憧れのどっち側?

清文となーちゃんのお初物語

〜3〜




「なー。どうしてもダメか?」
「ああ、悪いけど部活はしないって決めてるんだ」
「なんでだよ、もったいないじゃん。中三の時、地区大会優勝だろ?」
「別に俺の所為で優勝したわけじゃない」
「嘘つけー。お前、主将でエースだったって聞いてるぞ」
「だからそれはチームメイトに恵まれてたからだって」

 食い下がるクラスメイトにこっそりため息をついて、清文は鞄を手にした。

「ともかく、クラブには入らない。すまないが諦めてくれ」

 生徒会だけでも面倒だっていうのに、これ以上俺の時間を取り上げないでくれ…とは臆面にも出さず、一年A組の委員長は人当たりのいい笑顔でもう一度『すまないな』と詫びると教室を後にした。


「有本くーん」

 そんな後ろ姿を追い掛けるのは、クラスの中でも飛び抜けて小さくて、誰もが『ここって男子校だったよな?』と一度は自分の目を疑ってしまうという可愛らしい容姿の持ち主である笹島貴樹だ。

「ああ、笹島か。何?」
「これから帰り?」

 だったら一緒に帰ろう…と言われるであろうことは、想像がついているのだが。

「いや、今日は生徒会の手伝いなんだ」

 どこでどう目を付けられてしまったのか――目立った覚えはさらさらないのだが――何故か生徒会の手伝いにかり出される羽目になってしまい、おかげで『愛しいなーちゃん』との楽しい逢瀬を週に二回も取り上げられて、清文は不機嫌なことこの上ない。
 だが、それを表に出すほどガキではない。それに思わぬ収穫があった。


『俺、鼻が高いよ。恋人が等綾院の生徒会にいるなんてさ』


 初めてあの可愛い口が、自分のことを『恋人』と言ったのを聞いたのだ。
まさに天にも昇る思い。それならば、面倒でしかない『生徒会』も、ちょっとは真面目にやってみようかという気にもなる。
 理が、誉めてくれるのならば。

「なんだー。今日こそ一緒に帰ろうと思ったのにー」

 入学当初から何かと懐いてくる貴樹は、まるで小さい頃に飼っていた子犬のような可愛らしさで、むさ苦しい男子校生活の中では一服の清涼剤…といったところではあるのだが、こういう類の「可愛らしさ」を目にした清文が思うのは、いつも理のことだ。

「ねえねえ、明日は一緒に帰れる?」
「あー、ごめん。明日は約束があるんだ」

 そう。明日は『愛するなーちゃん』と一緒に帰れる日なのだ! 他のことに構っている時間などない!

「…そうなんだ…」

 シュンと項垂れる貴樹の可愛い仕草は、辺りを行き交う級友たちの視線を引いているのだが…。

 ――なーちゃん、今頃どうしてるかなあ。

 清文が思い出すのは理のことばかり。

 ――俺と帰れないとき、一人で帰ってるのかなあ。それとも誰かと…。

 そう思い至るとなんだかむかつく。

 理は可愛いだけでなく、友達思いの優しい性格をしている。
 だから華南の中でも実は男女問わず密かに人気があるのだ…と教えてくれた(締め上げて吐かせた…とも言うが)のは、以前電車の中でいたずらで理に痴漢を仕掛けた池田というヤツだ。

 ついでに聞き出したところで安心材料だったのは、女子の中で理に積極的にアプローチしようという子がいない点だった。

 理由は至極簡単(いや、女心としてはフクザツなのか)で、自分より可愛い男子を彼氏にしようなんて子はいないということだ。

 だがそうなると、今度は反対の意味でややこしくなる。いくら理でも女子に襲われたりはしないだろうが、相手が男ならどうだ。

 身長は、自分より頭一つ小さい165cm。一度ふざけた振りで抱き上げた事があるのだが、想像以上に軽くて驚いた。

 中学三年間のバスケ部活動でそれなりの筋肉はあるのだろうが、あれでは女子には勝てても男相手には絶対に力負けする。

 だいたい華南は数年前まで男子校だったので、今でも全校生徒の七割強が男子生徒らしく、理にとっては危険この上ない。

 理は『そんな物好き、清文だけだってば』と笑って取り合ってくれないのだが、池田情報によると、理の周りはいつも『男だかり』で、連中は『理って可愛いよなあ』と頭を撫でては理に嫌がられているというのだ。

