憧れのどっち側?

清文となーちゃんのお初物語

〜5〜




「おいっ、お前、昨日のアレ、どうなった?!」
「そうそう、俺、気になってたんだっ」

 教室に入るとやたら騒々しくて、貴樹はキョトンと周囲を見渡した。
 清文はまだ登校していないらしい。
 彼は優等生にしては珍しく、いつも登校はぎりぎりなのだ。

「アレってなんだよ?」
「あれ、お前聞いてないのか? 昨日の朝、有本が可愛い彼女連れで電車に乗ってたって話!」
「えっ、マジかよっ」

 騒々しい会話の中に気になる単語を聞き取り、貴樹はさりげなく会話の中に入っていく。

 ついに『彼女』の実体が明らかになるのか。

「確か華南の制服だったんだよな」
「おいおい、あそこって女子めちゃめちゃ少ないだろう?」
「けどさ、少数精鋭でレベル高いって噂だぜ」

 華南と言えば、理と同級生と言うことになるのではないか?

 思わず身を乗り出した貴樹に、隣にいたヤツが『お。笹島も興味アリ?』なんて聞いてくるから、曖昧に頷いておいた。

「で、どうだったんだよ。今朝も一緒に乗ってたら、紹介させてやるって息巻いてたじゃん」

「そうなんだよー。絶対シッポ掴んでやろうと思ってさ、早くから張り込んでたのにさー」

「おい、さっさと言えよ、焦らすなっ」

「や、だからさ、やっぱり二人連れでは現れたんだけどさ。華南の子、制服がズボンだったんだよな〜」

 その一言で一瞬辺りは静かになり、やがてブーイングの嵐が広がった。

「え〜、男かよ〜」

「おいおい、何だよそのオチはっ」

「何見間違えてんだよ、このバーカ」

「だってさ、マジでめちゃめちゃ可愛いんだぜ? 昨日は混んでてさ、制服のブレザーしか見えなかったから、絶対女の子だと思ったんだけどなあ」

「んなはずあるかよ」

「疑うんなら一回見てみろよ。なんてーの? ほら、清楚系って感じでさ、マジ可愛いいぜ?」

「でもさ、笹島ほどじゃねえだろ」

「ふふっ、それがさー、いい勝負なんだよなあ、これが」

「おいおい、ほんとかよ。そりゃ相当だぜ」

「有本に頼んで、紹介してもらえば?」

 ――なぁんだ、彼女じゃなかったんだ。

 無責任に盛り上がる会話にも、自分の名前がでたことにももう興味はない。
 つまんないのかホッとしたのかよくわからない不思議な感覚を抱えて、貴樹が一つ息をつき、思わず抱きしめてしまっていた鞄を自分の机に下ろした時。

 ――華南の制服を着た、めちゃくちゃ可愛い男の子って…。

 ふいに昨日の光景を思い出した。
 華南のブレザーの内ポケットに大切そうに納めた携帯電話。
『彼』からの専用回線だというそれには、スヌーピーのストラップがついていた。 
 あれは確か、この春話題になった機種のホワイトで…。

 そこまで思い至ったとき、決して大きくはないのによく通る凛とした声が響いた。

「おはよう」

 教室内の騒然とした雰囲気もものともせずに入ってきた男前。

 彼が誰にも内緒で制服のどこかにしまっているはずのものは、同じ機種の黒だったような気がする。
 しかもぶら下がっていたのは、いつもスヌーピーにくっついている黄色い鳥…。


「おう、有本!」
「なに?」
「今朝、お前と一緒にいた華南の男子だけどさ、あれ、誰?」

 瞬間、清文がその全身に冷気を纏ったことに気がついたヤツはどれくらいいるだろうか。

「…幼なじみだけど? それがどうかしたか」
「めっちゃ可愛いじゃん。今度紹介してくれよ」
「笹島級のカワイコちゃんなんだって? 独り占めはずるいよなあ」
「俺、恋人に立候補しようかな〜」

