第5幕 「初雪の頃」

【3】





「えっ? もう同棲するのっ?」

 思わず大声で聞き返しちゃった僕に、桂と直也は盛大に笑い出した。

「同棲ってな〜」
「渉が言うとなんだかエロかわいい感じだけどさ〜」
「対象が俺たちだと、エグいよなあ〜」

 どこがエロかわいいのかさっぱりわかんないけど、ともかく僕は、2人の『報告』に驚いてて。

 何が驚いたって、卒業したら、直也と桂はマンションで一緒に住むことになったって言うんだ。
 夏休みの居場所になってる、直也のお母さんが持ってるってマンションで。

 確かにあの場所だと、音大へも、直也が目指す大学へも、通いやすいけど。

「2人暮らしするの?」
「いや、一応お目付役の秘書さん付き」
「え、そうなんだ」

 秘書さんって言うと、直也のお父さんの…だよね。

「ほら、直也のお父さんって、今や若手の代表格で党の広告塔じゃん。だから身内のスキャンダルなんかに秘書さんたちが神経使ってるんだってさ」

 確かに、まだ当選2回なのにかなり重い役に付かされてる…って、葵ちゃん言ってたっけ。

 それにしても…。

「身内のスキャンダルって?」

 なんのことだろ?

「例えば長男がハニトラに引っかかるとかさ」

 桂が茶化したように言う横で、直也が笑ってる。
 でも、僕には言葉の意味がわかんなくて。

「はにとら? なにそれ」

 どら焼きの親戚? 蜂蜜味のどら焼きとか。ちょっと美味しそうだけど。

「ああ、正しくは『ハニートラップ』。直訳通りの意味だよ」

 直也が可笑しそうにいうんだけど、それってもしかして『誘惑されて罠にはめられる』ってこと、かな?

「直也…が?」

 そんなこと、ないと思うんだけど、僕の声がちょっと沈んでたからなのか、桂が僕を抱き寄せてくれた。

「まあ、直也がハニトラに引っかかるはずないけどさ」

 …だよね。ちょっとドキドキしちゃったよ。

「基本、自分たちのことは自分たちで…ってことなんだけど、5LDKもあるからさ、一番若い秘書さんに部屋を提供しがてら…ってことさ。年に何回かは母さんも来るし」

 直也が言いながら、僕を桂から引き剥がして抱き込んだりして。

「ま、4年間にしっかり生活力を身につけて、渉を迎える準備をするつもりだから」

 って、嬉しい言葉と一緒に桂が僕を引っ張って…。
 それをまた直也が…。 

 なんていう、端から見たら取り合いみたいに見えるだろうこんな状況にもちょっと慣れてきた。

 最初のうちはオロオロしたりもしたんだけど、2人が楽しんでやってるみたいだって判ってからは、好きなように遊んでもらってる。

 僕も、楽しいから。


「でも、よかったね。ずっと一緒の2人だったもんね」

 やっぱり僕はこれが一番嬉しい。

 2人がずっと、誰よりも大事な『親友同士』であることが。

「ってか、誤解招きそうだよな」
「『やっぱりNKはデキていた』って?」

 って、やたらと嬉しそうなんだけど。

「あ、でも卒業してったチェロパートの先輩たちは、これ知ったら確実に誤解するよ…っていうか、もうしてるけど」

「えっ、なにそれ」
「なんで、チェロパート?」

 うん。2人の疑問はもっともだけど。

「ほら、1年の時の七夕で、直也も桂も、短冊見せてくれなかったじゃない?」

 直也と桂が頷きあう。

「ああ、そう言えば」
「そんなこともあったっけ」

 まるで何十年も前のことみたいな言い方に、可笑しくなっちゃうんだけど。

「あの時、チェロのパート練習中に『今年はNKの短冊見てないな』って坂上先輩が言い出して、なんでだろってことになってワイワイ話してたら、いつの間にか『実はNKはお互いに想いを寄せ合ってるに違いない』…って結論に至っちゃって」

