憧れのどっち側?

清文となーちゃんのお初物語

〜6〜




「理くん、いらっしゃ〜い!」
「貴樹くん、こんにちは〜」

 約束の時間。
 笹島さんちの大きな大きな玄関で、いつもの笑顔で迎えてくれた貴樹くんだけど、今日は特に上機嫌みたいだ。
 何かいいことあったのかな。

「あのさ、今日クラスの友達来てるんだ。空母が見たいって」
「あ、そうなんだ」

 そっか。仲の良い友達が来てるから、更にご機嫌なんだ。可愛いなあ。

「実はね…」

 ふふ…と、貴樹くんが色めいた息をもらして声を潜めた。

「上手いこと誘ったんだ〜」
「え?」

 何のことだろうと思った俺の耳に、貴樹くんがコソッと囁いた。

「ほら、例の有本くん」

 その一言に、俺は身体の芯まで固まった。

「あ、その、あの」

 よもや、まさか、そんなはずは…なんて言葉が渦巻く俺の脳味噌に、とどめを刺すように貴樹くんが極上の笑顔を見せる。

「そう、僕の思い人の有本くんだよ」

 あああああ。

「も、もしかして、今…」
「僕の部屋にいるよ」

 …冗談だろ。…冗談だよな、きっと。

 いや、現実逃避してる場合じゃない!

「あ、あのさっ、ご、ごめんっ。俺っ、急用思い出したっ」

 って、我ながらあまりにもマズイ言い訳だけど、ここはとにかく逃げるが勝ちだっ。

 とりあえず、今ここで清文に会うのはめちゃめちゃマズイっ。
 せっかく順調にいってるバイトがばれるのもやだし、何より俺は、貴樹くんの恋愛相談に乗っちゃってるんだっ。
 俺と清文の関係がばれるわけにはいかないんだよ〜!

 ところが。
 この細い腕のどこにそんな力があるのか、貴樹くんは俺の手首をがっちり掴んでグイッと引っ張った。

「やだなあ、理くん。そんなにビクつかなくても、有本くん、優しい人だから大丈夫」

 いや、確かに優しいんだけど、優しいだけじゃないんですってば…って、そんな問題じゃなくてっ。

「はいはい、上がって上がって」
「や、ちょっと、その…っ」

 そのまま引きずり込まれそうになり、まだ靴を脱いでなかった俺は、危うく土足で上がり掛けて、慌てて靴を脱ぎ散らかす羽目になった。

 で、靴を脱いじゃったらもう、貴樹くんのペースで…。

「有本くん、お待たせ〜!」

 勢いよくドアを開けて、貴樹くんが僕ごと部屋へ、もつれ込むようにして入る。

 あああ、万事休す。

 絨毯に蹴躓きかかってつんのめった俺が、危うく体勢を立て直して顔を上げた先に、いた。
 何がって、もちろん、清文が。

 視線がぶつかる。

 で、次にやってくるのは『なーちゃんっ?』って驚く清文の声…の、はずだったんだけど。

 清文はニッコリと――そりゃあ惚れ惚れとするような最上級の愛想笑いを俺に向けて、こう言った。

「やあ、はじめまして、中久保くん」

 …へ? …こ、これはもしかして、超怒ってる…?
 しかも、最初から俺が現れるってわかってた…?

 あ、そうか。
 もし貴樹くんが俺の名前を口にしていたら、絶対ばれてるはずで。
 だって、華南学園の中久保理って、俺一人だもんな。ははは。

「あれ? どしたの? 理くーん」

 固まってしまった俺の目の前で、貴樹くんがひらひらと手を振っている。

 ちょっと待てよ。清文って確か今日、生徒会の日じゃないか。
 なのに、貴樹くんに誘われてここにいるってことは、もしかして、貴樹くんの告白を……。

 清文から視線を外せないままでいる俺。
 そんな俺に向かって、清文が真っ直ぐにやって来た。
 真正面に立って、俺を見下ろす。

 なんでそんな冷たい目で見てるんだよっ。
 俺が何したってんだっ。
 お前なんて、彼女がいて、貴樹くんにホイホイついてきて…。

 そう思った瞬間、情けないのか悔しいのか悲しいのかわかんなくなって、俺の両目はカッと熱くなり、続いてボロボロと水滴がこぼれ落ち始めた。

「なーちゃんっ?」
「理くんっ?」

 慌てふためいたような二人の声に、俺は心のどこかで『ざまあみろ』なんて思ってたりするんだけど、でも涙は次から次へと湧いてくる。

 そんな俺の前に、清文が膝をついた。
 見下ろしていた視線が一気に下がって、今度は俺を見上げてくる。
 その時、部屋のドアをノックする音が響いた。

「貴樹、ちょっといいか?」

 貴樹くんの返事を待たずにドアを開けたのは知らない声。

「あれ? お兄ちゃん。どうしたの、今日は早いね」
「ああ、大和を連れてきたんだ。確か理くんが来ている日だろう?」

 大和にいちゃん? それに、もしかして貴樹くんのお兄さん?

