2005年クリスマス企画 『It chose you.』
〜まりちゃん、大学2年の冬〜
後編
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次の家庭教師の日。 かなり早く大学を出て――智に理由を聞かれて誤魔化すのが一苦労だったけど――俺は腕時計に会いに行った。 彼がバイトに来る日しか店は開いていないので、その日をしっかりメモしてもらってたんだけど、そう言えば彼はどこの大学なんだろう。 真面目に大学生やってたとしたら、1年生って結構忙しいはずだけど、バイトに入ってる時間もそこそこ長い。 もしかして、家とか近所なのかも。 『カラン』 初めて来たときと同じように、ドアベルが乾いた音を立てて俺を迎えてくれる。 「こんにちは」 「やあ、来たね、いらっしゃい」 彼は暖炉の前に腰かけて、柔らかい炎に照らされながら、真鍮の蝋燭立てを磨いていた。 うーん、やっぱり強烈に男前だよなあ。 「ちょっと待ってて」 蝋燭立てをそっと傍らの机に乗せると、彼は立ち上がって奥へと入っていった。 お目当ての腕時計を眺めながら待つことほんの少し。 「お待たせ」 戻ってきた彼が手にしているマグには…ココア! 「あ、ほんとにお構いなく…」 と言いつつ、マグに目が釘付けの俺。やっぱ冬はココアだよなー。しかもこれ、ミルクたっぷり色だし。 「気にしないで。構ってあげてるんじゃなくて、俺が構ってもらおうと思ってるんだから」 「え?」 「ほら、ここって目立たない店だろう? お客さんって滅多になくてね。こうして通ってきてくれる人がいると、おもてなししたくなるんだよ」 …なるほど。うん、俺でも同じことするかも。 「あ、じゃあ、遠慮無くいただきまーす」 俺がそう言うと――多分、かなり顔は緩んでたと思う。だって嬉しいんだもん――彼は惚れ惚れするような笑顔で『どうぞ』…と言ってくれて、しかも『可愛いねえ』なんて頭まで撫でられたりして。 えっと、俺の方が年上だったよな、一応。 …ま、いいか。外見だけじゃなくて中身も彼の方が大人っぽいような気がするし。 でもさ、俺がいつまでもガキ扱いされるのは、きっと、智や秘書さんたちが俺を甘やかすからだろうな。 お父さんなんて、一昨日、寝起きでぼんやりしてる俺に向かって『まりちゃん、今朝もご機嫌でちゅかー』なんて、ほっぺたつつくんだもんな。 ったく、赤ん坊じゃねえっての。 「あ、美味しい…!」 一口飲んで、俺の顔は輝いた(に、違いない)。 これ、絶対国産じゃない。日本のココアって、まだここまで美味しくないんだ(ってのは、お父さんの受け売りだけど)。 「だろう? 親父が仕事でドイツやオーストリアと日本を行ったり来たりしててね、いつも買ってきてくれるんだ」 やっぱり。 聞けばそれは市販のものじゃなくて、小さなカフェで独自に調合しているオリジナルのものなんだそうだ。 今度俺が来るまでに、一袋用意しておいてあげるよ…と言われて、食い意地の張った俺は大喜びしたりして、それから少しの間、話をしていたんだけれど…。 「本当に静かだね」 マジでお客って誰も来ないんだ。そりゃ確かに全然目立たない店ではあるし、そもそも俺だって偶然見つけたようなもんだし。 でも、それにしても…と思って、俺は彼に質問してみたんだ。 彼がこの店を見つけた時のこととか、バイトするようになったきっかけとか。 すると、彼は細長い――幅3〜4cm、長さ1m足らず…かな?――革張りのものを持ってきた。 どうやらそれはケースのようなんだけど、いったい何の…だろう。かなり特殊な形だ。 「俺がこの店を見つけたのはほんの偶然。何の用事で通りかかったのか定かじゃないくらい普段のありふれた状況の中だったから、今でもはっきり思い出せないくらいなんだけど…」 言いながら、パチン、パチンと音を立てて、細長いケースの金具が外される。 「ともかく、通りかかったときにふと目をやったウィンドウにこいつがいたんだ」 ケースの蓋が開いた。 「弓…ってわかる?」 「弓?」 俺は中学高校とずっと部活でアーチェリーやってたけど、その弓…じゃないよなあ。だって、こんな細い入れ物に入んねえもん。アーチェリーの弓ってさ。 「そう、弦楽器を弾く弓…なんだけど、わかる?」 「あ、うん」 そうか、あれも弓ってんだな。そう言えば。 そして、彼がケースから出した物を見て納得した。 俺のようなど素人でもわかる。ヴァイオリンとか弾く「あれ」だ。 彼はそれをなんだか眩しそうに見つめた。 「見た瞬間に俺は驚いた。