I Love まりちゃん

〜まりちゃんのネギパン〜




 俺の愛読書の一つに『ぜ〜んぶホットケーキミックスのおやつ』ってのがある。

 タイトル通り、ぜ〜んぶホットケーキミックスで出来るおやつばっかり、実に「全154タイトル」という素晴らしい本だ。

 ちなみに俺はホットケーキが大好き。
 あ、誰だ「お子さま〜」なんていってるヤツは。
 好きなもんは好きなんだからしかたねえだろっ。


 おっと話が横道にそれた。
 その「ホットケーキミックス」だ。

 この本に載ってるおやつはもうすでにほとんど智が作ってくれた。

 あいつ、何やらせても器用だからさ、美味い上に、見た目も本に載ってる写真以上の出来映えになるんだ。

 中でも俺のお気に入りは「りんごのヨーグルトケーキ」。
 なにしろ智の場合はヨーグルトも自家製だからな。

 ったく、俺ってばいい嫁さんもらったぜ。

 あ、今の発言、智には内緒な? バレると何されっかわかったもんじゃねえしな。


 おっとまたまた話がそれた。
 
 俺は昨日、その本をぱらぱらとめくっていて、智がいまだに作ってくれたことのないおやつを発見したんだ。

 その名も「ねぎねぎパン」
 名前の通り、ネギの入ったパンだ。

 ごま油を使ってて中華風っぽい。
 そういや、こんなの横浜の中華街で食べたことあったっけ。あれ、美味かったよな。


 
 もう一度レシピを読むと…。

 なんだ、すっげぇ簡単じゃん。材料混ぜて、こねて、丸めて、伸して、焼くだけ。しかもフライパンだ。

 これなら俺にも出来る。

 …ってわけで、俺はさっそくこの「ねぎねぎパン」に挑戦したわけだ。

 きっと今まで智が作らなかった理由は…。

 あいつがネギ嫌いだからに他ならない。
 ふっふっふ。うまくいけば、智の好き嫌いをまた一つ、直せるかも知れないしな。





 で…。

 今、出来たのがこれだ。

 ごま油の匂いがめっちゃ食欲をそそる。
 焼き色も膨らみ加減も申し分なし。

 ったく、俺にしちゃ上出来じゃんか。今までこんなにうまくいったことあったっけ…ってくらいだ。

 でもさ、味が良くなけりゃ何にもなんないし、とりあえず試食してみっか。

 円盤状にこんがり焼けたそれを小さく切り分けて口に入れてみる。

 噛む直前に口の中に広がるのは香ばしいごま油の香りといい具合に火の通った時のネギの香り。

 ふふっ、いい感じ。

 で、一口噛んでみる…。


 ……………………………。


 こっ、これはっっ。





「なお〜、ただいま〜」

 うわっ、智が帰ってきたっ。

「なになに? すごくいい匂いがしてるけど」

 智が嬉しそうな声でキッチンに入ってくる。

「うわ〜。綺麗な色に焼けてるじゃないか。これ何? パン?」

「…う、うん、まあな」

「…あ、ネギ入ってる…」


 生地の間から覗く、緑色の物体を見て、智が眉間に皺を寄せた。

「これってもしかして、あの本の…?」

 …やっぱり。
 智はネギ嫌いのせいでこのパンを作らなかったんだ。

「うん、あの本の中のレシピ。美味そうだったし、智、作ってくれたこと無かったからやってみようかと思って…」


 …って、智の顔を見ていった途端に、俺はひらめいた!

