「H・M氏の優雅な日常」

(「君の愛を奏でて」とリンクしています)


 


 H・M氏…49歳。身長179cm、体重70kg。かなり男前。
 今をときめく情報産業関連企業の創始者にしてワンマン会長。
 現在は、妻に逃げられて、高校3年生の息子と二人暮らし。
 夢は、いつか息子に可愛い嫁をもらって、3人で仲良く暮らすこと…。


「面倒なことだ…」
 7月の最後の日、H・M氏はネクタイを結びながら、一人ため息をつく。

 アメリカで面倒な契約をやっつけて、2週間ぶりに帰国したのは昨夜遅くのことだ。

 その頃、高校3年生になる自慢の一人息子は、すでに夢の中。
『お帰り』という声も聞けず、今朝起きてみれば、ダイニングテーブルには朝食と置き手紙。

『部活に行ってきます』

 たった一言だ。

 しかし、テーブルに並んでいたのはかなり手の込んだ朝食。
 しかも、よく見れば自分の好きなものばかりだ。
 これも息子なりの愛情表現なのだろうか…と思う。

 子供の頃から、こちらが不安になるほど聞き分けのよかった息子。
 高校3年の夏休みともなれば、普通は受験勉強まっただ中のはずだが、息子は大学までエスカレーターの私立に通っている。

 成績はかなり良いので、アメリカの大学にでも入れようかと考えたのだが、息子は絶対に嫌だと言い張った。このまま上の大学へ進みたいと言うのだ。
 今さら受験勉強が嫌だから、という風でもないし、このままエスカレーターに乗ったとしても、その大学のレベルも高い。

 だから別に無理強いをする気はなかったのだが、それにしても、嫌だといったことのない息子の『嫌だ』発言は、H・M氏を大いに驚かせた。

 が、実はそれも嬉しかったのだ。
 息子は息子なりに、自分の世界を築いている…。
 甘えてくれないのは寂しいが、それはそれ、今は見守っていくしかないと…。

 しかし、それにしても…。
「面倒だな…」
 またため息が出る。

 完全オフの休日は実に1ヶ月半ぶりのこと…のはずだったのに、1週間前に滞在中のアメリカにまでかかってきた電話で、この貴重な休日もぶっ潰された。

 ネクタイをしっかり結んだところで、インターホンがなる。
「やれやれ、相変わらず時間厳守なやつめ」
 

 迎えに現れたのは中学時代からの悪友だ。
 悪友は現在、日本を代表する巨大企業の常務取締役だ。

 穏やかな性格は昔と変わらず、現在は愛妻と東大卒の美貌の長女、高校1年の長男…の4人暮らし。
 いや、正確には3人暮らしだ。
 悪友の長男は現在、自分たちの母校の寮に入っているから。

 そう、問題はその母校だ。
 今日は母校のOB会・後援会が年に一度、総会を行う日なのだ。
 そんなことすっかり忘れていた。
 なのに、悪友はご丁寧にも、国際電話で連絡をくれたのだ。

『必ず帰って来いよ』と。

 今まではそんなことはなかったのだ。
 なのに、なぜ今年に限って…。  

 理由はすぐにわかった。
 ヤツは、高校1年の息子を自慢したいのだ。

 H・M氏と悪友の母校は、中高一貫教育の名門私立男子校だ。
 しかも彼らは第1期生なのである。

 創立から40年に満たない母校が、すっかり名門私立になったのは、彼ら第1期生の活躍に負うところが多い。

 なにしろ、企業のトップや政治家、学者に芸術家…と、名簿を見れば驚くばかりの面々が名を連ねている。

 その中でも彼、H・M氏の知名度は群を抜いて高い。なんと言っても、経済界の超大物なのだから…。

 しかし、このH・M氏、残念ながら愛校心は自慢できたものじゃない。
 だから、OB会だの後援会だの言われても、面倒なだけなのだ。
 寄付なら惜しまないから、是非それだけで勘弁して欲しい。

 第一、 彼はクラシック音楽が苦手だ。
 彼らの母校は、部活動にも力を入れているのだが、その中でも最も有名なのが『管弦楽部』であった。
 今日の総会には、もれなく管弦楽部のコンサートがついてくる。

(これが、ジャズかなんかだと、おもしろいんだけどな…)

 H・M氏はマジでそう考える。

 しかし、悪友の息子は現在、その管弦楽部で活躍中なのだ。
 悪友自身は在校中に管弦楽部に身を置いたが、才能に恵まれなかったのか、活躍の場は与えられなかった。
 その分、息子に期待するところは大きいのだろう。
 聞けば、この夏休み中にはドイツへ短期留学させるのだという。

