憧れのどっち側?

清文となーちゃんのお初物語

〜4〜




「待ってたんだっ、理くんっ」

 学校帰り。バイトに行った俺を待っていたのは、これ以上なく切羽詰まった様子の貴樹くんだった。

「ど、どうしたの?」
「聞いてっ」
「あ、うん」

 腕を引っ張られ、大きなソファに引きずり込まれる。

「彼女、いたんだっ」

 いきなり言われて、一瞬何のことかと思った。
 彼女って、ええと…もしかしてこの前の話、だよな。

「この前言ってた彼、やっぱりいたんだよ、彼女っ」

 あ、やっぱりそのことか。
 危うく『誰の?』と聞きそうになったのを、すんでの所で留まった。よかった〜。

 いや、でも『よかった』なんて言ってる場合じゃないか。
 これって、貴樹くんの失恋決定ってことだよなあ。これは大変だ…。

「今日ね、決定的な現場に出くわしちゃったんだ…」

 あらら。それはまたいきなり辛い展開だったんだ。

 シュン…と萎れる貴樹くんに、俺はなんて言葉をかけていいかわかんない。

「有本くんってば、聞いたことのないような甘い声で彼女と話してるんだよ」

 ……は? ありもとくん? 彼女?

 俺がよっぽどマヌケ面だったのか、貴樹くんは『あ、ごめんね。名前とか言ってなかったっけ』と、ご丁寧にも解説して下さった。

「僕の好きな人、有本くんって言うんだ」

 ななな、何て?
 あああ、有本って、等綾院には二人いるのっ?

 いきなり登場した、あまりにも聞き慣れた名前に内心で大パニックの俺に、貴樹くんはニッコリと笑って言った。

「有本清文くんって言うんだ。凛々しい名前でしょ? 見た目にぴったりなんだ。頭よくて、格好良くて。そうそう、今生徒会の手伝いとかしてるんだけど、文化祭のあとには正式に生徒会入りしそうなんだって。凄いでしょ」

 成績優秀、長身の男前、おまけに生徒会に出入りしてる『有本清文』。
 あああ、やっぱり、あの清文だよな。
 俺の幼なじみで、俺の恋人……で…。

 ど、どうしよう。まさか、『それ、俺の恋人なんだけど』なんて、ここで言えるわけ…

「でもさあ、もしかして…っていう覚悟は一応してたけど、あんなにベタ惚れの彼女がいたなんて、ちょっとショックかも」

 …ええと、ええと。そういえばさっきから『彼女がいた』って連呼してたっけ。
 彼女って…なに?


「あのさ、ちょっと情報整理していい?」

 俺は一つ深呼吸してから貴樹くんに向き直った。

「あ、うん」
「貴樹くんの好きな人って、同じクラスの有本くんで、その人には彼女がいた…ってこと、だよね?」
「うん、その通り」
「彼女と話してる現場、見たんだよね?」
「うん、見た。もうめちゃめちゃ幸せそうだった」

 …どういうことだ。
 等綾院高校一年の有本清文に『彼女』がいるってことは…。

 同姓同名のヤツが存在しない限り、俺の恋人…のはずの清文に、彼女がいるってことだ。

 まさか、二股掛けられて…。
 いや、考えにくい…とは思う。だって、登校も下校も一緒で、夜には大概電話があって(しかも結構な長電話だったり)、それになにより、土日は一緒にいることがほとんどなんだ。
 二股掛けてる暇なんてない…はずだけど。 

 や、でも、あいつマメだし、時間のやりくり上手いし、やろうと思えばそれくらいのこと、あいつにはできる…とか…。
 それに、貴樹くんは『見た』って言ってるし…。

 清文、俺のこと、好きなんじゃなかったのか?

「理くん?」

 いきなり下から覗き込まれて、一人でグルグル考えていた俺は、半分飛び上がった。

「どうしたの?」
「あ、や、何でもない」

 何でもないことはもちろん全然ないけれど、とりあえず今は何て言っていいのか全然わかんなくって、俺はただ、バカみたいに顔の前で手をブンブン振るだけで。
 そんな俺に、ちょっとだけ怪訝そうな顔をしたものの、貴樹くんはまたキュッと唇を引き締め、俺にずいっと迫ってきた。

「でも、僕決めたんだ。有本くんに彼女がいても、構わない。それでも僕の気持ちだけはちゃんと伝えておこうと思うんだ」

 なんと。貴樹くん…エライ。
 エライけど…俺はどうしたらいいんだっ。

 もしかして、『彼女と俺と、どっちを取るんだっ』とか言わなくちゃいけないんだろうか。
 そ、そんな、テレビドラマの修羅場みたいなこと…。
 しかもそこへ貴樹くんまで告白するって言ってるんだから…。 

