まりちゃんの新婚旅行

前編


たとえそれがどんな道のりであろうとも、
君となら生きていける。
 もしも、暗くて厳しい道のりになったとしても、
君となら灯りをともして歩いていける。
 何もかもを輝かせ、何もかもを希望に満ちさせて。
 ずっと二人で生きていこう。
 きっと二人で幸せになろう。
春、三月、新しい風の中を、
今日から始まる二人の未来に向かって、走って行こう。
風の中を、風と一緒に、風になって……。



 

 風になって…………って、現実はそんなに甘くなーーーーーい!
 俺…もう、疲れたぁ…。

「ふえ〜ん」
「直らしくないな、いつもの元気印はどうしたんだよ」 

 ベンチにへたり込んだ俺に、智がメットを外しながら言う。

「そんなこと言ったって、俺、こんなに長い間バイクに乗るのって初めてなんだぞ」

 口を尖らす俺。
 だいたい無茶なんだよ。新婚旅行にバイクだなんて。
 俺、落っこちないようにしがみついてるだけでこんなに疲れちゃったんだからな。

「たった、1時間じゃないか」

 智は、隣に腰をかけて、俺の髪の毛を手で梳く。

「あれ…?ちょっと顔色悪いか?」

 だってこんな山道じゃんか。ちょっと酔ってんだよ…。


「うー」
「ここが峠だから。…ここを下りきったらもう目的地だからな。あと20分ほどだから辛抱して…」

 着いたらゆっくり休ませてやるから…と、続けた智の表情は…。

「ホントに休ませてくれるのか?」
「もちろん」

 嘘くせ〜ぞ、智。
 不審そうな俺の眼差しに気づいたのか、智は極上の笑顔を向けてくる。

「結婚式して、そのまますぐだもんな。あんな重いもの着てたんだから肩も凝ってるだろ?」

 あんな重いもの…とは、白無垢のことだ。
 確かにあれは重かった。
 脱いだ白無垢を抱えた智が、目を丸くしたんだ。
『こんな重いの着てたんだ…』って。
 ふん。見直したか。肉体労働だったんだからな。

「温泉に入ったら、マッサージしてやるよ」

 …嬉しいんだけど…。

「智…なんか企んでるだろ?」
「何を?マッサージはマッサージじゃないか。それ以外の何ものでもない」 

 う…。きっぱり言い切られてしまうと…。

 俺が言葉に詰まったとき、背後から声がかかった。

「これ、君の?」

 俺たちが振り返ると、そこには…。

「やっぱりかっこいいね、これ」

『これ』とは智のバイクのことだ。智の愛車は「Ducati 400 SS」。

 普通、高校生が自力で買えるような代物じゃないんだけど、智はこれを自力で買った。

 うちの学校はバイト禁止だったんだけど、智は高校の3年間、夏休みにお父さんの会社でバイトさせてもらっていたらしい。
 何をしていたのかは教えてくれないんだけど…。

「実物見るの初めてだ…」

 俺たちに声を掛けてきた人は、年の頃なら…20歳とちょっとくらい、背が高くてスレンダーな体つきは、バイクの横に立つと、恐ろしいくらい絵になる。
 顔の方は、ワイルド系ハンサム…ってとこかな?

 しっかし、不公平だよな。智といい、このにーちゃんといい…、なんでこうハンサムばっかり…。

 …と、俺がコンプレックスを刺激されているうちに、いつの間にやら智とにーちゃんはにこやかに談笑している。
 お互いのバイク自慢のようだ。な〜んだ、にーちゃんの乗ってるのも結構いいヤツじゃんか。

 けど、ここが、車も時々しか通らない峠の山道でよかったよな。
 甘系ハンサムの智と、ワイルド系ハンサムのにーちゃんの取り合わせはあまりに刺激的で、こんなの町中で見せつけられた日にゃ、女どもの垣根ができちまう。

 しっかし…えらく意気投合してやがるな…。
 普通なら、会話に混じっていく俺なんだけど、今日はホント、とことん疲れてるみたいだ。

 ベンチに座って、ボーッと見てる方が気持ちいい…。
 峠だけあって、眺めもいいし…。

 時折、ライダーが通りかかって、この車溜まりに入って来るんだけど、嬉しそうに話し込んでいる二人の超ハンサムに気後れしてか、遠巻きに眺めるだけで、誰も声を掛けずに去っていく。

 ふわ〜…。眠くなってきちゃった…。
 なんとなく意識が飛びかけたとき、二人の会話が近づいてきた。
 瞼は重いけど、耳は会話を追っているみたいだ…。

「これからどこへ?」
「麓の温泉へいくところです」
「へー、ちょうどいい。俺んち、麓で花屋をやってるんだ。よかったら覗いてくれよ」
「ありがとうございます」

 …あれっ?智が敬語を使ってる…。ってことは、にーちゃんはやっぱり年上だったんだな…。
 こういうところ、智はすごく礼儀正しいから…。

「かわいそうに…彼女、おねむだぜ」

 …かのじょ〜?

