終幕 「桜咲く頃」

【2】





 今年は絶対風邪引かないぞと心に決めて、僕はちゃんと前日に入寮が出来た。

 直也と桂、和真も予定通りに入寮して、最後の高校生活が始まった。

 ちなみに、年末年始に直也も桂も東京にいるのに僕と会わなかったのは、例の『体力消耗』が2人にしてみれば真面目な話…だったらしいから。

 2人の体力が…じゃなくて、僕のこと。

 去年も風邪引いて入院したし、今年はメインプログラムを2日間振っててかなり疲れてたのは確かで、直也と桂は、そんな僕がゆっくり休めるように…って思っててくれたみたいなんだ。

 ほんと、どこまでも甘やかされてるなあって、申し訳なくなっちゃう…。

 後期授業が再開された校内の、3年生の部屋がある寮の1階は、かなり静か。

 8割近くの同級生がセンター試験目前だから。

 遠方組で地元進学希望の生徒は、センターを地元で受けてから戻ってくるってパターンもあるんだけど、ほとんどみんな、戻ってきてここからセンターを受けに行くみたい。

 僕たちの入試がそうだったみたいに、学校が全部手配して面倒見てくれるし、センター前後の補講体制も完璧だし。

 塾へ行かなくてもいい分、結局教育費は安くつく…っていう父兄もいるくらいだって聞いた。

 しかも、塾へ行くよりずっと長い時間を効率良く勉強できるし、先生は朝から晩まで一緒だし。

 で、本当に間近に迫ってるセンター試験に向けて、直也はももちろん頑張ってるんだけど、余裕で合格圏内だから、夜もちゃんと消灯時間に寝てるって桂に聞いた。

 僕たち3年生は定演で部活を引退してるんだけど、すでに進学が決まってる僕たち音大組と、推薦ですでに大学が決まってる数人の同級生は、せっせとホールに顔出して、後輩たちの面倒を見たり、雑用を手伝ったりしてる。

 後輩たちは、直也の顔が見られないのを寂しがってて、頻繁に僕たちに様子を聞いてくるんだ。

『麻生先輩、どんな感じですか?』なんて。

 みんな、合格は疑いもない…って思ってるんだけど、受験勉強って言葉には、どこかやっぱり悲壮感がつきまとうから、色々心配みたいなんだ。



 でっ。

 そんな場合じゃないだろっ…って声を大にして言いたいんだけど、何故か僕たちの『土曜日のお泊まり』は相変わらず継続中。

 直也と桂曰く、『卒業したら、渉との時間が取れにくくなるから』…ってことらしいんだけど、なんだか2人ともパワー全開っていうか、今さらなんだけど、よくよく思い出してみれば、初めての夜に確か2人はこう言ったんだ。