 少なくとも、脳天気にそんなことを言い放つヤツらはまったく気がついていないようだ。

 清文の視線が鋭くなる。
 だが何かを言おうとしたその口は、予鈴が鳴ったことで閉じられて、そして一度だけこっそり息を吐くと、優秀な委員長の皮を被って『予鈴だ。騒いでないで席に着け』と、無愛想に言い放った。

 そんな様子を貴樹がジッと見つめていた。



 そして珍しく、その後の清文は午前中ずっと不機嫌を纏っていた。
 普段から決して愛想がいいわけではないが、それでも無愛想というわけでもない清文の不機嫌はクラスの雰囲気に少なからず影響を及ぼしていて、教師ですらその不気味な威圧感に腰が引けている気がして、貴樹は一人、そんな様子を楽しんでいた。

 だから、告白するなら今日だ。



「どうした?」

 朝からの不機嫌をどこかへ置いてきたのか。 
 貴樹の前ではいつもの清文だった。

「ごめんね、せっかくの昼休みに」
「いや、それは構わないけど」

 まだ日中は暑いせいか、校舎の屋上に人影はない。

 貴樹に呼び出された清文は、言われるままに大人しく後をついてきたのだが、今朝の一件で苛々していた気分も、貴樹が相手だとなんとなく落ち着いてくる。
 可愛らしさの質が、理を思わせるものがあるからかもしれない。
 
 今朝の一件…。
 気をつけてはいた。
 だが毎日一緒に通学している以上、いつかは同級生の目にも留まる。
 そして案の定だ。あっさりと理に惹かれてしまうやつらの多いこと。

 しかも等綾院の連中は、相手が男か女かということに頓着のないやつが多い。リベラルというのか無節操というのか。
 とりあえず可愛らしさが目に付けば、ちょっかいを出そうという輩は掃いて捨てるほどいるのだ。

『めっちゃ可愛いじゃん。今度紹介してくれよ』

 ――けっ、誰が。おととい来やがれっ。

『俺、恋人に立候補しようかな〜』

 ――やれるもんならやってみろ。簀巻きにして東京湾に沈めてやる。

 内心で毒づくと、またむかつきが戻ってきた。


「あのね、有本くん」

 貴樹が見上げてきた。理より、まだもう少し小さいだろうか。

「僕、有本くんのことが、好きなんだ」

 突然突きつけられた、真っ直ぐな瞳。真っ直ぐな言葉。

「…笹島……」

 見つめ合うこと、暫し。

「…ごめんね、びっくりした?」

 笑顔で問われて、清文もまた、知らず笑顔になる。

「ああ、ちょっとね」

 その笑顔にホッとしたのか、貴樹は照れたように笑うと『迷惑、かな?』と小さく尋ねてきた。
 迷惑…ではないと思う。
 ただ、応えられないだけで。

「いや、そんなことはない。笹島の気持ちはありがたいと思うよ」
「ほんとに?」
「うん。ただ…」

 来た…と、貴樹は覚悟を決めた。

「俺、つきあってる子がいるんだ」

 やっぱり。
 だが続く言葉は貴樹の予想を超えていた。

「小さい頃からずっと好きで、想い続けて、やっとその想いが通じてつきあえるようになったんだ」

 そんなに思い続けていた相手だったとは、思いもしなかった。

 ――ああ、だから『幼なじみ』…か。

「だから、その子のことしか考えられない」

 言い切る清文の言葉の力強さ。

 やっぱり有本清文という人間は、自分が感じていた通りの人だった。
 どんなときも真っ直ぐで、自分をしっかりと持っている。
 それは、『この人』と決めた相手に向ける愛情も一緒なのだ。
 一途で、そして…。

