「君の名を呼べば…」





 制服が夏のカッターシャツに替わってすぐの頃、放課後に、僕は上級生から呼び出されて人気のない講堂の裏手へとやって来た。




 僕は中学1年生。
 この学校へ入るまでは何とも思っていなかったのに、僕は今、自分の『見かけ』にものすごくコンプレックスを持っている。

 僕は同級生たちよりかなり小さい。
 今のところ、学年で一番のチビだ。しかも、細っこい。

 それに、みんなが言うんだ。僕の顔は、女の子みたいだって…。

 男子校なんかに入ったのがいけなかったんだ。
 女の子さえいてくれたら、きっと僕より小さい子もいただろうし、僕が女の子みたいって言われることもなかったって思うんだ。

 この学校へ入れば、高校も大学も、特に受験をせずに上がれる。
 だから、お母さんは僕をこの学校へ行かせたんだって言うんだけれど、こんなことなら、小学校の友達と同じところへ行けばよかった。

 あ、別にこの学校で苛められてるってわけじゃないんだ。
 それどころか、みんな、とても親切で優しい。

 …女の子に対するように…。
 


 特にそれが酷いのは、クラス委員長の前田くんだ。
 いつもあれこれと僕の世話を焼こうとするんだ。

 前田くんは学年の中でも1番か2番って言うくらい背が高い。
 見た目も大人っぽくてかっこいいから、学年章がついてなければ、隣の校舎にいる高校生と見分けがつかなくなっちゃうくらいだ。
 


 前田くんはうちのクラスで入試の成績が一番良かったらしくて、入学式の次の日に、担任の先生からクラス委員長を任された。
 そして、その時前田くんは言ったんだ。

『副委員は僕が選んでもいいですか』って。

 そんなこと、前例がなかったようなんだけど、前田くんが賢そうでかっこよかったせいか、誰も文句は言わなかった。

 僕も、前田くんと、前田くんが選んだ人がやってくれるのなら、きっと安心だろうなって思ったんだ。

 なのに…。



 なぜか今学期、僕は副委員長をやっている。
 それというのも、前田くんが僕の名前を言ったからだ。

 最初はどうしてかわからなかった。
 でもよく考えてみると、その日の朝、前田くんは、初めての電車通学で気分が悪くなった僕を駅で見つけて声をかけてくれたんだ。

 重くてたまらなかったカバンも、片手で軽々と持って、しかも歩くのが遅い僕に合わせてくれて…。

 あの時前田くんは僕の名前を聞いた。
 そう、きっとまだ、僕以外のクラスメイトの名前を知らなかったんだ。

 それに気がつくと、すごく気が楽になった。
 きっと、1学期の間だけのことだから。
 それまでは前田くんと一緒に、一生懸命やろうって。


 だから僕は『でかちびコンビ』ってからかわれながらも、頑張ってる。
 それに、前田くんとは偶然部活も一緒になったから、この2ヶ月ちょっとの間にすごく仲良くなったし…。



 




 呼び出されてやって来た講堂の裏手は、影だから少しひんやりしている。
 今日は暑かったからちょうどいいかな…。

 本当なら今頃は代表委員会に出ていなくちゃいけないはずだったんだけど、上級生に呼び出されて仕方なくここまで来た。

 だって、呼び出してきた上級生は中学の生徒会の人なんだ…。

 前田くんには、先に行ってもらった。用事が済んだらすぐ行くからって。

 前田くんは何度も、『一人で?どこ行くの?』って聞いてきたんだけど、なんとなく言いそびれてしまったんだ…。
 




「やあ、よく来てくれたね」

 突然後ろから声がかかった。
 慌てて振り向くと…。

 そこに立っていたのは、そうだ、確かに中学生徒会の…たしか、書記の人。

 見上げるほど背が高くて、かっこいい人だ。
 前田くんよりも少しだけ大きいかもしれない。

「あの…僕に用ってなんでしょうか?」

 僕には思い当たることがない。

 上級生は、すごく優しげに笑いながら近寄ってくる。
 僕との間はどんどん縮まり…。


「あ、あのっ」

 なぜか僕は上級生の腕の中にいた。ギュウッと抱きしめられる。

 どうして…?
 暑いから離して欲しい…。

 僕は息苦しくて、もぞもぞと動く。

「…じっとして…」

 名前も思い出せないこの人は、それでもとっても優しい声で言うんだ。

「僕は、君が好きなんだ」

 …え?それって、何?