 僕の説明に、直也と桂は顔を見合わせて…。

「なんだそりゃ〜。今世紀最大のお笑いだって〜」

 まず直也が大笑いした。

「…や、まてよ。坂上先輩がいたってことは、俺たちが1年の頃だろ? そう言えば弦のセク練の時に、チェロパートの生暖かい視線を感じてた時期があったような…」

 桂は記憶を掘り返してる。

「…そう言えば、暫くの間、絡みつくような視線を感じてたような気が…」

 直也も思い出したみたいで。

「どひゃ〜、あの意味深な視線って、それだったのかよ〜」

「もしかして、坂上先輩たち、誤解したままって?」

「多分ね」

「あり得ね〜」

「すげー妄想力〜」

「ってか、そこまで思ってもらったんなら、これゃもうご期待に応えなきゃだよなあ」

「年賀状、『同棲しました』って、連名で出すか?」

「あ、それいい〜」

 って、めっちゃ盛り上がってんだけど。

 ひとしきり大笑いした後、直也と桂はふと真顔になった。

「あの時の短冊はさあ、ほら…」
「だよなあ。今だから言えるけど…ってとこだよな」

 ってことは、やっぱり本気でナイショだったんだ。

 聞いて良いのかなあ。でもやっぱり気になるし。

「あの、さ。何て書いてたわけ?」

 話してくれるかな…って思ったんだけど。


「「渉が欲しい」」


 …へ?

「えっ、あのっ、なんでいきなりっ」

 2人の無節操は今に始まったことじゃないけど、それにしてもいきなり過ぎて、どうしていいかわかんなくなっちゃったら…。

「…って、書いたんだよ」
「お互いにな」

 …ええと、もしかして短冊の話?

「叶ったってわけだ」
「ってことだよな」
「『星に願いを』ってのも効くもんだな〜」
「来年からも七夕やるか」
「良いねえ、それ」

 って、2人はまたも盛り上がってるんだけど、僕はもう、嬉しいんだか恥ずかしいんだかわかんなくて、顔が上げられない。

「あれ? 渉、どした?」
「顔、赤いぞ? え、もしかして熱?!」
「えっ、大丈夫かっ?」

 わあああ。

「だっ、大丈夫っ。熱なんかないよっ」

 顔は熱いけど、これはもう…。

 慌てた僕を、直也と桂がじっと見つめて…。

「ふふっ」

 …何? その色めいた笑いは。

「照れたんだ?」

 …そりゃ照れるに決まってるじゃん。

 1年の7月にはもう、そんな風に想っててもらったなんて。

「…七夕の短冊、効くと思うよ」

 照れくささから抜け出せない僕は、俯いたまま言った。

「…渉?」
「それって…」

 探るような、直也と桂の声。

「僕、2年の七夕で、『ずっと一緒にいさせて下さい』って書いたから」


 願って、そして頑張れば叶うんだと、僕はここで知った。

 これから大人になっていくにつれ、そうではないこともあると思うけど、僕は多分、願いは捨てない。

 願い続けることは、きっと、やめない。


 で。
 結局僕は押し倒されて、以下同文…。



                     ☆★☆



 月曜日に僕たち音大受験組は全員合格を手にしていて、まだほとんどの同級生が年明けのセンター試験を前に頑張っている中、コソコソと卒業後の生活環境について情報交換をしていた。

 七生以外の音楽推薦遠方組の4人は、それぞれ『一人暮らし』にワクワクしてるみたいで、七生は羨ましそうにしてる。

 七生の家から音大までは片道なんと25分。絶好の立地過ぎて、実家に帰る以外、選択の余地なし…なんだ。

 で、僕はもちろんパパの実家がこれからの居所になるし、桂は直也のマンションって決まったし、凪は一旦は実家へ戻るみたいだけど、音大からかなり遠いので、多分……そう、ここで里山先輩の登場ってわけだ。

