終幕 「桜咲く頃」
【1】
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パパの実家…って言うよりはもう、僕の自宅と言ってもいい家に戻ったのは、定演2日目の夜。 何度も続いたカーテンコールの間のことは、なんだかよく覚えていないくらいに、ふわふわした時間だった。 最後のゆうちゃんの挨拶が終わって、全員が客席に一礼してすべてが終わる頃には、下級生たちがもうぼろぼろに泣いてて、でも同級生たちはみんな、涙も出なくて腑抜けみたいになってた。 全部絞りきって、半ば放心状態って感じで。 それにしても、今年に限って下級生たちはみんな、やたらと涙もろい。 きっと、直也と桂、それに和真が卒業しちゃうからなんじゃないかなあって思うんだけど。 それほどに、3人はずっと、人気者で中心人物だったから。 で、それだけに打ち上げはもう大騒ぎで、あっちこっちで撮影会が始まったり、いきなり告白タイムになったり、もうめちゃめちゃ。 ゆうちゃんも、『ここまではじけてるのは久しぶりだなあ』なんて言ってた。 直人先生の証言によると、ゆうちゃんたちが卒業する時も、相当凄かったみたいだけど。 ちなみに2時間の打ち上げの間に、和真は8人を振った。 最後の方はもう、和真が『ダメ元覚悟の玉砕告白なんてするんじゃないの』…なんて、お説教始めちゃったりして。 で、『告白するときにはもっと用意周到に…』なんて、『難攻不落の美少女・和真さまの告白レクチャー』みたいになっちゃって、中1の子までが聞き入る有様。 英は当然面白くなかったみたいだけど、管弦楽部長さまたる者、一切顔には出さず、聞き分けのいいフリでストレス溜めてたみたい。 そうそう、オーボエや低弦は舞台上手からの出なので、下手スタンバイの僕は、本番前には和真や英とは話が出来なかったんだけど、凪の証言によれば、2人は隅っこの暗がりで手を繋いでたとかなんとか…。 『ポーカーフェイスで人知れず大胆なことやってるんだよねえ』なんて、凪は笑ってたけど。 そんなこんなで、大騒ぎの2時間を過ごして解散となり、だいたい半分の部員が退寮した。 あとの半分はほとんどが翌日退寮の『遠方帰省組』。 で、僕も英も、グランマの車の中で爆睡になっちゃった。 僕も疲れたけど、でも英はもっと大変だった。 部長としてやることは山積みで。 万事そつなくこなす英だけど、部長になってからは『そつなく』ではなくて、『全力』でやって来たから、さすがに疲れたんだろう。 そして、和真はなんと、今夜は岡崎くんのうちにお泊まり…なんだ。 夏恒例の岡崎家の家族旅行は今年、年末に変更になったそうで、翼ちゃんがあと3日は帰れないからってこともあって、明日からの家族旅行と一緒に和真を連れて帰ろうってことになったらしい。 岡崎くんのご両親も、まさか和真が聖陵にいるとは全然知らなかったそうで、和真を慕っていた岡崎くんの弟も、仲が良かったお姉さんも、ビックリと大喜び…らしい。 でも、どうやって連れて帰るんだろうと思ったら、どうも英が協力したらしくて、うまく手引きして誰にも見つからずに岡崎家の車に乗せたみたい。 次のコンマス最有力と、すでに部内でも言われている岡崎くんと英は、いつの間にか距離を縮めていて、なんだか上手くやってる様子。 僕や和真の事がクリアになれば、元々ウマの合いそうなタイプの2人だから、来年度は部長とコンマスとして、管楽器リーダーの沢渡くんと一緒に管弦楽部を引っ張って行くんじゃないかな。 直也と桂と和真の体制も強固だったけど、来年度もきっと負けてないくらいになりそう。 で、直也はもちろん、東京へ残って受験勉強。 地力もあるし、基礎学力も盤石、応用力もすでにほぼ完璧な状態で、ともかく実力はもう十分だから、先生方も誰も心配してないらしいんだけど、年明けにはセンター試験もあるし、年末年始の人混みの中をわざわざ移動することもないだろうってことみたい。 風邪引いたりしても困るしね。 桂はいつものようにオーストリアへ帰省するのかと思いきや、今年は直也の側で、直也の『息抜き係』をするんだそうだ。 ひとりで受験勉強してたら息が詰まる…って直也がぼやいたからみたいなんだけど、それを聞いて、僕も行きたいなと思ったら、『渉が来たら、それだけじゃすまなくなるから』…だって。 