな。 で、僕はと言うと、直也と桂にぴったり挟まれてベッドに腰掛けててるんだけど、話の中心は、やっぱりと言うか、何と言うか、例のことで。 「仕方ないよ。2人ともカッコいいし、優しいから、モテるの当然だし」 精一杯何でもないように言ったつもりだったんだけど、直也も桂も、なんだかすっきりしない顔をしている。 「気にはなるけどね、でも、いちいち気にもしてられないし」 これも、本音。 毎回気にしてたら、きっと何にもできない。 そんなことよりきっと、もっと大事なことがあるから、そっちに目を向けてないと、これからずっと一緒にいることなんてできなくなる。 それに…。 「だって僕は、直也も桂も、信じてるから」 「「…渉!!」」 「わああっ」 な、なんでいきなり押し倒すかなっ?! そりゃあ、今夜は土曜の夜で、お泊まりの日…だけどっ。 ☆★☆ 2人して全力疾走で可愛がり過ぎた結果、失神同然で眠りに落ちた渉を、今夜も交代で腕の中で温めながら、直也と桂はボソボソと話を続けていた。 「渉はそう言うけどさ、実際は俺たちの方がヤキモキしなきゃいけなくなるような気がするけどな」 「だよな。…まあ、こっちは違う大学だから日々目に入るってことはないけど、そう考えたらかえって桂の方が精神衛生上良くないかもな」 「だろ? 絶対、毎日ハラハラドキドキだって」 今後、日々の大学生活では、渉を護るのは自分の役目になる…と、桂は気持ちを引き締める。 もちろん和真もいてくれるし、1年待てば英も来る。 けれど、渉の恋人…いや、『伴侶』として、彼を護るのは自分ひとりだ。 直也は側にはいない。 今更ながら、直也がいてくれることが『当たり前』で、どれだけ頼っていたのかを痛感して、少し不安になってしまう。 そんなことでどうするんだ…と、自分を叱咤しつつも。 「なんてーか、大学では桂に任せなきゃなんないのに、あんまり不安を煽りたくはないんだけどさ、ここでめちゃくちゃモテてた葵さん、大学行ったらさらに老若男女問わずモテまくりだったらしいぞ。 浅井先生みたいなタイプだと、騒ぐのは女子学生オンリーだけどさ」 直也の言葉には、説得力があった。 確かに葵や渉のようなタイプは、どの方面からもウケるに違いない。 「…ってことは、渉もヤバいよな」 「それこそきっと、教授陣から学生まで、老若男女問わず…じゃね?」 ぐっすりと眠る渉のあどけない顔は、18にはとても見えなくて、惚れた欲目でなくとも、これでもかと言うくらいに可愛らしくて魅力的だ。 更にこれが目を覚まして、笑ったり、拗ねたり、はにかんだりした日には、どうしようもない破壊力が備わってしまう。 和真も、『ま、確かに渉のアレは破壊力って言っていいレベルだけどね』と認めているくらいだ。 和真と違い、渉は様々な表情を自身でコントロールしない。 いつも素のままの『彼』だけに、その威力は無限大だ。 そう。渉はここへ来た頃に比べると、とてもとても表情が豊かになった。 そんな渉の側に桂がいてくれるのは、直也にとってこれ以上なく心強いことだ。 もし桂がいなければ、もしかしたら自分は不安のあまり、自分の夢を置き去りにしてでも音大へ一緒に進学していたかもしれない。 自分が望む道へ進めるのは、桂がいてくれるからだ…と、直也はすでにはっきりと自覚をしている。 渉を、桂と共に愛して護っていけるという幸せを掴んだ自分は、とてつもなく幸せ者なのだ…とも。 「でさ、あの話、いつ渉にする?」 「合格発表っていつだっけ?」 「月曜日」 不合格という可能性は全くないと、桂は自覚しているが、一応正式な通知は月曜だ。 「んじゃ、次の土曜日にゆっくりと…かな」 「渉、驚くかな?」 「驚いてから、喜んでくれるんじゃない?」 桂と直也は、2人の『卒業後の生活』の『ある決定事項』について、渉に報告しなくてはいけないことがあった。 「和真の話は、まだ渉も英も…和真自身も知らないんだろ?」 しかも、和真の 『卒業後の生活』についても 『ある決定事項』があって。 「まだナイショだってさ。でも、合格発表すんだら話するって、母親同盟は決めてるみたいだけどな」 少し身じろいだ渉をそっと抱え直して直也が言うと、桂も頷いた。 「ほんと、住んでるところバラバラなのに、結束固いよな」 自分たちの母親が、入学後すぐのあたりからすでに仲が良いのはわかっていたが、その後、渉や和真の母もいつの間にか一致団結して、息子たちのあれこれを見守っているようで、心強いような、ちょっとコワイような、でも今はありがたい…と言った複雑な感じだ。 「ネットで世界は繋がってるからな」 「しかも総元締めが大物だからなあ」 桂の言葉に直也が頷く。 「うん、それ。香奈子先生って、綺麗で大人しやかな感じなのに『やり手』だよな」 「うちの親父が『薔薇園のゴッドマザー』って呼んでたけどな」 「あー、それわかるかも」 母親の違う4兄弟を育て上げた賢母…と、音楽界のみならず誰しもが等しく認めるところなのは、自分たちもよく知っていることで。 「しかもその『薔薇園のゴッドマザー』って、渉のお母さんが跡継げそうな感じだよな」 「それそれ、浅井先生もさ、10歳離れてるの差し引いても、頭上がんないって言ってたもんな」 渉や英の芯の強さはきっと、浅井家からも大きく受け継がれているのだろう。 