まりちゃんの新婚旅行

中編


 豪華絢爛の夕食タイムは、三香さんが至れり尽くせりのお世話をしてくれて、しかも、智の子供の頃の話まで聞けて、そりゃあ楽しかった。
 けど…。

「浴衣、お出ししておきますね」

 三香さんはそう言って、二揃い、浴衣を並べてくれた。
 一つは紺の濃淡の格子。もう一つは…。

「直、…やっぱ、かわいい…」

 相変わらずそういうことをマジで言うヤツめ…。

「な、智、やっぱり三香さんも誤解してないか?」
「何を?」
「何をって…」

 そう、俺が着てるのは、紅い浴衣だ。

「いいじゃないか、似合うんだから」

 智はへーぜんとそんなことを言う。

「あのな、智」
「うん?」
「誤解されたままでどうすんだよ。俺ヤダからな、女の子の振りするのなんか」

 ぷうっとふくれた俺を、智はそっと抱き寄せて、優しい声で言った。

「直は、直のありのままでいればいいんだ。誤解するのはその人の勝手だ。俺たちは何も嘘なんかついてない」
「智…」
「直がホントに可愛いから、みんな勝手に誤解してしまうだけさ」
「でも…」

 言い淀んだ俺を、智はもう一度優しく抱きしめ直す。
 俺は、体中が暖かくなって、思わず智の胸に顔を埋めてしまう。そして…。

「俺さ、智以外の人に可愛いって言われても、嬉しくも何ともない」

 …な〜んて、恥ずかしいことも言ってしまったりするわけだ。


「なお…」

 ん?智クン、様子が変だ。

「智?」
「今、着たばっかりなのに悪いな」

 は?
 え?なに?とも?ともってばーーーーーーーーーーーーーーー!

「さ、美しい星明かりの下、楽しい露天風呂タイムだっ」

 ちょっと待ったっ、智っ、お前ってば手際よすぎっ。 

「わ、わかったっ、わかったからちょっと待ったっ」
「何だよ、直。今さら…」

 智は、俺のピンクの帯に手を掛けた状態で、ジロッと俺を睨む。
 今さらってねぇ…。

「あのさ、智。これ、新婚旅行だってわかってる?」
「もちろん」

 きっぱり頷いてくれるのはいいんだけど…。 

「ちっとは恥じらいってものがないわけ?」

 あああ、言ってしまうと、こっちも恥ずかしいや。
 智は目を丸くした。

「俺、先に入ってるから…後から来い」

 俺はそれだけ言うと、智を座敷に残して、木目の綺麗な脱衣室の戸を開けた。






「ほへ〜」

 3月半ばとは言え、山間の温泉地の夜はまだ寒い。
 でも、いつも暮らしてる町のとは全然違う星空と、火照った顔にひんやり当たる綺麗な空気に、俺は今日一日の疲れと、これからの不安を忘れていた。

「気持ちいいや」

 岩造りの露天風呂は雰囲気満点。
 俺は部屋の灯りを背にして、目の前の大きな岩の上に、組んだ腕を乗せた。
 そして、自分の腕に頭を乗せて、斜めに星を見上げる。
 星の数が多すぎて、空が白く見えるほどだ。
 バイクで1時間30分程度の距離なのに、こんなにも星に近づけるなんて…。


『ちゃぷん』


 後ろで水音がした…。
 少しお湯を波立たせて近寄ってきたのは、もちろん、智。

「星…綺麗だな…」 

 俺の隣までやって来ると、俺と同じように岩に寄っかかる。

「いいとこだな…ここ」
「そうだろ…中学に入るまではよく来たな…」
「じゃあ、もう6年も来てないのか?」
「そうなるなぁ…中学に入ってからは、部活も忙しかったしな」

 そう言えばそうだな。夏休みも冬休みも春休みも、部活優先の学校生活だったよな。

「それに…俺は出来るだけ直と一緒にいたかったから…」

 当たり前のことのようにサラッと言ってのける智。
 俺はそんな智の気持ちに、長い間気づかずにいたんだ。

「ごめんな…、智」

 智は柔らかく笑ったけれど、何も答えはしない。
 そして、肩がほんの少し、触れるか触れないかの距離のまま、俺たちはしばらく空を眺めていた。

「なお…」
 しばらくして、智が小さく俺を呼んだ。

「なに?」
 俺は、智の方を見ないまま、答える。

「後悔…してないか?」

 え?