『一晩中ぶっ飛ばして体力消耗しても何だしな〜』…なんて言う直也に、桂が『一晩ぶっ飛ばしたぐらいで消耗するような体力じゃねえじゃん』なんて返して、『それもそうだな』なんて大笑いしてる2人に、僕はもう脱力するしかないって感じ。 そりゃ、体力消耗するのはいつも僕だけ…だけどね。 でも、年末年始、2人で大丈夫なのかなと思ったら、直也のお母さんとお祖母さんが交代で面倒見に来てくれるらしくて、それなら安心だなって思ってるところ。 で、今年の年末も葵ちゃんと悟くんが帰ってきた。 直人先生と昇くんも帰ってきて、一気に賑やかになった。 いきなり人数増えちゃって、佳代子さん大変なんじゃないかなと思ったら、久しぶりに腕が奮えるって喜んでくれてて、僕も英も色々手伝ってみたりしてる。 そうそう、毎日違う味のプリンも作ってくれるんだ。 葵ちゃんなんて、2つも食べてるし。 そんな佳代子さんに『春には坊ちゃまがお二人になるので楽しみですよ』…なんて言われちゃったんだけど、それってもしかして和真の事?…って思ったら…。 『渉坊ちゃま、英坊ちゃま。和真坊ちゃまのお好み、教えて下さいね』…だって。やっぱり…。 佳代子さん、和真が遊びに来たときには、『和真さま』って呼んでて、和真は『さまはやめて下さい〜』なんて言いながら、佳代子さんの肩たたきしてたんだけど、『さま』から『坊ちゃま』への『変化』を、あの人一倍頭の回る和真が聞き逃すはずはない…よね。 あ、英が撃沈してる…。 ☆★☆ 賑やかに年末を過ごして、年が明けてから昇くんは直人先生と先生の実家へ、僕たちは母さんの実家へ行った。 ゆうちゃんとあーちゃんは大晦日に帰ってきてて、今年も一緒に過ごせて嬉しいなあって。 しかも、今日は葵ちゃんも一緒だし。 「え? ステージ、ないの?」 今年は結構のんびりできるんだ…って葵ちゃんが言うから、どういうことかと思ったら、今年の前半は、悟くんとのレコーディングと、少しのんびり目のリサイタルツアーにあてていて、後半は、悟くんの国内ツアーってことで、いつになく日本にいられそうな1年なんだって。 そうそう、その悟くんのツアーに里山先輩を連れてくって聞いてびっくり! 凪もきっと喜んでるだろうなあ。 「僕はどっちかっていうと、レコーディングよりライブの方が好きなんだけど、せっかく悟と出来るようになったんだから、色々とね、遺しておこうかなって思い始めてさあ」 今までステージに重きを置いてた葵ちゃんが、そう言う心境になったっていうのはなんだかわかる気がする。 それほどまでに、悟くんの復帰は葵ちゃんの大部分を占める大切なこと、だと思うんだ。 ただ、『残しておく』って言い方は、葵ちゃんらしくなくて、少し違和感を覚えたんだけど。 「どこでレコーディングするんだ?」 ゆうちゃんが、あーちゃんにミカンを剥いてあげながら聞いた。 2人は結構開けっぴろげにラブラブだ。 「ん〜、だいたいこっち。コンチェルトと違って制限はほとんどないからさ、いいスタジオとエンジニアがいれば、こっちでやった方がいいに決まってるし」 わあ、それなら…。 「見に行ってもいい?」 「もちろん」 僕のお願いに、葵ちゃんが笑顔で答えくれて…。 その時、英の辺りで小さく着信音がなった。 「あっ」 そう、着信表示を見るまでもなく、この着信音――帝国のマーチ――は、和真だ。 「ちょっとごめん」 そう言って、英はこたつを抜け出て、部屋から出てったんだけど…。 「英のあの緩んだ顔つきは…、安藤くんだな」 葵ちゃんが言って、ふふっと意味深な笑いを零した。 や、葵ちゃんが『知ってる』のは今さらなんだけど、それをゆうちゃんとあーちゃんの前で言ったってことに、僕は驚いて…。 しかもゆうちゃんもあーちゃんも、これっぽっちも驚いてないし。 「も、もしかして…」 青ざめる僕に、葵ちゃんがニタリと笑ってゆうちゃんを見た。 「なんだ、もしかしてバレてないとか思ってたのか?」 ゆうちゃんのあっけらかんとした言葉に僕は絶句してしまって、しかもあーちゃんはニコニコ笑ってるし。 「学校でも一時期かなり話題になってたじゃないか。英が難攻不落を落としたって」 「だって、あれはもう…」 ネタだって、もっぱらの評判なんだけど…。 「いや、あれがなくてもその前からわかってたけどな」 「ええっ?!」 どういうことっ? 