「振られるに決まってると思うけどね」

 けれど小さく、寂しそうに貴樹くんが言った。

『振られる』

 そうだよな。普通、彼女がいるなら男に見向きするわけないよな。
 じゃあ清文はいったい何を考えて彼女と俺と…。


「うわあっ」

 突然ポケットの携帯が振動を始めて、俺は飛び上がった。
 いつもならそんなことはないんだけど、深く考え事してて、しかもこの振動は、清文からの着信を告げるもので…。

「ど、どしたの? 理くん」

 飛び上がった俺にびっくりした貴樹くんが、ブレザーの胸を押さえている俺を目を丸くして見ている。

 どうしよう。知らん顔するべきだろうか。
 でも、出なかったら後が怖いし…。

「あの…ごめん。ちょっと外していい?」

 やっぱり、出るだけは出ておこうと決めて、貴樹くんにそう尋ねたんだけど、彼は察しよさげに微笑んで『電話?』と問い返してきた。

「うん」
「いいよ、ここで全然」
「でも」
「いいからいいから」

 しっかりと腕を掴まれたままでは振り解くことも出来ず、グズグズしてたら電話は切れてしまうだろうし(とはいっても、出るまで繰り返しかかってくるとは思うんだけどな)、俺は仕方なく、『じゃあ、悪いけど』と断って、内ポケットから電話を出した。

「…もしもし」
『なーちゃん? どうした、何かあったのか?』

 いきなりの心配声。
 きっとなかなか出なかったのと、声を潜めて出たから…の両方の所為だろう。

「う、ううん。別に何も」
『今どこ? もう帰ってる?』

 確かに真っ直ぐ帰ってたら家に着いてる時間ではあるけれど。

「いや、まだ」

 どうしても返事が素っ気なくなってしまう。
 後ろに貴樹くんがいる所為もあるけれど、もちろんそれだけではなくて。

『え? もしかしてどっか寄り道してるのか?』
「あ、うん、ちょっとだけ。きよ…」

 や、やばっ。『清文こそどうしたんだよ、この時間ならまだ生徒会だろ?』って聞きそうになった。
 背中を冷たい汗が流れる。

『なーちゃん?』

 電話の向こう。清文の声のトーンが下がった。

 まずい。清文のヤツ、なんか変だと気付いたみたいだ…って、何で俺がそんなこと気にしなくちゃいけないんだよ。悪いのは、清文じゃないかっ。

「あのさ、今ちょっと手が放せないんだ。また夜に電話するから、切るな」

 言うだけ言って、通話を切った。
 清文がなんか言ったみたいだけど、わかんなかった。

「いいの? 理くん。遠慮しないで話していいよ?」

 貴樹くんが気を遣ってそう言ってくれても、俺は言葉もなく首を横に振るだけ。

 今は話せない。
 貴樹くんがいるからっていうだけでなく、俺自身、気持ちの整理が全然ついていないから、何を口走っちゃうかわかんないから。
 でも、確かめなきゃ…って気持ちはある。
 このままではいけないってのもわかってる。
 ただ、今はどうしたらいいのかわかんない…ってだけで。

「…理くん、もしかして」

 俺の目の前で貴樹くんがニヤリと笑った。

「今の電話、彼女でしょ」

 はあ?

「ち、違うよ」

 恋人でしょ?…って聞かれたら、こんな風に否定できなくて、言葉に詰まると思うんだけど、でも確かに『彼女』ではないし。

「え〜? 雰囲気そんな感じだったけど〜?」

 貴樹くんは俺の否定をあんまり信じてないみたいで、伺うような視線は変わらない。

「や、ほんとに違うって」

 必死で否定する俺に、納得とはほど遠い顔つきで『ふうん』と言った貴樹くんは、今度は俺が握りしめてる携帯に視線を移した。

「携帯、持ってたんだね」

 あ、しまった。

「番号とかアドレス、教えて?」

 お願い笑顔with『必殺小首傾げ』(何故か夏休み前にクラスの女子たちの間で流行ってたんだ。『中久保くんも絶対似合うと思うよ』とか言われて、唖然としちゃったけどさ)のW攻撃だ。
 はっきり言って、めっちゃ可愛い。
 この顔で『ね、付き合って?』とか言われたら、大概の男は転んじゃいそうな気がする。

 って、そんなこと言ってる場合じゃなくて。

「あ、あのさ、これ実は丸ごと借り物なんだ」
「借り物?」
「うん、本体も、基本料金とかも全部モニターってことでちゃらにしもらってて、その代わり、電話番号は誰にも教えないってことで…」
「もしかして、その人の専用回線ってこと?」
「ええと、まあ、そう、かな」

 肯定した瞬間、貴樹くんの目が輝いた。

「わー、やっぱり彼女だー!」
「え、ちが…違うってば! 彼女じゃなくてっ」

 貴樹くんのキラキラした目が一際でっかくなった。
 …って、もしかして俺、口滑らせた?