「羨ましいな。かわいい彼女を後ろに乗せて…」
「あはは。自分には彼女がいないんだ…、なんて通用しませんよ」

 そりゃそうだろう…にーちゃん、こんなにかっこいいのに…。
 ん?もしかして、性格悪いとか…?

「彼女ねぇ…。好きな子はいるんだけどね…」

 最後の方は呟きだった。


「ほら、直、起きて」

 耳元で囁かれた…。

「んあ?」

 やばっ、身体の方はマジで寝てたみたいだ。


「なおちゃんって言うんだ。いくつ?」

 俺は座ったままで、ぼんやりとにーちゃんを見上げる。
 いくつ?…ってなぁ…。子供じゃねーんだから。


「同級生なんです」

 呆けている俺の代わりに智が答えてくれた。

「え?じゃ、18?」

 …悪かったね。ガキくさくて。


「じゃあ、卒業旅行か」

 う゛…。こら、智っ、何とか言えっ。

「そんなもんです」

 やたらと爽やかな笑顔でそう答える。

 よかった〜。
 俺、智のことだから、へーぜんと『新婚旅行です』とか言い出すんじゃないかって、ヒヤヒヤしたぞ。


「羨ましいな…」

 …にーちゃん、辛い恋でもしてんのかな?表情暗いぞ。


「おっと、まずい。時間に遅れそうだ。引き留めてすまなかったな」
「いえ、楽しかったです」
「そうだ…どこに泊まるんだ?」

 智が旅館の名前を言うと、にーちゃんは明らかに顔色を変えた。

「…じゃ、きっと会えるな。俺、その旅館にも花を納めてるから」

 そういうと、にーちゃんは『また話聞かせてくれよ』と言って、メットを被った。
 そして、様になる仕種で片手を軽くあげると、バイクにまたがり、俺たちがやってきた方向へと去っていった。



「直、眠い?」

 バイクの音が遠ざかると、智は俺の顔を覗き込んだ。

「うん…大丈夫」

 そうは言うものの、やっぱ、身体は重い…。

「もうすぐだから。頼むから落っこちないでくれよ」

 そう言って、俺のメットを手に取り、頭に乗せてくれて…。

『ちゅっ』

 …………はぁぁぁ?

「と、智っ」

 だだだ…誰が、この天下の往来でマウスtoマウスをっ。

「目、覚めた?」
「あのねぇ〜」

 もうちょっとマシな方法考えてくれよ…。
 ま、おかげで目が覚めた俺は、その後の20分間、落っこちずにしがみついていられたわけだけど…。
  





「どひゃ〜、ひろ〜い」

 案内された部屋へ入るなり、俺は歓声を上げた。

 入口はまるっきり一戸建ての玄関。
 その上がり口で、すでに6畳。

 襖を開けると、広い和室に大きな座卓、大きな座椅子に…これって、脇息ってヤツだよな。ほら、よく時代劇で悪代官がもたれかかってる肘掛けみたいヤツ…。
 その隣にはまたしても大きな和室。で、しかも…。


「これって…」


 奥の和室にはガラス張りの縁側。
 そしてその向こうには、手入れの行き届いた庭と……プ、プライベートな露天風呂…。

「へ〜、親父にしちゃ気が利いてるな」

 そう、ここは、このあたりでも一番格式が高い、老舗の旅館だ。
 なんでも、智のお父さんの会社が、外国からのお客を接待するのに使うところらしい。
 会社が年間契約で押さえてる部屋だから、何日いてもいいよ…とは言われてるが…。

「なお…」

 智の声が耳元で…。

「ホントに顔色悪いな…。ごめんな、無理させた…」

 ギュウッと抱きしめてくれる智の腕の中は、とっても居心地がいいんだけど…。

『りん…』

 呼び鈴?…誰か来たっ。

「どうぞー!!」

 智が大声で返事をした。
 こらっ、返事する前に、離せったら…。

『失礼いたします』

 声がして、一呼吸置いてから静かに襖が開いた。
 そこにはきちんと和服を着込んだ、二人の女性。
 前に座ってるのは、俺のお袋くらいか、それよりちょっと若いくらいの人で、後ろに控えてるのは…まだ若い女性のようだ…。

「本日はようこそお越し下さいました」

 丁寧に頭を下げて、ゆっくりと顔をあげる。

「智雪さん、お久しぶりでございます」
 
 にこやかに微笑んだ美人さんは、きっとここの女将さんだ。

「お久しぶりです。お世話になります」

 智は俺の手を引いて、座卓の前に座った。俺も、智のちょっと後ろに座る。

「ご立派になられて…。お父さまからお電話をいただいたときにはびっくりいたしましたよ。ご結婚なさるとお聞きして…」

 う、うそ…。智のお父さん、そんなこと言って…。

「5分ほどのお電話の間に、数え切れないくらい『まりちゃん』っておっしゃいましてね」

 そ、そんな微笑ましげに見つめないでくれ〜。

 女将さんは硬直する俺の目を捉えて言った。


「初めまして、当館の女将をつとめさせていただいております、竹内英子と申します。この度はご結婚おめでとうございます。精一杯おもてなしさせていただきますので、どうぞごゆっくりおくつろぎ下さいませ」 

 うがー!どうすんだよー、智!