 里山先輩ってば、すでに『2人で住む部屋』を探してるらしい。
 一般入試の合格発表後だと、良い物件が無くなるからって。

 で、凪のご両親にはどう説明するのかなと思ったら、そこもまったく抜かりもなくて、とっくに家族には『気に入られて』るらしいんだ。

 まあ、あくまでも『頼りになる先輩』として、だけど。

 だから『そんなご迷惑をおかけしては…』と言いつつも、ご両親は喜んでられるみたい。

 ほんと『有言実行』で、同じ大学だから、これからも2人の幸せな様子を間近で見られるってことで――多少の暑苦しさは我慢するとして――僕もすごく嬉しいんだ。

 と言うわけで。

 問題は和真。
 和真はどうするつもりなんだろうと聞いてみたら、『ん〜。なんかさ、親と翼っちが相談中みたいなんだよね』って返事で。

 東京に親戚はないって言ってたから、やっぱりひとり暮らしになるのかなあ。

 和真と離れるの、寂しいな…。
 和真の部屋に入り浸っちゃおうかなぁ。



                     ☆★☆ 



 和真の話を聞いた次の日。
 部活の後、ゆうちゃんが、和真と僕を呼んだ。

「副院長先生がお呼びだから、行っておいで」

 和真が翼ちゃんの甥っ子ってのはもうすでに、裏山の猫まで知ってるんじゃないかってくらい校内では『周知の事実』に成り果てているから――バレてから暫くは大騒ぎだったけど――ゆうちゃんも辺りを憚ることなく言ったりして、周りの耳はもう、『何事だろうか』とダンボ状態。

「えと、あの、僕も…ですか?」

 和真だけじゃないのかなって思ったんだけど、ゆうちゃんはニコッと笑って言った。

「渉もだよ」

 そう、なんだ。なんでだろ?

 って、和真の顔をチラッと見たら、和真もちょっと肩を竦めて『なんだろね』って感じで。

 呼ばれてるって聞いて、ちょっと心配そうにしてる英とホールで別れた僕たちは、本館にある副院長室へ向かった。

 直也と桂は、英とは全然反応が違って『あ、そう。行っといで』って感じだったんだけど。




「グランマ!」

 なんと、翼ちゃんの向かいには、グランマ――パパの方の――が座ってた。

 ついこの前、大学合格を電話で報告した時――報告するまでもなく、知ってたとは思うんだけど――には、『おめでとう。ま、これっぽっちも心配はしてなかったけどね』なんて、笑ってたグランマが、どうしてここに?

 翼ちゃんに手招きされて、和真は翼ちゃんの隣に、僕はグランマの隣に座った。

 和真と翼ちゃん、こうして並ぶとやっぱりよく似てる。

 そんな和真が、ちらっと翼ちゃんに視線を流すと、翼ちゃんは優しい表情で和真を見る。
 やっぱり可愛くて仕方ないって感じ。

 こんな2人の様子、みんなにも見て欲しいなあ。
 ゆうちゃんと僕をネタに盛り上がるよりもっと楽しいと思うんだけど。
 ずっと内緒だったなんて、ホントにもったいない。


 で、何の話なんだろ?

「香奈子先生、お願いしてもよろしいですか?」

 翼ちゃんの言葉に、グランマはにっこり微笑んで『ええ、もちろんです』と応えて、そして僕と和真をゆっくり見た。

「和真くん」
「はい」

 もう何度もグランマに会ってるから、和真もリラックスした笑顔で返事をする。

「あなたがここを卒業した後のことなのだけどね。ご両親と松山先生にご相談させて頂いていたことがあったの」

 グランマの言葉に、和真はちょっとだけ首を傾げると、また『はい』と言って…。

 でも、続くグランマの言葉に、僕も和真も驚いた。

「和真くんさえ良ければ、うちへ…渉の所へ来てもらえないかしら?」

 え、それって…。

「和真、うちから大学行けるの?」

 グランマは『そうよ』って答えてくれたんだけど、和真は目をまん丸にして、ちょっと慌てた様子で翼ちゃんを見た。

「実は夏休み前には、声を掛けて下さってたんだ」

 翼ちゃんの意外な言葉に、僕と和真は思わず顔を見合わせた。

 そんなに早くから?

「和真くんが卒業後にどちらの進路を選んでも、うちでお世話させて頂きたいと思ってたのよ」

「じゃあ、もしかしてレコーディングの時に母さんが言ってたのって…」

 留学したら、僕のうちへってのは決まってたけど…。

「ええ、ドイツでもうち、東京でもうち…って話なのよね」

 ニコッと笑うグランマはもう、確信犯の笑顔。

 なんか、父さんたちが『桐生家の嫁と姑は最強コンビ』って言うの、わかる…。


「…翼っち…」

 どうしようって顔で、和真がまた、翼ちゃんを見る。

 って言うか、本人にも『翼っち』って呼んでるんだ。
 ちょっとびっくり。…って、どうでもいいことだけど。


「香奈子先生、わざわざ草津までお前の両親に話をしに来て下さったんだ。こちらとしても、そこまでご迷惑をお掛けするのも申し訳ないと思ったんだけどな、結局お前可愛さで、甘えさせて頂くことにしたんだ。まあ、お前がうんと言えば、だけどな」