「や、貴樹くん、久しぶり」
「大和さん、お久しぶりですー」
「理、ちゃんとやってる? 紹介した責任があるからね。査察に来たんだ…って、あれ?」

 俺の視界に大和にいちゃんの姿。

「なんで清文くんがいるんだ? 内緒じゃなかったのか?」

 理…って、俺の名を呼びながら、覗き込んできた大和にいちゃんの目が丸くなった。

「お前、泣いてるのか? どうしたんだよっ」

 答えようにも、涙の所為で言葉がでてこない。
 だいたい、どこからどう説明すればいいのかも全然わかんないし。

 そんな俺の代わりに、清文が応えた。

「大和さん、俺に内緒って…」

 けど、大和にいちゃんはちょっとした剣幕で。

「清文くん、君がついていてこれはいったいどういうことなんだ? それに、理は君のために内緒でバイトを始めたっていうのに、どうして君がここに…」

 あ〜もうっ、あっさりばらしてくれちゃったよお。

「俺の、ため?」

「そうだよ。もうすぐ誕生日なんだろう? 理はね、君に誕生日のプレゼントをあげたいから、何かバイトしたいって、僕に相談してきたんだよ。で、紹介したのがここってわけだ」

「うちのお兄ちゃんと大和さん、等綾院の同級生で、今は同じ大学病院の同僚なんだよ」

 横から貴樹くんが口を挟んできた……って、貴樹くん、妙に落ち着いてないか? 
 だって、今ので俺と清文が『はじめまして』ではないのはバレバレなわけなのに。

「そう…だったのか。なーちゃん…」

 …って、何を熱い目で見つめ返してんだよ、清文っ。
 俺的には何にも解決してないぞっ。

「貴樹、これはどういうことなんだ?」

 俺の、霞んでしまってる視界に男前が入ってきた。
 貴樹くんの肩を抱くその人は、清文と同じくらい背が高い。

 お兄さんだってのはわかるんだけど、挨拶しようにも俺はまだろくに言葉が出せない。
 なんとかしようとがんばったら、もっとみっともないことに、俺はしゃくり上げ始めてしまった。

 清文が慌てて俺の身体を抱いて背中をさする。膝をついたままだから、俺の鳩尾の辺りに清文の顔がある。
 こんなカッコ、慣れてないから変な感じ。
 
 大和にいちゃんまで俺の肩を抱いて『理、深呼吸しろ。ほら、ゆっくり吸って、吐いて…』何て言ってくる。

 言われたとおりにしようとしたら、むせてしまってさらにドツボに…。

 そうしたら、貴樹くんがちょっと心配顔で説明を始めた。

 清文とはクラスメイトであること。
 俺と清文がどうやら友達らしいと言うことに今朝気付いたこと。
 それならちょっと仕組んで、二人をここで対面させてみようと思ったこと。などなど。

「だってね、有本くんは理くんが僕んちに来てること全然知らなかったみたいだし、理くんは有本くんと友達だってこと教えてくれなかったし」

 う…だってそれは…。

「でも仕方ないよね。僕が先に理くんに相談持ちかけちゃったんだし、そうなったら言い出せないのもわかるし」

 ペロッと舌を出した貴樹くんは、さらに爆弾発言を落とした。

「でさ、理くん。僕、ちゃんと有本くんに告白したよ」

 や、やっぱり…。

「おい、貴樹…」

 お兄さんがびっくりしてる。そりゃそう…

「お前、やるなあ〜」

 …なに、それ。

 あまりのリアクションに、おかげで涙が引っ込んだ。
 でも、俺の涙を拭いてくれていた大和にいちゃんはキツイ瞳で貴樹くんのお兄さんを睨み上げた。

「宏樹っ、何言ってんだよっ。余計なツッコミいれるなっ」

 あ、お兄さんは宏樹さんって言うんだ。

「貴樹くん、悪いけど清文くんは理の恋人なんだよ」

 あああっ、大和にいちゃんっ!

