まりちゃんの新婚旅行

後編




「相手は、塚川って言う実業家で…私より12歳上で…」

 ようやく三香さんが、ぽつり、ぽつりと語りだした。

 ロビーで鉢合わせしたとき、当然三香さんはそのまま走り去ろうとしたんだけど、智がそれを止めた。
 そして口説き落として、俺たちの部屋まで連れてきたんだ。

 ホント、智が一緒でよかった。
 俺だったらきっと、走り去る三香さんをボーゼンと見つめてるだけになっただろうから…。

「老舗って言う看板だけでは、もう生き残っていけない時代なんです…。うちも実際の経営はかなり苦しくて…」

「で、無理矢理結婚させられるわけですか…。山賀さんを諦めて」

 智の言葉に、三香さんは弾かれたように顔を上げた。

「智雪さん…どうして…」

 智は昨日の峠の話と、今日俺たちが見てしまったことを告げた。

「彼は山賀…秀雄と言います。私より2つ上で…。中学の頃からつき合っていました。…東京の大学を卒業したばかりなんですが、私が帰って旅館の後を継ぐって聞いて、大手の商社に決まっていた就職を蹴って、彼も戻ってきたんです…なのに…」

 三香さんは真っ白のハンカチで目元を押さえる。

「帰ってみたら、縁談まで決まっていた…ってことですか…」

 智が言うと、三香さんは俯いたまま、コクンと頷いた。

 家に帰ったら勝手に縁談が決まってたって…。
 なんか…どっかで聞いたような話だよな…。
 これって…人ごとじゃねーな。

「その…実業家って人の力がないと立て直せないんですか」

 俺は恐る恐る聞いてみた。
 すると、意外なことに三香さんは、弱々しくだが、首を横に振った。

「私も気になって調べてみたんですが、まだそこまでせっぱ詰まった状況でもないんです。ただ…」
「ただ?」
「このままなんの手段も講じなければ、先は見えています。ですから、母にとってはこんなにいい話はないんです。援助が受けられ、自分は経営のことなんかに心を砕かなくても、女将の仕事に専念できて…しかも…」

 三香さんは悔しそうに続けた。

「それを娘の幸せと信じて疑ってない…」


 …な〜んだ。全従業員の命運がかかってるわけじゃないんだ。
 俺は申し訳ないんだけど、何だかホッとしていた。

「じゃあ、その部分…。つまり『それが娘の幸せではない』ってわかってもらえたらいいわけですよね」

 智が冷静な声を出す。
 ま、そればっかじゃないだろうけど、その部分は確かに大きそうだよな。

「それは…でも、母も、私が秀雄さんとおつき合いしていたことは知ってるんです。一時は黙認もしてくれたのに…」
「じゃあ、なぜ?」

 何だか話が見えなくなって、俺はつい正面から聞いてしまった。

「塚川から…結納金が入ったんです」

 結納金…って、ああ、結婚手付け金のことね…。

「このあたりでは、結納を受け取ってから婚約を破棄した場合は、3倍にして返すという習慣があるんです…」

 さ、三倍返し…?

「ちょうど…私の若女将としての支度に資金が必要なときでしたから…。母が受け取った額は3000万…です」

 さ、さんぜんまん…。
 ってことは…。

「きゅ、きゅうせんまん返し?!」

 …熱田光機なら一発でおじゃんだな。
 三香さんがうなだれた。

「そりゃきついな」

 こらっ、大企業の御曹司。サラッと言うな、サラッと。

「不可能です…。今は維持していくことに心を砕いている時期だというのに…」

 三香さんの吐息には諦めが混じり始めた。
 けれど、智はちっとも深刻そうでない声で言った。

「でも、三香さん。それって、こちらから婚約を破棄した場合なんでしょ」

 あ、そうか。
 三香さんも、虚をつかれたような顔をした。

「向こうから婚約破棄するように持っていけばいい」

 智はニコッと笑う。
 う、俺はこの笑顔に何度騙されたことか…。

「そうすれば、受け取った3000万は返却不要の丸儲け。上手くいけば慰謝料も取れる」

 こ…こいつ、将来コワイ経営者になりそうだ…。

「でも、そんなこと、どうやって…」
「それを今から考えるんですよ。だいたい、気に入らないんです。結納金で人の心を手に入れようだなんて」

 ………智クンよ、お前、それを言える立場だっけ…?
 昨夜は散々いじけてたクセに…。

 横目で睨んでやると、智は知らん顔で明後日の方向に視線を泳がせる。

 それから俺たちはあれやこれやと策を練ったのだけど、なかなかこれといった案が出てこないまま、時刻は完全に深夜になった。
 すると、眠くなってきた俺の頭は、ある危険なアイディアを弾き出してしまった…。