 でも、何だか知らないけれど、離して欲しい。
 汗が…でてきちゃう…。

 なんとか離してもらおうと見上げた上級生の顔は、いつのまにかすごく近くにあって…。

「…好きなんだ…」

 言葉と一緒に息が…かか…る…。

 どうしていいかわからなくて、僕が少し身体を捩ったとき…。

「何してるっ!」

 少し離れたところから、大きな声がした。

 あれは…。

「先輩っ、何してるんですかっ」
「君は…」 

 走って来た前田くんに驚いて、上級生の力が少し抜けた。

 僕は、手を突っ張って離れる。
 
 あぁ…暑かったよぉ…。


「委員会、もう始まってますよっ」

 前田くんはコワイ顔をしてそう言うと、僕の腕を引っ張った。
 僕は勢い余って前田くんの後ろに隠れる格好になる。

「君は…1年2組の委員長だね。君こそ、委員会はどうした?」

 上級生は、僕に向かったときと違う、とても厳しい声で言った。

「僕は、僕の副委員長を捜しに来たんですっ」


 びっくりした…。
 こんなに大きな声を出す前田くんは初めて見た。
 背が高くても、すごくしっかりしていても、前田くんはいつもとっても優しい声で穏やかに話すから。



「…僕の…ね…」

 上級生は呆れたような声でそう言うと、前田くんの肩越しに僕を見おろした。

「直くん…僕は君のこと…好きだから。覚えておいて…」

 やっぱり優しい声だった。
 そして、背中を向けて歩いていく。



 上級生の影が講堂の角を曲がって見えなくなると、前田くんは急に振りむいた。

「どうしていわなかったんだ?」 

 え?なんのこと?

「上級生の呼び出しだなんて…。何かされたらどうするつもり?」

 何かって…。

「何かされるの?」

 でも、あの上級生はすごく優しそうな人だったけど…。

「ああ…もうっ…」

 前田くんは大きな手でそのかっこいい顔を覆ってしまった。

「素直なのもいいけど、もう少し自分のこと考えなくちゃダメだ」

 よくわからないけど、前田くんは僕の心配をしてくれてるみたいだ…。

「あ、あの…。ごめんね…」

 やっぱりよくわからないけれど、僕は謝った。
 結局、委員会に遅れたことにもなるし…。

「これから、僕の側を離れちゃダメだよ」

 前田くんは、僕の両肩をがっしりと掴んでそう言った。すごく、すごく真剣な顔で。 

 僕はその顔を見上げて…そして、頷くしかない。



「…さっきのあいつ…。直くん、なんて呼んでた…」

 僕の目を見たままだけど、でも、なんだかそれよりも遠いところを見ているような前田くんの目。



「直…」

 え?

「これから、『直』って呼ぶ」

 …今までは『熱田くん』だったよね…。



「行こう…直」

 前田くんは僕の手を引いて歩き出した。
 なんだか、どこかがちょっとくすぐったい。

 でも、前田くんが『直』って呼んでくれると、気持ちいい。

 前田くんは、どうなんだろう…?

「前田くん…智雪って名前だったよね」

 智雪…って呼んだ方がいいのかな?

 前田くんが立ち止まる。そして前を向いたまま…。



「智…で、いいよ」

 なぜだか最後は消えてしまいそうな声。



「…とも…」



 僕は、少し恥ずかしくて、小さな声になる。

 でも、口にしてみると、なんだか嬉しい…。

 だからもう一度、呼んでみる。



「智…」 



 前田くん…智、が振り返る。

 笑った顔が眩しくて、僕は思わず目を細めて…。



☆★☆



「ん…」

 閉じたはずの瞼の奥まで陽の光が侵入してきて、俺は何度か浅い瞬きをする。

 そういえば…リビングのローソファーに沈み込んで…。
 あれは昼過ぎだったっけ…?


 その頃よりオレンジ色が濃くなった空。
 沈み始めた陽が長くリビングに差し込んでいる。


 目が覚めた俺の上半身は、ソファーでないものに包まれていた。

 ソファーに沈んでいるのは、俺を抱いた…智。


 目を閉じた、その無防備な寝顔は、いつもの智より少し、子供っぽい。

 眩しくないのかな…?
 鮮やかなオレンジが、整った智の顔を余すところなく照らしてる。


 俺は一つ深呼吸をして、また、智の胸に顔を埋める。



 何も知らずに守られてきた俺。
 何も言わずに守ってくれていた智。



 なぁ、智…。俺はいったい何を返せばいいんだろう…?


『愛してる』


 この気持ち、言葉だけじゃ、もう、足りないよ……智…。



END



昨年5月に『10万企画へ向けてのアンケート』のお礼にお送りしましたSSです。
お送りさせていただいた方の数はおよそ200名さま。
今ではもう、読まれていらっしゃらないお客様の方が多いのではないかと思い、
UPさせていただきました。
当時読んでくださった方も、ぜひ、懐かしんでください(笑)

さて、これは智と直の昔のお話&直クンの熱烈な告白でした。
このお話は「桜色の風吹くとき」の2ヶ月ほど後のお話です。

40万Hits、本当にありがとうございます。
これからも桃の国をよろしくお願い申し上げます。

                                   2002.4.3 高遠もも

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