番外・前世編 「祈りの香、芳る郷」

【3】


 


 夕餉の席。

 多数のキャラバンが行き交い大規模な交易が行われている都と違い、手に入る食物の種類は限られているが、それでも都にはない植物がここには多く、この土地ならではの食材が並ぶ食卓に、悠風は上機嫌でついていた。



「これは…なんだ?」

 大きな椀の中、湯気の中に見えるのは半透明な白い球体。
 見たことのない野菜を示して悠風が采雲に問う。

「それは、百合の花の仲間で球茎の部分を食すものです。生ですと刺激が強く若干の辛みがありますが、火を通すと甘くなるのが特徴です」

「百合の花の…」

 その驚いた顔を、翔凛はついじっと見つめてしまう。

「翔凛は、創雲郷でもこれを食べていたのか?」

 そしていきなり話を振られて言葉に詰まる。

「あ、う、うん、食べてた。 生はあんまり好きじゃないけど。焼いたのとか煮たのは好き」 

「そうか、好きか。 では采雲、これの栽培は都では可能だろうか?」

「はい、難しい植物ではありませんので、恐らく可能かと」

 食事を進めながら、悠風は薬草や野菜についていろいろと采雲に質問を投げかけた。

 采雲はその一つ一つに丁寧に解説を加える。

 和やかに食事が進む中、やがて、悠風は一つの提案を持ち出した。



「どうだろうか、采雲。 この街で栽培されている薬草や野菜を交易に用いるというのは」

 共に…と誘われ食卓を並べていた采雲は、匙を持つ手を止めて、じっと悠風の顔を見る。

「交易に…でございますか」

「そうだ。この地で育つものは乾燥に強い。砂漠を越えて交易するキャラバンには都合のいいものだからな」

「そうですね。この地へ種をまき、苗を植えて五年ほどになりますが、強い品種を選んで持ってきたとはいえ、予想していた以上の成果が上がったと思います」



 竜瑠の街は乾燥地帯だ。 
 だが、かなり深いが質のいい水源がある。
 それを采雲たちは上手く利用してこの街を緑溢れる場所にしたのだ。



「でも」

 翔凛が口を開いた。

「このままでは、ここより東との交易は厳しいと思うけれど」

 この地より東へ行くに連れ、空気は湿り気を帯びていく。
 乾燥に強い植物は、どの程度まで湿気に耐えうるのか。

「そこだ」

 話が核心に近づいたのか、悠風が食事の手を完全に止めた。

「ここより東…都やその周辺の海岸地域の湿った環境でも扱えるようなものが欲しいと思うのだが」

「品種の改良…でございますか…」

「そういうことになるな」

「でも、ここで湿気に強い品種への改良は無理だよ。かといって、いきなり都へ持ち込んで駄目にしてしまっては元も子もないし」



 確かにこの地と都の気候はかなり違う。体調を崩す…と言うほどの差でもないのだが。



「もちろんそうだ」

 悠風は王太子の顔で、宰相に頷いてみせる。

「そこでだ」

 その策のありげな様子に翔凛も采雲もわずかに身を乗り出す。

「都からここまでの道のりにちょうど良いところがある」

「どのあたり?」

「そうだな。 ちょうど中間あたりになると思うのだが、その土地の様子をこの一年間調べさせていたんだ」


 …いつの間に。

 翔凛は悠風のそういう動きをまったく把握していなかった。

 そして、その言葉にやはり悠風は、ただ自分を迎えに来るためだけに二週間の道のりをやってきたわけではなかったのだと知る。

 これから先、国の繁栄にも大きくかかわって来るであろう最初の一歩。

 そのために、王太子は自ら足を運んで、その目で確かめているのだ。

 だが…。

 夕暮れの石窟でのやりとりとは裏腹に、そのことが翔凛の心を塞ぐことはなかった。

 やはり、王太子然としている悠風は見惚れてしまうほど格好が良く、頼りになるのだ。

 ただ…。

「それ、どうして僕には何の相談もなかったわけ?」

 宰相としては、一言耳に入れておいて欲しかった話である。

「ああ、それはだな、その地が使える土地だとわかってから、翔凛と…そして采雲に聞いてもらおうと思っていたからだ」

「…と申されますと…」

 名を出されて、采雲も答える。

「うん、なかなか良い土地だと思えるんだ」

 悠風によると、その土地はこことさほどかわりのない標高にもかかわらず、季節の移ろいがかなりはっきりしているのだという。

 寒い、暑い、湿っている、乾いている…そんな気候が一年を通じて巡ってくるところ。


「そう言う土地での品種改良は、最初は苦労もあろうかと思うのだが、結果的に『強い品種』を育てられるのではないかと思うんだ」

「確かにそうかも知れません。 それに、ここからそう遠くない地にそのような場所があれば、失敗の折りにも『やり直す』という作業が容易になるでしょうから」

 采雲の言葉に、悠風は深く頷いた。

「そこでだ。…私はそこに、国中の薬草や植物の栽培、改良を行う拠点を創り、都と竜瑠を繋ぐ街として発展させたいと考えている。 そして…」