『今夜だけ、2人で抱かせて』って。

 まあ、僕はそもそもどっちでも良かったんだから、別にいいんだけど、あの時の『今夜だけ』ってのは、ほんの数ヶ月であっさり反故に……なった。

 結局今のところ、『2人』より『3人』の方が多い。かなり。

 そんな状態の僕に、『元気だねえ…』なんて、和真が呆れたように言うんだけど、確かにその点では僕の方が和真より体力あるのかもしれないって気がする。

 で、その和真もヘロヘロ。
 理由は僕たちとほぼ同じ。

『卒業したら、夏休みまでお預けだから』って、英がぶっ飛ばしてるらしい。

 親友の身を案じて、兄としてはここは一発お説教…といきたいところなんだけど、多分説得力は皆無だろうから、余計な体力は使わないでおくことにした。

 それにしても、なんで転がってるだけの僕や和真がへろへろになって、絶対運動量が多いはずの3人があんなに元気なのか、わけわかんないし。

 和真は『基礎体力の差じゃない?』とか言って、すでに諦めモード。

 ほんと、弟の躾がなってなくて、ゴメン…って感じ。

 ってか、高校生の分際でこんなに爛れてていいのかなって思うんだけど、和真は『高校生だから…じゃないの〜?』って、さらに諦め入ってた…。



                    ☆★☆



 センター試験当日は、150人くらいの同級生が学校から大型バスに分乗して受験に行って、いつになく静かな寮内なんだけど、静か過ぎて気持ち悪い感じ。

 なんか、人の気配が薄いってのは、ホラー映画に出てくるゴーストタウンみたいで。

 去年も一昨年も同じ状況だったはずなんだけど、高3とは住んでる階が違うから、さほど違和感を感じなかったんだ。

 土日ってこともあるし。


 静か過ぎる寮内がなんとなく居心地悪くて、僕と桂は練習室に来ていた。
 和真は英とどこかにいると思うんだけど。


「直也、今頃頑張ってるかなあ」

「ん〜、まあ集中してるとは思うけど、あいつにしてみりゃこの程度のことは何ともないさ」

 練習室に来たはいいけれど、桂も練習する気はあんまりないみたいで、僕も譜読みをする気にもなれず、なんとなく隅っこで2人くっついて座ってて。

「うん、実力十分だもんね」

「そ、今更…ってことだ」 

「でも、桂だって、きっと同じ大学受けても通ったと思うよ。直也との点差もほとんどないじゃない」

 教科別だと、桂の方が上ってのもあるし。

「ん〜、まあ俺は端っから音楽以外の道は考えてなかったからさ、あんまり順位なんかは意識になかったんだ。ただ、直也に負けたくないってだけでさ」

 そう。2人はずっと、親友でライバル同士だった。

『2人とも負けず嫌いだからねえ』って、和真が教えてくれたのは、随分前――1年生の頃だ。 

「それに、俺たち最初からワンツーってわけじゃなかったんだ」
「あれ? そうなんだ」

 てっきり入学した頃からそうなんだと思ってた。

「入った頃は、俺も直也も20番代だった。けど、2人で競争しあってるうちに、気がついたらワンツーってことになってたんだ」

 そうだったんだ。でも、それをその後ずっと維持し続けるのも凄いことだと思うんだけど。

「ま、楽器の腕前は入学前から『誰にも負けないぞ』って思ってたけどさ、勉強の方は直也のおかげ…だな」

「でも、それきっと直也も思ってるよ。桂のおかげだって」

「そっかな?」

 照れたように笑う桂が可愛くって、つい頭を撫でちゃったら、いきなり膝を掬われて横抱きにされちゃった。

 この状況になっちゃうと…。

 頬でチュッと音がして、その感触はそのまま唇に移動してくる。

 しばらくもつれあっちゃって、やっと離れた時にはもう、僕の息は少し上がってる。

 そんな僕の背中を優しく撫でながら、桂は静かに言った。

「直也はさ、俺よりずっとずっと心が強い。でも、俺はそれに頼ったり負けたりしないようにしたいし、2人でずっと渉を護っていくから」

 抱きしめてくれる桂の腕の中で、ありがとう…と頷いてから僕も言う。

「僕も直也と一緒に桂を護るよ。だから…」
「俺と渉も、直也を護っていこう」
「うん」

 それが、僕らが選んだ愛の形、だから。

「それにしても…」

 もう一度僕にキスをして、桂が笑った。

「こんなにいちゃいちゃしてたら、『人が頑張ってるときに〜!ずるい〜!』って怒りそうだな」

 直也の真似が可笑しくて、僕も笑ってしまう。

「ふふっ、いいよ、その分直也には甘えさせてあげるから」
「あ、妬ける〜」

 雪がチラつく寒い土曜日。
 僕と桂は温め合いながら、直也の帰りを待った。



                    ☆★☆



 1日目が終わって、直也は余裕の表情で帰ってきた。

 私立の受験で2日目を受けなくていい生徒だけ、答え合わせと自己採点があったんだけど、2日目もある直也たちはすぐに寮に帰ってきて、ちょっとリラックスしてた。

 先生たちが、『今さらカリカリすんな』って言って、勉強せずに暖かくして早く寝なさい…って言い渡してたんだけど、直也はいつもの通り、僕たちと一緒に賑やかにご飯を食べて、センター試験の様子とか聞かせてくれて、いつもの時間にちゃんと寝た。