 ――ええと、こう言うのって…。ああ、そうそう。純愛っていうんだっけ。

「……うん。わかった」

 やっぱりちょっと悔しいし、惜しいけれど、でも仕方がない。

『もしかしたら』という望みも持っていなくはなかったけれど、でも、それもちょっと無理っぽい。
 彼の中にはもう、『彼』しかいないのだ。ずっと前から。

「ごめんな、笹島」
「やだな、謝らないで。その代わり、これからも良い友達でいてくれる?」
「もちろん。こちらこそ…だよ」
「ありがと。それを聞いて安心した」

 屈託のない笑顔を向けられて、清文もまた安堵の笑みを漏らす。
 が。

「…ねえ、もしかして、それって『なーちゃん』…って子?」

 伺うように尋ねては来たが、口調の端っこには確信が滲みでていて清文はもう、驚くしかない。

「…どうしてそれを」

「ごめんね。この前電話してるの立ち聞きしちゃったんだ。有本くん、携帯持ってないっていうのに、電話してるからどういうこと…って思ってつい」

 ほんとにごめんなさいと頭を下げられたが、嘘をついていた自分も悪い…と、清文もまた素直に謝った。
 それに、ばれた理由が明らかになって、ほっとしたのもある。
 ともかく立ち聞きしていたのが貴樹でよかったと思うしかない。
 これが他の連中だったらと思うとゾッとする。

「この電話は専用回線なんだ。だから誰にも教えたくなくて」

「…そうなんだ。本当に好きなんだね、その子のこと」

「うん。本当に、やっと…なんだ。やっとここまで来ることが出来て、俺は浮かれてもいるし、その反面、臆病にもなってる」

 素直で優しい理の気持ちを疑ったことなどはもちろんないけれど、でもその温度差はあまり縮まっていなくて、焦ってはいけないと思う端から焦る気持ちは湧いてくる。

 そして、素直に不安を吐露する清文に、貴樹はどうしてだが感動を覚えていた。

 完璧なだけではない、不安に揺れる素顔を見せられて、色っぽいなどと思ってしまうのは不謹慎だろうか。

 ――結局男前って、何やっても得なのかも。

 どうやってもこの人が自分のモノにはなりそうにないのはやっぱり悔しいけれど、観察する楽しみはできたかも…なんて心の片隅でチラッと考えて、貴樹はまたニッコリと笑った。

「そういえば、僕の友達にも彼氏からの専用回線持ってる子がいるんだ」
「そうなんだ」

 それはまた…と、清文が苦笑する。独占欲の強い男はあっちこっちにいるものだ。

「僕のところにバイトに来てくれてる華南の一年生なんだけと、男の子なのにすっごく可愛くてね、めちゃめちゃ優しいんだよ」

「へえ、華南の一年生か…」

 そう言われて思い出すのは当然、理のことだ。

 今日は生徒会の手伝いがあって、一緒に帰れない。そう思い出してしまっただけで、気分がどんより重くなる。

 いや、沈んでいる場合ではない。
 自分のクラスメイトたちが理に目を付けたのだ。
 これはどうあっても生徒会を断って、理から目を離さないようにしなくてはならない。
 ヤツらのことだ、もしかしたら帰り道で待ち伏せするようなこともしかねない。

 ――善は急げだ。生徒会には放課後断りを入れるとして、この昼休み中に、なーちゃんに一緒に帰ろうってメールしておかないと。

 本当に専用回線があってよかった…と、思ったとき。

『彼氏からの専用回線』

 さっき貴樹が言った言葉が頭の隅をよぎった。

『専用回線』しかも『彼氏の』だ。
 そして、それを持つのは華南の一年生で、すっごく可愛い男子生徒。

 こんな偶然が、あるだろうか。いや、まさか…と否定したのだが。

「中久保くんって言うんだけどね」

 メガトン級の爆弾が落ちてきた。

「…中久保?」

 そんなにそこら中に転がっている名前ではない。というよりは、中久保という姓は学校内に一人だと聞いたことがある。

「そう、中久保理くん。理科の理でおさむくんって読むんだよ。珍しいでしょ」

 珍しいもへったくれもない。
 その名を思わない日はない。
 抱きしめて、閉じこめて、一生自分だけのものにしておきたい人の名前そのものではないか。

 なんてことだ。

 ――なーちゃんがバイトだって? そんなこと、一言も聞いてないぞっ。

 だいたいバイトする時間がいつあるというのだ。土日は大概一緒にいるし、登下校も一緒で、だいたい華南もバイトは禁止のはずで…。

 ――もしかして…俺が生徒会に出ている日…か?

