【1】




「おーい、そこのお兄さんっ。珍しい果物はどうだい? ついさっき、南の砂漠を越えて到着したばかりの珍しい果物だよ!」

「さあさあ世にも珍しい『消えてなくなる水』だよ。満水の瓶の中身があっと言う間に空っぽだ。そして逆さにすると、ほら不思議。また満水だ」

「そこの旅の人…。これから先のあんたの旅の運勢を占って進ぜよう…」



「やあ、このバザールは随分と活気づいているね」

 食べ物、飲み物、雑貨の数々、奇術に占い……数々の呼び込みを受け、苦笑しながら旅人が、こんがりと日焼けした売り子に尋ねる。

「そりゃあ、ここは王宮のお膝元のバザールだからね」

 そう答えると、その隣から手伝いの少年が口を挟む。

「しかも、来月には新しい王さまの戴冠式があるんだ! お祝いにあやかろうと、西方や南方からも大勢のキャラバンやってきて大賑わいさ!」


 得意げに語る少年に、旅人は納得したように頷き、そしてまたバザールを見回す。

「なるほど。だから、物だけではなく、旅芸人たちもこんなに集まっているわけか」

「そう言うこと!」




 東の大国。

 幾年か前に、時の宰相の突然の内乱によって荒らされたこの国は今、内乱の折りに王家の中で唯一生き残った第三王子に加勢して、国を救った若者によって治められている。

 その若者――王の名は漣基(れんき)。
 西方の国の第二皇子としてこの世に生を受けた彼は、国を治める父と兄に代わり、視察の為に諸国を旅する逞しい皇子であった。

 だが、その出自の国はもう無い。

 この国が内乱によって崩壊しかかっていた頃と、時としては同じ頃になるのだろうか。

 彼の国は、天変地異によってその長い歴史の幕を閉じたのだ。高度に発達した文明と、そして、愛する人たちを道連れに。


 帰るべき国を無くした彼に、救われた第三王子・悠風(ゆふ)はこの国の王位を捧げた。だが、漣基はそれを断り、跡形もなく消え去ったと伝え聞く国の様子をこの目で確かめようと再び旅立とうとした。


 だが、結局彼はここに留まった。

 甥の翔凛(しょうりん)が、災禍を逃れ東へ向かっていると知ったからだ。


 やがて二人はこの地で再会を果たし、漣基は王として、悠風は王太子として、翔凛は宰相となってこの国を治めてきた。

 漣基と翔凛がもたらした西方の文明を融合し、王国はさらに発展を遂げ、聡明な三人の若者の平和な国造りは着実に成果を上げてきた。

 そして、国の体制が安定し、国中が落ち着いて暫くしての頃、漣基は悠風に自らの退位を告げたのだ。

 自分の役目は終わったと。
 これからは悠風の、そして翔凛の時代なのだ…と。



 そんな漣基の思いを、悠風も翔凛も受け入れた。

 元々旅の空に生きてきた逞しい皇子。
 彼を一所に引き留めて置くことなど、彼にとっては残酷なことだとわかっていて、それでも自分たちは今まで甘えてきたのだから。


 漣基は退位が受け入れられると、兼ねてから考えていたことを口にした。


『再び、旅に出たい』


 どうしても確かめたいことがある。

 空に瞬いていた『吉兆の星と災いの星』。

 それらが指し示していた、国の行く末と、そして愛する人たちの最期。

 祈りの郷であった創雲郷は跡形もなく消え去り、父の治める都もまた同じ運命を辿ったと聞いた。


『もはや、何もない』


 何人もの旅人が『この目で見たのだから確かだ』…そう語った。

 だがそう聞かされてもこの目で確かめずにはいられない。

 そんな漣基の思いを、悠風も翔凛も正しく受け止めた。



『旅に出たい』


 そう言うであろう事はわかり切っていたが、『西方の災禍の後を、この目で確かめたい』と言われれば、掛ける言葉もない。

 悠風にとっても『国を無くす』ことの恐ろしさは身に滲みているし、翔凛にとってはそれこそ自身も当事者である話だ。

 だが翔凛にはここでの責任がある。
 多くの民を連れて災禍から逃れ、今や彼らもこの国の人間となった。そして自身は宰相であり、間もなく王太子…である。

『この目で確かめたい』という思いは同じだが、この国を離れるわけにはいかない。

 だから漣基に言った。

『僕の分まで、その目で確かめてきて。そして、必ず帰ってきて。帰ってきて僕に伝えて』…と。

 その言葉に漣基は笑顔で応えた。

『わかった。必ず戻ってきて報告するよ』…と。

 その答えに翔凛はほんの少し、目を潤ませて頷いた。





 そして、漣基の退位・悠風の即位まであと一月余りとなった、ある日。


「こっそり覗いてみたんだけど、いないんだよなー、これが」

「なーんだ。じゃあ、あの噂は嘘ってわけ?」

「ううん。実際他のバザールで見たって情報、多いんだ。確かにあの一座だって言ってるしー」


 そんな会話を耳に留め、漣基が立ち止まる。

 話し振りを聞くだけでは、市井の少年たちと何ら変わりはない。
 だがここは王宮の中庭だ。ここでこんな風にくつろいで会話を交わせる人間は限られている。


 国を治める者にとって、休日などというものはありはしないのだが、そんな中でも彼らはこうして執務の僅かな合間を縫って、中庭で香茶などを楽しみながら会話を交わしている。