 翼ちゃんの最後の一言に、和真が少し腰を浮かせて勢い込んだ。

「そんなっ、僕が嫌だって言うわけないし!」
「だろう?」

 翼ちゃんが声を上げて笑う。
 もちろんグランマも。

 その楽しげな声に、和真は脱力した様子で、ソファーに身体を落とした。

 そして、小さく深呼吸してから、背筋を伸ばしてグランマに向き合った。

「香奈子先生…、本当に凄く嬉しいです。ありがとうございます」

 僕はもう、嬉しすぎて、何か言いたくても言えないくらい、胸が一杯になっちゃって…。

「あらあら、和真くんってば〜。香奈子先生なんて呼ばないで、グランマって呼んで?」

「へっ?」
 って、間抜けな声は僕。

「はっ?」
 って、一層目を丸くしたのは和真。

 翼ちゃんはまたしても笑ってるし。

 そんな僕らの様子なんて、お構いなしって感じでグランマは上機嫌。

「和真くんには、何の遠慮もなくうちの子のつもりで来て欲しいの。だから、渉と同じように『グランマ』って呼んで欲しいわ」

 グランマはこれでもかって言うくらいにワクワクした笑顔で、和真はと言えば、さすが返事に窮した様子で、何か言おうとしてるんだけど、何にも言えない感じで、ちょっと顔が朱かったりして。

 そんな和真の様子にもやっぱりお構いなしで、グランマは更に驚くことを…。

「実はね、桂くんと直也くんもこの際引っ張り込んじゃおうかしらと思ったんだけど、直也くんが行こうとしてる大学は、うちからはかなり面倒な乗換になるから、可哀相だと思って諦めたのよ」

 そんなことまで考えてたなんて…。

 あ、もしかして、直也と桂は知ってたんだろうか。
 呼ばれてここへ来ていることにも、英と随分反応が違ったし。

「桂くんと直也くんも2人で頑張るみたいだし、これで暫くは一安心ってところね」

 僕に向かってそう言うグランマに、やっぱり直也と桂は知ってるんだと僕は確信して和真を見た。

 和真も僕を見て、『ヤツら黙ってやがったな〜』なんて顔で。

「ホント、高校生って一生懸命で可愛いですわよね〜、松山先生」

「いやあ、生意気盛りで大変ですよ? 美人の前ではみんな猫被ってますが」

「あら、やっぱり可愛いわ〜」

 脳天気気味な大人2人の会話に何だか力が抜けちゃう…。



 で、これからのことはまた改めてゆっくり話をすることにして、今日のところはこの辺りで…と、グランマが腰を上げて、僕と和真は駐車場までグランマを見送りにいったんだけど…。

 運転席に乗り込む間際、グランマが僕の耳元にそっと囁いた。

「すぐるんも大喜びね」

 …えっ? えええっ? えええええっ?!
 ももも、もしかしてグランマにもバレてるっ?

 ってことは、もしかして父さんとか母さんとか…。

 どこまでバレてるんだろうって、青くなった時に、つい思い出してしまった。

 まさか…母さんが和真に『ママって呼んでね』って言ったのって…。
 ってことは、さっきグランマが『グランマって呼んでね』…も同じ、意味?

 …ウソだろ…。ひょっとしてみんなで外堀埋めまくり?

 ま、英的には万々歳だろうけど…。

 なんか、大変な事になりつつある気がする…。

 和真に悟られないようにひとりで狼狽えまくってる僕の様子に、グランマはまたいつもの調子で言う。

「定演、メインを振らせてもらえるんですってね」
「あ、うん」
「楽しみにしてるわね」
「うん、頑張る」

 僕の返事に華やかな笑顔で応えてくれたグランマの肩に、フワッと白い結晶が触れて、消えた。

「あ、雪…」

 今日は特別寒いなあと思ってたんだけど。

「2人とも、風邪ひかないようにね」
「うん」
「はい、気をつけます」

 ニコッと笑った和真は、いつもながらとんでもなく可愛いくて…。

「や〜ん、もうっ、可愛いわ〜!」
「あわわ」

 和真と僕を盛大にハグして、グランマはウキウキと帰って行った。



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