「な、浮気現場を押さえるってのはどうかな?」
「浮気現場?」

 智と三香さんが同時に声を上げた。

「そう。その実業家とやらのおっちゃんの浮気現場を押さえる」
「どうやってです?」

 三香さんは不審そうな顔だ。

「浮気させちゃうんですよ。けしかけて」
「誰がけしかけるんだよ…?」

 今度は智が不審そうな顔を見せる。
 はて?誰が…う〜ん、そこまで考えてなかったな…。

「ちょうど、明日あたりに塚川はこちらへ来るようなんですが…」

 それは…やっぱチャンスじゃないか。

「事情がわかっていて、オヤジを誘惑できて……って、そんな子いないかなぁ…」

 俺がため息をつくと…。

「やっぱりダメです。どんな方であれ、私のためにその人の身に何かあったら取り返しがつきませんから」 

 三香さんがキッパリという。

 それはまあ、安易に女の子に頼めるような話じゃないよな。
 かといって、おばちゃんに頼んでも効果は期待できないし…。
 自分で身の危険を回避できる、可愛い子…。

 …まてよ。これって…自分で思いついてしまうところが怖いよな。
 俺は黙って自分を指さしてみた。

「なおっ」

 智が慌てて声を上げたんだけど…。
 お前、その反応は…。

「智、もしかして思いついてたんじゃあ…」

 そう、俺なら襲われたって安心だ。自分の危険くらい自分で回避できるし、それに…著しく不本意だけど、可愛いらしいし…。

「いけませんっ、そんな、大事なお客様にっ」

 三香さんも慌てる。
 けれど…。

「大丈夫」

 俺は何故だか、自信満々だった。






 その夜、俺たちは眠れずにいて、なんとなく一つの布団の中でくっついていた。
 智は明日の計画について、最後まで渋っていたが、結局折れてくれた。
 つまりは塚川のやり方が気に入らないって言うところに行き着いたようで…。

「近親憎悪…ってヤツかもしれない」

 なるほどね…。

「俺だって、直を手に入れるために、手段なんか選べなかったから…」

 苦しそうな息を吐く、智。

「手に入れるために、逃げられないように、直をがんじがらめにした…」

 言いながら、智は俺に腕枕をしている手で、俺の肩を抱く。

 そりゃあ、正直、俺だってあの時『熱田光機』の将来がかかってなければ、こんなに早く、ここまで踏み切れたかどうかはわかんない。

 けど…。

 智を好きになったのは、他の誰でもない、俺自身だ。
 だから、あの一件は、今の俺たちがあるための一つのきっかけだったって思ってる。
 智が気にすることは何もないんだ。
 俺、こんなに智に想われて、幸せだもん…。

 ってことで、
「俺、お前になら縛られてもいいよ」
 な〜んて、言ってみる…。

 ん?あれ?俺ってなにかマズイこと言ったような…。
 智…ちょっと、智雪さんっ…。何か誤解が…っ!

「あのっ、ともっ… 俺は、精神的な話をしたまでで、…だ、誰も物理的な話をしたわけじゃ…」

 待った…その手の物は…、おいっ、いつの間に俺の帯を解いて…。
 あーーーーーーーー!智クン、目が据わってる〜!!








 翌朝、俺は本日の計画のために、またしても情けない姿を世間に晒すことになった。
 しかも、今回言い出しっぺは俺だし…。

「うっわ…」

 着替えて出てきた俺を、智が絶句で迎えてくれた。
 三香さんは嬉しそうだ。

「可愛いわぁ…。これ、私が唯一持ってるピンクハ○スのワンピースなんです。友達にそそのかされて買ってはみたんですけど、全然似合わなくて…。よかったわ、似合う人に着てもらえて…」

 はぁ…確かにこれが似合う人は少ないだろうと思う。
 だって…はっきり言って、すごいワンピなんだ。
 全身白のフリフリレース。でっかい襟に、ふかふかの袖。おリボンだらけで、しかもギャザーやタックで思いっきりボリュームが出て、しっかり足首まで隠れてる。

