「I Love まりちゃん」外伝
憧れの33階
〜後編〜
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「お疲れ〜」 「お疲れさま〜」 『ガツン』…と、かなり派手な音を立てて『生中』を一気に飲み干す。 金曜の夜。午後10時。 会社の近所ではあるけれど、なるべく人目につかないこぢんまりとした店を選んで、僕と春奈さんは二人きりの『慰労会』をやっている。 「はぁ〜。それにしても、私たち、この2ヶ月間、よく生き延びて来られたものよね〜」 おっしゃるとおり。 僕たちはあの入社式で初めて会い、そしてその翌日からは「MAJEC」という戦場の中で、二人してもがき、のたうち、命からがら研修期間を送る『戦友』同士になった。 「僕なんか、最初の1週間が過ぎたとき、自分の人生に『来週』って時は来ないかも…ってマジで思いましたからね」 「あはは〜、それ冗談に聞こえないわ」 左手をヒラヒラさせて答える春奈さんの右手は、もう次の中ジョッキを握っている。 目の前のこの王子さま系美人は『甘木春奈』さん。僕より2歳年上の24歳だ。 その容姿は言わずもがな。 背が高くて身のこなしも綺麗。 頭の方は「東大大学院卒」ってことで保証書つき。 もっとも、MAJEC自体がさほど『学歴主義』じゃないし、社員の出身校なんかもバラバラで、学閥なんてものも存在しないから、それはあんまり関係ないのかも知れないけど。 でも、その『学歴主義』ではないMAJECでも、その中枢で働いていくためには、英語の他に最低でももう一つ外国語を身につけていないといけない。 だから僕も、英語の他に、目下ドイツ語を勉強中の身なんだ。 だけど、春奈さんはこの歳ですでに――てっきり帰国子女だと思ってたら、違ったんだけど――『英・独・日・仏・伊』の5カ国語を操るんだ。 ドイツ語とイタリア語はビジネス会話までOKだそうで、英語とフランス語に至ってはなんと『ケンカ』もできるらしい。 もっともフランス語のケンカなんて見たくも聞きたくもないけどね。だって迫力無さそうじゃない? それに春奈さん自身、『世界中何処へ行っても、一番のケンカに適してる言語は関西弁だと思うわ』っていってるし。 まあ、そんなわけで入社当初は激しく彼女にライバル意識を燃やしていた僕も、『今の時点では完全に負けている』と気がついてからは、まずは彼女を目標に頑張ろうと心に決め、地獄の研修期間を二人、励まし合いながら何とかやってきたってわけだ。 「それにしても、聞きしにまさる少数精鋭主義よね」 そうぼやいた春奈さんの2つ目のジョッキには、もう半分もビールは残ってない。 「ホントですね…。ああも人数が少ないとは…」 MAJEC本社の社員数が少ないってことはよく知られていることなんだけど、入ってみて改めて驚いた。 どの部署にも仕事は溢れかえっているのに、人は数えられるほどしかいないんだ。 「なのに、私たちってかえって足手まといになってるのよね」 …やんなっちゃうわ……と続けて、春奈さんは残りを一気に飲み干した。 そう、まさしく『猫の手も借りたい』ってほどの忙しさのはずなんだ。 あの仕事の量と人数からすると。 確かにみんな、忙しく働いているには違いない。暇そうな人なんて、誰一人としていないから。 でも、みんな自分の仕事をきちんとこなしていて、残業も並か…もしかしたら並以下…くらいにしかしていないんだ。 しかも、週休二日は完全に確保されていて…。 「どうしてあの人数であの仕事量がこなせるんでしょうね」 僕が口にした疑問に、春奈さんは大きく頷く。 「ほんとよね、まったく…。新卒採用はさておき、ヘッドハンティングの腕と言い、適材適所の人事と言い…『第一秘書、恐るべし』…だわね」 『新卒採用はさておき』ってのは、春奈さん自身の謙遜だとしても、それにしても…。 どうしてここで『小倉和彦』の名がでるわけ? 唐突に現れた『MAJEC秘書室長・天下無敵の第1秘書』の名前に、僕は動揺してしまう。 「どういうことです?」 「あらやだ、知らないの?」 春奈さんは空になったジョッキを傾けたついでに、首もかしげた。 「MAJECに人事部がないの、何故だと思う?」 え?ああ…そう言えば、人事部ってなかったっけ? そう思った心の中が、そのまま顔にでたらしい。 