「ほら、夏のレコーディングの時。あれでもうバレバレ。なんか、奥歯かみしめてないと怪しく笑っちゃいそうで困ったって」 …あ〜、確か奏の『逆プロポーズ』に英が焦りまくって、巨大な墓穴を掘ったような気がしないでもなかったんだけど…。 でも、あの現場でそれってことは。 「あ、あの…」 「「ん?」」 僕の2人のオジサマが、笑いをかみ殺した顔つきで僕を見る。 「ど、どこまでバレて…るの?」 「どこまでって、そりゃ身内はみんなわかってるよ」 葵ちゃんがケラケラっと声を上げた。 みみみ、身内って…? みんなって?! 「ここのジジババですら知ってるぞ」 ゆうちゃんの驚愕の言葉に、僕はもう、池の魚みたいに口をパクパクするしかなくて。 「ほら、渉くん、落ち着いて」 あーちゃんが、手を伸ばして僕の背中を撫でてくれる。笑いながら。 「はいはい、ゆっくり深呼吸して。早く落ち着かないと、英にバレちゃうよ?」 葵ちゃんは、ほら…と、一緒に深呼吸してくれるんだけど。 でも、…ってことは、もしかして。 「あ、あの、さ、それ、英には言わない…の?」 僕の『まさか』に、ゆうちゃんと葵ちゃん、それにあーちゃんまでがニタッと笑った。 「いや〜、やっぱり英にはもう少し内緒にしといて、楽しもうかな〜なんて」 「あんだけ分かり易いのに、まだ隠せてるって思ってるのが可愛いよなあ」 「ちょっと可哀相な気もするけど〜」 …僕のオジサマたちとその恋人は、悪魔だった…。 それから、葵ちゃんが『5日に迎えに来るよ』と言って、帰ってったんだけど…。 「葵に聞いたんだって?」 ゆうちゃんが切り出した。 さっきまでとは全然違う――でも、柔らかい表情で。 何を…とは言わないけれど、でもわかった。きっと、悟くんとのこと。 頷く僕たちに、ゆうちゃんはちょっと笑った。 「葵のことだから、どうせ『先に恋人同士になっちゃったんだよね〜』なんてノリだったんだろうけど…」 まったくゆうちゃんの言う通りで、僕と英は顔を見合わせる。 あーちゃんは、黙って神妙な顔してて…。 「ちょうど聖陵祭の時だった。赤坂先生が、葵が我が子だと気がついた時、僕は側にいたんだ」 初めて聞く話…だった。 葵ちゃんのお母さんとグランパのことは、聞いていたけど、グランパが葵ちゃんを見つけた時のことは、今まで誰も、詳しく教えてはくれなかったから。 「葵の混乱は、それは酷いものだった。その時すでに、悟先輩と分かち難い想いで結ばれていたから」 …やっぱり…。 すんなり行ったはずはないだろうな…って、頭のどこかでは思っていたけど…。 あーちゃんがきゅっと唇を引き結んだのが見えた。 「葵は、悟先輩が事実を知れば受け入れてもらえなくなると思い込んで、一生隠し通すと決めたんだ。 けれど、そのストレスは葵を蝕んで、合奏中に、葵は血を吐いて倒れた」 え…、そんなこと、が…。 思いもよらない話に、僕がぎゅっと握ってしまった手を、英の手が包んでくれる。でも、その英の手も少し震えていて…。 それでもゆうちゃんは淡々と話し続ける。 「すぐに救急搬送されたものの、出血は酷くて、なかなか止まらなくて、当時、葵の親権者は栗山先生だったけれど、その先生が仕事先の名古屋から駆けつけるのも、もしかしたら間に合わないかも知れないと医者に言われるほどの、状態だった」 …そんな……。 「学校総出の輸血でなんとか命は繋いだけれど、葵はそれからも目を覚まさなくて、このままではまた重篤な事態に陥ると言われた頃、やっと目を開けた。 悟先輩がずっと、葵に『もう大丈夫だから』と話しかけ続けていたんだって聞いたのは、少し後のことだった。2人の想いは、兄弟だという事実を乗り越えたんだ」 そう…か。 生死で分かたれるかもしれない恐怖を知っているから、悟くんと葵ちゃんはあんなにも、離れたがらないんだ。 視界が熱く霞んだ。 思わず英を見れば、英もまた、赤い目をしていて。 でも、ゆうちゃんの話にはまだ続きがあった。 「実は、事実を知って、隠し通そうとしたのは、葵だけじゃなかったんだ」 …え? どういうこと、だろう。 葵ちゃん以外に、知ってる人がいたってこと? 「葵よりも先に、恋人同士の2人が実は兄弟だと知った人がいた。けれど、2人のために、隠し通そうとした」 …誰、が? 「ひとりは栗山先生。もうひとりは、香奈子先生だ」 栗山先生…は、わかるかも。