「なお…ウェディングドレスみたいだな…」

 その言葉に、俺の全身の血が凍り付いた…。
 ヤバイ…。智雪さんはお得意の妄想に入りかかっていらっしゃる…。

「い、いいからっ、早く行こっ」

 俺は、わざわざ智を無視して、三香さんの手を取って早足で歩き出した。




 チェックアウトの時刻が過ぎ、チェックインが始まるまでの数時間、ロビーが一番静かな頃合いだ。
 三香さんのウソの呼び出しで、塚川がそろそろこのあたりに来るはずだ。

 …来たっ、写真の男と同じ…っ!

 物陰から出ようとした俺を、智が引っ張った。

「なにすんだよっ」

 息だけで怒る。

「頼むから、無茶だけは…」

 そんな泣きそうな顔すんなってば。とって食われるわけじゃなし…。

「はいはい、大丈夫だから」

 おかげで少し緊張の抜けた俺は、智の肩をポンッと叩いて、足取りも軽やかにロビーを横切るべく一歩踏み出す。





「あ、ごめんなさい」

 俺はわざとらしく塚川にぶつかった。そして、あ〜れ〜…とばかりに転がってみせる。
 さらに、わざわざワンピースの裾をちょっと乱し、潤んだ瞳を作って見上げる。

「あ、いえ、こちらこそ申し訳ない。ボーッとして…」

 塚川は、両腕で俺の身体を抱えて起こしてくれた。
 これを…あの物陰で智が監視してるかと思うと…今夜がコワイけど…。

 けど、何だか結構紳士じゃないか。32歳って聞いたけど、それより若く見えるし、かなりいい男だし。

「あなたは…ここのお客さんだよね…」

 俺の腕をとったまま、そいつは俺に聞く。

「はい…」

 いつもよりかなり高い声を出してみる。うえ〜、気持ちわる〜。

「怪我はない?」 
「はい…大丈夫…」
「あの…よかったらお詫びにお茶でも…」 

 おいっ…、なんてお手軽なヤツ…。

「お…いえ、わ、たしでよければ…」

 塚川は俺の肩を抱いて、ロビーラウンジへ入っていった。

「君の名前…聞かせてくれる?」

 うぇっ、そんな会話は想定してないぞ。

「あ、あの…」

 どうしよう…。

「ま、まりですっ」

 思わず、絶対呼ばれたくない名前を自ら口にしてしまう、情けない俺…。
 ちくしょー、俺、自分で自分のこと『まり』って言ったの初めてだぞ…。

「まりちゃんか…可愛い名前だね。君にピッタリだ」

 うるせー、ほっとけ、ばかやろー。
 言っちゃなんねぇこと言いやがったな〜。
 こうなったらこのオヤジ、地獄の底まで突き落としてやるー。

「いくつかな?」

 おやじ〜、援公やってんじゃねーんだぞ。

「あ、あの…じゅ…18です」

 こらっ、俺、ホントのこと言ってんのに、詰まるんじゃねぇ。

「じゃ、これから大学生か…」
「はぁ、まぁ…」

 それから当たり障りのない世間話を少ししたんだけど…。

 う〜、疲れてきたぁ…。

「あ、あの…わた、し…疲れてしまって…。部屋まで送っていただけません?」

 いきなりな女子大生だよな、我ながら。

「ん?ああ、もちろんそうするつもりだったから…」

 すでに旅館の従業員には顔がしれているのか、合図一つで支払いもせずに塚川は席を立った。

「行こうか」

 そう言って俺の手を取り、自分の腕に絡ませる。
 なんて悪質なおやじだ。
 綺麗な婚約者がありながら、いたいけない女子大生にまで手を出そうだなんて。

 三香さん…この男じゃ絶対ダメ、アナタが不幸になるよ…。
 俺は今さらながら、この計画の成功を思いっきり念じた。

 そして…。

 俺の部屋への道のりは遠く、途中日本庭園を抜けるガラス張りの廊下をとおり、まったく人通りが途絶えた死角で…。

「まりちゃん…。今夜もあってくれないか」

 来たっ、ナンパ大王!やったぜ、思うつぼ!
 これで今夜怪しいことに持ち込んで、現場を押さえれば…。
 な〜んて考えてると…。

 …え?その手はナニ?