 2日目は、直也も夕方に帰ってきたらそのまますぐに校舎で答え合わせと自己採点に行ってて、寮へ戻ってきたのは結構遅くなってた。

 さすがに2日間びっしり試験で疲れた様子で、僕の膝枕でうたた寝しちゃったくらい。

 桂は『今日だけは見逃してやる』って笑ってたけど。

 その頃、先生たちは休む間もなく、受験対策トップの翼ちゃんを中心にした個別指導対策会議に入ってて、毎年この時期は、翼ちゃんもヨレヨレだって和真も言ってたっけ。

 僕の担任の坂枝先生も古田先生も、国立難関校の担当だから、センターの結果を受けて、これからますます…って感じみたい。

 坂枝先生、『麻生の心配は誰もしてないし』って笑ってたけど。

 で、センターを終えたみんなは、それはもう、悲喜交々って感じ。

『渉〜慰めて〜』なんて、泣き真似しながら僕に抱きついてくるようなのは、まだ全然余裕で、ほんとにヤバい…って同級生は、ちょっと声も掛けがたい感じで、これから私立や国公立の本番に向けて、色々ありそうな予感。


 で、当然と言えばいいのか、2日間ともほとんど取りこぼさなかった直也には、さすがの声が上がってる。

 今年、直也と同じ大学を第一志望にしてるのは13人。10人が文科で3人が理科って聞いた。

 全員A判定だから、多分大丈夫なんじゃないかな?
 でも、受験に『絶対』はないから、直也も気は緩めてないけど。

 次の山場は私立の一次試験。
 かなりの同級生がここを最終目標にしている。

 直也も一応滑り止めで受ける。

 最初は『滑り止めなんていらない』って言ってたんだけど、先生方に『保険みたいなもんだから』とか『予行演習だと思え』って説得されたのと、お父さんから『あらゆる状況を想定して行動しなさい』ってお説教されたから…らしい。


 そうして直也が最後の追い込みに入っている間、桂も練習に励んでて、今の目標は大学在学中にコンクールを獲ること…らしい。 

 だから、ここのところ僕は、桂の伴奏やってる。
 あ、中等部の指導もしてるんだけど。

 そうこうしてるうちに、僕たちの進学先でも一般入試が終わり、宮階先生から『極秘情報な』って教えてもらったところによると、桂と和真と七生はそれぞれの専攻の中で、全受験生のトップだったらしい。

 やっぱりね…って感じだけど。

 それと、かなり嬉しいのがこれ。

『一般入試で指揮科にひとり入ったよ』って。

 つまり、同級生ができるってこと。

 どんな人かわかんないけど、仲良くなれたらいいなあ…って思ってる。

 まあ、ライバルなんだろうけど、僕は僕にしか出せない音を探すつもりだから、その辺りはあんまり気にならないかな。 

 ただ、『ここでの僕』は、僕にすべてを預けてくれるみんなと一緒にやってきたから、なんとか指揮者らしい体裁を保てて来たけれど、これから先はきっとこうはいかない。

 いろんな人に出会ってぶつかって、山も壁も谷も崖もきっと一杯あるはず。

 でも、今の僕はそれを『なんとかしていこう』と思えるから、これまでよりもちょっとだけ、前向き…かな?