 思い至ってみればなんだかしっくりくる。
 週に二回も一緒に帰れない日が出来たというのに、そう言えば理は意外にあっさりとしていた。
 あのリアクションはちょっと哀しかったのだが、そう言う裏があるのだとすれば、納得もできる。

「へえ〜、バイトか。その子、笹島のうちで何のバイトしてるんだ?」

 ここはきっちり探りを入れておかねばなるまい。
 清文は沸騰しそうな感情を渾身の理性で押さえ込み、出来るだけ穏やかに笑顔を作って貴樹に尋ねた。

「うん、プラモ作り」
「プラモ?」
「そう。僕ね、プラモ大好きなんだけど、ぶきっちょだから自分で作れないんだ。だから、理くんに来てもらって、僕の部屋で作ってもらってるんだ」

 こいつ、どんなおぼっちゃまなんだ、いったい…という感想はさておき、清文はほんの少し安堵していた。

 至って健全なバイトではあるし、しかも貴樹の部屋ならまず危険はないだろうし。

 これが他の男の部屋だったりしたら、速攻殴り込みをかけて二度と理に近づけないように因果を含めねばならないところだったが。

 ――そう言えば、なーちゃんはチビの頃から器用だったよな。プラモもたくさん作ってて、俺は隣でいつもジッと見ていたっけ。


『なーちゃん、凄いね。上手だね』
『清文もやってみる?』
『ううん、僕はなーちゃんが作ってるのを見てる方が楽しいよ』
『そっか? やってみたら面白いと思うけどなー』

 理はそう言って一緒に作ろうよと何度も誘ってくれたけど、あの時も『なーちゃんが作っているプラモを見る』のが楽しいのではなくて、正しくは『プラモを作っているなーちゃんを見る』のが楽しかったのだ。
 一緒に作っていたのでは、大好きななーちゃんを見つめることができない。

 ただ、側にいるだけで満足できていたあの頃を懐かしく思いだし、清文はひっそりと笑みを漏らす。

 いずれにしても、どういう経緯で理がこのバイトを始めることになったのかも知りたいし、何より…。

 ――俺に内緒にしていたとは許し難いな。

 今後のためにもこれをタダで済ませるわけにはいかない。
 さて、どうしてくれようかと思案を始めた清文の制服の袖を、貴樹がクイッと引っ張った。

「ねえ、もしよかったら、放課後うちに来ない?」
「え?」
「今日、理くんが来る日なんだ。ほんとにね、とっても可愛くて楽しくていい子なんだよ? プラモ作るのも凄く上手でね、今日辺りでっかい空母が完成する予定なんだ。それも見せたいし、理くんも紹介したいし…」

 なんと、『渡りに船』…とは、昔の人は上手く言ったものだ。まさに今がそのタイミングではないか。

「へえ、いいの? お邪魔して」

 ちょっとだけ興味のありそうな素振りで問い返してみる。

「うん。もちろん! 理くんもきっと喜ぶよ」

 ――さあ、それはどうかな。

 慌てふためく理の顔が目に浮かぶようで、清文はニヤリ…と、少々悪趣味な笑いを零した。もちろん、貴樹にはわからないように。

 ――予定を一部変更だな。なーちゃんへの『一緒に帰ろう』メールはしない。今日は予定通りバイトに行ってもらうとして、俺は生徒会をきっちり断って、笹島の家へ行く。ま、どのみち帰り道は一緒だ。

 貴樹の家でどんな展開になるかはまだ未知数だけれど、とにかくその帰り道は離さない。
 何だったら自分の家まで連れて帰ってもいいのだ。

 幸いなことに本日父親は出張中で、母親は実家へ帰っている。
 多分戻ってくるのは最終電車だろう。上手くいけば泊まってくるかも知れない。
 となると、二人きりできっちり話をつけるのにはもってこいのシチュエーションではないか。

「楽しみだな」

 一見人の良さそうな笑みを浮かべて清文がそう言うと、貴樹は『うん!』と元気よく返事をした。

 その瞳が、悪戯小僧の輝きを放っていたことに普段の清文なら気付かないはずはなかったのだろうが、『愛しいなーちゃん』しか見えていない恋するオトコの意識は、この時すでに、すっかり放課後へと飛んでいた。



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