 そう、快活に話をしていたのは、間もなくこの国の王となる悠風と王太子となる翔凛だ。


「楽しそうだな。何の話だ?」

 割って入れば、少し離れて控えていた女官がすかさず漣基の席と杯を用意する。
 色鮮やかな厚めの布に覆われた茶瓶は香りのよい茶を長く適温に保ってくれる。こういう時間を大切にしてきたこの国の、古くからの知恵だ。


「あ、漣基なら知ってるかも!」

 そう言って目を輝かせたのは翔凛。

「そうだよな。なんてったって、巡回警備兵よりもそういうことには詳しいもんな。うちの王さまはさー」

 茶化す悠風の額を軽く小突き、もう一度漣基は何の話だ…と確かめる。


「聞いたことない? まるで金糸雀(カナリア)のような声で歌う男の子の話」

「金糸雀? 鳥の、金糸雀だよな?」


「そう。男の子なのにすっごく綺麗な声をしていて、その歌声を聞いた者はみんな虜になってしまうって評判なんだ」

「へ〜」

 気のなさそうな漣基の相づちに、しかし翔凛は構わずに続ける。


「でさ、その子がいる旅の一座が今、このバザールに来て興行してるって聞いたから見に行ってみたんだけど…」

「いないってわけか」

「そう。一回聞いてみたかったんだけどなあ」


 漣基も知らないのか…と、心底残念そうに言う、何にでも好奇心旺盛な翔凛らしい言葉に、漣基は優しげな笑みを漏らしながらも呆れたように肩を竦めてみせる。


「それにしてもお前は相変わらずバザールに出没してるんだな。そろそろ王太子になる自覚をもったらどうだ?」

「はい〜? 漣基に言われたくないよ。王さまのくせに巡回警備団に混じってウロウロしてるのは誰?」

「そりゃあ国を治めるものとしてはこの目で国中の出来事を確かめるのが一番だからな」

「その言葉、そっくり返すよ。僕だって、バザールに出て交易の状況をこの目で確かめてるんだからね」


 二人の会話に、悠風がプッと吹きだした。


「あはは。こう言うやりとりをを見ていると、漣基と翔凛は血が繋がってるんだなあってつくづく納得させられるね。やってること、そっくりだって自覚ある?」

 不敵に笑って痛いところをつかれ、漣基と翔凛が押し黙る。
 そんな様も――決して面立ちが似ているわけではないのに――よく似ていることに二人は気付いているだろうか。


「ともかく」

 漣基が杯から一口飲み、翔凛を見る。

「その『金糸雀のような声で歌う少年』は、ここには来ていないってことだ」

「…だね」


 残念そうに落ちる翔凛の肩を、悠風がそっと抱き寄せる。

 どうやら漣基は知らない様子だが、翔凛が『金糸雀のような歌声の少年』に関心を示すのにはわけがあった。


 翔凛にとって、とてもとても大切だった人――父親の側近であり、翔凛本人の教育係であった鈴瑠という人――が、大層綺麗な声で子守歌を歌ってくれたのが忘れられないというのだ。

『鈴瑠の歌声はいくつになっても女の子のように細くて可愛らしい声でね。父上の前では恥ずかしいからって滅多に歌わなかったんだけど、僕が眠るときにはいつも小さな声で歌ってくれたんだ』


 遠い目でそう語り、少し涙を溜めた綺麗な瞳が不憫で、その夜はついついしつこく――いつもに増して――構ってしまった。

 その結果、翌朝寝台から起き上がる事ができなくなってしまった翔凛の様子について、女官長相手に必死で言い訳したのは永遠に内緒だけれど。


「まあ、旅芸人なんていっぱいいるし、ここは都のバザールだからな。ここへ回ってこない旅芸人なんていやしないから、そのうちきっと会えるって。それに、護蓬(ごほう)たちが近々戻ってくるだろうから、情報を集めてもらえばいいよ」


 悠風が口にした「護蓬」というのは、やはり芸人たちを率いて諸国を旅する齢四十ほどの恰幅のある男なのだが、ずっと以前――漣基がこの国に来る前のこと――山中で盗賊に出くわして絶対絶命のところを漣基たち一行に救われてからすっかり漣基に心酔してしまい、以来諸国を旅しながら情報を集め、伝達する役目を担った、漣基の良き臣下となっている。


 王宮付きの巡視団と違い、民と同じ視点で見聞きされる情報は、今や王国にとって重要なものだ。

 言いながら肩をあやすように叩いてやると、子供扱いされたことへの不満か、はたまた女官たちの手前照れくさい――今さら、だが――のか、ペシっとその手の甲をはたいて、翔凛はぷうっと膨れて見せた。


 ――そんな顔も可愛いんだけど。


 悠風の小さな呟きが聞こえたはずはないのだが、漣基は『勝手にやってろ』とばかり、呆れたように肩を竦めた。