『まあ、俺も理の事は可愛いしー、護ってやりたいとか思っちゃうしー、ギュッとかしちゃいたいような衝動に駆られることもあるしー?』と、軽い口調で付け加えた池田を一瞬絞め殺してやろうかと思ったが、華南校内での理の様子を知るためには利用価値のあるヤツなので、もう少し生かしておいてやるか…と仕方なく自分に言い聞かせた。

 もちろん、本当に理に何かしでかした日には、覚悟してもらわねばならないが。

 とにかく、理が誰か(男女問わずだ)と楽しく下校しているとしたら、それはそれで腹立たしいし、下心付きの男子と一緒など以ての外だし、たった一人で下校していて、また車内で危ない目にあったりしてはと思うといてもたってもいられない。

 ――俺も華南に行けば良かった…。

 もう少し情報収集が上手くいっていれば、願書提出の前に理が受けるところを知ることができたのかもしれないが、等綾院だって、母の再婚でこちらへ引っ越すから選択肢に入ったのだ。

 中学時代、理から遠く離れていた清文には、それ以上の情報を得ることは無理だった。
 だがせめて等綾院へ行けば、引っ越し先の新しい自宅と学校の間に理の家がある。それだけでも受験当時は浮かれていたものだ。

 なーちゃんの側へ帰れる。

 それだけで幸せだった。
 だがそんな単純な幸せは長続きはしなかった。

 再会を果たし、ずっと大切に育ててきた思いを告げた。
 そうなったら今度は、ずっと一緒にいたい。離れていたくない。誰にも触らせたくない。

 ヒトという生き物は、これ以上なく欲深いのだ。

 ――俺だけのなーちゃんでいて欲しい。

 際限なく膨らんでいく、その『暑苦しい』想いは、理を酷く追いつめた。

 思えばあの頃の温度差というのは相当だったと思う。だから、理の温度が上がるのを待つことにしたのだ。じっくりと、ゆっくりと。

 夏のプチ合宿の時も、相当の苦行を強いられた。

 集中して課題に向かっているはずなのに、耳は理の息づかいだけを拾い上げ、鼻は理の甘く柔らかい匂いだけを嗅ぎ分け、自分の口から漏れるのは、身体に溜まる一方の熱を逃がすための苦しい吐息だけ。

 見てしまうともう、押さえが聞かなくなるのはわかっていたから、極力見ないようにした。

 でも見てしまったときは渾身の理性で自分の情動を押さえ込み、触れないようにした。

 それでも触れてしまったときは『キスだけ』と言い訳し、キスの後、吹っ飛びかかったこと、幾多。
 危うくケダモノになってしまうところを崖っぷちで踏みとどまったことなど、数え切れないほど…だ。