 言葉がいったん途切れる。

 悠風の瞳がまっすぐに翔凛を見つめ…。


「この竜瑠の街の民を受け入れてはどうかと思っている」

 その言葉に、翔凛は驚いたように目を瞠ったあと、采雲と顔を見合わせた。

 采雲もまた、珍しく驚いたようで…。

 しかし。 そんな二人の様子にかまわず、悠風は続けた。

「この街も、かなり人が増えたと思う。キャラバンが行き交い、バザールが開かれ…。もちろん街が賑やかに繁栄するのは喜ばしいことだが…」

 だがすぐにまた、言葉は途切れた。

 そして、その一瞬、悠風の頬がほんのり赤らんだのを采雲は見逃してはいなかった。



「…その、私は…創雲郷を知らない」

 翔凛が首を傾げた。話の行方が見えなくなったからだ。
 なぜ、いきなり創雲郷なのか。



「知らないが、だが、翔凛や漣基、采雲、それに芳英からもたくさんの話を聞いた。そして、私なりに創雲郷と言うものがどんなところであったのか、想像はしていたんだ」

 ますます話は見えなくなる。

「悠風…いったい…」

 何が言いたいの?

 そう言おうとした翔凛を、悠風が勢い込んで遮った。

「ここを、創雲郷にしたいんだ」
「へ?」
「…悠風様…」 


 悠風の瞳は、それは真摯な色を帯びていて。

「ここを、創雲郷のような、静かな祈りの郷にしたいんだ…」

 そして、まるで願い事を唱えるかのように言う。

「翔凛が生まれ育った、静かで穏やかな、祈りの郷に」 



 確かにここ竜瑠の街は、人が増えた。
 だが、増えたのは僧ではなく民。

 もともと創雲郷の麓から逃れてきた者たちで、信仰心の厚い民たちではあるが、それでも創雲郷のように『祈りと修行』が中心の街とは言い難い。 

 街は活気ある生活感に溢れている。

 そんな中、今や祈りの場は、この寺院の中だけ…かもしれない。

 それを悠風は『街そのものを祈りの郷にしたい』と願ったのだ。




「悠風様」

 采雲が堪えきれないように、悠風を呼んだ。 
 そして、膝を折る。

「ありがたき幸せにございます」

 深く頭を垂れる采雲の傍らに、翔凛が立った。

 そして翔凛もまた膝をついた。

「采雲……」

 そっと触れると、その肩はわずかに震えていた。

 いかなる時も冷静な導き手。芳英と共に翔凛を守り、苦難の時期を民と共に、民のために尽くしてきた采雲。


 よかったね、采雲…。


 そう心の中で呟き、翔凛は悠風を見上げた。

 言いたかったことをすべて告げ、少しはにかんだような顔を見せている悠風。


「悠風…ありがとう」

 それは、悠風に対して、久しぶりになんの躊躇いもなく出た、翔凛の素直な心だった。


 
 そしてその後、三人は遅くまで話し合い、それぞれに未来への暖かい希望を抱いて居室へ戻った。






「それにしても」

「なんだ?」

「どうして悠風が僕の部屋にいるわけ?」

「つれないことを言うな。せっかく都から遠路はるばるやって来たんだぞ。一晩くらい翔凛の寝台で休ませてくれてもいいじゃないか」


 つい数刻前には、この上なく格好良いと思った悠風だが、調子に乗るとすぐこれだ。


「あっそ。じゃあ、ごゆっくりどうぞ。僕は客間で寝るよ」

「あ、ひど〜い」

「なにがひど……って、なにしてるんだよっ、悠風っ」


 悠風は、彼を残して出ていこうとした翔凛の腰にいきなり手を回し、抱き寄せたのだ。

「し〜。もう遅いんだから、あんまり騒ぐな」


 吐息まじりの声が耳をかすめ、その熱さに翔凛は思わず身を竦める。

 だったら、こんなことするな…と言おうとしても、『ここは何度来ても良いところだな』と呟かれてしまうと、もう言葉が継げない。

 けれど、こんな時はやっぱり『天の邪鬼』が頭をもたげ…。


「何度も…ってまだ二回目じゃないか」

 良いところだと言われて嬉しいはずなのに、どうしてこんな言葉ばかりが出てくるのか。

「またまた〜。まったくこの可愛いお口は素直じゃないね」

 じゃれた態度で茶化すように言うのだが、ふと合ってしまった瞳は思いがけず深い色をしていて、簡単に翔凛のそれを捉えた。

 見竦められたのか、視線が外せない。

 このままだと…射抜かれてしまう。


「…翔凛…」

 ぞっとするほど艶やかな声…。

 血の気を含んで紅く熟れた唇に、息が触れる。

 このまま、この心地よさに目を閉じれば…。

 だがギュッと肩を抱かれた瞬間…。


「……!」

 翔凛の腕はこれでもかと言うほど突っ張られ、そして思いもかけなかった抵抗に、悠風の身体はあっさりと離れた。

 ただ身体が密着していただけというのに、翔凛の息は上がっていて…。


「翔凛…そんなに私のことが…嫌いか」


 そう告げる表情の、思いもかけないほど傷ついた様子に、翔凛はたまらずに顔を伏せた。