「ところで清文くん。理を泣かせたらタダじゃおかないって言っておいたはずだけど?」

 …いつの間にそんなことを…。
 ボーゼンと聞いてたら、清文も逆ギレモードに入ってしまった。

「泣かせるようなことした覚えはありませんよっ。だいたい…」
「ちょっと待った」

 両者睨み合い…を止めたのは、貴樹くんのお兄さん――宏樹さんだった。

「大和、こういう内容は当事者三人で話し合わせた方がいい」
「ちょ…なにを余裕こいて」
「はいはい。人のことはいいから、お前はいい加減素直になって俺の腕の中でいい子にしてろ」

 …は? 今、腕の中って言った?
 誰が、誰の腕の中? いい子って何?

「だ、誰がっ。だいたい人のことって、これは俺の大事な従弟の問題だ!」

 もしかして、や、もしかしなくても大和にいちゃんと宏樹さんってそう言うこと? しかも…。

「や、大和にいちゃんって、そっち、なの?」

 漸くまともな声がだせるようになった俺の最初の言葉がこれってのもどうかと思うけど、気になるものは気になる。

 そんな俺の横では、『あ、ご挨拶が遅れて済みません。俺、笹島くんと同じクラスの有本清文です。いつもお世話になってます』『いやいや、こちらこそいきなり乱入して申し訳ない。兄の宏樹です。貴樹が色々とご面倒おかけしてるんじゃないかと心配してます』『いえ、そんなこと全然ないです。いい友達です』なんて、のんびり挨拶なんてかわしやがって。

「…そっちって、なんだよ…」

 大和にいちゃんの目元がほんのり染まった。なんか可愛いかも。

「ええと、ほら…」
「そうだよ。大和は俺の大事な恋人で、俺は大和を抱いてる時が一番幸せなんだ」

 挨拶合戦が終わったのか、大和にいちゃんの代わりに答えてくれたのは宏樹さん。

「お、お前…っ、理の前で…!」

 あああ、やっぱり。

 でも、大和にいちゃんってば、確かこの前は『男に抱かれる趣味はないよ』なんて清文に言ってなかったっけか?

「大和にいちゃん…」

「…なんだよ」

「この前旅行にいったとき、清文のこと押し倒して乗っかってたじゃん。天国見せてやるとかなんとか…」

「わ! 理っ、黙っ…」

 慌てる大和にいちゃん。
 でも、ボソッと呟いた俺の言葉を、宏樹さんはしっかりと拾い上げていた。

「…………ほお」

 宏樹さんの目が細くなった。はっきり言って…怖い。

「誰が誰のこと押し倒して乗っかってたって?」
「や、それはその、理のために一芝居…」
「俺というものがありながら…。…お仕置きだな」
「な、何勝手なこと言って…っ」

 宏樹さんが大和にいちゃんを小脇に抱えた。
 大和にいちゃんだって、結構身長あるのに、それを楽々抱えるとは…。

 大和にいちゃんは顔色変えてジタバタ暴れてるし。

「ああ、理くん。貴樹が世話になってありがとうね」
「あっ、とんでもないです、こちらこそお世話になってますっ」
「これからも仲良くしてやってくれると嬉しいな」
「も、もちろんですっ」

 って、挨拶してる場合?

「君は大和によく似て可愛いね。清文くん、離すんじゃないよ」
「もちろんです」
「貴樹は潔く諦めること」
「ふあ〜い」
「じゃ、後は若い人たち同士でごゆっくり」

 なんだか年寄りクサイ台詞をはいて、宏樹さんはひらひらと片手を振ると、『ほら、暴れるなってば』…なんて、嬉しそうに言いながら、大和にいちゃんを何処かへ連れ去っていった。

 それを、残された俺たちは呆然と見送って…。

「相変わらずだよねえ」

 そう呟いたのは貴樹くん。

「あ、あの二人、いつ、から?」

 思わず聞いちゃったよ。
 や、好奇心ってわけではない……ことはないけど。

「えっとね、高校の入学式だって。一目惚れしたお兄ちゃんが、『俺とつき合おう』って迫り倒して一週間後には既成事実に持ち込んだ…って言ってた。『一見楚々とした美人なのに、涙もろくて熱血漢で瞬間湯沸かし器なところがツボ』なんだって。それ以来メロメロなんだけど、二年前に大喧嘩しちゃってね。怒った大和さんは大阪の大学病院に移っちゃったんだ」