 腰がグッと引き寄せられ、首もグッと引き寄せられ…。
 もしかして…や、もしかしなくてもこれって、キスの体勢…?

 おいっ、おっさんっ!無節操にもほどがあるじゃねーかっ!!夜まで待てよっ!!!

 とっさに蹴りが出そうになったけど、ここで暴れたら元も子もない…。

 グッと奥歯を噛みしめて、拒絶の姿勢に入ったけど、微かに煙草の匂いがするオヤジの息が近づいてくると、全身に鳥肌が…っ。

 ぎゃぁぁぁあぁぁぁぁ、智っ、ともーーーーーーー!

 心の中で叫んだとき、かなり遠くからだけど足音の気配が…。
 智が、来てくれるっ!
 そう思った瞬間、すぐ側でドアの開く音がした。


「まりちゃん!何やってるんだっ!智雪でモノ足らないのなら、そんなヤツを相手にしないで私のところへきなさいっ」


 この声、このテンション、このセリフは…まさか…。

 義父上…?ウソだろ〜。


「こらっ、この変態っ、うちの大事な嫁に何をするっ」

 変態に変態って言われちゃあ、塚川も立つ瀬がないよな…。 


「あ、あなたは…!」

 塚川が顔色をなくした。

「前田会長…」

 え?もしかして知り合い?

「ん?なんだ、アンタ誰?」

 恐縮している塚川をジロッと一瞥した智のお父さんは、俺を引き剥がすと、守るように腕の中に抱き込んだ。
 そして、差し出された名刺を、またジロッと睨め付ける。

「なんだ、塚川物産のボンクラ三男坊か」

 ぼ…ボンクラ…。

「言っておくがな、アンタ、うちの跡取り息子の大事な嫁に手を出したんだ。今後のことは期待しないほうがいいぞ」

 塚川の目が、驚愕に…いや、恐怖に見開かれた。
 いや、あの、手を出させようとしたのは俺なんですけど…。


「それにしても…」 

 おとうさんが柔らかい笑みで俺を見たとき…。

「直っ!」

 やっと智がやって来た。

「お、おとうさんっ?!なんでこんなとこにっ?」

 智もびっくり。

「智雪っ、お前、まりちゃんを一人にするとはどういうことだっ。ことの次第では許さんぞ!」
「あのっ」

 智の真後ろにいた三香さんが口を挟んだ。

「これには…」 

 ダメだっ、三香さん、喋っちゃ!
 智もきっとそう思ったと思う。
 すると…。

「塚川さん…これはどういうことですか…?」

 冷えた声で場を仕切ったのは…。

「お母さん…」

 真打ち、女将の登場だ。かっこいい…。

「うちの娘に結納金まで入れておきながら、他のお嬢さん…しかもうちの大切なお客様に手出しをされるとは…」

 塚川は完全に茫然自失…。

 …ま、自業自得だよな。潤んだ目で見上げたのは俺だけど、誘ったのはアンタだしな…。
 って、俺は、今きっと生えてるであろう、先っちょが三角になった黒いしっぽをフルフルと振ってみる。  

 女将はそのにじみ出る威厳で、塚川をズルズルと連行していった。
 三香さんも、俺たちにそっと目配せをしたあと、その後ろに従っていった。






「さて…まりちゃん。この姿は…」

 あああ、忘れてたぁぁ…最も厄介な人が…。

「そうかそうか、やっぱりウエディングドレスも着たかったんだね。言ってくれればフランスからでも最高級のシルクで仕立てたものを取り寄せたのに…」

 あのねぇ…。

「いや、でも、このコットンの白も、まりちゃんらしくていいなぁ…」

 やっぱ、この人の頭、腐ってるぅぅ…。

「いいからおとうさん、直から手を離して下さい」

 智がムスッとした顔をあからさまに向けてくる。

「やだよ、智雪のケチ。せっかく休みをとってここまで来たのに」

 はい〜?