春奈さんはちょっと眉を寄せた。 「やだ、淳君、もしかしてそれも知らないとか?」 「や。まあ、あはは…」 笑って誤魔化す僕に、呆れた視線を投げてから、春奈さんはちょっと遠くを見る。 「何故、MAJECに人事部がないか…」 僕は余計なチャチャを入れずに黙って次の言葉を待つ。 春奈さんは、その視線とともに、ぴしっと伸ばした人差し指を僕に向けた。 そして、驚愕の事実を口にしたんだ。 「MAJECはね、小倉和彦自身が人事部そのものなのよ」 「え……ええっ?!」 な、なに?それっ? 第1秘書が人事を握ってるって? 驚いた僕に、春奈さんは満足そうに微笑むと、通りかかった店員にまたしても中ジョッキを2杯追加してから、ため息をついた。 「びっくりよね〜。若干29歳。私よりたった5つ上なだけよ。それが世界的企業の人事権を握ってるっていうんだからぁ〜」 僕はその話を聞いてかなり青くなった。いや、ホントに。 だって…。 「あれ?淳君、顔色悪いよ。どしたの?」 春奈さんがニュッと、綺麗な顔をつきだしてくる。 「も、僕の未来はないかも…」 「はぁ?ど〜ゆ〜こと?」 だって…。 「僕、秘書室長に嫌われてます…」 そう。 かなり印象の悪かった初対面以来、僕はどうもあの人――秘書室長であり第1秘書である小倉和彦――が苦手なんだ。 幸か不幸か、研修中のぺーぺー社員に第1秘書との接点はほとんどないから、仕事絡みで顔を合わせることは皆無だ。 でも、世界中を飛び回っているはずの会長がなぜか数日に一度、僕が研修をしている現場に現れると、その側には当然第1秘書の姿があって……。 会長はすごく気さくな人で、よく若い社員の中に混じって話をしてるんだ。 それは以前からのことだそうで、たまに本社にいるときでも、それこそ来客の時くらいしか会長室にいないんだそうだ。 そういえば、今朝もそうだったっけ。 |
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『おはよう、甘木君。今日も美しいね』 ヘタをするとセクハラにもなりかねない言葉でも、会長が言うと『いやらしさ』がないから不思議だ。 それにさりげなく一定の距離をあけていて、絶対触れたりとかしないし。 視線が優しくて温かいせいもあるんだろうな。 『おはようございます、会長。恐れ入ります』 そして、この、春奈さんのこなれた応対ぶり……。 僕も、こんな春奈さんのスマートさを真似ようとするんだけれど……。 『やあ、長岡君。今日も可愛いね』 極上の微笑みつきで『可愛いね』…といわれて、僕はやっぱり……焦る。 これが『今日も元気そうだね』とか『研修の具合はどうだ?』…なんて言葉なら、僕だって、『おかげさまで』とか『ありがとございます』とかすんなり言えるんだけど、結局僕の口から漏れるのは……。 『か、会長……ご冗談は……』 な〜んて間抜けな言葉だったりするんだ。 『冗談なものか。可愛い社員が一生懸命働いている姿は事業主にとって何よりの栄養剤だからな』 会長は大げさに『心外だな』と言わんばかりに目を見開いて、そして、さりげなく僕の肩をギュッと抱き寄せた。 女性社員には絶対触らないクセに、男性社員にはこれだもんなぁ。 まあ、入社してから『この人』に会えるまで、一体何年かかるだろうかと考えていた僕にとっては、思いもよらない『うれしい誤算』ではあるから、この程度のことは不問に付すとして……。 でも! 会長の斜め後ろから何とも言えない視線を投げてくる秘書室長の姿は、僕はとうてい『不問に付す』わけにはいかなくて……。 『会長、長岡を甘やかさないで下さい』 う。今日も来た……。 春奈さんの時には絶対に言わないクセに、どうしてだか僕の時だけ、この人は言うんだ。 『甘やかさないで下さい』『つけあがりますから』……。 挙げ句の果てには『仕事もろくに覚えていないうちから余計なことを教えないで下さい』だもんな。 そう、会長だって、今朝、呆れたような声で言ったじゃないか。 『お前は長岡の事になると異常に厳しいな』…って。 これを嫌われているといわずになんという……ってんだ。 |
☆.。.:*・゜ |