「何だよ、それ」

 俺は智の方に向き直る。今さら何言ってんだ、こいつは。

「智は…智は後悔してんのかよ」

 思わず声が荒くなるのはこの際仕方がないだろう。

「俺が後悔するわけないだろ」

 智は言い出しっぺのクセに、憮然とした顔になった。

「んじゃ、どうして俺が後悔してる…なんて発想が湧くんだよっ。お前が…お前が後悔してるからそんな風に思うんだろっ」

 あ、ヤバイ。
 俺、ここんとこ弱ってる涙腺が、またピンチだ。
 もう絶対に智の前では泣かないって決めてるのに…。
 俺は智に背を向けた。悔しくって…。

「なお…」

 智の指が肩に触れた。
 俺は迷わずにその感触を叩き落とした。

「ごめんっ」

 言葉と同時に思いっきり抱きすくめられる。

「離せっ、離せってば…」

 精一杯抵抗してやろうと思ったんだけど、情けないことに力が入らない。

 今の俺、悔しいことに、『怒り』より『悲しい』が勝ってるみたいだ…。

「直、ごめん。ホントにバカなこと聞いた。ごめん…」

 智の息が俺の首に触れる。
 そのまま唇の感触も近づいて来た。

「俺…不安だったんだ…ずっと…」

 首筋に唇を這わせながら、智が呟く。

「強引に…直を手に入れたから…」

 …おい…どこ触ってるんだ…。今でも十分に強引だぞ、お前は。

「智は…俺が力に負けたと思ってんのか」

 智の手の動きと、唇の動きが止まった。
 山間の静けさが一気にのしかかって来る。

「俺が…身体で言うことをきかされた…って思ってんのか」

 もう一度、呟くように尋ねた俺を、智は今まで以上の力で拘束する。

「違うっ…違うんだ、直。俺は、身体だけじゃ嫌なんだ…。直のすべてが欲しい……心までが欲しいんだ」

 だから…不安になるんだ…と、絞り出すように声を吐く、智…。
 そんな智に、愛おしさを感じてしまう俺って、相当重症だよな。でも…。

「心までは…やれない」
「なお…」

 智の声に落胆の色が混じる。

「俺の心は俺のもんだ。智の心も智のもんだ。けど…」
「けど…?」

 俺は、背中に密着している智に身体を預けた。そして少し首を捻って智に小さくキスをする。

「俺の心は、いつも智のところにあるんだ」

 智は言葉にならないのか、何も答えずに、ただ、俺を抱きしめるだけ。

「だからさ、後悔なんかするわけないじゃないか。俺の心が、智の傍にいることを望んだんだから…」  

 智は震えると息と一緒に小さく『ありがとう』って言った…。





『ちゃぷん』






 だるい…。
 朝から思いっきりだるい。
 まず、腰に力が入らない…。

「直さん…お疲れ取れてらっしゃらないご様子ですが…」

 三香さんがご飯をよそいながら、心配そうに俺の様子を覗き込む。

 三香さんも昨夜までは俺のことを「まりちゃん」だと思っていたんだけど、智が俺のことを『なお』って呼ぶので、俺が貧血でひっくり返っている間に、事の次第を聞いたんだそうだ。

 って言っても、俺の名前が本当は『直』で、『まり』はただの愛称だってことだけ…なんだけど。

 そう、智は肝心なところを修正していないようなんだ。
 ま、今さら訂正されても困るか…って、俺、完全に諦め入ってんな…。

「あ、大丈夫です。ちょっと体がだるいだけで…」

 俺の、このだるさに心当たりがあるヤツ、そう、前田智雪は知らん顔で豆腐なんか食ってやがる。
 だいたい智の方が重労働だったはずなのに、何で俺がこんなにだるくて、こいつがこんなに元気なんだ。

「大切なお身体なのですから、お気をつけにならないと…」

 …はいぃ?