 …仕方なく、俺は小さく深呼吸した。

「は、じめまして。お世話になり、ます」

 普通、『初めまして』のあとには、自分の名前を名乗るべきなんだろうけど、この場合、何て言えばいいんだよぉ…。うー、胸が潰れそうだ…。こんなんじゃ、ゆっくりくつろげないぞっ。

「本当に可愛らしいお嫁さんで…」

 あうー、誤解ですぅぅ…。

「…ご挨拶が遅れましたが…」

 女将はそう言うと、少し場所を譲り、後ろに控える女性を前に出した。

「娘の三香でございます」
「本日は、ようこそお越しくださいました」

 女将と同じ様な仕種で顔を上げた若い方の女性は、目のパッチリした可愛らしい人だった。
 俺をみて、ニコッと笑う。

「三香ちゃん…?」

 智が言った。
 そっか、小学校の頃までは、よく来ていたって言ってたからな…。顔見知りでも不思議はないか。

「智雪さん、お久しぶりでございます」

 三香さんは、智にもニコッと笑う。

 その後の女将さんの説明によると、三香さんは10日前に短大を卒業して実家に戻り、今日から見習いの若女将として出ることになったのだそうだ。

「甘えたお願いで申し訳ございませんが、これから修行の身でございますので、歳の近い、若いお二人のお世話をさせていただいて、いろいろ教えてやっていただければと思いまして」

 …ってことは、三香さんが俺たちの世話をしてくれるのか。うん、俺もその方が気が楽かも…。

「僕たちでは勉強にもならないかと思いますが…」

 智は人当たりの良い笑顔で答える。
 そして…。

 女将さんが去ったあと、三香さんがお茶を淹れてくれた。

「お夕食まで1時間ほどありますが、先にお風呂になさいますか?」

 ん?三香さんの声が遠い…。
 あ、あれっ?目がまわる…。


『ゴンッ』


 いてててて…。おれ、頭ぶっつけた?


「なおっ」

 智の声がした。でも、目の前は…真っ暗…。








    
「う…ん…」

 何だか気持ちいい…。身体がホカホカして、ガチガチになってた肩や腕が、気持ちよくほぐれていく…。

「直…気がついた?」

 智の声…。
 ああ、暖かいのは智の掌だ。
 あれ?俺、いつの間にか、ふかふかの布団にへばりついてる…。

「とも…」
「気持ちいいだろ?肩も腕もガチガチだったもんな」

 そう言いながら、智の掌は俺の気持ちのいいところを的確にほぐしていく…。 
 
「ごめんな…。いっぱい無理させた」

 マッサージする手を止めることなく、智は俺の耳にそう囁いた。

「元気印の直が貧血起こすなんて…」

 え?俺、貧血起こしたのか。


「うー」

 呻く俺に、智が慌てた。

「どうした?苦しい?」

 ちがわい。


「情けねー」

 俺は思い切りよく起きあがった。

「直、飛び起きちゃ駄目だ」

 智の手は俺を布団に押し戻そうとするけど…。

「ごめん、智。もう大丈夫だから」
「ん…。顔色も良くはなってるけど」

 それでも心配そうな顔をする智を、俺は思いきって押し倒した。

「なお?!」
「今度は俺がマッサージしてやる」


 そう言って智の身体に乗っかってみるけど、何だか違う。
 そうだ、マッサージはうつ伏せでなきゃ。
 仰向けの智に乗っかってどうすんだよ。

「智、うつ伏せになって」

 俺はそう言って、ひとまず智の身体から降りようとしたんだけど…。

「ダメ」

 智が両手で俺の腰をがっちり掴んだ。

「こらっ、智っ、離せってば」
「ヤダ」

 俺は暴れてみたんだけど、やっぱり智の力には敵わない…。 
 いきなり引っ張られて、俺は仰向けの智の上に倒れ込んだ。
 唇が触れたと思ったとたん、そのまま激しいキスに持ち込まれて…。

「んー!」

 ジタバタする俺をものともせず、智は散々口の中をむさぼってくれる。

 くるしーよー…。
 きつく抱きしめられている上に、口はこれ以上ないくらい密着していて、俺はどこから息をすればいいんだ…。あああ、また、目がまわるぅ…。
 と、思った瞬間。


『りん…』


 呼び鈴が鳴った。
 智の動きが止まった。
 思わず『助かった』と思っちゃう俺。

「…夕食の時間、ね…」

 呟いた智は、思いっきり不服そうだったけど…。 



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