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「見つけたぞ、朱那」 何よりも耳に馴染んでいる愛しい人の声が、嬉しそうに、でもまったく聞き覚えのない名前を呼んだのと同時に、僕の視界が真っ暗になった。 温かい手。 この手のぬくもりにも僕はすっかり馴染んでいて、そのよく知った手はすぐに僕の視界を解放して、そのまま後ろから僕を抱きすくめる。 「どこへ行ったのかと心配したではないか」 かすかに薫る、深い森を思わせる穏やかな香りも、間違いなくあの人のもの。 「祭事の時間になっても戻らないと、女官たちも探していたぞ」 けれど、僕の胸に回された逞しい腕が纏うのは、見たこともないような鮮やかな群青の、着物のようで着物でない、縁飾りの入ったゆったりとした不思議な袖。 「どうした? 朱那、具合でも悪いのか?」 少し慌てたように声色が変わり、その腕は僕をくるっとひっくり返して、そして目と目があった。 間違いなく、それは僕の愛しい人。 同じ職場に勤める同僚であり、一緒に暮らす恋人である……。 でも…髪型が全然違う。 いつものすっきりした短髪ではなくて、後ろに高く、すっきりと結わえられた長い髪が艶を放って輝いている。 そして、歴史の教科書でしか見たことがないような、裾の長い、重ね着の美しい衣。 この人は……誰? 「朱那? 大丈夫か? 朱那、しっかりしろっ」 誰? 誰のことを呼んでいるの? 僕は「しゅな」なんて名前じゃない。 どうして、その口で心配そうに、僕ではない人の名を呼ぶの? 「漣基、どうしたの? 朱那、見つかった?」 「翔凜! 朱那の様子がおかしいんだ!」 僕をぎゅっと抱きしめて、「れんき」と呼ばれた僕の恋人が、背後を振り返った。 「え?!」 ぱたぱたっ…と音がして、僕をのぞき込んだのは、とても愛らしい顔をした、かなりの美少年。 「朱那、大丈夫? 熱は? 気持ち悪かったりしない?」 そういいながら僕のおでこにひんやりとした手を当てる彼は、やっぱりよく見知った顔。 僕たちの会社が全面支援している、大規模な遺跡発掘チームの責任者である、某国立大学の若き准教授だ。 彼もまた、僕を抱きしめている、恋人の顔をした知らない人と同じように…ううん、それ以上に立派で艶やかな衣装を纏って、その頭には冠すらある。 そして、気がついた。 僕もまた、同じような着物を着て、やっぱり頭には何か被っている。 この感触は、普段の僕にはあまり馴染みはないものだけど、多分……絹。それもかなり上等な。 ここは、いったい何処? 少なくとも、今僕が暮らす日本じゃない。 でも、何故だか言葉はわかる。 「へ…平気、だから。…どこも悪く…ないから」 ともかく、このわけのわからない状況から離れなければ…と、腕を突っ張って逃れようとしたんだけれど、何もかもが僕と桁違いに大きな、「れんき」と呼ばれる僕の恋人から逃れることはとうていできなくて、それどころか僕は難なく抱き上げられてしまった。 「翔凜。大切な祭事なのに悪いが、朱那は休ませる」 「うん、その方がいいよ。朱那の代わりは悠風に頼むから心配しないでゆっくり休ませてあげて。華蘭に侍医を呼ぶように言っておくから」 「ああ、頼む」 引き締まった顔で頷くと、「れんき」は僕を包み込んだまま、早足で歩き出した。 ![]() 「拝見しましたところ、これと言った大事は見受けられません。おそらく、少しばかりお疲れが出たのでしょう。ここのところ、随分とお忙しゅうございましたから」 優しい顔つきの白髪の人が、脈を取っていたらしき僕の手首をそっと掛布の中へ戻した。 「…そうか、よかった…」 心底安堵したように息をつき、「れんき」は僕の頭をそっと撫でる。 「2、3日ゆっくりお休みになられることです。なんと申しましても、朱那さまはこの国の要、宰相の君であられますのですから、人民のためにも、ご健康でいただかねばなりません」 宰相…? 僕が? …ううん、僕じゃなくて、「しゅな」が…だ。 