(親ばか丸出しだな)

 鼻歌を歌いながら、『メルセデス』のハンドルを握る悪友の顔をチラッと見る。 
 悪友氏はそんな視線に気づいたのか、嬉しそうに話を振ってきた。

「うちの子は次席奏者なんだがな、首席の子ってのがこれまたスゴイらしい。うちの子と同室で親友らしいんだが、なにしろ入試は満点、コンクールは優勝…」
「ふぅん」
「なんだ、気のないヤツだな」
「私はお前の息子の顔を拝みにいくだけだ」

 H・M氏がそう言うと、悪友氏はチッチッチ…と、立てた指を振った。

「顔を見るんじゃなくて、音を聞いてやってくれ」

 確かにそうなのだろうが、どうやって素人が、オーケストラの中のたった一人の音を聞き分けられると言うのだ。
 ただでさえクラシックは苦手なのに…と、H・M氏は本日何度目かのため息をつく。
 



 久しぶりの母校。いつの間にやら立派な音楽ホールまで建っている。
 なんでも現在の管弦楽部の顧問が、まだ若いクセに超やり手なヤツらしい。 

 悪友氏が息子の顔を見に行っている間、H・M氏は出来るだけ人目につかないように、ロビーの隅っこにいた。そうでもしないと、名刺交換の嵐に巻き込まれてしまうからだ。

 OB会・後援会は一種の社交場。新たな繋がりを求めて、鵜の目鷹の目のヤツらも多い。
 ふと、耳に自分を捜す声が入った。

『前田会長は?』
『さっき、そこで見かけたんだが…』 

 これはヤバイ。
 H・M氏はこそこそと隅の階段に身を隠す。
 しかし、声は迫ってくる。
 やむをえず階段を上へと避難するH・M氏。
 2階は個室がずらっと並んでいた。
 いきなり目の前の扉が開く。
 出てきたのは…。

「あ…」

 なんて可愛い子…。
 H・M氏は目を奪われた。
 ここが男子校であることを一瞬忘れてしまう。
 しかし、その子はしっかりと管弦楽部の制服を着ている。
 紛れもなく母校の後輩だ。 
 まるで少女のようなその子は、声を出したきり、立ち尽くしている。
 こんなところにOBとはいえ部外者がいるのだ。この子が驚くのも無理はない。

「ああ…すまないね、驚かせて」
「あの…OBの方ですか?」

 目をパッチリ開けて、その子は聞いてきた。

「そうなんだが…その…下がちょっと騒がしくてね」
 それだけで、可愛い子は大方のことを察知したようだ。

「僕…今年入ったばかりなので、初めてなんですけど…賑やかですね」
 そう言って花が綻ぶような笑顔を見せた。

(か…可愛い…)

 今年入ったと言うことは、中学生だろうか。
 いや、それにしては少し背があるか。幼顔だが、手足もすらりと伸びているし…。

「君は…高校生…かな」
 カワイコちゃんはちょこんと首をかしげた。

「あ、はい。そうですが…」
 H・M氏は名前を聞こうと口を開いた。 

 しかし…。

「おいっ!何やってんだ!舞台袖集合だぞ」
 舞台袖へ通じるドアが開き、誰かがカワイコちゃんを呼んだ。

「はいっ。すぐ行きます」

 カワイコちゃんはH・M氏に『失礼します』と礼儀正しく頭を下げ、ドアに走っていった。

 H・M氏は思わずその背に声をかける。
「君っ!」
「?」

 振り返った顔に心惹かれ、
「がんばって…」
 と、思わず声をかけてしまう。

「ありがとうございます。がんばります」
 満面の笑顔にノックアウトされた。

 名前も聞けなかったカワイコちゃん。
 しかし、これからのステージに出るのだろう。
 目を皿のようにして探してやる…。
 H・M氏は異様に固く邪な決意を秘め、客席へと入っていった。 



(あの子だったのか…)
 ステージの最初を飾ったのは、鳴り物入りで入学した、噂の大物新入生。
 悪友氏の自慢の息子の同室で、入試は満点、コンクールは優勝…。

 目を皿にして探す必要など、どこにもなかった。
 目の前でカワイコちゃんはたった一人…いや、伴奏者はいるのだが…で、演奏しているのだ。

「可愛い子だろう」
 ひそひそと悪友氏が耳打ちしてくる。

「うちの息子の親友でね。さっき紹介してもらったんだが…」
「なにっ、お前、紹介してもらったのかっ」

 …H・M氏、『紹介』の意味を取り違えているようだ。

「私もあとで紹介してくれっ」
 この、異様な気合いの入れ様はなんだろうと、悪友氏は首を捻る。




 そしてステージが跳ねたあと…。

(いたっ)

