第1章「遠い過去への旅立ち」





「歩、疲れただろう?」 

 日本を離れて、すでに十二時間が経とうとしている。

 飛行機ではわずか六時間。そう遠い距離ではない。
 が、空港からいったい何キロ――いや、何十キロ――いや、何百キロ、バスに揺られたろうか。

「ううん。」

 言葉少なく返してくる歩の思いは、すでに進行方向、遙か向こうに飛んでいる。

 その視線の先を感じ、龍也もまた、同じ方向へ視線を移す。




 彼らの指導者である阪本教授を団長に、研究室の選抜隊が向かうのは、大陸の中央あたりに広がる大遺跡群だった。

 ごく最近、ほんの15年ほど前まで、誰に知られることなくひっそりと土に埋まっていた大遺跡群を確認したことは、阪本教授を一躍、この世界の第一人者に押し上げた。

 歩が読んだ著書も、この遺跡群の謎にまつわるものだった。


 いつか必ず、行ってみたい…。
 この目で、見てみたい。


 今、その夢が叶いつつある。
 歩と龍也は、調査団の一員として、同行を許されたのだ。

 大規模なプロジェクトチームが組まれ、発掘作業が繰り返されたが、遺構の範囲はあまりに大きく、その全容を現すにはまだまだ年月がかかりそうだ。




「どこへ行ったんだろう…?」
 歩が呟いた。

「何?」
 尋ね返す龍也に歩は小さく頭を振り、続ける。

「高度な文明の跡だよね。……たくさんの人が生きて、愛して、泣いて、笑って、そして死んでいった。 …その、たくさんの人たちはどこへ行ってしまったんだろう?」

 目を伏せた歩の肩に手を回し、 龍也が耳元に唇を寄せる。

「空へ登ったんだよ、きっと。」
「空?」
「そう、みんな天へと登っていったんだ。」

 歩は怪訝な顔をして 龍也を見上げる。

 いくら、この世界では『想像力』が大切とは言え、学者を目指す者の言葉とは思えない、超ロマンチストな発言だ。

 龍也とらしいと言えば、それまでなのだが。


「ほら、この遺跡では同じモチーフの壁画やレリーフがたくさん発見されている。」

「"空飛ぶ人"のことだね。」

 歩は調査資料で見た、寺院跡の塀のレリーフを思い出した。

 まるで天女が舞っているかのように描かれている。
 そして、足元にはそれを見上げる大勢の人々。

 この地に存在したと思われる『信仰』。
 それは現在仮に『天空信仰』と名付けられている。

 すべてを創造した唯一神が、天高く君臨し、その意志を告げるために『天の子』が降りて来るという…。
 
 そしてそれは、この遺跡の年代の頃、もしくはその年代以降には、この大陸に広く伝わっていたのではないかと推測したのもまた、阪本教授である。


「でも、飛んでいたのは一人だ。それとも、そのたった一人がこんな大きな規模の街の人、みんなを連れていったとでも言う?」

 反論する歩に、龍也は周りに聞こえないように囁いた。

「俺は歩さえ助かればそれでいいんだ。だから迎えに来るのは俺一人でいい」

「じゃ、龍也はやっぱり…」

「そう、ここの文明は、ある時突然滅んだ。 『天変地異』と言う阪本先生の説は当たりだと思うね」

 龍也は、歩の肩を抱く手に力を込めた。
 けれど歩は安易に同意はしない。

「でも、だからこそおかしいと思わない? 同年代の他の遺跡からはたくさんの人骨が出てる。なのに、ここだけは何も出ない。 これだけの規模の街なのに、生き物の痕跡がまるで出ない。人がいた痕跡はこれでもかっていうくらいあるのに、人そのものの姿はどこにもないなんて…」
 
 歩は素直に抱かれたまま、龍也を見上げる。
 その表情には若干の疲労。

「転変地異だとしたら、ここのいたはずの人は、どこへ、どうやって逃れたっていうんだろう…」

 この言葉は独り言になって落ちた。





 やがてバスは狭い山道を抜け、目的の地が目前に広がった。 

 空に近く、雲に抱かれているように広がる高原は、緑濃い地域と、乾いた砂の地域に綺麗に二分されている。

 そして、小さな町の向こう側、照りつける光の中に石柱がそそり立つ。
 それは、初期段階で発掘され、綿密な測定の元、復元されものだ。

 歩は眩しさに目を細めて石柱を見上げる。

 それは、まるで天に突き刺さっているかのようだ。






 その日、一行が落ち着いたのは、遺跡発見以来、押し掛けてくる観光客のために急遽建てられたいくつかの宿のうちの一つ、各部屋にシャワーがついている、当地では高級な宿だった。

 調査団は、この地では破格の待遇を受けられる。
 彼らの調査が進むごとに、観光客が増えるからだ。
 他には何にもないけれど。






 やがて日が暮れてしまうと、街灯のない表へでる人もなく、ざわめいているのは肩寄せ合って立っている、いくつかの宿の中ばかり。

 しかし、夜が更けるにつれ、それら人の気配も寝静まり、この部屋の外には何も存在しないかのような静寂が訪れる。

 龍也はすでに小さな寝息をたてている。



 教授の陰謀で、二人は同室になった。

 龍也の腕の中で眠ることくらい、もう慣れたのものだが、歩は今、その腕の中で息を殺していた。
 
 

(何か聞こえる…)

 かすかに人の声…笑い声…風の囁きのような笛の音…。 


 表から聞こえる…?

 …違う…どこから…聞こえてくる…?


 街のざわめき…物売りの声…聞き覚えのある、祈りの声…。

 芳しい香の薫り…温かい腕…。

 そして…懐かしい…。


『りんりゅ…鈴瑠はどこだ…』



(あぁ…あれは、りゅうか…。竜翔の…声…だ…)