「そうだな、しばらく休暇を取らせることにしよう」 「それがよろしいかと存じます」 お医者さんらしき人は、僕と「れんき」に深く膝を折って、出て行った。 その後ろ姿を見送りながら、僕は部屋の中をそっと見渡す。 あちらこちらにはランプの優しい明かり。 蝋燭も混じってる。 電気に慣れた僕の目には、かなり暗いけれど、でもなんだか落ち着く感じ。 部屋はかなり広くて天井も高い。 ベッドには天蓋もついていて、雰囲気は、何年か前に大二郎さんと行った、南国のリゾートホテルの、オリエンタルなコテージって感じ。 「気分はどうだ?」 優しくほほえんで、優しく髪を梳かれると、いつもと変わらない夜のような気がしてくる。 気分は…悪くないんだ。 ただ、訳がわからないだけで。 今は…いつ? ここは何処? 恐ろしくて考えたくもないんだけれど、でも、見えている範囲で判断するとしたら……もしかすると、ずっとずっと…、昔……? だって……電気もなさそうだし。 いつまでも返事をしない僕に、「れんき」の表情が不安げに変わった。 「朱那…」 「…あ、あの、大丈夫」 とりあえず…と、僕は慌てて返事をしたのだけれど、彼の不安げな様子は変わらない。 「本当に?」 「うん、平気」 そう言った僕に、「れんき」は一瞬不思議そうな顔をして見せたけれど、やっとまた、優しい笑顔に戻った。 そして、その笑顔が、吐息が触れそうなほど近づいて…。 深い深い、キス。 その感触も、いつもと同じ、僕の大事な大事な恋人のもの。 なのに彼は「れんき」で、僕は「しゅな」。 僕は「宰相」で、彼は…何者? 僕はここで、このままで、どうなっちゃうんだろう。 「朱那、愛してる…」 愛には包まれているみたいなんだけれど、ここでは僕は「しゅな」であって、『学』じゃない。 名前がどうあれ、僕が僕であることに違いはないんだけれど、そんなことより、何よりも、僕の一番大切なこの人が、僕を知らない名前で呼ぶのが……辛い。 ![]() 「どうした? 大丈夫かっ?!」 揺すられて、僕は目を覚ました。 「……あ…」 やっぱり目の前には心配そうな恋人の顔。 「ずいぶんうなされていたぞ」 けれどそれは、艶やかな黒髪でも長く豪奢な衣装でもなく、いつものすっきりした短髪に、お気に入りのパジャマ。 「悪い夢でも見たか?」 そう言いながら、優しく僕を抱きしめて、ゆっくりを背中をさすってくれる。 「…ううん…何でもないよ…」 そう、確かに夢を見た。 驚いて、どうしようかと焦ったけれど、悪い夢ではなかった。 だって、出会った人はみんな知った顔で、そして、みんな優しくて。 もしかしたら、僕たちはずっとずっと昔から、恋人同士だったのかもしれないね。 遠い国で、出会って恋して、一生懸命に生きていたのかもしれない。 それならきっと、ずっとずっと未来もまた、僕たちはきっと恋人同士でいられるに違いない。 そうであって欲しい…絶対に。 そう願って、僕は恋人の胸に顔を埋め、目を閉じた。 「久しぶりの連休だからな、ゆっくり休め…」 愛しい声が、遠くなり、僕はまた眠りに落ちる。 今度同じ夢を見ても、もう僕は不安に思わないだろう。 名前は違っても、僕は僕で、彼は彼…なのだから。 「まな…愛してる」 うん…僕……も。 END |
2011.4.1限定UP
2013.10.27再UP
というわけで、「天空」に見えて実は「秘書室」だったという、
4月1日のエイプリルフール限定UPだった「ええっ?!…な話、でも夢オチ」でございました。
『そしてまた、巡り会う。』で、
ちらっと、「朱那たちはいったいどんな風に生まれ変わったのか」…を書いたのですが、
あまりにも「ちらっと」過ぎて、かえって
『淳くんなのか、まなちゃんなのか、どっち〜!?』…と、混乱させてしまっていましたので(笑)、
ちょっとネタばらしの意味もございました。
お楽しみいただけたなら、幸いです☆
(『I Love まりちゃん』&『秘書室』未読の方は、この機会にぜひどうぞ〜)
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