「なに?休みをとって追っかけてきたわけ?」

 智も呆れ顔だ。

「そ。明日にはまりちゃんのご両親も来られるからな」

 …………………。

 おい…家族旅行かよ…。

「心配するな。部屋はちゃんと別にとってあるから」
「当たり前ですっ!」

 こうして、俺たちのあま〜いはずの新婚旅行は、たった3日で家族旅行にすり替わってしまったんだ…。






「三香さんたち、上手くいくといいな…」
「そうだな…」

 夕方、ようやく俺たち二人きりの部屋に戻り、俺はさっそくワンピースを脱ぎ捨てようとした。

「待った、直」
「何だよ…」

 いや〜な予感がする。また、写真撮るとか、脱がしてやるとか…言うんじゃねーだろーな。

「少し…少しでいいからこのままで…」

 けれど、予想に反して、智は俺の身体をやんわりと抱きしめたまま、しばらく本当にジッとしていた。

「俺、こんな思いするの、もう絶対に嫌だ」
「智…」
「他の誰かが直に触るだなんて絶対に我慢できない」

 俺だって触られたくはないけど。

「ずっと、俺だけの直でいて…」

 呟くごとに、深刻な色を濃くしていく智の吐息…。
 俺は智の身体をそっと押し戻した。

「なお?」

 智ってば、そんな顔しなくったって…。

「智…。誓いのキス、しよう」

 そう言って俺は、少し上を向いて目を閉じた。
 お前ってば、神社で『誓いのキスがない』ってぼやいてたもんな。

「なお…」

 切なげに呼ぶ声と一緒に、甘い息が降りてきた。
 優しく触れるだけのキス。
 触れたまま、静かに息をする。


 いつから、こんなに胸が痛くなるほど好きになったんだろう。
 いつから、離したくないと思うくらい好きになったんだろう。


『りん…』

 呼び鈴が鳴った。

「あれ?もうそんな時間…」

 何だか一日が早いや…。





 ここへ来てから3度目の夕食も、三香さんの至れり尽くせりの世話で楽しく進んだ。
 そして、三香さんは部屋を下がる前に言ったんだ。

「私…直さんのこと、強くて優しくて…素晴らしい男性だと思います」
「み…三香さん…」

 ばれたわけ…?

 俺ってきっと、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてたに違いない。
 それが、どんな顔かは知らないけど…。

「ごめんなさい。実は早くから気づいてたんです。でも、そんなことどうでもいいくらいにお二人が幸せそうで、楽しそうだったから…。このままで、と思って…」

 三香さんはそれは優しい顔で俺を見つめてくれた。

「だから…なんですね」

 智が聞いた。なんのことだろう。
 三香さんには通じているみたいで、彼女は小さく頷いた。

「女性だと思っていたら、絶対にあんなこと…」

 …そうか、三香さんは俺が男だってわかっていたから、あの変態塚川を引っかける罠に同意したんだ。

「本当にありがとうございました。これからしっかりと母に話をします」

 そう言いきった三香さんは、そりゃあ綺麗だった。
 きっと、幸せになれるよ、三香さん。

 で、三香さんが去ったあと、俺はハタと気づいた。

「なぁ、智…」
「何?」
「三香さん、早くから気づいてたって言ってたよな」
「ああ、そうらしいな。貧血で倒れたときに一緒に介抱してくれたから、その時に気づいたんじゃないか?」
「だったらさぁ、昨日の朝のアレは何だ」

『アレ』のところで智がふと視線を泳がせた。

「もしかして…三香さんが気づいてること、お前もしってた…とか」
「な、何のこと、かな?」

 ……直クン、キレたぞ。

「何が…『できちゃった婚』だーーーーーーーーーーっ!」
「うわっ、やめろっ、なおっ、なおってばっ、引っ掻くなっ、こらっ」
「やかましいっ!」





 4月。

 俺たちが大学に入って新しい生活を送り始めた頃、葉書が一枚やって来た。
 差出人は三香さんと、山賀のにーちゃんだ。

 二人は晴れて婚約にこぎ着けたようだ。
 旅館と花屋、二つの事業をあわせて、これから新しいことに挑戦して行きたいと書いてあった。

 それを見て、智は『旅館と花屋を融合して、バイク屋にする…なんて言い出すんじゃないか』って笑ってたけど。


「智…俺、また行きたいな」

 俺が言うと、智は『夏休みは南の島へ行くぞ』なんて答える。
 どうもその表情の裏に企みがあるようで…。

 ま、いっか。きっと冬になったら、智だってあの温泉が恋しくなるに決まってる。 


END

まりちゃん目次Novels TOP
HOME