「まだ全然目立ちませんね」

 三香さんの視線が、俺の腹の辺りに注がれる。
 な、なに…?…もしかして、さらに大きな誤解が…。
 助けを求めようと、智の方を見れば、智は何やら指を折っている。

「あれからだから……4ヶ月だな。まだ目立ちはしないですよ」
「まあ、ではそろそろ安定期ですね」

 三香さんは智の言葉に何やらしっかり納得して、俺の方を見てニコッと笑った。

「予定日は秋頃ですね」

 ぶはっ!
 俺は思いっきりお茶を吹いた。

「あらあら、大丈夫ですか?」 

 三香さんはどこからかスッとタオルを出し、濡れたところを拭いてまわる。

 ななな、なんで俺が子供を産まなくちゃなんねーんだー!
 泡を食ってる俺を見て、智がクスッと笑う。

「三香さん…直はまだ妊娠なんかしてませんよ」

 おいっ、まだとは何だ、まだとはっ!お前、俺を妊娠させる気かっ!
 俺はヤダからなっ、産みたきゃお前が産めっ!

「あらっ、ごめんなさい。どうしましょう…お気を悪くさせてしまいました…。申し訳ありません」

 三香さんはすまなそうに俺に頭を下げてくれる。
 う…そんなコトされると、こっちがだまくらかしてるような罪悪感が…。

「もしかして、18なんかで結婚したから、『出来ちゃった婚』とか思われました?」

 くそー、智のヤツ、なんて嬉しそうに聞いてやがるんだ。
 お前だって、最初は俺にあらぬ疑いをかけただろうが。

「ええ、ちょっと…」

 悪びれずに三香さんが答える。
 俺はそんな二人の会話にはさまれて、だるい体をいっそうだるくしていった…。





 朝食の後、俺は冗談の腹いせに、智にマッサージを命令した。
 途中ちょっとヤバイ雰囲気になったけど、さすがにだるくてぐったりしている俺を哀れに思ったのか、一応マッサージだけですんだ。 

 そのあとはひたすらゴロゴロしていたんだけど、さすがに昼頃になって、やっと動く気になった。

 昨日の夕方にここへついてから、一度も外へでていなかったんで、俺たちは散歩に出かけたんだ。



 町の中央を流れる小さな川に沿って、ゆっくりと歩く。

 温泉街の中心に来ると、一際湯気の立ち上る一角にでた。
 一見綺麗に整備された公園のようなんだけど、四角に区切った井戸のようなものが点在していて、それぞれに結構たくさんの湯治客がたむろしている。
 三香さんに教えてもらった『湯ツボ』のようだ。
 温泉の源泉が高温で湧いている。

「ほら、直、ここがいい」

 空いている一角を見つけ、智が手にしていた網をそっと湯の中に落とす。
 網の中には生卵が入ってる。

「12分で出来るって」

 俺が看板を読むと、智は腕時計で時間を確認した。

 そうなんだ。12分つけておくとゆで卵の出来上がりなんだ。
 湯治客は卵を茹でてる人がほとんどなんだけど、地元の人は山菜や、サツマイモなんかも放り込んでいる。 

「直、出来るまでの間、もう少し散歩しようか」

 智がそう言って俺の手を引こうとする。
 いくら紅い浴衣だからって、それはないだろう…。

 この温泉地は、規模は小さいながらも名湯として知られているから、お客も結構いる。
 それぞれの旅館の風呂だけじゃなく、外湯もたくさんあるから、今頃の時間でも、浴衣に羽織り掛けのお客で賑わっているんだ。

 最近はどこの旅館も男女別の浴衣を用意しているらしくて、道行くカップルはみんな、同じものの色違いを着ている。
 しかもまるでお決まりのように、男性は紺色系で、女性は紅色系で。

 俺が智の手を取らないでいると、智は焦れたように強引に俺の手を取った。

「ほら、行くよ」

 んっとに、こう言うところは強引なんだもんな…。
『不安だ〜』なんて弱音吐いたクセに…。

 クスッと思い出し笑いした俺を、智が『何?』と聞いてきた。

「なんでもない」

 知っている人間がいない旅行先…ってことが、俺たちを多少大胆にしてるのかもしれない。
 俺は、割と早くに観念して、智の手を握り返した。
 そして、その手の温もりを感じながら、少しばかり歩くと…。

「あれ…」

 智が小さく言った。
 俺は、智の視線の方向を見る。
 その先には…。

「あの人…」 

 昨日のバイクのにーちゃんだ。
 公園から少しはずれたここは、ほとんど人通りがない。
 そのさらに奥、路地の向こうに、にーちゃんはいた。
 何か口論しているようにも見えるんだけど…。