寝顔は可愛いばかりの渉だれど。 「けどさ、アレ、『社会人になってから』ってさ、桂ってばとっさに上手く逃げたよなあ。うっかり『卒業してから一緒に住んでる相手』…なんて言っちまってたら、エラいコトになるからなあ」 「俺の想い人が直也ってか?! うひゃー、今世紀最高にキモいぞ、それ」 身の毛もよだつ…と、桂は体を抱えて震えてみせる。 「けどさ、若干の誤解は覚悟しなきゃ…かもたぞ」 そう言いつつも不敵に笑う直也に、桂もまた同じ笑いを見せる。 「いいじゃん。俺たちが『コンビ』なのは今更だし」 「だな。6年間、『不動のカップル』だったんだし?」 だからこそ、今、この幸せな時間があるのだから。 「そうそう。それに、突っ込まれたら、『そのうちコンビで芸人デビューするからさ』…とか言っときゃいいって」 外野がどれだけ騒ごうとも、自分たち2人はこの先も永遠に無二の親友であり、そして渉の伴侶であるのだから。 だから、渉さえ護れることができれば、それで良い。 「でも、やっぱり毎日顔が見られなくなると、きっと寂しくなるんだろうなあ…」 進学すれば、それこそ『よくて週に1回』会えれば良い方だろうと、直也が少し萎れる。 たった2週間の冬休みですら、辛いのに。 「いや、それ、きっと渉も同じだと思うぞ。『直也に会いたい』ってさ」 それが渉の『想い』。 どちらかがいれば、それでいいわけではない。 きっと、他人が見れば『なんて贅沢な』とでも言うだろう。 だが、直也と桂は、自分たちこそが贅沢なのだと感じている。 それぞれに、渉から精一杯の愛を向けられて。 「なあ、そろそろ交代」 「えー、もう?」 「もう、じゃないって。すでに5分オーバーだし」 「ちぇ、計ってやがる」 小声で呟く直也に、桂が低く剣呑な声で応える。 「あぁ?」 「しかたないなあ。ほら、起こすなよ」 「わかってるって」 直也からそっと渉を受け取り、桂は愛おしそうにその身体を抱き込む。 「…にしても、軽いなあ」 「最近喘息も出なくなったし、随分丈夫にはなってはきたけどな」 手を伸ばしてそっと頬を撫でる。 「でも食は相変わらず細いし、渉の体調管理も俺たちの大事なお役目…だな」 「栄養士の勉強でもするかな」 「お。現実的でいいねえ」 尽きることなく未来を語り合う夜は、ゆっくりと深くなっていった。 ☆★☆ その頃、和真は英の腕の中で――ついでに言うとベッドの中…で――小さな告白をしていた。 「え、バレた?」 「ってか、バラした」 「何で?」 「んー、成り行きで」 和真と翼の話はすでに、中等部にまで伝わり始めていたのだが、定演だ部長会だと走り回っていた英は、まだ『例の騒ぎ』を知らなかった。 だから、今日の出来事を和真から聞いて、目を丸くしている。 「まあ、確かによく似てるから、並んだところを見たら『あれっ?』って思うのも仕方ないけどな」 だが渉同様、英もまた、『和真ならそれくらいのこと、上手くスルーできそうなのに』と感じたのだが。 「口止めもしなかったから、月曜にはみんな知ってる…ってことになりそうだけどね」 口止めすらしなかったということに、英は少し驚き、そして思いついた。 「…そっか。それで栗山先輩の発言を煙に捲いたわけだ」 「んー、実際煙に巻くまでは無理だと思ったんだけど、とりあえず桂が次に打つ手を考える時間稼ぎになれば…と思ってさあ」 何でもないように言う和真に、英は『やっぱり男前だよなあ』と嬉しくなる。 「ま、桂は桂でちゃんと火消しができたから、ヤツもそれなりに成長してるってことで、ちょっとは安心して渉のことも預けられかなあって感じ?」 そう口では言うものの、和真は卒業を機に自分の役目を終えようと思っている。 桂と直也に託して。 そこからは、『役目』ではなく、ただ純粋に渉の『親友』として、同じ世界で生きていきたいと思っている。 ただ、世話は焼いてしまいそうだが、それはもう、自分の『質』だから仕方がない。 「月曜日、大騒ぎになりそうだな」 笑う英に、和真は何でもなさそうに、小さく肩をすくめた。 「ま、ミニスカピンクロリータまでやっちゃったから、もう怖いものナシだけどさ」 「ってか、和真には最初から怖いものなんてないだろ?」 さらに笑いながら言う英の肩に頭を乗せて、『そんなことないよ』と、和真は頼りなげに呟いた。 「和真?」 「…英が…」 確かに怖いものなんてない。英を失うこと以外は。 言葉が続かなくなった和真を、英はそっと抱きしめる。 「ん? どした?」 和真が不安な表情を見せることは少ない。だが、そのおかげでかえってすぐに不安を見抜くことも出来る。 そして、そんな時は、腕の中で心ごと温める。 和真の不安がほぐれるのを、ゆっくりと待ちながら。 「俺はずっと和真の側にいるよ」 何に不安を感じているのかわからない時でも、一番大切な事をちゃんと言葉にして伝えれば、糸口は掴め、道は違えない。 「うん。僕も…」 ふわっと笑った和真の唇にそっと落としたキスはそのまま深くなった。 重なる身体が解けるには、まだまだ夜は浅いから…。 |
幕間 『育みの手から手へ』 |