番外・前世編 「遙か東方のバザールにて」
【2】
「これは…」 「随分大きなバザールですね」 今までにもいくつものバザールを通って来た。 そこそこに活気のあるバザール、どこか鄙びたバザール、犯罪の渦巻くバザール…それこそいろいろなバザールを見てきたが、これほどまでに大きく、活気に溢れたバザールは見たことがない。 漣基を捜す旅もそろそろ二年になろうかという頃、翔凛と芳英は、大陸の東の果てまでやって来た。 采雲たちに留守を託した街からのここまでの、街道沿いの距離はしれている。 大きな街道だけを選び、真っ直ぐにここに向かっていれば、恐らくキャラバンでも一ヶ月はかからないだろう。 ましてや馬を使えばたかだか二週間程度の距離だ。 しかし、翔凛は、小さな街道の隅々まで、漣基の足跡を追って来たのだ。 しかも、たびたび、民を残してきた街へ戻りながら。 そのため、このように時が経ってしまったのだった。 遠くを眺めれば、小高い丘の頂に宮殿が見える。 どうやらいきなり国の中心に行き当たったようだ。 ならばバザールのこの活気にも納得がいく。 そして、この国自体が栄えているのだろう。 バザールの入り口で馬を下りた二人は、その人の多さと溢れる品物に目を丸くする。 「旅の人。喉が乾いてない? 甘くて美味しい果物がいっぱいあるよ」 果物を商っている天幕から声をかけてきたのは可愛い少女。 手には果汁の滴る黄色い瓜を持っている。 放つ芳香はあたりに満ちて…。 「翔凛様、いかがなさいます?」 「うん、僕はまだ大丈夫だけれど、芳英は?」 早朝に小さな宿場町を発ってから、まだ半日ほどしか経たないのに、ここへ辿り着いたのだ。 今はまだ、腹ごしらえよりも、好奇心が先に立つ。 「私も大丈夫ですよ。しかし…」 何か言いかけた芳英に、翔凛は頷いてみせる。 「では、その美味そうな瓜を一つ、もらおうか」 「はぁい、ありがとうございます~」 芳英は代金を払い、受け取った瓜を翔凛に渡すと、何げなく少女に語りかける。 「ここは随分と大きなバザールだね」 翔凛はじっと耳をすませている。 「ええ。五年前に内乱で滅びかかったとは思えないでしょう?」 少女の声はどこか誇らしげだ。 「内乱で?」 「そうなの。時の宰相が占い師にそそのかされて、内乱を起こして国王さまご一家を殺してしまったの。 第三の王子さまだけが乳母と共に逃れられたんだけど、まだお子さまでいらっしゃったからどうしようもなかったのですって」 「ほう、ならば誰がこの内乱を治めたのだ?」 「そう! それ!!」 少女は目を輝かせる。 そして、おとぎ話の冒険譚を語るように聞かせてくれたのだ。 乳母と二人、着のみ着のままで逃れた王子が、追われるままに西方へ向かったこと。 怪我と飢えと寒さで動けなくなっていたところを、馬に乗った、明らかにキャラバンとは違う旅装束の者たちに救われたこと。 そして、それが西方の皇子とその供であったこと。 「西方の皇子?」 初めて翔凛が口を開く。 少女は頬を染めて頷いた。 「そう。西方の皇子さま。 皇子さまの国は、災禍によって滅びたのですって。なんでも、星に導かれて東方へ来られたのだそうよ」 災禍で滅びた国の皇子が星に導かれ東方を目指す…。 「芳英…っ!」 瞳を大きく開いて見上げてくる翔凛に、芳英は力強く頷いて見せた。 「それで、その西方の皇子は…?」 話の続きを促すと、少女はぼうっと翔凛に見惚れていた瞳を慌てて戻す。 「そ、その皇子さまが、第三の王子さまを助けて、内乱を平定されたの。だから今この国は、その皇子さまに治められているのよ」 翔凛は思わず芳英の腕をグッと掴んだ。 それを芳英が反対側の手で、また力強く覆う。 