 俺は、ネギは嫌いじゃない。だけど案外ネギ嫌いの智なら、これはかえっていけるんじゃないだろうかって。


「ね、食べてみてくれる?」

 出来るだけ猫なで声で言ってみる。智はこの声に弱い。

「…あ、ええと、う…ん」

「大丈夫、ネギの辛みとか匂いとかほとんどないし」

「ほんとに?」

「ほんとほんと」


 嘘じゃない。実際に本当だ。

 ネギの辛みも青臭さも何にもない。

 そう言うと、普通は『ごま油に調和されて』って思うかも知れないけど、この場合は違う。


「ほら」

 俺は一口大に切り分けたそれを、智の口まで持っていって、わざとらしく「はい、あ〜んして」ってやってみた。

 智はめっちゃ嬉しそうな目をしたけれど、口元はまだ固く結んだまま。

「ほらほら、大丈夫だってば」

 そう、大丈夫。ネギは臭くない。でも…。

「…う、ん」

 俺がにっこりと笑ってみせると、智は観念したように、少しだけ口を開いた。

 その僅かな隙間を逃さずに、俺は小さなパンを智の口に押し込んだ。


「…うっ」

 呻いては見たものの、大学生にもなって、一旦口に入れたものを出すなんて格好悪い真似が出来るわけもなく、智は顔をしかめながらその固まりを噛んだ。

 …噛んだ。

 ……噛んだ。



 表情が変わった。やっぱダメか。違った意味で。

 そう、しつこいようだがネギ臭さはない。

 そして、それはごま油のせいではなくて、実は……ホットケーキミックスのせいだったんだっ!



 もともとホットケーキミックスには甘みが入っている。

 美しく焼き上がったネギパンは、ごま油の香ばしさとネギの風味とホットケーキミックスの中途半端な甘さが渾然一体となった得も言われぬ味の物体だったんだっ!