 転勤って喧嘩が原因だったのか。大人げないったら…。

「離れてた二年間、お兄ちゃんってば可哀相なくらい元気なかったんだけど、やっと大和さんが帰ってきて、浮かれまくって僕のことなんか全然構ってくれなくなっちゃったんだ〜。ま、元気のないお兄ちゃんより、大和さんを追っかけて燃え滾ってるお兄ちゃんの方が好きだけどね」

「そうだったんだ」

 まあ、大和にいちゃんが幸せならそれでいいんだけど、愛されすぎてコワイ…って感じがしないでも…って、ふと気がつけば清文が俺の肩をしっかり抱いてるじゃないかっ。

「き、清文っ」

 今さらなんだけど、小さい声で窘めてみる。
 けれど、そんな俺に構うことなく、清文はさらに強く俺を抱き寄せると貴樹くんに言ったんだ。

「笹島、これが俺がずっと思ってきた人だ。ずっと追い掛けて、やっと思いを通わせた、誰よりも大切な人だ」

 …清文…。

「うん。小さい頃からずっと、好きだった人、だよね」

 そんな話…してたのか? 二人で?

「理くん」

 貴樹くんが俺に向き直った。

「ごめんね。騙すようなことして」

 …え? それ、違うだろ。

「何で? どうして貴樹くんが謝るんだ? 謝るのは俺だよ。だって…」
「違うって。理くんは何にも悪くないよ。僕の相談を親身になって聞いてくれたじゃない」

 俺の言葉を遮ると、貴樹くんはニコッと笑った。

「そりゃあ失恋は悲しいけど、でも、僕には理くんって言う大切な友達が出来て、そうなったら有本くんがもれなくついてくるんだもんね。これってある意味お買い得じゃない?」

 …あっぱれ。
 でも、そんな風に言ってもらえて、嬉しい。

「貴樹くん…ありがと…」

 やば…また、涙腺が緩みそうだ。

 そんな俺の様子に気付いたのか、清文が俺の頭を抱えてその胸にギュッと抱き寄せた。
 俺なんかとは全然違う、しっかりとした胸の感触に思わず目を閉じ……まてよ。
  
 まだ大団円には早いぞっ!

「清文っ」

 俺は思いっきり腕を突っ張って清文から離れた。
 突然怒りモードに入った俺に、清文が驚いている。

「何? どうしたんだよ、急に」
「何…じゃないだろっ。彼女ってなんだよっ!」
「彼女?」

 清文が怪訝そうに眉を寄せた。

「しらばっくれるなっ。彼女と仲良く話してたんだろっ?」
「何のことだよ、それ。いつの話だ。いや、いつの話も何も、俺は今まで一回も『彼女』なんてもの作った覚えはないぞ」

 何だと〜。よくもしゃあしゃあと〜。

「目撃者だっているんだからなっ」
「目撃者?」
「貴樹くんっ、見たんだよな? 清文が彼女と幸せそうに話してるところ」

 振り返ってみれば、貴樹くんはうんうんと頷いている。

「うん、見た見た、この目でばっちり」
「ほらみろっ」

 今度は清文を睨み付ける。
 そんな俺に背後から貴樹くんののんびりした声が…。

「電話だったけどね〜」

 ……はい? 電話?

「…ああ、もしかしてあの時か」

 一人勝手に納得したように、清文が頷いている。
 その言葉に貴樹くんは『そうそう』と相づちを打ち、『だってさ〜』と可愛い口を尖らせた。

「有本くんってば、僕たちには携帯持ってないって断言したクセに、物陰で幸せそうに話し込んでるんだもん。絶対彼女だと思ったんだ、あの時は」

 ええと。

「あの、確認ですが」
「うん?」
「清文が彼女と幸せそうに話してた現場って言うのは、電話…のこと?」
「うん、そうだよ。もうね、幸せ一杯の甘〜い声で『なーちゃん』なんて呼んでるんだもん〜」

 ちょっと待った〜! なーちゃんって……俺じゃん…。

「だいたいさあ、理くんも有本くんも僕には何にも話してくれないんだもん。二人が幸せになるのは応援するけどさー、このままってのもなんだか癪だし、ちょっと悪戯しちゃえ…って感じ?」