「はは〜ん、秘書室長に嫌われちゃあ、先の見込みはないってことか?」 追加でやって来た中ジョッキをまたしても一気でほとんど空にして、春奈さんは『うふふ』と笑う。 「そういうことです」 僕は神妙に頷くんだけど…。 「でも、私の目にはそうは見えないけどな」 え?ホントに? 「そう…ですか?」 僕はほんのちょっとの希望を込めて、春奈さんをジッと見た。 すると春奈さんはニヤッと笑って…。 「アレはね、嫌われてるんじゃなくて、おちょくられてるのよ」 ……ったく……。 「…それって、余計に始末が悪いと思いません…?」 「どして?」 「おちょくられてるってことは…」 「存在を認められてない?」 ……春奈さん…あなたはどうしてそう、察しがいいんですか…。 そりゃあ、まだなんにもできない僕が、『認められたい』だなんておこがましい話だとは思うけれど……。 「あはは〜、淳君、考えすぎだってば」 春奈さんは脳天気に笑うけど…。 「よっしゃ、週明けからの秘書室研修、まずは私がしっかり『小倉和彦』なる人物を観察してきてあげるから、淳君は安心して研究所へいっといで」 豪快に笑いながら、僕の背をバンバン叩く春奈さん…。 そう、入社以来、ずっと二人でなぐさめ合い、励まし合いつつやって来た日々も今日で終わり。 週明けから始まる『研修期間最後の1ヶ月』で、僕らはバラバラになるんだ。 まず春奈さんが2週間「秘書室研修」をして、その後「研究所」へ行く。 そして、僕のスケジュールはその反対なんだ。 「2週間後には『小倉和彦攻略マニュアル』ができてるかもよ?」 「春奈さん〜、僕、それマジで期待しちゃいますよ〜」 悪戯っぽくウィンクした春奈さんに、僕は真剣に縋ってしまいそうになる。 「OK、OK!春奈ねえさんに任せておきなさいって。…あ、淳君、ジョッキ空いてないじゃんっ」 こうして僕らは、現実逃避するかのように、終電まで飲み続け、土日を死んだように眠ったのだった。 そして…。 僕はMAJEC入社以来、初めてとも言える穏やかでのんびりした2週間を研究所で送り……もともと畑違いだしね……本社へと戻ってきた。 今日から恐怖の秘書室研修だ。 昨夜、この2週間一度も連絡がとれなかった春奈さんを漸く携帯で捕まえた。 もちろん、研修の様子を聞くためだ。 研修はとても充実していたらしく、春奈さんは『私、秘書室の水ってすごく合うかも!』って喜んでた。 それはそれで、僕は素直に『よかったですね』って答えられた。 だって、もう、春奈さんはライバルじゃなかったから。 僕よりも何倍も聡くて出来のいい春奈さん。 もしどちらかが秘書室に入れるとしたら、当然、彼女だろう。 もちろん僕は諦めたわけじゃない。 秘書室に入ってあの人の側で働く…。 何年も前から抱いてきた夢を、そうそう諦めるわけにはいかないんだ。 だから、今回はダメでも、いつの日にか秘書室に入れるように必死で頑張るしかない。 そして、その最大のハードルが『秘書室長・小倉和彦』だ。 僕は春奈さんに言った。 「室長の攻略マニュアル、どうなりました?」って。 そしたら春奈さん、言ったんだ…。 『小倉和彦に弱点はないわ』って…。 でも、携帯に向かって情けない声を出した僕に、春奈さんは今度は温かい声でこう言った。 『嘘よ。私ね、多分、室長のとんでもない弱点を見つけたと思うわ』 ええっ?小倉和彦の『とんでもない弱点』っ?! 僕はその情報に、生唾を飲み込んで春奈さんの次の言葉を待った。 けれど、春奈さんの口からでたのは…。 『でもね、それを教えてあげるわけにはいかないわ。これは淳君自身が見つけないと意味がないと思うから』 瞬間、がっくりきたものの、僕はその声の温かさに、春奈さんが決して意地悪で言ってるのではないと直感的に悟った。 『僕自身が見つけないと意味がない』 たった2週間で室長の弱点を見つけたという春奈さん。 僕にそれができるんだろうか…? いや、それ以前に、僕は『秘書室研修』を無事乗り切ることができるんだろうか? 大きく一つ、深呼吸をして僕は秘書室のドアの前に立つ。 「よっし!」 気合い一発。 元気よくノックしてドアを開けた僕を待っていたのは…。 「長岡、遅いぞ」 室長の冷たい視線だった…。 遅いって…。 始業1時間前ですよ…。 |
END |
続編:誘惑の33階〜予告 「小倉さんっ!いらっしゃい!」 扉を開けたのはいかにも利発そうな男の子。 年の頃は15くらいかな? 「お待たせしました、智雪くん」 僕は、聞いたこともないような優しい口調の室長に、唖然となった。 |