ずっと葵ちゃんを見守ってきた人だから。 でもグランマ…が? どうして…。 「香奈子先生は、先生のお父さんの遺言で葵の存在を知って、ずっと葵を探していた。 けれど香奈子先生が見つけ出す前に、葵と悟先輩は出会い、恋に落ちた。 それを知った香奈子先生は、2人の想いを護るために、自分が貝になるしかないと思われたんだそうだ。 このまま一生、自分ひとりで背負えるものならそうしよう…と」 そんなことが、あったなんて…。 …グランマの想いと愛情は、そんなにも深いんだ…。 僕らが思ってるよりもずっとずっと…きっと、言葉で現すのも難しいほどに。 「渉、英」 優しいけれど、強い声。 「誰に憚ることもなく、自分が愛した人を信じて、生きたいように生きていけばいい」 あーちゃんが柔らかく微笑んだ。 「僕たちはみんな、渉くんと英くんの味方だから」 僕の涙腺は本格的に壊れてしまい、強く抱きしめてくれた英も、深く息をして、身を震わせた。 僕たちは、こんなにも温かい想いに見守られているんだ。 だからきっと、怖いことものなんて、ない。 ちなみに。 葵ちゃんが言った『身内』に、翼ちゃんたち『和真の身内』まで含まれていることを僕たちが知って『ム★クの叫び』になったのは、もう少し後の事だった。 |
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管弦楽部の下級生たちは相変わらずかしましいようです。
『おまけ小咄〜妄想は果てしなく』
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「なあ、打ち上げの時に安藤先輩に告ったヤツ、結局何人いた?」 「最終的には12人。お説教とレクチャーの後に、実践編と称して突撃して砕け散ったヤツが4人いたからな」 「すげえよなあ。で、英先輩とデキてるって話、あれどうなん?」 「いや、俺的にはネタだと思うな。あのネタがなかったら、安藤先輩に告って砕けたヤツ、あと3倍はいたと思うし」 「だよなあ。それに英先輩もさ、安藤先輩が告られまくってても大して興味もなさそうだったしさ」 「やっぱ英先輩の大本命的には渉先輩じゃね?」 「や〜、それこそネタだって。いくらウルトラスーパーブラコンでも、さすがにそれはないだろうって。確かにあの男前の先輩が『お兄ちゃん大好き』ってのはツボだけどさ」 「ってかさ、結局渉先輩って、フリーで卒業かよ」 「渉先輩は仕方ないって。だってさ、打ち上げであんだけ告られても全然気づいてねえじゃん。あそこまで自分に向けられる熱い視線に鈍い人、いないって」 「それ、言えてる。最終玉砕数は、もしかしたら安藤先輩より上かもな」 「ってか、あれ、玉砕にもなってねえじゃん。渉先輩に伝わってねえんだもん」 「しょうがねえよ、何せ『渉先輩』だからさ」 「3年間だけだったけど、存在感って半端なかったよな、渉先輩」 「人見知りの引っ込み思案なのに、デカい人だよな」 「でもさ、渉先輩もだけど、栗山先輩と麻生先輩もフリーっておかしくね?」 「そう、そこだ。栗山先輩も麻生先輩も、渉先輩にべったりじゃん? なのにこのまま卒業?って、なんか肩すかしって感じなんだけどさ」 「いいや、俺的には栗山先輩と渉先輩じゃないかって踏んでんだけどな」 「進学先も一緒だしな。その点、麻生先輩は大学で別れるし」 「いや、ちょっと待てって。そこが目くらましなんだよ。大学が別れても気持ちは…ってとこじゃね? 俺は断然麻生先輩と渉先輩ってカップリング推奨だな」 「ってかさ、栗山先輩と麻生先輩、卒業したら同棲するって噂が流れてるんだけどさ…」 「…ええっ?!」 「それ、ソースどこだよっ? ネタにしてもヤバいだろっ」 「や…ちょっと待てよ…。俺、チェロパートの先輩にも聞いた事あるんだけど、2人が実はデキてるって話が一時まことしやかに囁かれてたらしくてさ」 「あああ、麻生先輩と、くくく、栗山先輩が?!」 「…それ、マジでヤバくね?」 「……ってか、どっちが上?」 「おいっ、そんなコワい話っ」 「や、でもそこ重要じゃん」 「そんなの麻生先輩が上に決まって…」 「や〜め〜ろ〜! 栗山先輩が上に決まってるじゃねえかっ」 「だからっ…… 「でもっ… 以下、割愛。 |
失礼しましたm(__)m。 |