 カワイコちゃんは大勢のOBに囲まれて、あの華やかな笑顔を振りまいていた。
 その周りを見ると…。

(なんだ、あれは…)

 ボディーガードだろうか?
 同じ制服の長身美形の面々が、がっちりとカワイコちゃんの周囲に張り付いている。  

 よく見ると、すぐ側には悪友氏の息子。
 悪友氏が自慢するだけあって、なかなかの面構えだ。

 反対側の隣には黒髪に涼やかな目をした、ハンサムと言うよりは綺麗と表現した方がいいような、大人びた雰囲気を持つ生徒…、そして金髪の人形のような生徒に、栗色の髪のモデルのような生徒…。

 あれは母校のOBの中でも、もっとも知名度の高い『若き天才指揮者』の3人の息子たちだ。
 後半のステージを飾っていたが、確かにその実力も相当なものだろう。
 クラシックが苦手のH・M氏にも、その音の違いくらいはくわかる。
 別に音楽が嫌いなわけではないのだから。

(しかし、それにしても…)

 周りの生徒たちがカワイコちゃんを見つめる目は尋常ではない。
 特に、悪友氏の息子と、天才指揮者の長男の眼差しは危険だ。 

(まってろ、今、助けに行ってやるっ)

 …H・M氏、完璧に読み違えているようだ…。

 そして、H・M氏が今しもカワイコちゃんめがけて突進しようとしたとき…。

「前田会長!!」
「お探ししましたっ!」

(なんだよぉ〜)
 いきなり両腕を掴まれて、H・M氏は不機嫌200%で振り返る。
 ビビる後輩OBたち。
 しかしそこはそれ、企業戦士たちはそんなことでは怯まない。

「おいっ」

 H・M氏は悪友氏を大声で呼ぶ。
 振り返る悪友氏から出た言葉は…。

「あ、悪い、今日は息子連れて帰らなきゃならんから。お前はそちらの皆さんがお食事に招待したいってさ。せっかくの休みだろ?ゆっくりして来いよ」

(せっかくの休みに、なんで接待に引きずり込まれなきゃならんのだー!!)

 H・M氏の心の叫びは、悪友氏には届かなかった…。





 翌日から、H・M氏の生活は再び多忙を極め、あのカワイコちゃんに再び会えるチャンスもなく、やがて季節は秋になった。

 今、H・M氏の心を塞ぐのは、古くからの仕事仲間の窮地。
 その男は自分よりいくつか年下で、研究者、技術者としては海外でも高い評価を得ているのだが、いかんせん経営というものにはまったく向かなかった。

 しかもこの経営オンチは、自分一人ならいくらでも助かる道があるのに、経営者としての責任を感じているのか、会社丸ごとを買ってくれるところを探しているらしい。

(会社丸ごとね…)

 H・M氏にその甲斐性はなくもない。
 それに、確かにこの経営オンチ氏の研究技術は喉から手が出るほど欲しい。

(どう持っていくか…)

 そう思い始めた矢先、ある日の昼休みのこと。
 H・M氏の会社に詰めている、経営オンチ氏方の若い社員たちが、一枚の写真を見て騒いでいた。

「なにやってんの?」
 H・M氏は精力的に若い者たちの間にも入ってくる。

「あ、会長」
「なに?誰、これ…」

 H・M氏は絶句した。
 あの日のカワイコちゃんの、女の子バージョンだ…。
 母校の後輩は、制服姿のおかげでかろうじて男の子だったが、これは…。

(なんて可愛い女の子だ…)

 白いポロシャツ姿でで子犬とじゃれている姿は、思わず抱きしめたくなる愛らしさ。 

「この子は…?」

 この中の誰かの恋人だろうか?
 だったら絶対許さない。別れさせてやる。

 …H・M氏、横暴もいいところである。

 しかし、少女の素性を聞いて、H・M氏は確信した。

(これは、運命の出会いだ…)

 この少女は、なんと経営オンチ氏の一人娘。 
 元気で可愛くて優しいのだそうだ。
 歳は我が息子と同じ18歳。

 これは、いただきだっ!