 そのにーちゃんはいきなり両手を伸ばし、何かを掴んだ。
 それは俺たちからは死角になっていて見えなかったんだけど…。
 にーちゃんが、グッと抱き寄せたそれは…。

「み…三香さん…」

 呟いたのは俺と智、同時だった。

「なんで、三香さんとあのにーちゃんが…」

 と、俺が呟くと、智からすかさず訂正が入った。

「山賀さんって言うんだ、あの人」

 へー、そうなんだ。しっかり自己紹介もしてたわけか。

 俺たちは二人の様子が尋常ではないことが気になって、しばらくその成り行きを見ていた。

 そうこうするうちにやがて三香さんが、にーちゃ……じゃなくて、山賀さんを突き飛ばして走り去った。

『三香っ!』

 追いかけた山賀さんの声は、かなり悲痛なものだったけど…。



「なんか…」
「うん…」
「えらいもん見ちゃったな…」
「智も、そう思う?」

 そこで顔を見合わせた俺たちは…。

「あーーーーーー!たまごっ」








「これだけしっかり茹だってたら、直でも簡単に割れるよな」

 茹ですぎの卵の殻を剥きながら、智が言う。

「ふん。俺だってあれから修行したんだ。今なら生卵だって1分間に1つは割れるぞ」

 智がククッと笑って、『上出来だな』なんて言う。

 帰ってきた部屋の座卓で卵を広げている俺たち。
 ふと気になるのはやっぱりさっきの三香さんの様子だ。

「やっぱりあの人…山賀さんって、片思いなのかな」

 俺がそう言うと、智は黙って首をかしげた。

「昨日さ、峠であったときも、やたらと羨ましいって言ってたじゃんか。好きな子はいるんだけど…ってことも言ってたし…。あれって三香さんのことだよな、きっと」

 俺は昨日の峠の様子を思い返す。

「直にしちゃ、敏感な反応だな」
「なんだよ、それ」

 ジロッと見返した俺の視線を捉えても、智は相変わらずの口調で言う。

「恋愛感情に疎い直クンでも気づいたかってこと」 

 うー、失礼なっ。

「でも」

 智は何かを思いついたようだ。

「片思いじゃないと思うな」

 へ?そうなんだ。

「わけアリ…と、見た」
 



 それからヒマな俺たちは、どうにかしてその「わけ」とやらを探ろうとしたんだけど、なかなかきっかけが掴めないまま、二日目の夕食もすんでしまい…。

 あれから三香さんの様子は確かにおかしかった。
 綺麗に微笑むんだけど、どっかに影があって、ぬかりなく世話を焼いてくれるんだけど、どっか心が泳いでいて…。

 綺麗に整えられた布団の上、俺と智は腕を組んで考え込む…けど、何が浮かんでくるでもなし…。

「俺、アイス買ってくる」

 急にアイスクリームが欲しくなった俺は、智の返事を待たずに立ち上がった。
 ロビーの隅っこに自販機があることを、俺は着いたときすでにチェックしていた。こう言うことは素早いんだ、俺って。
 ここは奥の部屋だから、ロビーまでは結構遠いけど…。

「あ、待てよ。俺もいく」
「いいよ。一人でいけるって」
「だめだ。さらわれたりしたらどうするんだ」

 はぁぁ?

「何で俺がさらわれなきゃいけないんだよ」
「いいから」

 なんだかんだ言って、結局二人で部屋を出た。
 けど、俺もこの時ばかりは智の過保護に感謝する事になった。
 だって、またしても、とんでもないシーンに行き当たってしまったんだから。


『三香っ、あなたまさか、まだ山賀の息子と会ったりしてるんじゃないでしょうね』

 それは確かに女将の声。
 普段はしっかりと閉まっているであろう、従業員通路の重い扉が少し開いてたんだ。
 当然、表へ漏れるはずのない会話が、ここまで…。
 幸い、ロビーに他の客の姿はないけれど。

『何度も言わなくてもわかってるわっ、私が身売りすればいいってことくらい、ちゃんとわかってるからっ』

 み…身売りぃ?!

『三香っ』

 俺たちは思わず顔を見合わせた。
 そして、近づいてくる足音…。
 ドアが完全に開いた。

「あ…っ」

 三香さんは俺たちの姿を見て絶句した。


後編へ



さぁ!二人の露天風呂を覗きに行こう!
このページ内のどこかに、温泉への入口が…。