 貴樹くんの『必殺小首傾げ』炸裂。
『って感じ?』…じゃないってば…。

 ぐったりと疲れた俺に、貴樹くんは『まあまあ』なんて肩を叩いてきて、『今日はいよいよ空母の完成だよね〜』なんて、嬉しそうな声をあげた。

 あ、そっか。俺のお仕事だ。
 いや、全然仕事なんかじゃなくて、すでのお楽しみと化してるけど。

「ね。せっかくだから、有本くんもゆっくりしてってよね」
「いいのか?」

 言外に、貴樹くんには悪いことをしてしまったと――それはきっと、告白を受け入れなかったと言うことじゃなくて、彼の部屋に自分たちの私事を持ち込んだこと…だと思う――滲ませる清文に、貴樹くんは『もちろんだよ。友達として招待してるんだから、遠慮しないで』と片目を瞑った。

「ありがとう」

 柔らかく表情を緩めた清文に、俺も、ホッとした。

 それから、四十分ほどで空母を完成させて、いつもの通りの美味しいおやつを楽しんで、貴樹くんは等綾院での清文の様子を色々聞かせてくれて――清文はちょっと照れくさそうだったけど――盛り上がっていたところへ、貴樹くんが『二人の小さい頃の思い出話、聞かせてよ』なんて言いだした。

 清文が俺の膝を小突いたような気がしたんだけど、気のせいかな…なんて思って、俺は得意満面で言ったんだ。

「初めて貴樹くんに会った時ね、俺、小さい頃の清文を思いだしたんだ」
「…えっ? それってどういうこと?」

 小首を傾げる――何回見ても可愛い――貴樹くん。

 そして、今度こそ清文は確かに俺を肘でつついて小さな声で『なーちゃんっ』と呼んだ。
 なんだよ、もう。

「清文ってさ、小学生の頃、小さくて可愛かったんだー。女の子みたいでさ、おまけにひ弱で、しょっちゅう風邪ひいたりして熱だして寝込んでたっけ」

 あはは…と笑った俺の前で、貴樹くんが目を丸くしていた。

 あれ? どうしたんだろ?

「あ…有本くんって、小さくて可愛かったんだ」

「うん! おまけに泣き虫でさー。『チビで泣き虫の清文』って言ったら、近所の悪ガキたちの格好の標的だったんだよ」

「ち…チビで泣き虫…」

「いつも、俺の服の裾つかんで、みーみー泣いてたよなっ、清文」

 って、振り向いてみたら、恨めしそうな目をした清文が低い声で『…なーちゃん…』と呟いた。

 ええと…。

「…みーみー…」

 視線を戻せば貴樹くんが呆然と固まっている。

 …ええと、ええと、もしかして俺ってば、貴樹くんの『清文幻想』を打ち砕いちゃった…とか。

 こ、これはまずい。

「やっ、でもさっ、今がかっこいいんだからいいよなっ」

 って、今さらながらフォローを始める俺に、固まっていた貴樹くんもハッと我に返って『うんうん』と頷いて『そうだよっ。今はめっちゃ男らしいんだからっ』と力説してくれた。

 よしっ、この調子っ。

「だよなっ。中身はともかく、外見はでっかくなれたんだし!」

 …あ…。

「……なーちゃん」

 更に地を這うような、清文の声。

 俺の背中を冷たい汗が流れて、視線を彷徨わせた先、ぶつかった貴樹くんの目が、『理くんのバカ』って言ってる…。あはは…。

「さて…と」

 清文がやけにきっぱりとした口調で言った。

「笹島、長居してごめんな」

 立ち上がり、惚れ惚れするような笑顔でそう言うと、貴樹くんも慌てて立ち上がった。

「う、ううんっ、とんでもないよっ。また、来てねっ」
「ああ、ありがとうな。これからもなーちゃんのこと頼むな」
「も、もちろんだよっ」
「さ、なーちゃん、帰ろうか?」

 帰らないとは言わせない…と言わんばかりの清文。

「あ、ええと…」

 って、ここで『一人で帰れるから〜』なんて言ったら、もしかして俺に、明日はない…?

「なーちゃん。行くよ」
「…はい」

 がっちり肩を抱かれたまま、俺は貴樹くんの家を後にしたんだけど、そう言えば大和にいちゃんはあれからどうなったんだろう。

 …なんて、人の心配をしてる場合じゃなかったんだ…。


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