 H・M氏は強引にその写真を手に入れると、その足で会長室に向かい、電話をとった。






 息子が可愛いお嫁さんをもらった。
 あまりの嬉しさに、つい、別れた妻にまで自慢をしてしまったくらいだ。
 そして、夢が叶ったH・M氏は、最近、海外出張を人任せにするようになった。

 それでも、何日も帰れない日があるのだが、出来るだけ可愛い嫁の顔を見に帰ってくる。
 今日は、打ち合わせが一件、急にキャンセルとなったため、こうして思わぬ時間に帰ってこられた。

(ふふっ…可愛い…)

 リビングに入ってみると、大きなソファーにコロンと丸まって、小さな寝息をたてている可愛い嫁の姿。

 写真の中で子犬とじゃれていた、あの愛くるしい子が今、目の前にいる。
 若干の勘違いはあったが、今となってはそんなとこはどうでもいい。

「ただいま…」
 耳元で小さくいうと、可愛い嫁は『う…ん?』と返事をする。
 何処へ行ったのか、息子の姿はない。

「こんなところで眠ってたら風邪をひくよ。ベッドへ連れていってあげようか?」

 …H・M氏、息子の声と自分の声がよく似ていることは、十分すぎるほど自覚している。

 嫁は目を閉じて、眠りから覚めないまま、細い腕を伸ばしてくる。

「よしよし、いい子だね」

 …H・M氏、息子の口調を真似てみる。

 言いながら、華奢な身体を抱き上げる。
 フワッと立ち上るボディーソープのいい香り。

「もう、お風呂に入ったんだ」

 そう言うと、嫁は無意識にキュッとしがみついてきた。

(うー、たまらん)

 しかし、そこはそれ、息子の嫁に手を出すような鬼畜な真似など出来はしない。
 こうして抱きしめるだけが精一杯。
 心底息子が羨ましいH・M氏であった。

 こうなったら、もう一度、あの母校のカワイコちゃんに会いに行こうか…。
 確か高校2年になっているはずだ。

 そんなことを考えながら、抱いてきた嫁を、そっとベッドの上に降ろす。

「う…ん…」

 嫁がぼんやりと目を開けた。

「と…」

 嫁がパッチリと目を開けた。
 どうやら息子の名を呼ぼうとしたらしい。…が。

「お…、おとうさんっ?!」
「ただいま」

 にっこり笑って抱きしめる。

「ぎゃぁぁぁ…」

 そんな声出さなくっても…。H・M氏は苦笑する。  

「何やってんですかっ!」
 いきなり寝室に入ってきたのは息子だ。

「あれ、シャワー浴びてたのか」
 息子はバスローブ姿で、まだ髪が濡れている。

「せっかくいないと思ったのに」
 ポツンと呟いたのを、息子は聞き逃さなかった。

「なんですって……?」
「なんでもな〜い」

 言って、逃げるように二人の寝室を後にする。
 そして、そのままシャワーを浴びる。

 一日の疲れを洗い流して出てくると、嫁と息子が食事の用意をして待っていてくれた。

 嫁は明るくて、よく笑う。
 嫁がいると、息子も笑う。

 不安になるほど聞き分けのよかった息子の甘えた顔は、嫁が見せてくれた。

 明日の朝は、嫁の『いってらっしゃい』が聞けるのだと思うと、H・M氏の顔は、不気味なほど緩むのであった…。

 そう、前田春之氏、幸せいっぱいの49歳である。



END



40404GETの瀬川さまからいただきましたリクエストです。

『後妻に行ってもいいっ!』とおっしゃっていただけるほど、智パパを愛して
下さる(笑)瀬川さまのリクエストは、
『例えば、智くんのお父様が、街中で見かけた葵に浮気(??)するとか』
と言う、とても楽しくも恐ろしい物でした(笑)

実は、智パパが聖陵出身という設定は早くからありまして(そのあたりは
『桜色の風吹くとき』でもチラッと見え隠れしていますが)、それならば
二人の出会い(笑)に『OB会』を使わない手はない…と(^^ゞ
しかし、智パパ、これは悲恋でしょう(爆)

ではここで、リクエスト主、瀬川さまからのご感想をご紹介します。

『智パパ、惚れなおしました!!\(^○^)/
あの無邪気なまでの変態ぶり(爆)』

ツボ、ど真ん中です(笑)
瀬川さま、リクエストありがとうございました(*^_^*)

うっふっふ〜!瀬川さまから「智パパ」をいただきました〜v
まりちゃんの目次、頂き物のコーナーへどうぞvv


まりちゃん目次Novels TOP
HOME*