どうみてもこれは、こんなところで見つかるようなシロモノじゃあなかったから」 「…っていうと?」 「こいつは150年くらい前にフランスで作られたチェロ弓なんだけど、製作者オリジナルの物はほとんど現存してなくて、市場に出回ってるのはコピーとか、弟子の作った大量生産品ばかりなんだ」 「ってことは、これはもしかして…」 「そう、驚いたことにオリジナルなんだ。本物中の本物。製作者の生涯で最高傑作と言われている3本のうちの1本なんだ。俺も最初は信じられなかったよ」 そうなんだ…。 俺は、楽器についての知識は皆無だけど、弦楽器のオールドが凄い値段だってことだけは知ってる。 何でかってーと、親友の敦がああ見えてヴァイオリン歴17年だったりするからだ。…ったく、人は見かけによらねえ…の典型だよな。 いや、それはともかくとして。 でもさ、弦楽器が高いのはわかってるけど、それを見極める目ってのもかなり重要なんじゃねえのかな。 だってさ、俺、この弓みても、そんな凄い弓だなんてわかんねえもん。見てわかる違いがあるんだろうか。 「ええとさ」 俺はその質問を素直にぶつけてみることにした。 「うん?」 「これが凄い弓だって、どうしたらわかるの?」 そう尋ねたら、彼は茶色の瞳を大きく見開いて、それからニコッと笑った。 「それはね、俺がチェロ弾きだからわかるんだよ」 なんと! 「凄い〜、チェリストなんだ? あ、もしかして大学って音大?」 「そう。チェロ科の学生なんだ。だから、こいつを見つけたときも最初は自分の目が信じられなかったんだけど、実際オーナーに頼んで弾かせてもらった時には確信した。こいつは本物だってね」 うん。きっとほんとに本物なんだろう。だって、弓を見つめる彼の目がなんだか幸せそうだから。 ところが彼は次に意外な事を言ったんだ。 「いや、本物でなくてもいいんだ、この際」 「え? どういうこと?」 だって、偽物じゃあダメなんじゃ…。 「俺のチェロとこの弓の相性は抜群なんだ。ついでに弾き手である俺ともね。 だからこいつの出所が実際のところどうなのかってことは、この際二の次なんだ。俺はこいつが欲しい。 だから、どんな値がついても、両親に借金してでも、絶対買ってやろうと思ってオーナーに譲ってくれって頼み込んだんだ。 そしたらオーナーがさ、譲ってあげない事もないけれど、弓は装飾品と違って本当にその人間と一体になるものだから、君との相性をじっくり見てあげようって言ったんだ」 「あ、じゃあ、もしかしてその結果が、バイト?」 「そのとおり。俺はこうしてバイトをしながらオーナーのお許しが出るのを待ってるってわけ。まあ、資金稼ぎもさせてもらえて一石二鳥だけどね」 そう言って軽くウィンクをして見せた彼の表情は本当に充実していて、俺はそんな彼を眩しく見上げてかっこいいな…なんて思ったわけだ。 なんて言うか…一つのものを一心に追い掛けている姿って綺麗だなって感じたりして。 「ね」 俺は無性に彼の演奏が聴きたくなった。 「ん?」 「今、チェロって持ってる?」 俺、クラシックなんて、てんでダメだし、聞いたところでどうなるってもんじゃないんだけど、でも、こんなにも熱い気持ちを持ってる彼の演奏を聞きたくて仕方なかったんだ。 「ああ、持ってるよ。大学の帰りだし」 相変わらず超絶オトコマエの微笑みで答えてくれる彼に、俺はちょっと甘えモードでお願いしてみた。 「…聞きたいな〜…なんて言ったら、ダメ、かな?」 すると彼は更に笑顔を満開にして、『もちろんOK…っていうか、是非…だな』なんて言ってくれたんだ。 アタマ撫で撫で…は余分だけどさ。 それから数十分間、俺はとてつもなく贅沢な時間をもった。 だってさ、めっちゃうまいんだ、彼ってば。 そりゃ現役音大生なんだから弾けて当然なんだろうけど、クラシックに関しては「素人以前」っていう俺にだって、『この人ちょっと普通と違うかも…』って思わせるくらい凄いんだ。 しかも今はそんな彼の演奏を独り占めだし。 や、曲の名前も全然わかんないんだけどさ…。 ![]() それから俺は、家庭教師に行くタイミングを最大限に利用して、足繁く店に通った。 当初の目的通り、腕時計に会うため…と、それから彼との時間を楽しみに。 そうして何度目か、俺はついにオーナーに会うことが出来て――もっとオジサンだと思ってたら、意外に若くてハンサムでちょっと驚いたけど――拍子抜けするほどあっさりと腕時計を譲ってもらえたんだ。 しかも破格の安さで。 オーナーは、『君の大切な人に、この時計のこれからを託そう』って言ってくれて、凄く嬉しかったんだけど、アタマ撫で撫では余分だってーの。 