 しかも、中でも一番強烈に主張しているのは、その「中途半端な甘さ」で…。


「な、直…これって…」

 漸く飲み下して、しかも慌ててミルクまで飲んでから、智がやっとの面もちで口を開いた。

 かなりの衝撃だったらしい。


「うん、俺もこんな事になるとは思わなかった」

 正直な感想はそれ。

「そっか、ホットケーキミックスの甘みが完全に邪魔してるわけなんだな」

 要は『ごま油とネギの風味のする妙に甘ったるいパン』に仕上がっちまったわけだ。

 はっきり言って、かなりキツイ。


「惜しいな、せっかく綺麗に焼けてるのに」

 続きを食えって言われずにすんだと思ってか、智はいきなり余裕の顔に戻ってしげしげと「ネギパン」を眺める。

「だよな。俺もせっかく上出来だぜ…って思ってたのにさ」

 ほんと、困った。これは完食は難しい。
 かといって、食い物を捨てたりしたくないし…。



 って、俺と智が思案にくれていると、インターフォンも鳴らずにいきなり玄関から複数の足音が聞こえてきた。

 このうちのカードキーを持ってる人はもちろん限られている。

 あの話し声は…やっぱり、お父さんと長岡さんだ。



「ああ、二人ともいたか」

 リビングのドアを開けて、キッチンに立つ俺と智を見て、お父さんが嬉しそうな顔を見せる。

 珍しい、こんな時間に。


「お邪魔します」

 後ろから顔を覗かせたのは長岡さん。相変わらず綺麗で可愛い。


「どうしたんですか? こんな時間に二人揃って珍しい」

 俺の疑問は智がそっくり言葉にしてくれた。

「ああ、いきなりカナダへ飛ばなくてはいけなくなってな」

 言いながらお父さんが近寄ってくる。

「今夜の便が取れたので、慌てて用意に戻ってきました」

 長岡さんもやってくる。

 …二人とも、気づいたらしい。


「…なんだ、やたらといい匂いだな」


 この――擬態といってもいい――香ばしい香りに。


「ああ、これ、直が作ったんですよ。綺麗に焼けているでしょう?」

 妙に人のいい笑顔で智が言う。

 …おい。まさか。


「へ〜、まりちゃんが?」

 …あの、長岡さん、…まりじゃないんですけどぉ…。

 でも、これから起こるであろう事態を予測した俺は、そんなことが言えるわけもなく…。



「良かったら一口どうですか?」

 …と、ともぉ…お前ってば、ほんと、悪魔だよな。もしくは「さすがお父さんの子」ってか。自分の身の安全を考えると、それは絶対口にできないけどさ。


「うわ〜、いいんですか〜?」

 …長岡さん、頼むから、喜ばないで…。

「どれどれ」

 智が切り分けたそれに、お父さんが手を伸ばす。そして、長岡さんも…。


 俺、しらねぇからな…。

 でもさ、俺のせいじゃないよ。誰が作ったって絶対この不気味な味になるはずなんだ。ホットケーキミックスを使う限りはね。


 …あ、マジで食べちまった。



「……」

 長岡さん、まず無言。

 うん、それがまっとうな反応だよな、この場合は。


「ええと、まりちゃん、これは…」
「あ、あのですね、実は…」

 物体についての詳細を求められて、俺は長岡さんの耳にこそこそと、ことの次第を話した。


 不気味なことに、お父さんは顔色一つ変えずに食べている…。

 まっ、まさか衝撃が大きすぎて、どこかぶち切れたとか…。

 と、心配になったとき。


「まりちゃん、これ包んでくれないか」

 お父さんは、皿に残ったネギパンを指して、いつもにましてにこやかに、言い放った。


「「「ええっ?!」」」


 当然驚いたのは俺たち3人。

 でも、お父さんは全然動じてなくて。


「社に持って帰って、和彦にも食わせてやろう」

 そ、それはお父さんっ、究極の嫌がらせ…ってヤツですかっ?!

 長岡さん、可愛い顔が引きつってるよ…。そりゃあ引きつるよな。だって、ふつー、自分の大切な恋人に、こんなもん食わせたくねえもんな。



「美味いじゃないか。上手だよ、まりちゃん」

 …は?

 お父さん、それ、マジで言ってる?

 見ると、智も長岡さんもあんぐりと口を開けていて…思いっきりマヌケだよ…二人とも。


 …はっ。まさか、世界中で接待を受けて、美食の限りを尽くすとついには味覚が壊れるとか…。


「…こ、壊れてる…」

 ほら、智も言ってるし。

「…ちょっと外食の回数を減らした方がいいんでしょうか…」

 長岡さんまで真面目に言ってるし。



 結局、俺たちが止めるのも聞かず、お父さんは残りを全部、小倉さんに持っていった…。



                    ☆ .。.:*・゜



 その後どうなったのかはもちろん怖くて聞けなかったんだけど、カナダから帰ってきた翌日、長岡さんはなんと小倉さんを連れてうちまでやって来たんだ。



「やあ、まりちゃん、先日はごちそうさま」
「え、いえ、ほんと、ごめんなさい」

 あまりにも申し訳なくて、切れ切れに言う俺の頭をぐりぐりと撫でると、小倉さんは優しく微笑んでから、なんとっ、上着を脱いでエプロンをつけたんだっ。

「え? あのっ、小倉さんっ?!」

 横では智もびっくりしてる。
 でも、小倉さん、エプロン姿もめっちゃかっこいい。

「この前のあれ、捏ね具合も焼き加減も申し分なかった。けれど、ホットケーキミックスを使ったがために微妙な味加減になってしまったことは残念だったね」


 言いながら紙袋から噂の『ホットケーキミックス』を取り出したっ。

 ま、まさかっ。

「いい? こういう場合は甘みを中途半端に引き立てないために、ごま油・ネギは多めにする。出来れば万能ネギより長ネギなどの加熱に向いたネギの方が、火を通したときの風味がいい。あと、ミックス粉には香料が入れてあるからをそれを消すのに日本酒を少し入れる。それと、間違っても塩味だけを追加して誤魔化そうとしないように。例えば、刻んで炒めたベーコンなどを入れると、塩分と一緒にコクと旨味も追加されるので良いと思うよ」


 口だけじゃあない。手も口以上にしっかりと動いていて――包丁使いがまるでプロだったり――あっという間にネギパンの生地が出来上がった!


「す、すごっ…」

 …さすが…小倉さん。参りました。
 
「…噂には聞いてたけど…」

 智も言う。

 そして、横で見ているだけだった長岡さんもポツンと呟いた。

「…彼、家事全般、万能ですから…」



 こうして、仕事だけじゃなく、家事全般万能のスーパー秘書小倉さんが焼き上げたネギパンは俺のとは比べものにならないほど美味くて…。



 久しぶりに、明日は揃って休暇なのだという二人は、それから暫くの間、俺と智の相手をしてくれて、そして仲良く帰っていった。




「なあ、智。もしかしてあの二人って…」
「ああ、もちろん小倉さんが主夫やってるんだろうな」

 うーん、長岡さんもいい嫁さんもらったんだな〜。

 幸せだね〜、お互いにさ。



                    ☆ .。.:*・゜



 ちなみにあの時、会長が心の中でこう呟いていたことを直くんは知らない。


『ふふっ、綺麗な男の子の作ったものは何でも美味しいんだよ。できれば本体も美味しく頂きたいところだけれどね』


 会長、もしかして主食は『綺麗な男の子の蜜』なのかもしれない。



END

この話はノンフィクションです(笑)

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