 ともかく今は、卒業の寂しさと大学への期待がごちゃ混ぜな感じ。
 それと、直也が体調崩さずに乗り切ってくれることが願い。


                     ☆★☆


 直也が滑り止めの私立受験に行っているその頃。

 練習室の一角で、ひそひそ話す2人組がいた。
 桂と和真だ。

 渉は中等部の指揮に行っている。


「あのさ、香奈子先生から極秘に仕入れた情報なんだけどさ」

 香奈子と聞き、また和真の様子からして、あまり歓迎できない内容――しかも重要――ではないかと、桂は我知らず身構える。

「…なに?」
「一般入試で指揮科に合格したヤツいるんだって」
「…そうなんだ」

 入学すれば渉の同期だ。

「それがさ、結構注目されてたヤツらしいんだけど、本命は芸大だろうって言われてたんだ」
「うん」

 出来ればそっちへ行って欲しい。桂的には。

「でも、もう芸大受けないって、早々に入学手続きして師匠と一緒に宮階先生のとこに挨拶に来たらしい」

「なんでさ」

 桂の声が無意識に尖る。

 そんな様子をチラッと見て、和真は肩をすくめて続けた。

「『桐生渉くんと同じところに行きたかったんです』…ってさ」

 一瞬の沈黙。後…。

「はあっ?! 何だよ、それっ」

 よりによって目的が渉とは、いただけないにもほどがある。

「ま、『桐生渉』を目標に定めて切磋琢磨しようってんなら問題ないけどさ」

 渉にとっても刺激にはなるだろう。
 ただし、ライバルにはなり得ないと和真は思っている。

 渉は次元は高すぎる。
 現役の指揮者がそう言うのだから、学生などモノの数でないのは明白だ。

 ――香奈子先生も言ってたもんな。『わたちゃんは、多角的にアプローチされそうだものね』って。

 つまり、『渉に近づく目的はさまざま』だと言うことだ。

 渉の才能そのものかも知れないし、超一流音楽家揃いのバックグラウンドと言うこともあるだろう。

 そして、渉そのもの…と言うことも。

 きっとその人柄や容姿に惹かれるヤツは多いだろう。ここの生徒たちがそうであるように。

 それだけならいいが、厄介なのは、それ以上の感情を持たれた時だ。

 渉は相変わらず『向けられる感情』には鈍い。

 正直なところ、直也と桂から向けられる愛情にもまだ鈍いくらいだ。

 渉的には、『愛されている』よりも『愛している』の方が重要なのだろう。
 まったく渉らしい懐の深さだと、和真は思っているが。


 ともかく、今までは校内という狭い場所で、何だかんだ言っても子供だけの世界だった。

 だがこれからは、今までと比べものにならないほどに何もかもが広がり、周りを取り巻くのは大人の世界になっていく。

 きっと、自分たちの力が及ばない事態もあるかもしれない。
 そうなれば、おそらく頼るべきは…。

 ――香奈子先生とその周辺…だな。

 それは何よりも頼もしいことではあるが。


「な、そいつ、どんなヤツかわかってんの?」

「まさか。そっから先はさすがに個人情報だろ? ここまで教えてもらえるんだって、香奈子先生がいるからじゃん」

 和真さまは個人情報の取り扱いにはうるさいのだ。

「それにさ、追加情報だけど、指揮科受験予定だったヤツらが、ピアノとか作曲に鞍替えして合格してるんだって」

「どういうことだよ」

「鈍いねえ、桂クンってば」

 やれやれ…これで渉が護れるのかね…と、和真は大げさにため息をついて、桂に向き直った。

「つまり、渉が相手じゃ勝てっこない。例え指揮科に首尾良く入れても、在学中はずっと渉の陰だ。それなら他の専攻に変えようってことだよ」

 つまり、『指揮者として陽の目を見るのは難しい』ということで。

「んじゃ、他の大学の指揮科に行きゃ良いじゃん。この段階で初志貫徹できないんなら…ってか、闘う前から諦めてるんじゃ指揮者なんて無理無理」

 それは正論ではあるのだが、問題はそこではない。

「あのさ、ホントにわかってないの?」

 マジかよ…と、またまたため息をついて、和真が桂に詰め寄る。

「それでも渉の同級生になりたいんだよ。あの才能の側にいられることの幸せがどれほどのものかって、僕らはこれでもかってくらい知ってるじゃん」

 痛いところをグサリとやられ、桂は心底嫌そうな顔になる。

「なのに敢えて指揮科にやってくるってことは…」

 いくら何でももうわかってるだろう…と、和真は言葉を切り、桂は渋々の様子でその言葉を継いだ。

「渉の力を侮ってるバカか…それとも…」
「僕は後者だと思うね」   

 桂が『後者』を言わないうちから和真は断定した。

「目的は、渉…だよ」

 渉の何か…は、この際わざわざ言わないでおくが。

 考え込んだ桂の背を、和真は軽く叩いた。

「ま、この件は今は桂にだけ報告しておくから、直也の本命受験が済んだら、言っといた方がいいよ」

 せっかく2人もいるんだから、ひとりで背負う必要はないのだ。

「…だな」

 大学に入ればおそらく起こるだろうとは覚悟していたが、今からこれでは本当に先が思いやられる。

 ――やるべきことは多いな。

 渉を護るだけでなく、自身が渉の隣に立つに足りる音楽家にならなければ、『渉は俺のものだ!』…なんて言ったところで説得力はない。

 渉を護りつつ、自分を磨く。

 困難な道のりだけれど、それもこれも、渉がこの腕の中にいてくれる幸せがあってのこと。

 やっぱり自分は幸せ者なのだと再認識して、『ほんとに大丈夫かね、キミたちは』…とばかりにジト目で見上げてくる和真にデコピンをお見舞いした桂は、その報復に盛大に足を踏まれたのだった。


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