 もちろん身体だけが欲しいわけじゃなく、心ごと理が欲しいから、この先もこの苦行には甘んじて耐えるつもりではあるが、それでも辛いものは辛い。

 ――なーちゃん、会いたいな…。

 明日の朝にはまた同じ電車に乗るのだから…なんて言う理屈は、恋するオトコには通用しない。
 今、会いたい。触れていたい。キス、したい。それからそれから…。


「はあ……」

 心の中で吐いたはずのため息は、知らず実体化して漏れ出てしまった。

「有本くん、どうかした? 具合でも悪い?」

 いつも凛として、隙を見せたことのない清文の思わぬため息に、貴樹が慌てたように、心配そうに見上げてきた。

 そんな貴樹の頭をポンと撫で、『なんでもないよ』と苦笑して見せた清文の頭の中は、やっぱり『なーちゃん一色』で、これはもう本当に『つける薬がない』といった状態だ。


「あ、おい! 有本!」

 そんな清文を、苦しくも楽しい妄想状態から大声で引き戻したのは、一年A組の副委員長・並河だ。

「文化祭のことで、確認出来次第連絡したいことがあるんだけどさ、お前、もしかして携帯持ってなかったっけ?」

「持ってない」

 大嘘だ。ちゃんと持っている。ただし、なーちゃん専用機だが。

「お前な〜、今時の高校生が携帯持ってないってどうよ」
「別に不自由してないぞ」

 そう、なーちゃんとさえ連絡が取れればそれでいいのだ。

「お前が不自由してなくても、こっちが不自由なんだってば。なあ、笹島」

 いきなり話を振られて、貴樹がキョトンと並河を見上げた。

 それだけで赤面している並河は、もしかしてもしかするのかも知れないが、そんなことにはおかまいなしに、貴樹はニッコリ微笑んだ。
 副委員長ではなく、委員長に。

「うん。携帯持ってくれると嬉しいなあ」

 そうしたら、気兼ねなく電話できる。理由はどんなことでもいい。
 例えば、課題のわからないところを聞いてみるとか、試験のヤマを聞いてみるとか。
 思い立った時に声が聞けたら、どんなに楽しいだろう。
 もちろん、迷惑になるような掛け方をする気はないけれど。

 だが、そんな貴樹に、困ったように曖昧に笑って清文は『ごめんな』と言う。

「携帯、どうも苦手なんだ」

 それも実は本音だったりする。
 下手に携帯なんぞ持ってしまえば、電話のベルが突然に自分の自由な時間を侵すのだ。

 例えばなーちゃんといちゃいちゃ――当分無理そうだけど――してる時に電話がなったらどうする?
 考えただけでゾッとするじゃないか…と、清文は内心で眉間に皺を寄せている。

 もちろん万事に優秀で人望厚い委員長はそんなことおくびにも出さないが。

「とにかく、うちは両親ともうるさくないから、遠慮無くいつでも家の電話に掛けてくれたらいいよ」

 と、貴樹に優しく笑い掛け、並河にはついでのように『お前もな』と付け足して、清文は『じゃあな』と二人に背中を向けた。
 行く先は、不本意だが生徒会室。
 だが、いくらか歩いたところで内ポケットの携帯が震えた。

 ――なーちゃん!

 一瞬にして男前が台無しになるような激甘の笑みを顔面中から垂れ流し、だがまた一瞬にしてそれをいつもの男前に引き締めると、清文は手近な物陰を目指して走った。

 その頃残された二人は。

「なかなか頑固だよなあ。我らが委員長は」

 ため息と共に副委員長にそう言われ、貴樹も『ほんとだね…』と頷く。

 でも、そんなところも素敵なのだ。
 周囲に流されない、いつも凛として自分のスタンスをきちんと守っていて、でも決して無愛想ではなくさりげなく周囲に気を配っている優しい人。
 その上、長身男前ときたら気になって当然だろう。
 それをどういう対象として見るかは人それぞれとして。