「面白い話を聞かせてくれてありがとう」 手にはまだ瓜を持ったまま、翔凛がそう微笑みかけた。 「いいえ、どういたしまして。あら、瓜が乾いちゃったわ。はい、新しいの」 あっという間に切りたての瑞々しい瓜に取り替えられ、翔凛が慌てる。 「これは」 すかさず代金を払おうとした芳英の手を、少女が止めた。 「いいの、お客さんたち素敵だから。その代わり、また寄ってくれる?」 「もちろん」 そして『ありがとう』…と付け加えると、少女は照れくさそうに頬を掻く。 「あ、あの、さっきから気になっていたんだけど、それ、素敵ね」 翔凛の顔をちら…と伺いながら、少女は頬にあった指を翔凛の腰のあたりに向けた。 「ああ、これは大切な人からもらったものなんだ」 腰帯にさしてあるのは、翔凛の守り刀。 そしてその柄には、細工も見事な翡翠の飾り玉。 恐らく少女の目には魅力的な装身具に映るのであろう。 だが、少女の誉め言葉は方便のようで、視線はそちらではなく、翔凛の表情に釘付けだ。 その様子を芳英は不憫に思いながら黙って見守る。 本来ならば、何の心配事もなく勉学にいそしみ、そろそろ淡い思いも経験して、年相応な暮らしをしているはずなのに…。 翔凛が創雲郷を出てもう五年。 早くこの飾り玉の贈り主を見つけ、落ち着いた暮らしをさせて差し上げたい。 それから二言三言、軽口をたたき合い、二人がそのテントを離れる頃、その様子をじっと見つめていた一人の男が、機敏な動作で王宮へ向けて走り去ったことに誰も気がつかなかった。 |
「芳英」 「はい」 「どうにかしてこの国の王に目通りは叶わないだろうか」 バザールの外れ。 少し遠くに賑やかな様子を見ながら、大樹の木陰を選び、二人は座りこんで話をしていた。 「もし、この国の王が漣基様であるとすれば、翔凛様が名乗り出るだけで目通りは叶うと思われますが?」 しかし、翔凛は少し顔を曇らせる。 「けれど、漣基様は僕を覚えておいでだろうか? お目にかかったのは僕が三歳の時、一度きりだ」 珍しく気弱な翔凛を、芳英はそっと抱き寄せた。 「大丈夫です。漣基様は鈴瑠様ととても仲良くしておいででした。その鈴瑠様に瓜二つな翔凛様を、お忘れになられるはずなどありません」 鈴瑠の面差しを持つ自分。 そう思うと不思議と力づけられる。 いつもいつも、鈴瑠が見守ってくれている…。そんな気がして。 少しでも元気を取り戻したように見えた翔凛の手を取り、芳英は明るく言う。 「一度、王宮の側まで行って、様子を見て参りましょう」 「うん、そうだね」 さて…と、立ち上がりかけたとき、バザールの方が一段と騒がしくなった。 『我らが王!』 『救いの君!』 『国王様、どうかこれを!』 それは人々の熱狂的な叫び。 王が近くまで来ている? 翔凛はギュッと芳英にしがみつく。 芳英はそんな翔凛を懐深く強く抱き、一歩踏み出した。 『おう、いつもすまぬな。 だが、それらの品はお前たちの大事な糧だ。私になど捧げ出さず、せいぜい旅人に売って儲けるがいいぞ』 快活な声は楽しげだ。これがこの国の王の声…? そしてその言葉に人々の気はますます熱を帯びる。 『道をお開けしろっ、国王様は国事でお出ましだ!』 先触れがいるのだろう、やがて馬にのった数人が翔凛たちの視界に入った。 しかし、その服装だけを見ても、いったい誰が王なのかわからない。 見分けるとしたら…その鋭い瞳と漲る『気』のみ。 ふと一団の中の一人が鋭い視線を向けた。 その時。 「漣基様っ」 芳英が小さく叫んだ。 十年以上前、それもたった数日間の記憶だが間違いない。 あれは、漣基。 「いた!! 見つけたぞっ!!」 鋭い視線を向けた男が叫ぶ。全身を覆う、鮮烈な『気』。 馬上の一団は、あっという間に二人を取り囲んだ。 |