なんで俺ってこんなにガキ扱いされるんだろうな、…ったく。 『またおいで』 オーナーと彼は、そう言って、腕時計の包みを大切に抱えた俺を見送ってくれた。 今度は智を連れてこよう。 そう思って俺は、二人に『じゃあ、また』と言って手を振ったんだけど、まさかそれが最後になってしまうとは、この時は夢にも思わなかったんだ。 ![]() クリスマス。 俺がプレゼントした腕時計を、智はものすごく気に入ってくれて――第2秘書の長岡さんがびっくりしてた。このブランドのアンティークがこの状態でこの値段って考えられない…って――二人で店を探しに来たんだ。 でも、見つからない。 その後も何度か、俺は智を連れて店を探しにやって来た。 でも、どうしてだかやっぱり見つかんなくて。 智には『直って意外と方向音痴だったんだ』って笑われたんだけど、そんなこと絶対にない。 だって、俺、この腕時計GETのために、何度も通ったんだから。 その間、迷って探したことなんて一度もないんだから。 そうして俺は、結局あの店を再び探し出すことが出来ず、仲良くなったバイトの彼ともそれきりになってしまった。 もうあのチェロが聞けないのかと思うと、それが無性に悲しかった。 ![]() それから一年後――次のクリスマスの頃も俺はあの店探しにチャレンジしたんだけど、また玉砕してしまい、俺は、あの店…そして彼との縁も完全に切れてしまったのかな…と悲しい諦めに入ってたんだけど、それから3ヶ月ほど後に、思わぬところで俺は感動の再会を果たすことになった。 それは、ちょうど大学の春休み。 俺たちが4年に進級する前のことだ。 お父さんの母校で、卒業生がデビューすることになったからって、後援会が発足することになった。 お父さんは理事をしてる関係上、その記念パーティに呼ばれてたんだけど、何故か智と俺も連れて行かれたんだ。 どうも、智の将来に向けての顔つなぎ…みたいなのが本当の目的っぽかったんだけど。 それにしても『デビュー』って言うから、俺はまた芸能界かなんかかな…なんてぼんやりとおもってたんだけど、全然違った。 20歳の若き音楽家が、クラシック界にデビューする…ということだったんだ。 そして、出かけていったホテルのパーティ会場にいた主役は、彼! そう、俺が探していて、探し出せずに諦めていた、あの店の、あの彼だったんだ! 30分ほどのプチ・リサイタルを終えて、出席者一人一人と丁寧に挨拶を交わす彼をずっと見ていて、俺はあの素敵なチェロをまた聞けたことをすごく嬉しく思っていて…。 そうこうしているうちに、彼がこっちへやって来た。 視線が、合う。 「…あ! 君は…」 茶色の瞳を大きく見開いて、それから彼は満開の笑顔を見せてくれた。 彼も、俺を覚えていてくれたんだ。めっちゃ嬉しいかも。 「こんなところで会えるなんて!」 手を取り合って再会を喜ぶ俺たちの横で、お父さんと智が驚いている。 でもそれに構ってる場合じゃないんだ。 俺、確かめたいことがあるんだ。 「それ、あの弓だよね」 彼が手にしているチェロと弓。 弓は、彼が惚れ込んで絶対欲しいって言ってたあの弓に違いない。 「あ、わかる?」 「うん。俺、クラシックのことはさっぱりだけど、なんでかこれだけはわかった。あの時弾いて聞かせてくれた、あの弓だって。よかったね。譲ってもらえたんだ」 そう言って見上げると、彼は本当に嬉しそうに、そして満足そうに笑って頷いたんだけど、ふと声を潜めると、俺にだけ聞こえるように言った。 「実はその後…」 彼の話を聞いて、俺は驚いた。 なんと彼も、弓を譲ってもらった後、あの店を見失ったって言うんだ。 「1年もバイトに通ったんだぜ?」 「…あり得ない…」 俺が見失ったことも不可解この上なかったけど、彼の言うとおり、1年もバイトに通った場所を見失うなんて、考えられない。 「だろ? 不思議だよなあ…」 チェロと弓を手にしたまま、器用に腕を組んで彼は唸った。 …でもさ、言う割にはさほど不思議そうでもないんだけど。 その疑問を口にすると、彼は『あはは』と笑って、恐ろしいことを言ってのけた。 「俺、この手の不思議体験には慣れてるからさあ」 …ますますあり得ないって…。 で、俺たちは携帯やパソコンのアドレスを教えあって――なんと、俺たちはこの時初めてお互いの名前を知ったんだ――これからもよろしく!…な〜んて、次の再会を約束して別れたんだけど。 智が横で不機嫌オーラを出しまくっていたことに、間抜けなことに、俺は全然気がつかなかったのだった……。 ![]() 「で?」 「で?…って?」 俺たちの寝室の、俺たちのベッドの上。 智の問いかけに、俺はまたしても間抜けな返事を返してたりして。 「いつの間に知り合いだったわけ? 彼と直は」 あ、そうか。俺ってば、アンティークショップの話は頻繁にして、一緒に探したりもしたけれど、腕時計をGETした経緯とか、オーナーのことだけを話題にしてて、彼の話ってしてなかったんだ。 いや、隠すつもりはもちろんないし、隠す理由もないんだけどさ。 そこで俺は、改めて彼との出会いからあれこれを智に語ったんだ。 智は最初はかなり不機嫌モードだったんだけど、そのうち熱心に話を聞いてくれるようになって…。 「それはきっと、腕時計が直を呼んだからなんじゃないかな」 「え?」 腕時計が、俺、を? 「彼の弓もそう。自分に相応しい弾き手として、弓が彼を選んだんだと思うな」 「弓が…」 そんなことって、アリ? 「物たちが自分に相応しい所有者を捜していて、オーナーはそれの手助けをしていたんだよ。だから、手に入れた後にはあの店に行けなくなったんじゃないかな」 「それって、出会うためだけにあの店があったってこと?」 「んー、まあそうとも言えるね。なんて言うんだろ、お見合い処…みたいなものかな。大切な相手に出会えたら、もう用はないじゃない?」 そりゃま、そうだけどさ。 「だから、また『物』との縁が生じた時にはあの店に出会えるかもしれない…ってことさ」 言いながら、智は俺の肩を抱き寄せる。 「縁…か」 呟いた俺に、智は優しいキスをくれて…。 「さて」 はい? と…智くん、今、声色が変わりましたが…。 「随分と男前のチェリストだったよな」 「…あ、うん」 もしかして…やば…い? 「いつの間にかあんなのと知り合ってて、しかも随分仲良しだったんだって?」 「え…ええと、その…」 俺の背中を冷たい汗が流れる。 「知らなかったなあ〜」 「や、あの、隠すつもりは毛頭…」 「そうだよね。隠すようなつき合いじゃなかったんだろ?」 ニッコリ笑う智。 でも、この手の微笑みが実は一番怖いってことに、結婚生活も丸3年の俺にはもう十分に骨身に沁みていて…。 「さて、お仕置きだね」 うわーーーーーーーー! ややや、やっぱり〜!! 「と、智っ」 「なあに? 直」 「あ、あのさ、眠らせてくれる…よな?」 「何言ってるの。楽しい春休み中だよ。2、3日眠らなくたって平気平気」 ちょ、ちょっと待て〜! 2日も3日も寝させてくれない気か〜! …って、結局俺は第3ラウンドの途中で意識を放棄するまで延々と――声が涸れても泣かされ続けたのだった…。 ![]() 再会した日に連絡先を交換した俺たちは、あれからかなり頻繁にメールのやりとりをしている。 会話の中身は、他愛もない世間話から、大学のこと、両親のこと、そして、彼には3人の兄弟がいるから、彼らの色々…。 話題は尽きなくて、今度、時間が取れたらゆっくりご飯でも…なんて話になってたある日のこと。 俺の携帯が鳴った。ディスプレイには彼の名前。 メールは頻繁だけど、電話って滅多にないから俺は何かあったのかな?…なんて思いながら電話にでたんだけれど。 『あ、直?』 電話の向こう、息が弾んでる。 「うん、俺。どしたの? 守」 これは急用に違いない。 そう直感して俺も勢い込んで聞いたんだけど、返ってきた答えがまた、ドキドキものだった。 『弟が、あの店見つけたんだ!』 「ホント?!」 やった! ついに! 『ああ、何でもプレゼント探してる時に行き当たったらしくて、今熱心に通ってる最中らしい。GETしちまったらまた行方不明になりそうな気がするから、俺、明日にでもついていこうと思ってるんだけど…』 「俺も行く!」 当然じゃん! 『そうこなくっちゃ!』 そうだ! 智も誘わなくっちゃ! ![]() ってさ。 この時知り合った、智と守の弟が妙に意気投合しちゃってさー。 俺は暫くやきもきする羽目になったりして。…ぐすん。 |
END |
というわけで、こんなオチでした(笑)
ええと、実はこのアンティークショップのオーナーと守の話が本筋でして、
いずれ「君愛」の方でお目にかけることが出来たら…と思っております(*^_^*)
あ。智くんと「守の弟」は『僕?or俺?』で出会ってますが、
あちらは一応パラレルということで…(^^ゞ
最後まで読んで下さってありがとうございましたv
みなさま、素敵なクリスマスをお過ごし下さいね☆
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