「あ、しまった!」
「何? どうした?」

 突然小さく叫んで、来た廊下をまたHRの方へ戻り始めた貴樹の後を、並河がついてくる。

「忘れ物しちゃったんだ」

 帰ろうとする清文を追い掛けるのに必死になっていて、うっかりしていた。あのノートがないと、本日の課題ができない。

 教室へ戻り、机の中に残されていたノートを鞄にしまい込んだ貴樹に、まだくっついていたのか、並河が躊躇いがちに声を掛けた。

「あ、あのさ、送っていこうか?」
「え? どうして? だってこれから部活でしょ?」

 興味がないので詳しくは知らないが、確か副委員長は柔道部だったか剣道部だったかに入っていると聞いたような気がする。
 見かけのガタイに似合った部活だ。

「ま、そうだけど、別に一日くらいさぼったところで…」
「ダメだよ、ちゃんと出ないと。運動部の一年生なんて、さぼったら大変なことになるって聞いたことあるよ?」

 別に彼が『大変なこと』になったところで、貴樹には何ら関係はないのだが。

「や、でも」
「いいから。じゃあ、また明日ね」

 バイバイ…とあっさり踵を返されて、並河がひっそりとため息をついたことに、もちろん貴樹は気がついていない。

 想う人には想われない…のが世の常だったりするのだ。


 清文と一緒に帰れないのなら、もうここには用はないとばかりに、貴樹は昇降口へと急いでいた。

 帰宅部の生徒はもうすでに学校を後にしていて、他の生徒はすでに部活が始まっている。

 そんな中途半端な時間の昇降口は薄暗く、ガランとしていてあまり好きではない。
 靴箱の影に何かが潜んでいそうな気がして、気味が悪いのだ。
 ほら、今も現に……。

 自分の靴箱を開けたところで貴樹は固まった。

 どこからかヒソヒソと声がするではないか。

 ――な…なに? 誰?

 気味が悪いし、ちょっと怖いけれど、でも確かめないのはもっと怖い。
 きっといつまでも『あの時のアレは何だったんだろう』と気に病んでしまうに違いないのだ。
 だから、貴樹は意を決して、声のする方へそっと近づいた。

『うん。その日は大丈夫だから』

 どうやら誰かが電話をしているようだ。

 ――なあんだ、びっくりして損しちゃった。

 正体がわかってしまえば何でもない。
 ペロッと小さく舌を出し、貴樹は鞄を抱えなおした。もちろん他人の電話を立ち聞きする趣味はないので、さっさと立ち去ろうとした…のだが。

『今日は一人? 電車、気を付けないとダメだよ』

 この声…。

 こんな甘ったるいしゃべり方は聞いたことがないけれど、でもこの声には確かに聞き覚えがある。

 貴樹は足を止めて考えた。いや、考えても仕方がないから、靴箱の影からそっと覗いてみた。

 ――あ…有本くんっ?

 聞き覚えがあるはずだ。男前は声まで良いのだ。
 まだ高校一年だけれど、その体格に見合って、すでに大人の男性の声に近い深みをもつそれは、いつまでも聞いていたいほど心地がよくて…。

 それにしても。
 左斜め後ろ四十五度から見ても男前の彼は、ついさっき『持っていない』と断言したはずの携帯電話を耳に当てているではないか。

 艶消しブラックのそれに、ぶら下がるウッドストックの黄色が可愛い。
 さらにその小ささ加減が持ち主と不釣り合いで、これまた妙に可愛い。

 いや、この際ストラップはどうでもいい。
 目の前で、聞いたこともないような甘い話っぷりを垂れ流しているのは、誰でもない、憧れの人・有本清文なのだ。

『ダメダメ。なーちゃんはすぐ油断するんだから』

 ――なーちゃんって…誰っ?

 誰もへったくれもないだろう。
 男が甘えた声で電話をするなんて、恋人相手以外の何ものでもない。
 相手が母親だったりしたら、もうノーサンキュー…だ。

『うん、じゃあ気を付けてね。…好きだよ、なーちゃん』

 ――か、彼女、いたんだ…やっぱり……。

 目の前が真っ暗になった。覚悟はしていたけれど、実は心のどこかで楽観もしていたのだ。

 男前で賢くて、友人たちの信頼も厚い彼を女の子たちが放っておくはずはないのだけれど、でも、男子高校生にありがちな、ギラギラした欲望のようなものは彼には全然感じられなくて、色恋にはあんまり興味のなさそうな、そんな『清い』イメージを勝手に作りあげていたから。

 それが、あんなに甘い声で囁くなんて。

 だが幸か不幸か、貴樹にとってこの事は清文のマイナスイメージにはならなかった。
 むしろ、甘い囁き声があまりに官能的すぎて、さらに燃え上がってしまったりして……。


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