「彼女じゃなくて…もしかして、彼?」
「う」

 ここでポーカーフェイスが出来る性格してたら、俺の人生ってちょっとは変わってたのかも…なんて思う。

 いつも言われるんだよな。『理って隠し事できねーよなー』なんてさ。

「理くんっ」

 更に一層瞳を輝かせた貴樹くんが俺の両手を握りしめて、感極まった風にズズッと詰め寄ってきた。

「僕の話、親身になって聞いてくれると思ってたら、そう言うことだったんだー」

 嬉しいな〜…とすっかり浮かれてる貴樹くんを前に、俺は身の置き所がない。

 確かに俺の『相手』は『彼』だし、貴樹くんが同級生を好きだって言ったことをすんなりと受け入れたのはその所為も大いにあるのかも知れない。

 でも、俺の『相手』は貴樹くんの好きな『相手』で、しかもそいつには『彼女がいる疑惑』が発覚で。

 いっそのこと疑惑が本当で、俺と貴樹くんがセットで振られた日には、少なくとも俺と貴樹くんの友情はそのままかも…なんて思っちゃわなくもないけれど、でも、俺、やだ。清文に彼女がいて、俺が振られて…なんて、そんなのやだ。

 だって俺、清文のこと、好きだもん。
 これからもずっと一緒にいたいし、ずっと好きでいて欲しいし、ずっと好きでいたい。

 でも、そうするためにはどうしたらいいんだろう。

「ね、有本くんってね、生徒会の仕事手伝ってるんだけど、これって生徒会長直々のスカウトなんだって」

 思い人に彼女がいた…っていうショックな展開にも関わらず、貴樹くんは俺に嬉々として『有本くん』のあれこれを語り始めた。

「へえ…凄いね」

 俺の知らない、学校での清文のいろいろ。

「でしょ? 僕らの学年の生徒会長は有本くんで決まりだ…ってもっぱらの評判なんだ」

 そういえば清文って、自分の学校の話、全然しないよな。俺のこと聞くばっかりで。

「それとね、一学期の終わりにクラス対抗のバスケ大会があったんだけど、有本くんの大活躍でうちのクラスが優勝したんだよ」

「バスケ、得意なんだ?」

 それも全然知らなかった。

「うん。中学の時、バスケ部だったんだって」

 …え?

「中三の時に、地区大会で優勝したらしいんだ。で、入学したときからバスケ部が毎日のように勧誘掛けてるんだけど、絶対クラブには入らない…って、ずっと断ってるんだ」

 バスケ部って…。
 俺が中学の時バスケ部に入ってて、その話をしたときも、あいつ何にも言わなかった。
 自分もやってたなんて、一言も言わなかった。
 どうして?

「バスケだけじゃなくて、他の球技も、走っても、とにかく運動神経も抜群なんだ〜」

 なんか、むかついてきた…。

 貴樹くんに言ってやろうかな。
 清文って、小学生の頃、チビで泣き虫だったんだよ〜ん、なんてさ。

「ねえ、理くん」

 ふと、貴樹くんの瞳が真剣味を帯びた。

「やっぱり僕、ちゃんと自分の気持ちを伝えて、ケリを付けるよ」

 貴樹くん…強い。
 でも、俺はどうしたらいいのか、まだ全然わからない。





 その夜、九時過ぎ。俺から連絡するまでもなく、清文から電話があった。
 一方的に電話を切ってから約四時間。清文なりに、時間を置いてくれたんだと思う。
 そう言うところ、やたらと察しのいいヤツだから。

「さっきは…ごめん」

 何から話していいのかわかんなかったから、とりあえず謝ってみた。
 一方的に切ったのは俺だし。

『いや、いいんだ、そんなこと。それより何かあった?』

 本当に、本当に心配そうな清文の声。
 作り物でないことは、わかる。
 理由はないんだけど、チビの頃、ずっと一緒にいた所為なのか、なんとなくわかるんだ。

「ううん、本当になんでもないんだ。ただ…」
『ただ?』

 だから俺も、あんまり嘘はつきたくなかった。

「えっとさ、ちょっと込み入った相談事を受けてたんだ」
『誰から』
「クラスメイトだよ」

 全てを今、正直にうち明ける勇気はないんだけど。

『もしかして、恋愛相談か何か?』

 あ〜、どうしてこう、察しがいいのかな。

「まあね」
『なーちゃんが?』

 語尾に笑いが含まれた。

「なんだよ。俺じゃ相談相手にならないってか」

 清文までそんなこと言うのかよ。

『いや、そんなことないよ。なーちゃんならきっと真剣に聞いてくれると思うけど…でも」

 急に声が剣呑になった。

「でもって何だよ」
『まさか、告白されたとか言わないだろうな』

 は?

「誰が」
『なーちゃんが』
「誰に」
『クラスメイトに』

 何で俺がっ。告白されかかってんのはお前の方だってのっ。

「あのなあ、清文ぃ〜」

 なんか、腹立つより情けなくなってきた…。

「何回も言ってるけどさ、清文が心配するようなこと、何にもないってば」

 今は俺の話じゃないんだってば。それより…。

『心配するくらい、いいだろ』 

 返ってきたのは、意外にも拗ねたような言葉だった。
 だから俺はその次を言い損ねたんだ。
 お前こそ、どうなんだよ…って。

 結局俺は、それきり何にも言えなくなって、電話は清文のペースで終始して、しかも次の朝の電車はいつもより混んでたからそんな突っ込んだ話は出来る状況じゃなくて、俺は肝心な事を確かめられないままに、それから二日間を悶々と過ごす羽目になってしまった。


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